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「国家の体制が不十分だった」金正日死去の時に露呈した民主党政権のお粗末さ

プレジデントオンライン / 2021年9月10日 9時15分

2011年12月29日正午、平壌の金日成広場で行われた金正日総書記を追慕する中央追悼大会で3分間の黙とうする軍の幹部ら(北朝鮮・平壌) - 写真=朝鮮通信/時事通信フォト

2011年12月、北朝鮮の金正日前総書記が死去した、という情報が流れた。だが、当時の民主党政権は公式の死亡発表がされるまで、政府として動くことができなかった。元国家安全保障局長の北村滋さんは「政策決定者に対する情報伝達の在り方に問題があった」という――。

※本稿は、北村滋『情報と国家 憲政史上最長の政権を支えたインテリジェンスの原点』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

■野田内閣時代から9年半にわたり官邸に

外交・安全保障政策の司令塔である国家安全保障局(NSS)が発足したのは2014年。従来、外務、防衛、警察等の省庁がそれぞれの行政目的で情報を収集し、政策決定も縦割りに対応していた外交・安全保障分野について、総理官邸が統括することを可能にするため、安倍晋三前総理の肝いりで創設された組織だ。その二代目局長を務めた北村滋氏が2021年7月に勇退した。

北村氏は、警察官僚から内閣情報官を経て、国家安全保障局長を務め、野田内閣、第二次・第三次・第四次安倍内閣、菅内閣の実に9年半にわたり、官邸で国家のインテリジェンス、そして安全保障政策を統括することを通じて歴代政権を支えてきた。外交・安全保障の舞台裏を取り仕切る中で、未熟とも言われる我が国の情報機関や安全保障機構が抱える課題を如何にして乗り越えてきたのか。また、米中が厳しく対立し、地政学的にも最も緊張の高い地域となったインド太平洋地域。ここに位置する我が国に、将来どのような課題があるのかを聞いた。

■日本の情報能力は高まってきた

——かつて後藤田正晴元副総理は我が国独自の情報機関を持つ必要性を訴える一方、情報の「米国依存」を嘆いておられました。我が国のインテリジェンスの現状についてどのように考えていますか。

例えば日米間についていうと、相互協力というのは、当時よりはかなり進んでいると思います。我が国は、東アジアにあって中国、朝鮮半島、ロシアに近いという地政学的な特徴がある。このため、ヒューミント(人的情報活動)でもテクニカル・インテリジェンス(高度な情報技術を用いた情報活動)でも、我が国では、米国では入手できない情報が取れる。そういった意味では、後藤田さんの時代より、日米相互補完性は高まっていると思います。

——日米相互補完性の向上も含めて我が国の情報機能の拡充は世論のアレルギー反応も大きいかと思います。

特定秘密保護法の策定・施行の経験がありますが、世論の様々な反応があることは重々承知しています。しかし、経済活動までもが安全保障の主要素として語られる現在、諸外国の動きに出遅れることはできない。今後、どのようなタイミングで新たな制度を作っていくかが、大きな課題です。

■警察庁時代に遭遇した「オウム真理教事件」

——警察官僚から内閣情報官、国家安全保障局長という41年以上に及ぶキャリアパスの中で、入庁16年目の1995年、一連のオウム真理教事件という国家の安全保障を揺るがす事件に遭遇しましたね。

在フランス日本大使館に一等書記官として勤務していましたが、その年に発生した阪神淡路大震災等の件もあり、当時の警察庁警備局は猫の手も借りたい状況で、早めの帰朝命令を受け、3月初旬には霞が関の警察庁にいました。警備局長は現在の杉田和博官房副長官。ロシアや中国、北朝鮮等による我が国に対する有害な活動を監視し、取り締まる外事課の長が小林武仁さんでした。そのころ日本警察が直面していた最大の課題はオウム真理教です。地下鉄サリン事件は未だ発生していませんでしたが、既に、教団はその後の捜査によって明らかにされる数々の凶悪事件への関与の疑いが濃厚で、しかも、ロシアに勢力を伸張していました。外事課では、教団のロシア支部と本部との関係を解明する一方、教祖の麻原彰晃を始め教団幹部を水際で発見・検挙することを目指して全国の外事警察に情報収集と捜査を指示していました。

