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「から揚げの味が急変」60代認知症妻の大便済オムツを黙々と替える年下夫の乾いた涙

プレジデントオンライン / 2021年7月17日 11時30分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/KPS

4年前に統合失調症と診断された60代の母親。薬のおかげで次第に症状は軽くなったが、別の問題が次々に発生。30代の娘は2人の幼子を抱えつつ、仕事を辞めて母親を在宅介護する父親を懸命にサポートするが、これでもかというほど困難が降りかかってきた(後編/全2回)。
【前編のあらすじ】
現在30代の柳井絵美さんが60代の母親の言動がおかしなことに気がついたのは2012年のこと。「あいつら私を見張ってるのよ!」と家の近くの農道に路駐する車のナンバーをメモしたり、柳井さんを自転車泥棒扱いしたり。母親の妄想がエスカレートする中、柳井さんは結婚し、海外挙式を行うが、ハワイでも母親の妄想は改善せず、やっと2017年に心療内科を受診すると、統合失調症と診断された。

■料理だけは続けていた認知症の母「から揚げの味が変わった」

2017年9月、統合失調症と診断された60代の母親は処方された薬を飲み始めると少しずつ穏やかになっていった。「昼間、ひとりで家にいると危険だ」と考えたらしく、毎日のように車で30分ほどのところにある自分の姉の家に出かけるようになった。

その途中、自分の姉に「今、宅配便のお兄さんに追跡されている。このままだとお姉さんの家がバレてしまう。バレないようにまいてから向かう」と電話を入れることもしばしばで、母親の姉は、母親の異常さを確信した。

柳井さんは伯母にこれまでのことをすべて話した。

2018年5月、母親は、数年間付き合いがなかった友人の家に突然押しかけたようだ。友人は母親の様子がおかしいことに気づき、家まで送り届けてくれた。どうやら母親は、行き方はわかったが、帰り方がわからなくなってしまったらしい。

■お弁当を作り、コーヒーを淹れ、新聞を読む…すべてやめた

また、母親は買い物に行くとレジのピッという音や赤い光におびえるようになり、宅配に切り替えていた。

「母は昔から整理整頓が苦手な人。宅配を利用するようになって、毎回使い切れない量を頼んでいましたし、冷凍のものを冷蔵庫に入れて、よく食品をダメにしていました。私は母のことを、食品管理もできないだらしない人だ……と思っていました」

同年8月のお盆明け。母親は統合失調症を患いながらも長年続けてきた父親(夫)と妹(次女)の弁当作りを突然やめてしまう。また、これと同じタイミングで、毎朝の習慣だったコーヒーを淹れ、新聞を読むこともぱったりとやめてしまった。

夕飯だけは作り続けていた母親だが、異変があった。それは、得意のから揚げの登場回数が増え、その味も安定しなくなったことだ。から揚げ以外の料理も、食べ慣れてきた母の料理の味とは違うものになっていった。

■実は統合失調症ではなく「意味性認知症」だった

11月になると、母親は現金や免許証、下着などを隠すように。自分で隠してどこに隠したか忘れてしまうため、「盗まれた!」「あのやろー! 勝手に家に入りやがって!」と口汚くののしるが、大抵の場合、犯人は母親自身。お金や下着が家のあちこちから見つかったが、不思議なことに、免許証だけは現在も見つからない。

2019年2月、統合失調症の薬に限界を感じた柳井さんは、脳神経外科を予約。1カ月待ってさまざまな検査を受けた結果、4月になって「意味性認知症」の診断が下りた。

意味性認知症とは、側頭葉に左右差のある萎縮があり、主に意味・記憶障害が起こる認知症のひとつだ。65歳未満で発症することが多く、左優位萎縮では「みかん」「桜」といった一般物品についての意味・記憶障害が現れ、右優位萎縮では人物についての意味・記憶障害が現れやすい。

脳外科医は、「初めから統合失調症ではなく、意味性認知症だったのかもしれません」と言った。その後、心療内科医と相談して統合失調症の薬をやめたが、問題は起こらなかった。

「70代で統合失調症を発症するのは珍しいと言われますし、母の問題行動が現れ始めたのもちょうど65歳くらいです。あのとき頭の画像を撮っていれば、認知症を早期発見できたかもしれないと思うと悔やまれます……」

