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オンラインサロンで「俺たちスゲェ」とつるむ人たちがなぜか気持ち悪くみえるワケ

プレジデントオンライン / 2021年9月9日 10時15分

※写真はイメージです。(写真=iStock.com/g-stockstudio)

オンラインサロンなどで同じ意見をもつ人たちが、お互いを褒め合っていることがある。バラエティプロデューサーの角田陽一郎さんは「同じような人とつるんでいると、どんどんレベルが下がっていく。多様性を持たないものは、結果的に弱くなっていく」という。角田さんと作家の加藤昌治さんの対談を収録した『仕事人生あんちょこ辞典』(KKベストセラーズ)より一部をお届けする――。

■多様性を失いレベルが下がっていく

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インターネット上で人がよくつるんでいますが、あれって気持ち悪くないですか?

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【加藤】最近、昔と違う意味で「つるむ」感じが流行ってる気がするの。以前は「つるむ」って、小学校からの腐れ縁とか、わりと狭い人間関係を繋げていくようなことだったと思うんだけど、最近は集まり方が変わってきていて、だけど閉じてる感じがする。いわゆる「オンラインサロン的なもの」が最近のつるみの代表なのかなと。ものによっては人の集まり方としてあまり好くない感じが、最近チラつく印象なんだよね。

【角田】つるむことで何が一番良くないかって、やっぱりレベルが下がっていくんだよね。「主催者がこんなことやりました! って時に、全然すごくないけど「スゴいっす!」って言うようになっちゃうんだ。そうすると、本当にすごくなくなってくるんだよね。その上で「天才です」みたいな雰囲気なわけ。

単純に、レベルが下がってくんだよ。それってナチスの「アーリア民族が世界一」ってのと一緒だと思う。どんどん純粋になっていって、多様性を持たないものっていうのは結果的に弱くなっていくんだよね。

【加藤】それが「今っぽいつるみ方」ってこと? 多様性を失っていく、つるみ方というか。

【角田】同じような人としかつるんでないもん。だから結果的に、考え方が全然ブッ飛んでないんだよね。もしかしたらどこのイノベーティブな集まりだって本質的にそうなのかもしれないけどさ。

【加藤】元々そういう同質性があるから、つるむのかね。

■つるむことの気持ち悪さ

【角田】「記号論」の授業でなるほどって思ったんだけど、「『共感すること』と『差異を感じること』というのは実は同じだ」って言うんだ。『想像の共同体』にも書いてある通り、ナショナリズムがなぜ生まれるかと言うと「他の国民がいるから」なんだよ。他の国民がいるから、「自分たちでまとまろう」ってなるわけ。

でも「自分たちでまとまってひとつになろう」ということに共感するってことは、「他者との差異をつける」ってことでもあるじゃん。だから、差異をつけることと共感をすることは、実は一緒なんだよね。

夕日の空に頭の上に高い手を作るグループビジネスチームのシルエット
※写真はイメージです。(写真=iStock.com/sutlafk)

その差異って、どんどんいくと差別に繋がるじゃん。オンラインサロンとかで「俺たちスゲェ」って言ってるのも、高校野球とかで「我が校の伝統」とか言ってるのも、若干気持ち悪い。「TBS魂」とか言われるのも「ワンチーム」とか言われるのも、ちょっと気持ち悪いと思ってたんだけど、「そのものが気持ち悪い」んじゃなくて「その他を差別することが気持ち悪い」んだなって、その話を聞いて初めて理由が分かった。

「このチームのために頑張ろう」は、そんなに気持ち悪いと思わなくていいじゃん。なんで僕が生理的に気持ち悪いんだと思ったら、「このチーム以外の人は幸せにならなくてもいい」って言ってることと同じだからなんだなって。

つるむことの気持ち悪さって、本質的にはそこだという感覚が僕の中にある。同じように左翼だろうが右翼だろうが単純に僕の中では政党って気持ち悪いんだけど、それはやっぱり「つるむこと」への気持ち悪さなんだって思う。でも「共感と差異が同じなんだ」って聞くまでは理由が分かんなかったよ。

■『映像研には手を出すな!』の女子高生が敬称を付けて呼び合う理由

【加藤】この三五年間、俺らはつるんでたのかな?

【角田】ものは言い様だけど、「適度な距離感」なんじゃない? 適度な距離感の具体例として「加藤くん」「角田くん」って呼んでるじゃん。ムーンライダーズでもそうだけど、この「くん」付けで呼んでるのってすごい好きなんだ。よく言えば「リスペクト」とも言えるし、「わざと距離を作ってる」ってことでもある。

さらに言えば、相対化という意味では「差異を生むまい」としてるんじゃないかな。

共感しすぎないし、互いを見下さないみたいな距離感が、「加藤くん」「角田くん」って呼んでるところだと思うわけですよ。だから僕らは、定義としては「つるんでない」んじゃないかな。

【加藤】相手に敬称をつけると云えば、『映像研には手を出すな!』では女子高生同士が「○○氏」って敬称をつけて呼んでたりして。ここにもつるんでる感じがあるけど、ちょっと違うのかな?

