「風呂場での熱中症で孤独死」高級マンションの特殊清掃を手がけた作業員の思い
プレジデントオンライン / 2021年7月9日 15時15分
※本稿は、笹井恵里子『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中央公論新社)の第5章第3節「死後を片付ける思い」を再編集したものです。
■「死後数週間の遺体」は警察が運び出したが……
マンションに一人暮らしの60代男性が浴槽内で亡くなったという。近くに住む内縁の妻の依頼で救急隊が踏み込み、死亡した男性を発見、警察が遺体を運び出した。死後、数週間は経過したとみられている。その浴室をきれいにしてほしいという親族からの依頼であった。これを「特殊清掃」という。
特殊清掃とは、遺体の腐敗でダメージを受けた場所の原状回復をする清掃作業のこと。資格がないため誰でも始められるが、現場の状況によって使用する薬剤が異なり、ある程度のノウハウが必要な仕事である。時にゴミ屋敷現場以上に臭いがきつかったり、危険な作業も含まれるため、あんしんネットでは基本的に社員しか携われない。
現場は、駅から徒歩3分ほどの場所に位置し、一目で高級マンションであることがわかるような外観だった。死亡した男性宅はそのマンションの最上階に位置する。高層階ではないものの、エレベーターをおりて共用廊下に出ると、街が一望でき、爽やかな風が流れていた。しかし玄関ドア付近に立つと、「死臭」が漂ってきた。
■ベテラン作業員も即座に「防臭マスク」に付け替える
生前遺品整理会社「あんしんネット」の作業員である大島英充さん、溝上大輔さんが、先に現場の状況を見にいくという。大島さんは通常のマスクを外し、業務用の防臭マスクを装着する。溝上さんも付けるよう促されたが、「これで大丈夫」と通常のマスクのまま中へ。
開け放れた玄関からは、まともに嗅いでいられない異様な臭いが漂う。
事業部長の石見良教さんの言葉を思い出した。
「浴室のバスタブで亡くなるケースは、浴槽内の水を警察などが抜いてしまうことが多いんです。そうなると臭いの被害が広まってしまい、後の清掃が大変となります。今回は特殊薬剤をお湯に溶かして、配管内の汚れを落とさなければなりません」
大島さん、溝上さんが顔をしかめながら外に出てきた。あれほど「これで大丈夫」と言っていた溝上さんが、即座に防臭マスクに付け替える。そして私に対しても、このマスクに代えたほうがいい、と繰り返す。
「気分が悪くなられても大変なので……」
■声をかけられ、息を止めて浴室をのぞいた
これまでそんな心配をされたことがなかったので、私もさすがに不安になり、すでに付けていた高機能不織布フィルター使用のマスクの上に、さらにその防臭マスクを装着した。少し息が苦しい。そして今回は作業着の上に、頭まですっぽり入る防護服を身に付ける。露出している部分は“目のみ”だ。
室内に入ると、玄関、左に折れて廊下があり、左右に1部屋ずつ、奥に見晴らしのいいリビングとカウンターキッチンが見える。その手前に脱衣室と浴室があった。
「中を見てみますか?」
大島さんに声をかけられ、息を止めて浴室をのぞいた。浴槽の下、手前のフチ、頭をのせていたであろう側面にべったりと便のような茶色いシミが広がる。頭をのせていた箇所には髪の毛がしっかり残っていた。血液らしいどす黒い赤もところどころにある。脱衣所にも遺体を運ぶ時についたであろう茶色のシミが残る。
脱衣所と浴室の掃除と物の撤去――それが今日の仕事である。
「笹井さんも、いろいろなきつい現場を作業してきただろうけど、実際の髪の毛や体液、皮膚が残っていた現場はないでしょう」
大島さんの言葉に、私はうなずいた。
■風呂場の急死は「ヒートショック」より「熱中症」だった
実は別の意味で驚きもあった。私は昨年12月と今年2月に、「週刊新潮」で特集記事「風呂場の急死はヒートショックではなかった」を発表した。これまで入浴中の事故死はヒートショック、つまり入浴にまつわる急激な温度変化によって血圧の乱高下を招き、心筋梗塞や脳卒中が引き起こされると考えられてきた。
しかし東京歯科大学市川総合病院教授で救急科部長の鈴木昌医師らの調査から、別の原因であることがわかったのだ。それは「浴槽内での熱中症」の発症である。
熱中症によって意識障害や脱力感が起こり、浴槽から外に出られなくなるとさらに体温が上がり、そのまま誰も助けてくれなければ最後には湯の中に沈んで死に至る。鈴木医師らの調査からそれが明らかになったのだ。
■気持ちがいいと感じたまま意識レベルが低下する
調査は東京都、山形県、佐賀県で、脱衣所や浴槽、洗い場など入浴に関係した場所から119番を要請した4593件を対象に行われた。調査結果では死亡した1528人のうち浴槽の中での死亡は1274人と大半を占めていたが、まさかその記事を発表して2カ月後に、実際の死亡現場を目にすることになるとは……。
取材時、鈴木医師は「入浴事故の一番の予防法は、一人で入らないこと」と言っていた。
「入浴すると最初は『気持ちがいい』、体温が上昇して徐々に『暑い』、やがて『苦しい』と時間の経過とともに体への負荷が増していくはずですが、高齢者は暑さに対する感覚が鈍く、気づいた時にはすでに体温が上がって熱中症を発症している可能性が高い。気持ちがいいと感じたまま意識レベルが低下する、あるいは脱力して、風呂から出られない状態になって溺れてしまうのでしょう」
