「まるでナチスのよう」台湾侵攻を企てる中国をドイツが非難しないワケ
プレジデントオンライン / 2021年6月8日 11時15分
※本稿は、安田峰俊『中国vs.世界 呑まれる国、抗う国』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
■ここ10年で急増したドイツでの中国人観光客
【安田峰俊(ルポライター)】まず、一般的なドイツ人の中国観について聞かせて下さい。
【マライ・メントライン(翻訳家、エッセイスト)】基本的に、中国についてほとんど知らないですね。「遠いアジアの国」というイメージで、各人の教養のレベルにもよりますが、日本と中国の区別がついていない人も少なからずいるくらい。
それが10年ほど前からの観光客の急増で、大都市圏や観光地を中心にリアルな中国人との接点が生まれました。バスで移動する大量のツアー客で、いつもガヤガヤとおしゃべりしていて、ものすごくいいカメラを持っていると(笑)。
【安田】なるほど。いっぽう、西ドイツははやくも1984年にフォルクスワーゲン(VW)が中国に進出するなど、早期から中国市場に乗り込んでいました。一般人の知識の薄さとは裏腹に、経済関係には熱心な印象です。
【マライ】ですね。ちなみにVWは、中国ローカルの上海汽車と合弁企業「上海大衆」をつくっているのですが、同社の設立記念式典には当時のコール首相が訪中して参加しています。
ドイツは自動車産業の国ですから、政府は自動車のためならすごく活発に動くわけです。その後、コール首相は天安門事件後の1993年にも訪中していますが、このときもベンツや(自動車ではなく電車ですが)シーメンスなどの大企業を引き連れての大規模な訪中団が組まれました。
■対米関係とのバランスとった結果、中国優位に
【安田】往年、中独合弁の上海大衆がつくったサンタナという車種は中国では“国民車”と呼べるくらいよく売れて、一昔前までタクシーの多くがVWエムブレムでした。
ベンツは長距離バスによく採用され、シーメンスも広州や上海の地下鉄に車両をおろしています。上海トランスラピッド(リニアモーターカー)も、複数のドイツ企業が関わっています。現在、中国の交通インフラは国産に置き換わってきていますが、ドイツとの経済関係の深さは変わりません。
【マライ】メルケルが率いるドイツの与党・キリスト教民主同盟(CDU)は経済重視で、お得なことはなんでもやるスタンスです。すでに多額の投資をしていることも、これまでのドイツの中国接近の背景にありました。
ただ、もうひとつの要因として、アメリカ一辺倒を嫌う欧州国家としての意識も大きく影響していたはずです。
もっとも、本来は対米関係とのバランスを取るために中国とも仲良くしていたはずが、近年アメリカの力が弱まったことで、相対的に見て中国の地位が上がりすぎてしまった感じがあります。
■コロナ禍以降に中国に対する不信感が広まった
【安田】経済や外交面では“良好”、庶民レベルでは“無関心”だった独中関係ですが、新型コロナウイルスが流行したことで風向きが変わります。コロナの発生地・中国に対するドイツ世論の変化は?
【マライ】中国に対する世論の警戒心はかなり強まりました。情報公開の不透明さをめぐって、中国の価値観や体制に根本的な不信感が広がったことで、経済重視のメルケル政権も世論を無視できなくなりつつあります。
事実、従来はまったく問題視されてこなかった次世代通信規格5Gへのファーウェイ(華為技術)製品の採用が、大きく制限されそうな気配です。
【安田】ファーウェイ製品の排除は2018年から続く米中貿易摩擦が発端でした。中国メーカーのITガジェットに対する、情報流出の懸念は強いようです。
【マライ】もっとも、ファーウェイが組織ぐるみで政治的な諜報活動をおこなっている確かな証拠は、これまでほぼ出ていないわけです。
ドイツ人は論理を重視するので、本来ならば明確な根拠が客観的な形で示されない限り、政府が規制に動いたりすることはない。ところが今回は、コロナ流行以来の中国に対する世論の根強い不信感が、ファーウェイ規制を後押しした感があります。
また2020年9月にはドイツのマース外相が、中国一辺倒ではなくアジアの他の民主主義国との連携をもっと深めていくべきだといった見解も述べるようになりました。
■「いずれ中国は啓蒙される」と考えていたドイツ
【安田】日本は2005年の反日デモあたりからずっと中国への警戒心がありますが、欧州各国の場合、近年の米中対立やコロナ流行で、ようやく警戒モードに入った感じでしょうか。
【マライ】かもしれません。私は日本で暮らしていて、勤務先であるZDFの北京総局の情報も入ってくるので、母国のドイツ人よりも早い段階で、中国に懸念すべき点があるという情報が入ってきていました。
ただ、ドイツ国内の人たちの中国に対する認識はまだ無邪気な気がします。中国が国際秩序に挑戦する覇権国家と化していることにも、まだ気がついていない人が多そうです。
【安田】そもそも、ドイツの中国の友好関係って何だったのでしょう?