■家とは反対の方向に歩いていった母親が行方不明に

母親は要介護1と認定され、週3日デイサービスの利用を開始。

2019年3月には妹が結婚し、実家を出ていった。4月、柳井さんは職場復帰のために、長女をならし保育に預け、母親とランチに出かけた。

すると保育園から「熱があるようなのでお迎えに来てください」という電話が。母親に伝えると、「心配ね。早く行ってあげなさい」という。柳井さんは実家の近くで母親を車から降ろし、「ここで大丈夫?」と訊ねると、「大丈夫、大丈夫! 早く行ってあげて!」と手を振る。柳井さんは「ありがと! じゃ、迎えに行ってくる!」と母親と別れた。

バックミラーにマスク
写真=iStock.com/amriphoto
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/amriphoto

去り際にバックミラーを見ると、母親は家とは反対の方向に歩いている。不審に思ったが、「いつもの自動販売機に飲み物でも買いに行ったのかな?」と思って保育園へ向かった。

長女を車に乗せると、柳井さんはだんだん母親が心配になってきた。母親の携帯電話にかけてみるが、出ない。実家の固定電話にかけてみても、出ない。「これはおかしい」と思った柳井さんは、仕事中の父親に電話をした。

「お父さんごめん。お母さんが行方不明になっちゃった」

父親は、「仕事にキリがついたら向かう」と言った。柳井さんは車で母親を探し回るが、どこにもいない。一度家に帰って長女の熱を測ると、少し下がっていた。水分を摂らせると、柳井さんは再び車で母親を探す。

■警官「お母さんはもう、家にひとりでいるのは危険です」

母親と別れたのが13時ごろ。父親と合流した頃には、もう16時になっていた。2人で交番へ行き、警官に母親が行方不明になった経緯を説明する。書類を書いていると、父親の携帯電話が鳴った。会社からだ。

どうやら母親は、自宅ではなく、自分が生まれ育った実家に向かって歩いている途中で迷子になり、不審に思った人に交番へ連れてきてもらったらしい。母親の自宅と実家とは、8キロほど離れていたが、母親が保護されたのは、母親の実家まであと2キロほどの交番だった。

パトカーとお巡りさん
写真=iStock.com/akiyoko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/akiyoko

母親は交番で「女の人に車から降ろされた」と話し、自分の名前は言えたが、自宅の住所や電話番号は言えず、自分の実家の地域名を答えていた。かろうじて父親の会社名が言えたため、警官が会社に連絡し、会社から父親の携帯電話に連絡が入ったのだった。

柳井さんも父親も、母親の症状がここまで進んでいたことにショックを受けた。そして警官からの「お母さんはもう、家にひとりでいるのは危険です」という言葉で、父親は退職を決意。柳井さんは何度も「私のせいだ」と自分を責めたが、父親や妹のおかげで、何とか気持ちを立て直すことができた。

■69歳の父親は土木関係の仕事を辞め、72歳の母親の介護に専念

2019年6月末、69歳の父親は、長年勤めた土木関係の仕事を辞め、72歳になった母親の介護に専念。

朝、昼の食事の支度と母親の服薬管理は父親が、洗濯・食器洗い・夕食の支度は2人目の子を妊娠していた柳井さんが担当した。

10月、柳井さんは次女を無事出産。

11月、母親は腰の痛みを訴え始めた。整形外科を受診し、MRIなどの検査を行うと、脊柱管狭窄症と診断。痛み止めと湿布を処方された。しかし一向によくならず、母親は激痛のために食欲も落ち、寝たきり状態に。

父親は、「痛そうでかわいそうだし、こんな状態では預かれないだろう」と言い、デイサービスはしばらくお休みすることにした。

12月、母親はデイサービスを3週間休み、その間、ずっと在宅で介護していた父親に疲労の色が濃くなっていた。母親はトイレにも行けなくなり、オムツを使い始めるが、それでもトイレには行きたがるため、父親は痛がる母親を支えてトイレまで連れて行く。寝たきり状態が続いたせいか、母親は意味不明なことを言うことが増え、昼夜逆転生活に陥っていた。

父親を心配した柳井さんが、デイサービスに相談すると、「お母様の状態に合った対応をしますので、預かりますよ」という。柳井さんも父親も、「もっと早くデイサービスに相談すれば良かった」と後悔。柳井さんは、生まれたばかりの次女の世話に必死で、両親のことを考える余裕がなかったことを反省した。

デイサービスの職員は、腰を痛がる人の介助を心得ていた。体を拭くだけで3週間入浴できなかった母親は、デイサービスで入浴させてもらうことができ、栄養バランスのとれた食事や最適なレクリエーションによって、顔色が良くなってきた。

