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「タリバンと同じ蛮行をした日本人」国宝級の仏像を海外美術館が山ほど所有するワケ

プレジデントオンライン / 2021年6月30日 11時15分

鹿児島出水市の廃寺跡に残る廃仏毀釈の痕跡(仁王像)撮影=鵜飼秀徳

国宝級の仏像が海外の美術館などにたくさん収蔵されているのはなぜか。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「明治維新の際に、仏教に関連する施設や慣習などを破壊する行為“廃仏毀釈”の動きが盛んになり、貴重な仏像が薪や武器・建材になったり、国内外に散逸したりしました」という――。

■国宝級を含む日本の仏像の多くが明治維新時に散逸したワケ

1300年前につくられ、離れ離れになった一対の仏像が、現代で再会――。

今月、そんな奇妙なニュースが話題になった。この仏像とは、滋賀県大津市の真光寺に祀られている観音菩薩立像(国の重要文化財)と、もう片方は、東京都の個人邸に保管されていた勢至菩薩立像だ。

この観音菩薩と勢至菩薩は、一般的には阿弥陀如来像を中心にした時、その脇侍として一対を祀る(阿弥陀三尊形式)。この両菩薩の高さはともに27cmほど。銅と鉛の成分がほぼ一致した。距離にして500kmも離れた2つの像が、再会するのは極めて珍しい。

その実、仏像が本来祀られていた寺から、いつの間にか遠く離れた場所に移動し、元の寺に戻らないケースが国内では散見される。

真光寺の2体がいつ、どのような経緯で引き離されたか。その真実の解明は難しい。だが、少なくともその時期は、1897(明治30)年の「古社寺保存法」(画像参考)の制定前にさかのぼるであろう。推測するに1868(慶應4、明治元)年から、1897(明治30)年のおよそ30年の間に持ち出された可能性がある。

旧古社寺保存法は歴史的な社寺や、社寺が所有する宝物について、美術的に模範になるものを「国宝」として指定し、社寺に対して保存と公開のための補助金を交付することを定めたものだ。

同法施行以降、寺社から美術的な価値の高い仏像や神像などの宝物は、寺社の管理の下に保全されるようになった。裏を返せば、それ以前は多くの仏像などが、国内外に「流出し放題」であった。このことに明治政府は強い危機感を抱いていた。

■廃仏毀釈で仏教に関連する施設や慣習が破壊された

実際、日本の仏像の多くが明治維新時に散逸した。いったい、何があったのか。そこには、日本仏教史上、最悪の法難が大きく関係している。

明治維新を迎えたとき、日本の宗教は大きな節目を迎える。

新政府は万民を統制するためには、強力な精神的支柱が必要と考えた。そこで「王政復古」「祭政一致」の国づくりを掲げ、純然たる神道国家(天皇中心国家)を目指した。この時、邪魔な存在だったのが、神道と混じり合っていた仏教であった。

1868(慶応4、明治元)年、新政府は神(神社)と仏(寺院)を切り分けよ、という法令(神仏分離令)を出し、神社に祀られていた仏像・仏具などを強制的に排斥する。僧侶に還俗を迫り、多くの寺院が廃寺になった。

神仏分離令をきっかけにして、時の為政者や市民の中から、神仏分離の方針を拡大解釈する者が現れた。そして彼らは、仏教に関連する施設や慣習などをことごとく毀(こわ)していった。時代の変化の到来と市民の熱狂が引き起こした破壊行為、これがいわゆる「廃仏毀釈」である。

首が刎ねられた石仏(長野)
撮影=鵜飼秀徳
首が刎ねられた石仏(長野) - 撮影=鵜飼秀徳

■テロ集団・タリバンと同様の蛮行をした明治の日本人

なかでも廃仏毀釈が激しかった地域は、水戸・佐渡島・松本・富山・伊勢・奈良・土佐・隠岐島・宮崎・鹿児島などである。

とくに鹿児島県では寺院と僧侶が、地域から完全に消えた。木造仏は薪にされ、金銅仏は溶かされ武器にされ、石仏は橋や建造物の建材にされた。ことごとく毀されため、鹿児島から流出した仏像はさほどは多くないとみられている。鹿児島では仏像が避難する余地すら、なかったのである。