【マライ】同床異夢だったと言えるかもしれません。これまでドイツ側には、ビジネスによって交流して仲良くしていけば、中国はやがて啓蒙されて、民主主義社会の良さに気付いて変わってくれるだろう、という思い込みがあったんです。
【安田】「啓蒙」ときましたか(笑)。西側民主主義の正しさをまったく疑わない文化圏の人たちじゃないと、なかなか出てこない単語です。
【マライ】そう(笑)。思い込みというか、ヨーロッパ人の思い上がりですよね。もっとも、ドイツの場合はこれに加えて、過去の自国の成功体験がありました。かつて旧東ドイツに対して、友好路線でアプローチを続けた結果、ベルリンの壁が崩れてドイツが統一された。
中国についても往年の東ドイツと同じように、人々が心のなかでは自由な民主主義社会を望んでおり、共産党支配を崩壊させていくに違いない。そう考えた人が少なくなかったのではないでしょうか。
■ドイツ人には微妙な「ウイグル強制収容所」問題
【安田】ドイツと中国の関係は「経済」を理由とした友好関係のほかに、本来は「人権」をベースとする批判も活発です。たとえば、中国国内で迫害を受けている少数民族ウイグル人の世界組織「世界ウイグル会議」総裁のドルクン・エイサは、長年ミュンヘンに滞在しています。
【マライ】ドイツは人権団体が強くて、亡命者のための法整備が比較的整っているんです。
ちなみに世界ウイグル会議の拠点については、冷戦時代にアメリカが対東側向けのウイグル語プロパガンダラジオ放送をおこなっていたことがあって、その拠点がミュンヘンに置かれていたことがきっかけなのだといいますね。ウイグル問題に同情的なトルコ移民のコミュニティがあることも関係していそうです。
【安田】2019年ごろから、中国当局が新疆ウイグル自治区内でウイグル人らを収容しているとされる「強制収容所」(再教育キャンプ)の問題が、英米両国を中心に盛んに報じられるようになりました。
「強制収容所」という言葉は欧米圏へのインパクトが大きかったようです。ドイツの一般人の対中国認識の変化には、この問題も影響していますか?
【マライ】私が勤務しているZDFを含めて、近年はウイグルの人権問題に関係した番組が頻繁に作られていますし、知識人を中心に懸念を覚える人も多くいます。ただ、この件はドイツにとっては難しい問題でもあります。
【安田】どういうことでしょう?
【マライ】アウシュビッツのように、完全に過去の自国の問題であれば、歴史にどう向き合ってどう消化するべきかの枠組みがきっちりと示されているので対処できるのですが、中国の強制収容所となると……?
各国が中国を批判する文脈のなかで、ナチスの問題が不意打ち的に蒸し返される形になりますから、ドイツ人にとってはかえって反応に困る部分もあるかもしれません。
■ナチスと中国共産党の類似点
【安田】ウイグル問題と並ぶ懸念が香港です。
2020年6月30日に北京の中国政府が、香港に向けて国家安全維持法を施行した際、ドイツのメルケル首相の批判のトーンは抑制的でした。
人権大国のドイツらしからぬ鈍い反応は、自動車産業など中国と関係が深い業界からの圧力や、メルケルの産業界に対する忖度が反映されたのでしょうか?
【マライ】自動車業界の発言力は非常に強いですし、間違いなくそうした構図はあったと思います。
ドイツは近年、中国に対しては経済と人権の板挟み。「人権大国」だから、中国の人権問題に何も言わないわけにはいかないけれど、強いことばかり言うわけにもいかない。近年、ジレンマが徐々に顕著になってきた気がします。
【安田】私は近年の中国と往年のナチス・ドイツの比較に関心を持っています。
仮に目下の香港政策をナチスのズデーテン併合になぞらえるなら、次にやってくるのは「ポーランド侵攻」(=台湾侵攻)ではあるまいか。何度か示された危険な兆候を、国際社会が黙認すれば、対外拡張主義がさらに暴走して取り返しがつかないことになってしまいます。
【マライ】ああ、確かにすごく似ていると思います。国際社会が何も言えず、臭いものに蓋をしたことで、結果的に黙認のメッセージを送ってしまうという。メルケル首相が香港問題に強く抗議しなかったことは、実は私も驚いたんです。
2014年にロシアがクリミア半島を強引に併合した際(クリミア危機)、この手の紛争のときはドイツが積極的に発言して、ブレーキをかける必要があると学んだはずだったのですが……。
■足並みがそろわないEUと、着実に対外拡張を進める中国
【安田】約80年前、イギリスのチェンバレン首相は、ナチスのズデーテン併合に宥和政策を取ったことで、後世の批判を受けることになりました。
現在、中国が香港問題をめぐって往年のナチスとよく似た立ち位置にいるとすれば、さらに歴史の皮肉を感じるのは、往年のチェンバレンの宥和政策のポジションに、いまやドイツのメルケルが座っていることでしょう。
【マライ】その通りですね。ドイツのトップが対中国や対ロシアについて物を言うときは、現状ではEUの枠組みのなかで動かざるを得ないのですが、クリミア問題でもブレグジットでも、EUの足並みはそろいませんでした。
中国もこうしたEUのまとまらなさを知ったうえで、大胆に動いている面はありそうです。これは日本で暮らすドイツ人の目から見ると、大きな懸念ですね。
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翻訳家、エッセイスト
1983年生まれ。ドイツ出身。NHK「テレビでドイツ語」、「まいにちドイツ語」などに出演。二度の留学を経て日本との「縁」を深め、2008年より日本在住。通訳・翻訳・ドイツ放送局のプロデューサーにウェブでの情報発信と多方面に活躍。著書に『ドイツ語エッセイ 笑うときにも真面目なんです』(NHK出版)がある。
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ルポライター
1982年滋賀県生まれ。中国ルポライター。立命館大学人文科学研究所客員協力研究員。著書『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』が第50回大宅壮一ノンフィクション賞、第5回城山三郎賞を受賞。2021年は『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)、『「低度」外国人材 移民焼き畑国家、日本』(KADOKAWA)、『八九六四 完全版 「天安門事件」から香港デモへ』(角川新書)、『中国vs-世界 呑まれる国、抗う国』(PHP新書)を続々と刊行。
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(翻訳家、エッセイスト マライ・メントライン、ルポライター 安田 峰俊)
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