■看護師「余計なお節介だけど、お母さんは入院したほうがいい」

しかし母親は突然、38度を超える高熱を出し、柳井さんと父親はかかりつけの内科へ母親を連れて行った。内科では、抗生物質を処方され、点滴を打って帰宅。

それでも熱は引かないばかりか、高いときは39度を超える。

12月22日、父親は「病院に連れて行きたいけど、もうお母さんを起こすことができない。救急車を呼ぼうと思う」と電話をしてきた。柳井さんは急いで長女を保育園に預け、次女とともに実家へ。

心配顔で電話をするシニア
写真=iStock.com/sakai000
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/sakai000

母親はうつ伏せの状態で寝ていた。げっそり痩せて、柳井さんが話しかけても、ピクリとも動かない。悩んだ末に柳井さんがデイサービスに相談すると、デイサービスの職員が病院まで運んでくれることに。

デイサービスの職員の車とサポートでかかりつけの内科を受診すると、医師は、再び点滴して終了。柳井さんは「え? こんな状態なのにそれだけ?」と唖然とする。そんな様子を見たのか、診察室を出ると、2人の看護師さんが小声でこう言った。

「余計なお節介だし、ここまで言ってはいけないのは承知しているけど、お母さんは入院したほうがいい」
「異常な痩せ方でびっくりした。どこか入院できる施設に無理にでも頼んだほうがいい」

■「つらかったね」母親への献身的な介護を医師に労われ、涙した父

柳井さんは驚きとともに、明らかにおかしい状態の患者を前に、紹介状さえ書いてくれない主治医に対して怒りがこみ上げてきた。すると送迎を請け負ってくれたデイサービスの職員が、「病院のアテがある」という。何とかその病院にかかって紹介状を書いてもらい、24日に大学病院へ予約を入れることができた。

その夜、柳井さんは母親のことが心配になり、娘たちを寝かしつけた後、実家へ向かった。

実家では両親とも寝ていたが、母親が目を覚まし、「絵美? どうしたの?」と声をかけた。

「お母さん大丈夫? 来週大学病院行けるからね。早く元気になってね」と答えると、柳井さんは涙が溢れてきた。それを見て母親は、優しく頭をなでてくれる。

柳井さんは号泣したくなるのをこらえて、「長生きしてね。孫たちが大きくなるのを見ててね」と言うと、「大丈夫よ〜。気をつけて帰りなさいね」と微笑んだ。

不思議とこの時の母親は、認知症になる前の母親のようだった。24日、クリスマスイブ。結婚して遠方で暮らす妹を呼び、2人の娘を預け、母親を大学病院へ連れて行った。

母親は待合室でも人の目を気にせず、「助けてくれ〜! 痛い〜! 早くしてくれ〜!」と大声を出す。30分ほどして問診や検査が始まっても、母親は叫び続けた。医師は父親と柳井さんに、約1カ月前から母親の腰が痛くなった経緯を細かく聞き取る。

診察の最後に医師は体を正面に向け、柳井さんと父親の目を見てこう言った。

「お父さん。お母さんの栄養状態がこんなに悪い中、褥瘡(じょくそう)(床ずれのこと)がこの程度ですんだのはお父さんのおかげ! よく頑張りました! お父さんすごいよ! つらかったね。本当によく頑張りました!」

父親は黙って下を向き、涙を拭った。

■母のオムツをうんちまみれになりながら一生懸命替えていた父

「父は、寝たきり状態になってしまった母のオムツを、うんちまみれになりながら一生懸命替えていました。正直、父がこんなに母の面倒を見てくれるとは思っていませんでした」

検査の結果、母親は「椎体椎間板炎」と診断。腰の筋肉に膿疱があり、脊髄も菌に侵されているとのことだった。

「最初にかかった整形外科医も、かかりつけの内科医も見逃した重大な病気がようやく明確になり、父も私も力が抜ける思いがしました。この病院に来ることができなかったら今頃どうなっていたか……」

柳井さんは背筋が寒くなった。

服の上からオムツをあてがって見せるシニア女性
写真=iStock.com/Toa55
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Toa55

■「オムツいじりが始まったので、介護服を用意してください」

母親は大学病院に入院すると、手にはグローブのようなものがはめられ、腹部はベルトでベッドに拘束された。母親が勝手にベッドから降りたり、点滴を抜いたりしてしまうのを防ぐためだ。

