「笑顔は一瞬、その後は涙」引退危機だった堀琴音が"プロ8年目の初優勝"を果たすまで
プレジデントオンライン / 2021年8月1日 11時15分
■どん底から一転、夢にまで見た初優勝
笑顔は一瞬だった。
涙が溢れ出て顔を覆った。
7月11日、北海道の桂ゴルフクラブで行われたニッポンハム・レディスで、堀琴音(25)が初優勝を果たした。
アマチュア時代から活躍し、2012年、13年にはナショナルチーム入り。高校卒業後の2014年のプロテストに一発合格するなど将来を嘱望されていたが、近年は低迷。一時は引退もささやかれていたが、プロ8年目にしてついに復活を遂げた。
ニッポンハム・レディスの最終日最終組。首位は一緒に回る若林舞衣子。堀琴音の5歳上の先輩、母となってから何にも動じない強さを発揮している。
7月というのに肌寒い霧雨の中、堀琴音は2打先を行く若林を猛然と追いかけた。
「最終日は勝つことだけを考えてゴルフを楽しみたい。一番を目指して頑張る」
そう語っていた堀はスタートからショットが絶好調。ツアー最長の難コースを強気で攻めていく。1番で2mを沈めてバーディを奪うや、3番でピン80cm、6番で10cmに付けるスーパーショットでバーディ。しかしそんな堀にも若林はまったく動じない。完璧な守りのゴルフを展開、並ばれては突き放し、リードは許さない。
「若林さんに隙はない。ならば自分が攻めるだけ」
堀は後半の14番でバーディを奪って1打差とし、勝負を賭けた15番で5mをぶち込んで3度目の首位タイとなる。2位には5打差、まさに堀と若林の一騎打ちだった。
■「ゴー!」絶叫に後押しされた最高のショット
両者譲らず14アンダーのままプレーオフに突入。
ここでもふたりは完璧なゴルフで全くの互角、プレーオフ3ホール目に若林のティショットがわずかに曲がりグリーンを狙えない。堀はフェアウェイをヒット。ピンまでは163ヤード。6番アイアンを握った。
周囲の雑音が消え、ピンだけに的が絞れた。ライフルの照準器で獲物をピタッと捕らえた瞬間だった。
「ゴー!」。アイアンを一閃した堀から甲高い叫びが発せられた。バンカー越えの無謀とも言えるピン狙いは、その絶叫に後押しされ、グリーンに届いた。ピン手前3mとなる最高のショットだった。
その強気の攻めに若林は遂に鉄壁の城を明け渡した。若林はボギーを叩き、堀は楽にパーで収めて勝利をもぎ取ったのである。
■優勝目前の堀を襲ったケガとスランプ
堀琴音は2014年にプロとなる。姉・奈津佳が2013年に日本女子ツアー最少ストローク優勝を遂げたことに大きな刺激を受けていた。
姉同様にプロ転向翌年にステップアップツアーに優勝してシードを獲得、16年には日本女子オープンに準優勝、17年もサントリーレディスで2位となるなど、優勝は目前の期待の若手だった。ところが、17年のシーズン終盤の大会で、初日3位タイと好発進の翌日の2番ホールで突然ショットが曲がり予選落ちを喫する。
「アイアンショットが左崖下に落ちてOBになった」
たった1打の失敗が心に傷を作る。なぜショットが左に曲がったのかがわからない。もやもやする気持ちが消えないままにシーズンが終わり、オフの練習は暖かいタイで合宿。すでに傷口は大きく開き、ショットは左右に大きく曲がった。
「何をやっても真っ直ぐに飛ばない」。悪いときには悪いことが重なる。深いラフに飛び込んだボールを怒りにまかせて強打すると、手首に異様な衝撃が生じた。手首まで痛め、ショットは益々思うようにならなくなった。
■「私、イップスなんでしょうか」
こうして始まった2018年は開幕戦から予選落ちが続き、34試合に出場して27試合予選落ち、棄権が2試合あり、予選を通ったのはわずか5試合だけ。惨状は目を覆うばかり。当然シード権を失った。
「ゴルフをするのが怖くなった。眠れずに夜を過ごして朝になる。そんな日が続きました。もうゴルフは辞めたい。予選落ちする度にそう思うようになりました」
堀琴音引退。そんな噂が囁き出される。しかも「琴音はイップスだよ」という声まで耳に入ってくる。
「ゴルフを辞めたいけれど、このまま終わっていいのかなって。ゴルフを辞めても自分の人生は続くわけでしょう。だったらやるだけやってすっきりと終わりたい。そう思ったんです」
