犯罪も事故も減ったのに、日本の警察官の仕事が一向に減っていない本当の理由
プレジデントオンライン / 2021年9月21日 15時15分
※本稿は、野地秩嘉『警察庁長官 知られざる警察トップの仕事と素顔』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
■犯罪も交通事故も減っているのに仕事は増えている
犯罪白書(令和元年版)を見ると、犯罪、交通事故も、ともに減っていることがわかる。刑法犯の認知件数は2002年の285万3739件をピークに減少し、2018年で81万7338件。検挙率は平成期の前半では低下傾向だが、後半では上昇傾向にある。犯罪の件数が減ったから、検挙にあたる警察のマンパワーが相対的に増えたのだろう。
減っているのは窃盗だ。ここのところ戦後最少を更新し続けている。気になるのは特殊詐欺である。認知件数は2011年から増加している。ただ、2018年だけは前年比9.4%減っている。
特殊詐欺とあおり運転はニュースに取り上げられる頻度が高い。このふたつが話題になっている限り体感治安はなかなかよくはならないだろう。
交通事故も近年は減っている。ピークは2004年の95万2720件で、2018年は43万601件。コロナ禍で緊急事態宣言が発出された2020年は30万9178件だ。前年比で19.0%も減少している。なんとピーク時の3分の1以下になった。
では、なぜ、犯罪は減ったのか。
■少年犯罪から暴力団対策までを網羅した5箇条
減っているのは2002年以降だ。当時、増えつつある犯罪件数を見て、警察組織は震撼し、警察庁長官、佐藤英彦が犯罪を減らすことに大号令をかけた。
そして、さまざまな施策を打ち出した。2003(平成15)年の犯罪対策閣僚会議では次のような施策を発表している。むろん、起案したのは警察庁のキャリア官僚だ。
1 平穏な暮らしを脅かす身近な犯罪の抑止
地域連帯の再生と安全で安心なまちづくりの実現、犯罪被害者の保護等
2 社会全体で取り組む少年犯罪の抑止
少年犯罪への厳正・的確な対応、少年を非行から守るための関係機関の連携強化等
3 国境を越える脅威への対応
水際における監視、取締りの推進、不法入国・不法滞在対策等の推進等
4 組織犯罪等からの経済、社会の防護
組織犯罪対策、暴力団対策の推進、薬物乱用、銃器犯罪のない社会の実現等
5 治安回復のための基盤整備
刑務所等矯正施設の過剰収容の解消と矯正処遇の強化、更生保護制度の充実強化等
■捜査手法が進化した街頭の防犯カメラ
ここにあるような基礎的な治安対策がじわじわと効いてきたから犯罪が減少したのだろうが、ある長官経験者に聞いてみると、「ポイントはふたつ」と言った。
「入国管理を厳しくしたことで外国人の犯罪者が減ったこと、もうひとつは街頭に設置された防犯カメラだ」
特に防犯カメラについてはカメラもそれを使った捜査手法もともに進化したこともあり、効果を上げている。
しかし、防犯カメラを使った捜査とはただ、画面を見ていればそれで済むわけではない。カメラがなかった頃よりもかえって、人手を取られるようになった。警察にとってITの発達はいい面とそうではない面がある。時間と人手がかかる典型だったのが渋谷で起こったクレイジーハロウィーン事件である。
■約250台のカメラ、約4万人から犯人をあぶりだした
2018年のハロウィーンから2カ月後の年末のことだった。警視庁は渋谷交差点近くの雑踏で軽トラックを横転させた4人を逮捕した。事件にかかわったのは外国籍を含む17~37歳の男、計15人である。いわゆる「クレイジーハロウィーン事件」の犯人たちだ。
ニュースを動画で見た人も多いと思うが、あの日の渋谷には仮装した人、見物に来た人など約4万人であふれかえっていた。お面やマスクをかぶっていた人間もかなりの人数だった。
それなのに捜査官たちは防犯カメラを見て、その後を追跡、犯人を特定したのである。目が充血するのもいとわぬ捜査で容疑者を追い詰めたのだが、近年はこうした捜査が増えているのである。
捜査が始まったのは事件の翌日からだ。警視庁は所轄の渋谷署だけでなく、他の署からも捜査員を集め、渋谷を中心に合計約250台の防犯カメラの映像を回収した。捜査員たちは容疑者の画像を追い、容疑者が使ったとみられる最寄りの駅でICカード乗車券の履歴を調べた。また、容疑者が降りたと思われる駅すべてに聞き込みをし、追跡したのである。
こうした捜査手法が主流になっていくと犯罪は減っているにもかかわらず、仕事は膨らんでいく。画面を見るだけではなく、裏付けのために駅などへの聞き込みをしなくてはならないからだ。捜査員は目も使うし、体も酷使する。
■捜査手法が多様化し、市民サービス的な仕事も増えた
いくらAIが画面を分析するようになっても、結局のところ、容疑者の家を訪ねたりするのはロボットではない。対人捜査は警察官が行わなければならないから、現場の仕事は減らない。
警察が直面している大きな課題は捜査手法が多様化したために業務の種類が増えたことだろう。加えて、犯罪捜査以外の市民サービス的な仕事も増えている。
業務の量が増えていることに対して、警察庁長官と幹部はどう判断するのだろうか。
警察庁長官が、今やらなくてはいけないのは警察の本質を新たに決め、それに沿った未来の姿を考え、庁内に示すことではないか。
ただし、任期が2年から3年というなかで、ひとりの長官が警察の将来を決定することは簡単ではない。