母親は「腰が痛い!」と言い出した辺りから、「イケメン!」「お姉ちゃんいい顔してるね! 素敵!」などと看護師など誰彼構わず褒めまくるようになっていた。

「認知症になる前の母は、口数が少なく、人前に出るのが苦手で、冗談など言うタイプではありませんでした。どんなに変わってしまっても私のお母さんであることには変わりないのですが、私はどうしても以前の母と比べてしまう自分と戦っていました……」

保育園が年末年始休みに入ると、柳井さんは生後2カ月の次女を病院まで連れて行き、待合室で父親に預け、長女は家で夫に預けて母親の面会に出かけた。しかしまだ2歳の長女は、柳井さんにべったりで、離れようとすると大泣き。それでも夫と2人がかりでなだめて出かけると、母親と面会している間も長女のことが気になって落ち着かない。結局足早に帰宅すると、今度は夫が不機嫌に。

「そんなイライラしないでよ!」と柳井さんが言うと、「そっちだってイラついてるだろ!」と夫。

気軽に「母の面会に行きたい」と言い出せなくなってしまった。

2020年1月、インフルエンザにかかった父親に代わって伯母と面会へ行くと、母親はうんちをしたオムツを自分で外し、振り回していた。翌日看護師から「オムツいじりが始まったので、介護服を用意してください」と声をかけられる。

柳井さんは初めて聞く「介護服」をインターネットで検索し、購入した。

■白髪と骨と皮ばかりのやせ細った母親の背中

2月、母親は車椅子で散歩ができるまでに回復。柳井さんが車椅子を押して外に出ると、母親はご機嫌だ。一方で柳井さんは、白髪と骨と皮ばかりのやせ細った母親の背中を見て、悲しくなった。

「私は高校の頃、荒れていて、毎日のように母とケンカしていましたが、こんなに痩せた母では、もうケンカもできません。本当は泣きながら、『お母さん! 弱っていかないで!』と、母にすがりつきたい気持ちでいっぱいでした」

2月末、感染拡大し始めた新型コロナの影響で面会謝絶に。父親は、母親の退院後の在宅介護に備えて、断捨離を始める。母親は、要介護5と認定された。

3月、退院に向けて看護師やソーシャルワーカーとの話し合いが持たれ、看護師やソーシャルワーカーは施設を勧めたが、父親が「デイサービスやヘルパーを利用しながら在宅介護する」と言うので、母親は自宅に戻ることに。

母親の妄想から長年換気をしなかった築30年の実家は、あちこち傷んでいた。父親が退職して掃除や換気を行うようになり、だいぶ改善されたが、居間にあったピアノを査定に出したところ、業者に「カビやホコリがすごいのですが、長年倉庫にあったものですか?」と言われた。

ピアノ買い取り業者の言葉でエアコンの中が気になった柳井さんは、母親の退院前にクリーニングを依頼。そして3月24日、母親は自宅に戻った。

■父親を他人だと言う母「男の家には泊まれない」

初めはケンカばかりだった父親による母親の在宅介護は、1カ月も経つと手慣れたものになっていた。

4月になると、緊急事態宣言が発出され、柳井さんの長女の保育園が閉鎖。柳井さんは、娘たちを連れて実家へ行き、一日中父親のサポートをした。

ある夕食時、父親がビールを飲んでいると、長女が「じーじのビール、く〜だ〜さい」と言い始め、父親や柳井さんが何度ダメだと言っても聞かない。すると突然「あ〜、うるせ〜!」と言いながら母親が長女の頭を叩いた。瞬間、柳井さんも父親もフリーズ。長女が泣き出すと、柳井さんは「お母さも、そのくらいで叩かなくても……」と言った。

しかし母親は、「うるせーからしつけ!」と平気な顔だ。

和風の家、お盆の上にビール
写真=iStock.com/miya227
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/miya227

「ショックでした。腰の病気をする前までの母なら、絶対にしません。娘が叩かれたことよりも、母の認知症の進行を感じた悲しさが大きかったです。正直『こんな母、嫌だ』と思いました」

5月、母親は突然「家に帰る!」と言い出し、玄関で急いで靴を履こうとして、頭を床にぶつけてしまう。父親から連絡をもらい、娘たちを寝かしつけてから駆けつけた柳井さんは、何とか母親を落ち着かせたが、6月になると母親は、まばたきをパチパチ繰り返し、呼吸する間も惜しむように喋り続け、献身的な介護を続ける父親を他人だと言い、「男の家には泊まれない! 実家に帰らなきゃ!」と言って家を出ていこうとするように。