【角田】多分、ああいうオタク文化で「○○氏」みたいに言ってるのは、同質な文化の中でお互いの線引きを作るためにわざと敬称をつけていたんじゃないかな。

【加藤】似てるんだけど、完全に同質化することを拒否するとそうなるってことか。

【角田】そう。自分の中に細胞膜みたいなものを張るために、相手をあだ名で呼ばない、わざと敬称をつけてたんだと思う。

同質な人たちってそうしないと喧嘩になるじゃん。韓国と日本がなぜ仲悪いかと言ったら、似てるからでしょう。日本とアフリカのどっかの国くらい違うと喧嘩にならないわけでさ。似てる者同士のほうが喧嘩になっちゃうんだよ。フランスとドイツにせよ、隣同士の国が喧嘩になるのが当たり前なのは、やっぱり似てんだよ。

■「好きな時にそこから出られる」関係がいい

【加藤】そうは云いつつ世の中的に、もしくは今の時代的に、サロンみたいに「つるみたがってる人」は多いような肌感があるんですけど。

【角田】そう、ある。そこがね、予定調和のように言っちゃうと、僕は「渦のように生きたい」と思ってる。つまり「自分が渦」なわけですよ。

僕自身が、渦でぐるぐる回ってる。加藤くんとつるみたいなら、加藤くんが僕の渦の中に入ってくれば、多分一緒に回る。でも「もういいかな」と思ったらもうヒューって出ていけるじゃん。その「勝手に入ってきて、勝手に出ていける感覚」ってのがいいんじゃないかと思ってるんだよね。

「つるむ」って、なんか「ずっと繋がってる」感じじゃん。僕は流体のように、川のように生きたい。固体じゃなくて、流体でありたいんだよ。ホリエモンと何かやるなら、ホリエモンの渦のほうに巻き込まれて行ってもいい。でも巻き込まれてるからってそのまま消えていくんじゃなくて、好きな時にそこから出られる。

■「つるむこと」と「渦」の違い

【加藤】「つるむこと」と「渦」を分けるってことは、つるみたい人と「渦」とは相性悪いのかしら。

【角田】「つるむこと」と「渦として巻き込む、巻き込まれる」がちょっと違うのは、やっぱり着脱の自由があるかどうかかな。「つるむ」っていうのは「同胞」みたいな感じがあるから、「ヤクザから縁を切る」みたいなことをやらないと集団から出られない。だから「集団」ってものも嫌なんだよ。固形のものが一箇所に集まるんじゃなくて、出入り自由な感じが僕はいい。

【加藤】もうひとつ、一人の人間が一つの共同体にべったりつるむ、というつるみ方もあるし、もっと気楽なつるみ方もある。つるむ時に自分の全人格・全存在を投げる、あるいは預ける感じってどう思う?

【角田】それって化学で習った結合の種類の違いみたいなものだよ。イオン結合とか共有結合みたいな。例えば金属結合って、一度結合したら外れないんだ。ところが液体はいつも外れたりくっついたりしてるわけだよね。

「つるむ」って言葉を固形物同士が結合しているみたいなものだとすると、「この集団とくっついてるけど、あの集団ともくっついてる」みたいにやってると、集団同士の仲が悪くなった時に、むしろ分人が分裂しちゃう感じがするんだ。一人の人があらゆるレイヤーのあらゆる集団にいられるほど、人間って器用じゃないよ。

■スポンサーから来た仕事を「自分のやりたいこと」に変えている

この間自由大学で講義をやった時、「○○を形にする時に、こういうスポンサーを見つけてきたんですよ」みたいなことを話したら、「じゃあ角田さんは、やりたいことがあるとスポンサーを見つけてくるんですか」って質問されたんだ。

ところが僕は、「やりたいことが先にあってからスポンサーを見つけた」ことってないんだよ。加藤くんもそうなんじゃない?

そうじゃなくて、まず先に「こういうスポンサーがいる」と分かってから、「じゃあ、こういう企画やりませんか?」って言って、そこから企画を作っていく。一生懸命考えてるうちに、その企画が「自分がやりたいこと」にどんどん近づいていくんだよね。

多くの人は、最初に自分の中に「やりたいこと」があって、その「やりたいこと」を実現するためにスポンサーを集めて、人を集めて……みたいにやってるから、僕もそうやってるように見えたんだろうね。だから「どうやってスポンサーからお金を集めればいいんですか?」と聞かれたんだけど、話は逆で、そのスポンサーから来た仕事を「自分のやりたいこと」にどうやって形を変えるか、ってことをやってるんだ。

■後付けで「やりたいこと」が増えていく

【加藤】それって、スポンサーが見つかった時点では実は「自分がやりたいこと」はないんだけど、やってるうちに後付けで「やりたいこと」が増えていく感じなのかな。

【角田】たとえば「杜仲茶の宣伝をやってくれ」って話があった時に、「なんでこんなお茶の宣伝をやんなきゃいけないんだ」って思ったら、そのこと自体は自分が今やりたいことではないんだけど、「この杜仲茶なるものが好きなタレントさんを集めて、トーク番組をやった」となったら、それは「トーク番組をやりたい人」にとってはやりたいことでしょう。そうやって「やりたいこと」を実現させてる。