ロシア
写真=iStock.com/malerapaso
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/malerapaso

■諸外国は地下鉄サリン事件を「国家安全保障の問題」と捉えた

——地下鉄サリン事件発生で、取組は変わりましたか。

外事課には、地下鉄サリン事件に関する欧米の捜査・情報機関との連携という特命が加わりました。ポスト冷戦の大型事件として、欧州や同盟国は、我が国以上の危機感を持っていました。

——欧米諸機関がそこまで高い関心をもったのはなぜですか。

①共産主義陣営と自由主義陣営とによるイデオロギー対立の終焉を強く印象付けた事件であったこと、②軍以外で製造された化学兵器が犯行に使用されたこと、そして③テロ組織化したカルト教団が起こしたこと、さらに、④生活インフラである地下鉄を舞台に、都市型の大量殺傷テロが起こされたことです。国家安全保障に深く関わる事件であり、どの国でも起き得ることだと考えたからでしょう。

——連携はスムーズにいきましたか。

当時、オウム真理教に係る主たる事件の捜査は刑事部門が遂行していました。刑事部門から情報部門に思うように情報が提供されないことから、小林外事課長は非常に苦労されていました。同盟国や同志国から「どのような事件なのか」と尋ねられても説明ができないわけです。

諸外国は国家安全保障に関わる事態と捉えているが、我が国では刑事事件としての捜査が優先です。刑事訴訟法に基づいて「捜査密行の原則」で捜査が進む。一方で、捜査で得られた膨大な情報へのアクセスは制限されています。国内捜査とテロ対策としての国際協調。どちらが上ということでなく、秘密情報の管理の仕組みを作った上で、説明を含め、情報を目的に応じて活用できる体制作りの必要性を痛感しました。

■金正日前総書記死去の情報が、十分に伝わらなかった

——「情報」は得ることも重要ですが、漏洩から「守り」、効果的に「使う」ことも課題ですね。

ええ。就中、国家の危機管理や安全保障に関する情報は、府省の一部局が後生大事に抱えていては意味がない。とりわけ政策決定者に滞りなく伝え、「備え」や「攻め」に役立てることが重要です。

長く携わってきた北朝鮮問題の例でいえば、私が内閣情報官の人事を内示され、発令されるまでの間に起きたことですが、2011年12月19日に金正日前総書記の死去についての情報が、当時の野田佳彦総理に十分に伝わらなかったという問題が生じました。

——北朝鮮のトップの死は、我が国にとっても情報能力が試され、安全保障に関わる事態ですね。これもある意味で我が国の情報機能の未熟さが出たものでしょうか。

北朝鮮のような閉鎖的な国家の情報収集、分析はどの国にとっても容易ではありません。少し古い話ですが、金前総書記の前、金日成主席の死去にまつわる話からさせてください。

■ル・モンド紙「北朝鮮が体制崩壊する」を見て起こした行動

——1994年ですね。

私は在フランス日本大使館の一等書記官でしたが、金日成主席の死去を受け、ル・モンドが、北朝鮮が体制崩壊すると一面トップで伝えたんです。衝撃的な内容で、どういうソースから出ているのかよく分からないが、特定意図で流された情報をつかまされた可能性もある。

エッフェル塔
写真=iStock.com/saiko3p
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/saiko3p

しかし、我々としては、金正日後継体制が着々と形成されつつあると認識していたのでル・モンドの記事は極めて違和感がありました。

仮にフランス当局がそのように受け止めているとしたら、いずれそれが我が国にも伝わって混乱し、結局は国益にとってもマイナスになりかねません。そこで、フランスの当局にブリーフの機会を与えてもらって、当方の複数のソースからの検証も経た上での我々の見方を直接伝えました。