■認知症の薬が増量されていたことが発覚

医師に相談すると、認知症の薬が増量されていたことが発覚。以前の量に戻して1カ月経つと、落ち着きを取り戻した。

8月になると、母親は顔つきに覇気がなく、着替えができないばかりか、立つこともできず、トイレに行きたいとも言わなくなる。柳井さんや父親が何を言っても、「いや〜、何だか今日は何言ってんだかさっぱりわからねぇ」と何度も繰り返した。

その変化に父親まで不機嫌になり、柳井さんに当たってくる。

「お父さんがきつくなる前に施設も考えて、調べたり見学行ったりしないと……」と柳井さんが言うと、「わかってるよ! 少し様子見てちゃんと考えるから!」と父親。柳井さんは10月で復職する予定だ。そうなれば両親をサポートできる時間は減る。柳井さんは内心焦っていた。

■2021年1月、「母親はもう息をしていなかった。73歳だった」

2020年9月、母親は微熱が続き、嚥下機能が落ち、意識混濁状態に。脳神経内科を受診すると、そのまま入院に。さまざまな検査の結果、なんと、余命4週間〜6週間と宣告される。

医師は、「お母様は普通の方と比べて頭の中の水分量が多く、うまく循環できていません。水頭症の状態です」と説明。髄液を採ったところ、がんの数値を示すCEAが高く、がん性髄膜炎の可能性が高いが、がん性髄膜炎は治療ができないという。

点滴をするシニアの手元
写真=iStock.com/akiyoko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/akiyoko

「がんを特定するには詳しい検査が必要になってきますが、お母様の体力では難しいと思います。治療ではなく、今後どのように過ごされたいかをご家族で決めてください」

この日から、父親はすっかり元気をなくしてしまった。

10月で1歳になる次女は、10月入園では保育園に落ちたが、11月入園という形で合格の連絡がきた。11月、転院が決定。母親は誤嚥を避けるため、経鼻経管栄養に切り替わった。

12月、柳井さんは職場復帰。

そして2021年1月、正午過ぎに母親の入院する病院から緊急電話があり、上司に事情を話し、会社を飛び出す。コロナ禍のため、体温測定や消毒、帽子やエプロンの装着を終えて病室に入ると、母親はもう息をしていなかった。73歳だった。

「お母さんありがとう! よく頑張ったね!」

まだ温もりの残る母親に、柳井さんは何度も声をかけた。

■「ありがとう」「幸せだよ」そう言われることにさえイラつく

柳井さんは、病気の母親を、そして母親を介護する父親を懸命に支えてきた。幼い2人の娘を育てながらの通い介護は、想像に絶する苦労があったに違いない。

「母は、言ったことをすぐ忘れてしまうため、何度も何度も『ありがとう』『お母さんは幸せだ』と言ってくれました。当時はその言葉にさえもイラついてしまったことがありましたが、亡くなってしまった今となっては、母を介護できて良かったと思わせてもらえる言葉です」

父親は、母親が亡くなってから意気消沈し、毎日泣いて暮らしていたが、1カ月ほど経った頃、ようやく笑顔が見られるようになってきた。

「どんな形であれ、その人を思い、考え抜き、対応したこと全てが介護だと私は思っています。私は最初、恥ずかしくて母のことを誰にも相談できませんでしたが、相談することで、とても楽になることを知りました。また、どんなに家族が大事でも、自分が壊れては元も子もありません。ダブルケアの中の自分時間がいかに大切か、実際に経験してわかりました」

70歳になった父親は耳が遠く、高血圧と言われているが、他は健康だ。

「コロナが落ち着いたら、母にはしてあげられなかった旅行を父にプレゼントして、私と妹の家族とで行きたいと思います」

近年、介護のキーパーソンに介護の負担が偏るケースが少なくないが、柳井さんの場合は姉妹仲も悪くなく、父親がキーパーソンを買って出たことで、うまくバランスがとれていた。父親はなるべく娘たちには頼らないようにしてきたし、柳井さんは主介護者の父親を尊重し、離れて暮らす妹には逐一現状報告。遠方に住む妹は月に2回は面会に来ていたほか、両親を優先し、突発的な事態にも最大限対応した。

おそらくこの先、父親に介護が必要になったとしても、柳井さん姉妹ならうまく切り抜けられることだろう。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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