堀は選手再生に手腕のあるプロコーチの森守洋に自分の身を預けた。それができたのは堀自身が発した最初の問いかけにあった。
「森さん、私、イップスなんでしょうか?」
「そんなことはないよ。こっちゃんは絶対にイップスじゃない」
こっちゃんは堀の愛称だ。森の言葉で堀は救われた。
「そう言い切ってくれて、とてもすっきりしたんです。それまで、私、意固地になって、誰の言うことも聞けなかった。私の悩みなんて誰もわかるはずはないって。でも、この人ならわかってくれるかもしれない。この人についていこうと思いました」
■「私はゴルフが好きなんだ」という気づき
森は手首を捻って無理矢理ドローボールを打とうとしていた堀のスイングをシンプルなものに戻したいと考えた。しかし、一度身についてしまった悪癖はなかなか直らない。レギュラーツアーは10試合に出場できたが9試合予選落ち、ステップアップツアーでも成績がでなかった。
一寸先が真っ暗なまま月日だけが経っていく。しかし、堀は明日を夢見て練習を続けた。そんなとき、同じく森からコーチを受けている原江里菜から「練習しているってことはゴルフが好きだって証拠。だったら諦めないで頑張ろう」声をかけられた。
原は堀の9歳年上。プロになった歳に初優勝するなど活躍するが、その後ひどいスランプとなり、森によって立ち直り、15年に復活優勝を遂げていた。だからこそ、堀は原の言葉を信じることができた。
「私はゴルフが好きなんだ。好きだからこそ辞められない。だったら練習するしかない」
好きなことなら努力できる。厳しいことに立ち向かっていける。堀は好きなことができている幸せを感じ取っていた。
森の教えの真骨頂はボールをしっかりと捉えるということである。そのために「枕落とし」をさせる。枕を頭の上から右足元に叩き落とすというものだ。
この感覚をスイングに採り入れるとボールを叩きつけることができる。ドローボールを打とうとしてすくい打ちになっていた堀がボールを強くヒットできるようになっていった。外国ゴルファーが言う「ソリッドコンタクト」の達成である。
■コーチが見抜いた堀の弱点
森は証言している。
「こっちゃんはドローを打とうとしていたけれど、実はフェードタイプのゴルファーです」
ドローは飛距離が出る打法ゆえに、飛距離が欲しい堀は敢えて打とうとしていたに違いない。それも日本女子オープンで自分より年下で体の小さな畑岡奈紗に飛距離で負け、日本女子オープンというメジャーを逃してから飛距離に固執するようになった。
しかしこれがスイングを崩すもとになったのは間違いない。飛距離の欲求ほど恐ろしいものはない。悪魔の誘惑である。
森は堀の弱点を見抜き、欠陥を修復していく。それはフェードを打たせることに他ならない。フェードならボールをハードヒットしやすい。上から叩きつける「枕落とし打法」実現できるのだ。
森は「元々フェード打ちだよ」と堀に暗示だけをかける。しかし、徐々にその意味がわかってくると、自ら打とうする。強制でなく自主的に変えることこそがスランプからの脱出になることを森は知っているのだ。
2021年、堀はフェードに切り替えた。すると開幕戦のダイキンオーキッドレディスで久々に予選を通過、次の明治安田生命レディスで8位タイとベストテン入りを果たしてしまったのだ。
「フェードにしてからさらにボールがしっかり打てるようになったんです。飛距離も出るようになって方向も良くなって。この試合でフェードで行く決心がつきました」
■復活に導いた“ボギーをたたかないゴルフ”
気持ちが固まるや、3試合目のKTT杯バンデリンレディスでは6位タイに食い込むことができた。大会前にはフェード打ちの有村智恵からティグラウンドでの立ち位置やグリーンの攻め方など細かくアドバイスをもらった。
森からは「いつでも100%を出そうと思わず、50%でパーが取れるゴルフをしなさい」と言われる。全力投球が必ずしも好結果を生むとは限らないゴルフの奥深さを堀に教え込んだのだ。
この教えでショットが不調でもパーが取れるようになっていく。6月のニチレイレディスで10位タイ、次のアースモンダミンカップで4位タイに入ると、いよいよ優勝への手応えをつかんだ。