世界的に影響力が大きいメディアが出所不詳な情報を元にインパクトあるニュースを伝え、我々と大きく異なる見解だったとき、徹底してその真偽や意図、背景を追究して、必要な場合は関係当局と正確な情報を共有する。これは非常に重要です。特に、北朝鮮のような国家のトップの死は、体制崩壊を含め安全保障環境の変化につながる可能性もあります。

■体制崩壊、武装難民の漂着・流入等の事態もあり得た

——金前総書記の死去も極めてデリケートな問題であり、先代のときと同様の緊張感を持って受け止めたということですね。

北村滋『情報と国家 憲政史上最長の政権を支えたインテリジェンスの原点』(中央公論新社)
北村滋『情報と国家 憲政史上最長の政権を支えたインテリジェンスの原点』(中央公論新社)

そうです。金前総書記の死去を巡る国内の情報伝達の経緯については、内閣情報官着任後、私なりに検証しました。朝鮮中央放送等の官製メディアが開始を繰り上げて午前10時から、正午に「特別放送」をすると3回も予告し、テレビ放送の背景やトーンも明らかに暗かった。それまでに北朝鮮で「特別」を冠した放送は1972年の南北共同宣言、94年の金日成死去、2000年の南北首脳会談開催決定――の3回です。この公開情報から、最高指導者の死亡も強く想定し得たと思います。

——しかし、野田元総理は午後0時10分から予定されていた遊説のため新橋へ向け官邸を後にしてしまった。

正午のNHKニュースが金前総書記の死去を伝えたことで官邸に引き返したのですが、出発するまでに、その情報について「可能性」の段階で当然耳に入れ、備えるべき事象だったと考えます。

こういうとき、安全保障会議とか関係閣僚会議の開催とか、官邸要路で情報共有するなり、政策の確認なり、構えがあっても良かった。可能性としては体制崩壊、武装難民の漂着・流入等の事態もあり得るわけですから。

——一定の情報があって、分析もなされ、死去の可能性も想定できたが、公式の死亡発表前に国家の体制を組めなかった。

少なくともそう見られる余地を残しました。この事例に思ったのは、政策決定者に対する情報伝達の在り方です。

——国家安全保障に関する情報を得たとき、それを直接、強く政策決定者に打ち込むことの必要性ですね。

金前総書記死亡を巡る情報伝達問題の核心はそこです。この事件の直後に内閣情報官に就任するのですが、心に刻みました。

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北村 滋(きたむら・しげる)
前国家安全保障局長
1956年12月27日生まれ。東京都出身。私立開成高校、東京大学法学部を経て、1980年4月警察庁に入庁。83年6月フランス国立行政学院(ENA)に留学。89年3月警視庁本富士警察署長、92年2月在フランス大使館一等書記官、97年7月長官官房総務課企画官、2002年8月徳島県警察本部長、04年4月警備局警備課長、04年8月警備局外事情報部外事課長、06年9月内閣総理大臣秘書官(第1次安倍内閣)、09年4月兵庫県警察本部長、10年4月警備局外事情報部長、11年10月長官官房総括審議官。11年12月野田内閣で内閣情報官に就任。第2次・第3次・第4次安倍内閣で留任。特定秘密保護法の策定・施行。内閣情報官としての在任期間は7年8カ月で歴代最長。19年9月第4次安倍内閣の改造に合わせて国家安全保障局長・内閣特別顧問に就任。同局経済班を発足させ、経済安全保障政策を推進。20年9月菅内閣において留任。20年12月米国政府から、国防総省特別功労章(Department of Defense Medal for Distinguished Public Service)を受章。2021年7月退官。現在、北村エコノミックセキュリティ代表。

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(前国家安全保障局長 北村 滋 聞き手=中央公論新社編集部)

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