新時代の到来によって、前時代の文化財をないがしろにしたのが明治初期の日本人であった。廃仏毀釈のピークは1870年代前半であり、それ以降はピタッとやみ、寺院は再建されていく。しかし、時すでに遅し。日本の貴重な文化財の多くが消えてしまった。

廃仏毀釈によって日本の寺院は少なくとも半減した。哲学者の梅原猛氏は、廃仏毀釈がなければ国宝の数はゆうに3倍はあっただろう、と指摘している。

2001(平成13)年、国際テロ組織タリバンがバーミヤンの磨崖(まがい)仏を爆破した事件は記憶に新しい。なんという畏れ知らずの行為か、と世界中の人々が憤慨した。だが、同様の蛮行を明治の日本人も行っていたのである。

■政府が招いたお雇い外国人や外国人美術商が仏像の救出を模索

当時の日本人が文化財の破壊行為に手を染める中、仏像の救出を模索する人々がいた。政府が招いたお雇い外国人や外国人美術商たちである。

たとえば、大森貝塚を発見した米国の動物学者エドワード・モース、米国の哲学者で美術史家アーネスト・フェノロサ(や、その弟子の岡倉天心)、米国の医師で日本の仏教史にも精通していたウィリアム・スタージス・ビゲローらだ。

彼らは、信仰の対象でなくなった仏像が各地に散逸していく状況を憂いていた。そして、放置された仏像を保護し、買い集め、海外へと「逃した」のである。

それらは「東洋美術の殿堂」といわれる米国ボストン美術館のコレクションになった。その点数は10万点以上。岡倉天心は後にボストン美術館の初代東洋美術部長に就任している。

近年、国立博物館や各地の美術館などで仏像展が開催されると、展示される仏像の中に「海外の美術館所有」「新宗教団体所有」「個人蔵」の宝物が少なからず見つかる。

たとえば、2017(平成29)年秋、東京国立博物館での「特別展 運慶」。期間中の入場者数は60万人を数える大ヒット展示会となった。この特別展は奈良、興福寺の中金堂再建記念として開催されたもので、同寺から多数の仏像の出品があった。

鵜飼秀徳『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』(文春新書)
鵜飼秀徳『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』(文春新書)

私も、作品をとくと拝見した。国宝「無著・世親像」の前に立った時、まるで命が宿っているようなリアリズムをもって迫るその姿に、私は感動を禁じ得なかった。

しかし、明治初期、無著・世親像は、あの美しき阿修羅像たちとともに、ゴミ同然の扱いで中金堂の隅に乱暴に捨て置かれていたのだ。阿修羅像の右腕はポッキリと折れていた(廃仏毀釈との因果関係が証明されているわけではないが)。多くの仏像が焚き火の薪になり、無著・世親像や阿修羅像すら、燃やされる可能性すらあった。

また、運慶展の展示品の中に、新宗教団体が所有する仏像もあった。廃仏毀釈時、多くの寺宝が売却され、一部がその新宗教団体に流れたのだ。

■なぜ海外の美術館はたくさんの仏像を収蔵しているのか

2014(平成26)年には、ニューヨークで開かれたクリスティーズのオークションで、ある仏像が出品されたことが話題になった。

それは、興福寺に安置されていた「乾漆十大弟子立像」を構成する1体であった。現在、同寺に残る十大弟子立像は6体のみ。いずれも国宝に指定されているが、残る4体は廃仏毀釈時に散逸した。それが近年、海外で発見され、オークションにかけられたのだ。

旧古社寺保存法(写真=国立公文書館蔵)
旧古社寺保存法(写真=国立公文書館蔵)

せめて博物館の仏像展で、海外の美術館所有の仏像や個人蔵を見ることで、150年前の負の歴史の痕跡の可能性に思いを巡らせてほしい。熱狂しやすく、冷めやすい日本人の悲しい習性は、今もさほどは変わってはいないが。

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)など多数。近著に『仏具とノーベル賞 京都・島津製作所創業伝』(朝日新聞出版)。浄土宗正覚寺住職、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。

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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)

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