もうひとつは、たとえば漫画家になりたい人が、「自分は漫画家になれなかったから、夢は叶ってない」と言うとするでしょ。でも、『「好きなことだけやって生きていく」という提案』にも書いたことなんだけど、「あなたが今いる会社で「漫画家的な仕事」をやっていれば、それは漫画家じゃん」って話なんだよ。

今いる職場にも「社内広報誌にちょっとした漫画を描く」って仕事があって、月一で締め切りがあるとすれば、それってもう漫画家じゃん。しかも、以前だったら社内広報誌はクローズドな媒体だったわけだけど、今だったらそれをウェブに載っけたりするわけでしょ。それはもう『ジャンプ』で描いてることと、本質的には変わらないんだと思う。「それを漫画家だと思うか、思わないか」っていうことが、「好きなことだけやって生きていく」ことの意義だって話なんだよ。

【加藤】云いたいことは分かる。その「渦」について、自分がその渦の中心であり、常に自分が回し続けていく、他の人が周りに寄ってくるイメージで捉える人が多いと思うんですけど、渦の起点はたとえばスポンサーであって、自分は「周りでくるくる回ってる人」みたいな解釈もありなの?

■自分の渦から外に出してしまう場合もある

【角田】杜仲茶の例で言えば、向こうからドンブラコと杜仲茶がやってきて、僕の渦に入ってきたわけ。そうこうするうちに杜仲茶の関係者の人と「こういう感じで企画をやりましょう」みたいな話になるよね。

そうなった時に、さらに僕はこの杜仲茶を、今度は「渦の外」に出しちゃうんだ。外に出たところに佐渡島庸平さんがいたら、「佐渡島さん、この杜仲茶の企画があるから、何かやらない?」って、むしろ相手に渡しちゃう。

表紙
角田 陽一郎、加藤 昌治『仕事人生あんちょこ辞典』(ベストセラーズ)

ドンブラコと流れてきた杜仲茶を、自分とこでぐるぐる回してるうちに、「杜仲茶でこういう動画をやりましょう」という企画にして、それをさらにもう一回外に出して、違う人の渦にも入れてしまう。佐渡島さんのところに「杜仲茶」というお金がついて行ったら「動画をやるんだから、今度それの漫画版をやるわ」みたいに作っている。

つまり、僕の周りの至るところに「関係者の渦」があるイメージなんだ、「角田」という渦があり、「加藤」という渦があり、「鈴木」という渦があり、みたいな。で、この「杜仲茶」が来たところで、「今回は角田・鈴木でやってます」とか、「角田・甲斐荘(註:構成ライター)でやってます」みたいな感じ。

■自分の仕事がなくなっても「それでいいや」と思う

極論を言うと、自分のやりたくないことは「甲斐さん(註:構成ライター)、パース」みたいなノリ。甲斐さんがそれをどうやるかは甲斐さん次第だし、やるならやってもいいし、バラしてもいいくらいの感覚だな。

つまり、僕は「自分に来たものを自分だけで受けとめよう」とそんなにしていないのかな。今の世の中では「A・B・C・D・E」ってあったら、Aだけでできることってなくって、やっぱりB・C・D・Eのスキルを持ってる人と組んだほうがいいわけだからさ。

【加藤】自分よりもっとベターにできる人がいるんだったら、躊躇なくその人に渡すと。

【角田】渡す。佐渡島さんと僕だと「出版」と「動画」で分野が違うけど、分野が同じ動画の人にも渡す。結果、僕の仕事がなくなっても「それでいいや」って思ってる。

なぜかと言うと、その人に渡しただけでその人に「貸しイチ」を与えていて、今度その人から何かやって来るから。これはもう普通に信じてるし、信じてると意外と本当に来るんだよ。

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角田 陽一郎(かくた・よういちろう)
バラエティプロデューサー
1970年、千葉県生まれ。東京大学文学部西洋史学科卒業。1994年、TBSテレビ入社。『さんまのスーパーからくりTV』『中居正広の金曜日のスマたちへ』『オトナの!』などの番組を担当。2016年にTBSテレビを退社し、独立。著書に『13の未来地図 フレームなき時代の羅針盤』(ぴあ)、『「好きなことだけやって生きていく」という提案』(アスコム)などがある。

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加藤 昌治(かとう・まさはる)
作家
広告会社勤務。大阪府出身。千葉県立千葉高等学校卒。1994年大手広告会社入社。情報環境の改善を通じてクライアントのブランド価値を高めることをミッションとし、マーケティングとマネジメントの両面から課題解決を実現する情報戦略・企画の立案、実施を担当。著書に『考具』(CCCメディアハウス、2003年)、『発想法の使い方』(日経文庫、2015年)、『チームで考える「アイデア会議」考具応用編』(CCCメディアハウス、2017年)、『アイデアはどこからやってくるのか 考具基礎編』(CCCメディアハウス、2017年)、ナビゲーターを務めた『アイデア・バイブル』(ダイヤモンド社、2012年)がある。

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(バラエティプロデューサー 角田 陽一郎、作家 加藤 昌治)

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