今回はゴミ屋敷ではないが、物があふれる家の浴室での死亡例はしばしばある。「ゴミ屋敷」に住んでいると、「周囲から孤立」していて、「入浴中の死亡事故」につながりやすく、「死後も発見が遅れる」のだろう。
■何重にもしたマスクを通り、臭いが脳に伝わっていく
作業は、大島さんが浴室に一人で入り、浴槽の手前のフチについた体液や血液を薬剤をかけながらタオルでふきとっていく。私は浴室の入り口に立ち、タオルを渡しつつその模様を見学した。
普段の生活では絶対に嗅ぐことのない臭いが、何重にもしたマスクを通り、脳に伝わっていくのがわかる。気を緩めると嘔吐しそうになった。
「皮膚がこびりついて取れないんですよね……」
大島さんがつぶやく。
私の背後では溝上さんが、洗面所の水を流しながら脱衣室にある歯磨き粉や頭髪製品、掃除グッズなどの液体類を廃棄していた。香りがあるシャンプーやリンス、液体の石鹸なども流していくので、その場の臭いが少しだけ和らぐ。
男性が使っていたらしい「香水」があった。
「シャネルですよ」
それも溝上さんがどぼどぼと流していく。通常なら香水を大量に流されたら頭が痛くなるだろうが、この場では「やっと息ができる」救いにも思える。
■「浴槽内で亡くなっていた場合、その水は抜かない」
地道な作業だった。
本来汚れた浴槽にシャワーでお湯をかけて体液も血液も流したいところだ。しかし、そうすると排水管を通して周囲の家に臭いで迷惑をかけてしまうため、それができない。ひたすらタオルでの拭き取り作業だ。石見さんは「浴槽内で亡くなっていた場合、その水を抜かないほうがいい」と言っていたが、もし今回の現場でも浴槽内に水が入ったままであれば、どのように作業を進めるのだろうか。
「ああ、その時は浴槽内の水をバケツなどで汲み取り、トイレに流していく作業になります。人の脂肪が浮かんで“豚骨スープ”みたいなんですよ」
大島さんが答える。
広げたタオルにべったりと髪の毛がついているのを目にした。こんな光景があるだろうか。
■男性は洗濯機にスイッチを入れた数時間後に死亡した
少しずつ浴槽がきれいになっていけば、臭いも弱くなったりしそうなものだが、そうでもない。固まって閉じ込められていた臭いがこするたびに放出されるのか、死臭は、強くなったり弱くなったりする。
洗面器には水が入りっぱなしだった。中に数十匹のコバエが浮いている。浴室の中にもコバエが数匹飛んでいた。いつものゴミ屋敷ならコバエがいても、不思議ではないのだが、このきれいなマンションではコバエが不釣り合いな気もした。
浴室と隣接する脱衣室にはドラム型の洗濯機が置かれていて、洗濯機の中には、数週間前から放置されていた湿った洗濯物にカビが生えていた。
男性は洗濯機にスイッチを入れた数時間後に死亡したのだ。自分が“死ぬ予定”でなかったことがよくわかる。
脱衣室の物がほぼなくなり、私は床にしみついている体液をタオルでこすった。最近の住宅に多く取り入れられている、汚れが落ちやすいタイプの床だから、少しの力で簡単に落ちる。その様子を目にした大島さんが「他でこの作業をやろうとすると、もっと大変なんですよ」と言う。
■「遺族の代わりにやってあげているという気持ち」
私は自分が手にしているタオルを見つめた。この度の特殊清掃で使用したタオルはすべて、男性宅にあったものだ。もちろんあんしんネットからもタオルを持参しているのだが、男性宅のタオルはどのみちすべて処分になってしまうため、それなら彼の家の掃除は、その物を使ったほうが良い。
香水はシャネルだったが、シャンプーやリンス、そのほかの製品も無添加で質のいいものを使っていた。何十枚とかけられた肌着も使い古したものではない。“きちんと物が揃っていた証”を見て、この先の人生がなくなってしまった悲しさを思う。
浴室の汚れは、元どおりとまではいえないまでも、目をそむけたくなるような血液や体液の跡は消えた。臭いも、完全にはなくなっていないが、息を止めるほどではない。
「この後、リフォームはするんですけど……」
作業の最後、浴室の排水口に配管内の汚れを落とす薬剤を流し込みながら、大島さんが言う。
「この風呂釜を替える業者だって、こんな臭いとシミがついていたら嫌じゃないですか。だから僕らができる限りきれいにする。誰かがやらなければいけないから」
マンションの外に出て、今度は溝上さんに特殊清掃に対する思いを尋ねた。
「遺族の代わりにやってあげているという気持ちですね。亡くなった現場を見られる状態にしてあげたい」(続く。第20回は7月10日15時公開予定)
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ジャーナリスト
1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『週刊文春 老けない最強食』(文藝春秋)、『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、『室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる』(光文社新書)など。新著に、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)がある。
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(ジャーナリスト 笹井 恵里子)
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