民間会社の敏腕社長であれば5年から6年の在職中に長期的な計画を立てることができるし、新分野にも足場を築くことができる。一方、警察庁長官の任期を延ばすのは難しいだろうから、2年から3年の間に通常業務とは別に警察の仕事を革新的にしたり、新分野を追加することは極めて困難だ。
市民としては、警察の守備範囲が広がるのは困ることではない。一方で、何から何まで担当してもらわなくともいいとも思っている。
戦前に実在した特高のような思想警察、衛生警察(警視庁及び府県警察部衛生課感染症対策から飲食店の食事、医療の一部まで担当)が出現するのは困る。
「警察の仕事はここからあそこまでですよ」とはっきりさせてほしいのである。
■「個人の生命、身体及び財産」の解釈が広がっている
警察官なら誰もが知っていて、暗記している法律がある。警察法の第二条第一項がそれだ。
「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。」
日本の警察のあり方、守備範囲を決めている法律である。第二条にはふたつの責務が書いてあり、どちらにも軽重はない。ともに大事なものとなっている。
A 「個人の生命、身体及び財産の保護」
B 犯罪の予防、鎮圧および捜査などから始まる「公共の安全と秩序の維持」
世界の警察の場合も両方が責務だが、重点はBの犯罪捜査と公共の安全と秩序の維持だろう。
一方、日本の警察はAの個人の生命、身体及び財産の保護も重要な仕事で、前述のように、この領域は拡大を続けている。そして、遺失物捜査、つまり落とし物を捜すことも市民財産の保護なのである。
ただ、特措法改正のため、今後、新しい感染症が蔓延するたびに何かと言えば警察官は駆り出されるだろう。
■交番にとって負担の多い「巡回連絡」
しかし、なんでもかんでも引き受けていたら、警察は本来やるべき犯罪捜査に回す人手が足りなくなってしまう。新型コロナウイルスを鎮静させても、窃盗や強盗や詐欺が増えたら、何にもならない。
なんといっても、日本の警察官は世界の警察官よりも忙しい。たとえば彼らは「巡回連絡」をやっている。
巡回連絡とは、交番勤務のおまわりさんが自宅にやってきて、「変わりはないですか? ご家族は何人ですか」などと調べて回る仕事だ。昔は住民も当たり前のように扉を開けて、お茶の一杯も出して話していたけれど、近頃は日中、訪ねても留守の家が多くなった。また、たとえ家にいても、独身女子や高齢者の一人住まいは扉を開けないことが多い。犯罪の抑止、災害防止、住民との良好な関係を保つためには重要な仕事だけれど、交番のおまわりさんにとっては負担の多い仕事でもある。
ただ、巡回連絡がきちんと行われていれば、特殊詐欺の電話の掛け子たちや夜中に豚舎や梨畑で窃盗を繰り返す人間たちがアパートの一室で暮らすような状態の抑止にはなる。市民にとってはありがたいサービス業務なのだけれど、不意打ちのように自宅に来られるのはうれしくはないのが一般の感情だろう。
■でも生活のもめごとは警察に解決してほしい
市民は警察が衛生警察や思想警察になるのは嫌だけれど、生活まわりの支援サービスについてはもっとやってもらいたいと思っている。
たとえば、隣の家がゴミ屋敷だったとする。市役所にいくら連絡してもなかなか返事は来ない。市役所の係員がゴミ屋敷の住人に忠告したとしても、なかなか従わない。しかし、警官が訪ねていくと、それだけで状況は変化することがある。
市民は生活のもめごとに関しては迷惑系ユーチューバーと同じような意識になっている。とにかく面倒くさいことは警察にワンストップでやってもらいたいのである。
警察が「個人の生命、身体、財産の保護」をやらなければならない限り、その範囲は今後もどんどん増えていく。
余計なお世話なのはわかっているけれど、警察庁長官は増える一方の政府と市民からの要請に対して、どこまで応えるかを決めなくてはならない。
具体的に言えば警察法第二条を改正して、「ここまでが警察の仕事ですよ」と記すことなのだが……。
■なぜ、警察庁は「警察法の改正」をできないのか
だが、警察法の改正はこれまた難しい。
かつての長官、後藤田正晴は大学紛争時代、こんなことを言っている。
「自民党は警察に火炎びん処罰法を立法化せよ、といっているが、政治家のいうなりに警察が法案を立案したら大変だ。最後には与野党の取り引き材料になって法案はつぶれ、警察だけが悪者にされる。(略)日本の国会では『警』の字のつく法案なんて交通以外はムリだ」(前掲『警察庁長官の戦後史』)
後藤田の言ったことは今も続いている。国会でも交通、情報通信以外の警察活動についての法案を通すのは簡単ではない。警察法を改正するというと、国民もマスコミも警戒するから、それを乗り越えるのは簡単ではない。他の中央官庁の最大の仕事は法律の企画、立案だ。しかし、警察庁では事実上、その部分に枷がはめられている。
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ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。noteで「トヨタ物語―ウーブンシティへの道」を連載中(2020年の11月連載分まで無料)
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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