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「翻訳することも難しい」韓国人が"塩ラーメン"を絶対に注文しない驚きの理由

プレジデントオンライン / 2021年9月27日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/KYONZO

外国語の翻訳は難しい。韓国人作家のシンシアリーさんは「私は最近まで日本の塩ラーメンを食べたことがなかった。韓国で料理や味に関して『塩』の字を付けると、ものすごくひどい味を示すからだ」という——。

※本稿は、シンシアリー『日本語の行間』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

■昔ながらの韓国料理は辛くない

あの禍々しい新型コロナウイルスが大問題になる、少し前のことです。いつもラーメンは味噌ラーメンかとんこつラーメンにしますが、その日は、悪魔のいたずらか神のお導きか知りませんが、なぜか塩ラーメンを注文しました。

うろ覚えですが、多分人生初の塩ラーメンです。なぜいままで食べなかったのかというと、どうもこの「塩」という字に拒否感がありまして。でも、食べてみたら、美味しい。すごく美味しかったです。こんなに美味しいなら、もっと早く食べればよかった、と思いました。

もちろん料理によって違いますが、一般論として、韓国で料理や味に関して「塩」の字を付けると、それはものすごくひどい味を示します。どこで何を間違えたのか、いまの韓国料理は辛さを売りにすることが多いですが、実は韓国料理の昔ながらの味は、具を煮て汁を出すことにあります。味がそんなに強いものでもありませんでした。

■ビビンバやグッパは身分の低い人の食事だった

これは身分制や急激な産業化、ソウル一極集中など、両極化がひどかった朝鮮半島の歴史とも関係があります。上流層の人たちは、汁を出すことで、体に良い成分を得ることができると考えました。

昔は、様々な薬材を煮て、その汁を薬としました。その煮る過程で心を込めないと、薬は効能が無いという考え方がありました。それは女性、特に患者の妻の仕事で、薬に効果が無いと、それを煮た女性のせいだという批判を受けたりしました。韓国ではこれを「情誠が足りない」と言います。薬を煮るのは、ある種の祈りだったわけです。

似たような考えが料理にもあって、グック(スープ)やタン(湯)など、肉や鶏など高級な材料を水に入れて煮て汁を出す料理こそが、体にもいいとされました。いまのように簡易化されたものではありませんでしたが、サムゲタンやカルビタンのようなものがそうです。

逆に、身分が低く、貧しい人たちは、ありったけの食材を適当に混ぜるか、単に量を増やすため、水に食材を入れてスープを作りました。具の良し悪しにもよりますが、前者がビビンバ、後者がグッパなどです。いまでは韓国料理といえば「混ぜる」イメージがありますが、実は混ぜることは、身分の低い人たちの食べ方でした。

■「塩スープ」は味がひどいという慣用表現

でも、最悪の場合、そんな適当なスープすら作れない人たちもいました。具を煮て汁を出す料理は、良い材料をいろいろ入れると様々な味を出すこともできますが、具として使える食材が無いと、美味しいかどうかを離れ、味そのものを出すことすら難しくなります。本当に量を増やす以外に、スープにする意味が無くなります。

身分制度があった頃は言うまでもなく、朝鮮戦争が終わり、韓国で首都ソウル一極集中の経済発展が行われた一九六〇~七〇年代にも、そういう食事しか出来ない人たちは大勢いました。その場合、仕方なく、少ない具のスープ料理に塩を入れて、味を出します。具だけではいくら煮ても味が出せないからです。

その圧倒的な不味さは強烈で、いまの韓国でも、「塩スープ(ソグムクック、소금국)」と言い、味がひどいという慣用表現として残っています。一言で、貧乏くさい味付けのことです。そうしたイメージのせいか、それとも単なる好みの問題なのかは分かりませんが、韓国では味が薄くて塩を入れないといけない一部のタン(湯)料理以外に、白い塩が食べ物と一緒に出てくることはほとんどありません。

それでも私がまだ学生だった頃は、食べ物、例えば茹で卵などを白い塩に付けて食べることは普通にありましたが、いまではフライドチキンから茹で卵まで、ほぼ間違いなく、マッソグムといって、味付けをした塩が付いてきます。

テーブルの上に置かれた塩の容器
写真=iStock.com/arto_canon
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/arto_canon

■韓国では塩そのものも美味しくない

塩ラーメンを食べた日、同じ「塩」の字を付ける料理でも、日本と韓国とでは、意味がこんなにも違うものだな、と思いました。もっと根本的な話、日本の塩は普通に美味しいです。塩ダレを使ったラーメンだけでなく、塩そのものが、たまに指につけて口に入れてみると、凄く美味しいです。

これは、韓国ではあまり経験しなかったことです。日本にも味付け塩が無いわけではありませんが、そこまで流行っていません。その理由は、多分、韓国に比べて、必要性が感じられないからでしょう。似たような理由で、いまの韓国料理に、醤油を直接付けて食べるものはほとんどありません。

これもまた、昔は結構ありましたが、いつからか、味付けをしたジャン(「醤」の韓国語読み)というソースが一般的になりました。刺身をワサビ入り醤油につけて食べるときのあの感覚を知っている一人として、文化の差を感じずにはいられません。

日本に来てから、食べ物関連で「味を楽しむ」ことが増えました。しかも、さほど難しいやり方でもありません。最近の「自己ヒット」は、ステーキにわさびを少し載せて食べることです。