「それまでの私はバーディも取るけどボギーも叩くという荒れたゴルフでした。でも、50%ゴルフを覚えていくうちにボギーを叩かないパーを基準としたゴルフができるようになってきたのです」
堀は笑顔でそう言い切った。ショットが悪いときにアプローチの練習をした成果も実って、「ボギーを叩かないゴルフ」は底知れない自信となって現れる。それが7月のニッポンハムレディスクラシックの大会だった。
■安定したショット、自然とこぼれる笑顔
この大会で堀は自分のフェードボールに一層の自信を深めた。
4日間を通じてフェアウェイキープ率83.9%、パーオン率73.6%とドライバーもアイアンも好調だった。ショットメーカーと言われた頃の思い切り良いスイングが復活した。
この結果、初日は6バーディ・1ボギー、2日目2バーディ・2ボギー、3日目4バーディ・ノーボギー、最終日の4日目は5バーディ・ノーボギーである。ボギーは2日目の17番からプレーオフまで、41ホール連続で叩かなかったのである。
首位に立つ若林舞衣子も3日目、4日目とノーボギーのゴルフだったが、プレーオフ3ホール目で遂にボギーを打ってしまった。堀とのボギー合戦に敗れたことで勝利を逃した。バーディ合戦ならず、ノーボギー合戦が勝負を決する。これこそが昔も今もゴルフの真髄と言っても良いだろう。
試合に出ても出ても予選落ちが続く悪夢の日々を乗り越えた堀。逃げ出したくても逃げ出さず、辞めたくても辞められなかったのは、「ゴルフが好きだったから」に他ならない。好きなことなら苦難も乗り越えていける。人生において好きなことに巡り会うことがどれほど大切かがわかる。
ショットが良くなった堀はゴルフが楽しくて仕方がない。ナイスショットのあと、思わず笑顔が出る。そんなことは丸3年なかったことだった。しかも優勝争いができる。そんなチャンスが巡ってくるだけで嬉しかった。
■最高のゴルフ人生は今、ようやく始まったばかり
最終日の序盤は楽しい気持ちが全面に表れた攻撃だった。
首位の若林に追いつけども離されたが「どんなことがあっても食らいつこう。最後の最後まで絶対に諦めない。強い気持ちを持って戦おう」と集中力を高め、勇気を持ってピンを目がけた。とはいえ、若林に追いついてプレーオフになってからは、心臓がバクバクしだした。勝ちを意識したからに他ならない。
「緊張が最高潮にまで達してしまって。胸に手を当てて何度も深呼吸しました。ドキドキが少しでもおさまってくれたらと。日頃からやっていたことなので、なんとかなるかなって。でも最後のバーディパットはダフって1mしか飛ばないかと思いました。それでも深呼吸して、2パットのパーでも勝てると言い聞かせて、ようやくピンに寄せて勝つことができました」
緊張が解けた途端に涙がワッと出た。苦労したからこその価値ある初優勝である。楽しさが集中力となり、ソーンに入って実力以上の力を発揮、最後は深呼吸で緊張を抑える。
こうしたマインドコントロールも地獄を見たからこそ可能となった精神力である。パッとツアーに出てきてサッと勝ってしまう新人が多い中、堀の初優勝は自分を鍛え上げた逞しい勝利である。
「少しの悔いもない生き方を。人生を最高に旅せよ」とはドイツの哲学者、ニーチェの言葉だ。堀琴音のゴルフ人生は今ようやく始まったばかり。悔いの残らない最高の人生になる旅が始まったのだ。
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『書斎のゴルフ』元編集長、スポーツライター
1956年東京生まれ。スポーツライター。武蔵丘短期大学客員教授。1998年に創刊した『書斎のゴルフ』で編集長を務める(2020年に休刊)。倉本昌弘、岡本綾子などの名選手や、有名コーチたちとの親交が深い。著書に『中部銀次郎 ゴルフの要諦』(日経ビジネス人文庫)、『トップアマだけが知っているゴルフ上達の本当のところ』(日経プレミアシリーズ)、訳書に『ゴルフレッスンの神様 ハーヴィー・ペニックのレッド・ブック』(日経ビジネス人文庫)など多数。
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(『書斎のゴルフ』元編集長、スポーツライター 本條 強)
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