無茶苦茶高いレストランの料理を言っているわけではありません。値ごろ感あるステーキ店でも、ステーキにわさびを少し載せて食べてみると、なんとも言えない素晴らしい味が楽しめます。

茹で卵の半熟もそうで、韓国では目玉焼きでもないかぎり、卵は完熟が基本です。最初は半熟の茹で卵というのが食べづらい、皮を剝きづらいと思いましたが、最近は半熟も美味しく頂けるようになりました。塩を少し載せると最高です。ここだけの話、日本に来てから体重が結構増えました。

■「韓国語に訳せない日本語」にヒントがある

韓国にいたときには、塩のことも、生活に必要なものだとは認識していましたが、美味しいと思ったことはありません。日本の塩ラーメン、塩ダレ、塩味。これらを韓国語に訳すなら、少なくとも直訳は避けるべきでしょう。まったく別の意味になってしまうからです。

そう考えているうちに、ふと気が付きました。あ、そういえば、韓国語に訳せない日本語に、私が求めている「行間またはそれに準ずる何か」のヒントがあるのではないだろうか、と。そもそも言語の行間が街にも行間として表われているという発想だったので、街のそれをいきなり見つけようとせず、まずは日本語「だけ」の特徴をもう少し考えてみよう、と。

そしてその「だけ」の中でもっとも分かりやすいのが、韓国語に訳せない言葉です。日本の街に住むようになってからはまだ三年ですが、韓国語は当然できるし、日本語は随分前から勉強してきました。両方の言葉が分かるという利点を活かして、「訳せない」をヒントにすることもできるはずです。いままでは訳すために勉強してきたものを、訳せない部分のために使ってみるというのも、新鮮で面白い気がしました。

■社会に共通する「感覚」によって伝わる日本語

エドワード・ホール氏の言う「高文脈」というのは、具体的に言わなくても話の流れ、その社会に共通する何かによって意味が伝わるという概念です。日本語こそがその最先端である、とも。文脈の中でも、個人的に、社会構成員たちに共通する「感覚」こそが、最大最強の文脈として成立するのではないか、と見ています。

その中には、もっと具体的な形で「発掘」されたものも存在します。日本社会は、「なんとなく」を形にした言葉を多用しています。日常で何気なく使っていて、相手にもほぼ共通した意味が伝わるけれど、実は詳しく説明するのは難しい言葉のことです。

この点、むしろ外国人にしかその凄さがわからないかもしれません。例えば、ビールの宣伝にはほぼ間違いなく出てくる「コク」とか、料理の美味しさの尺度の一つとされる「旨味」などがそうです。旨味は英語でもUMAMIで、なんとその存在が科学的に立証された、という話も聞きます。行間のような存在だったものが、一つの具体的な単語になって社会に出てきたわけです。

もちろん、まだそれらの言葉の「感覚」が分かっていない外国人からすると、まだまだ難しい単語ではありますけど、日本での生活が長くなるにつれ、「なんとなく」分かってくるでしょう。コクも旨味も、韓国語には直訳できる言葉がありません。

文化から言葉が出来たり、その言葉が文化を作ったり。言葉が感覚を認知させ、感覚が言葉になったり。この「感覚」というものは、実に強大な力を持っています。なぜ強大なのかというと、言語の文法を公式に変えたわけでもないのに、言葉の持つ「意味の伝達」という側面をガラッと変えてしまうからです。

■言葉は「社会の通念」で変化する

私たちの社会は法律によって支えられていますが、だからといって社会の全ての規則、個人的で感情的なことまでいちいち法律で判断されるわけではありません。道徳、礼節など、私たちの生活には、法律以外にも多くの規則が存在します。法律のように公文書として存在し、その規則を破った人を強制的に処罰できる権限を持っているわけではありませんが、それらの規則も大事で、私たちの生活に強い影響を及ぼします。

シンシアリー『日本語の行間』(扶桑社新書)
シンシアリー『日本語の行間』(扶桑社新書)

言語もまた同じです。文法のように、学者レベルで多くの議論を経て公式に決まる部分もあります。しかし、文法を変えたわけではなくても、特定の方向性に偏った使い方をする人が増えると、言葉は「社会の通念」という規則により、変化します。

例えば、文法的には間違いなく相手への尊敬語であるのに、実際の生活での利用は、相手に失礼な、むしろ相手を侮蔑する意味として使われている言葉もあります。言い換えれば、礼儀正しく使う人が多いと、その言語システムは礼儀正しくなります。相手を攻撃する人ばかりだと、彼らの言語は攻撃的になります。例え、文法的には昔と変わっていなくても。そうした変化もまた、言語システムの「行間」ではないでしょうか。社会の通念がそう進化させましたから。

そして、それらの進化には、「外国語に訳すのが難しい」という共通点もあります。

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シンシアリー(しんしありー)
著作家
1970年代、韓国生まれ、韓国育ち。歯科医院を休業し、2017年春より日本へ移住。アメリカの行政学者アレイン・アイルランドが1926年に発表した「The New Korea」に書かれた、韓国が声高に叫ぶ「人類史上最悪の植民地支配」とはおよそかけ離れた日韓併合の真実を世に知らしめるために始めた、韓国の反日思想への皮肉を綴った日記「シンシアリーのブログ」は1日10万PVを超え、日本人に愛読されている。著書に『韓国人による恥韓論』、『なぜ日本の「ご飯」は美味しいのか』、『人を楽にしてくれる国・日本』(以上、扶桑社新書)、『朴槿恵と亡国の民』、『今、韓国で起こっていること』(以上、扶桑社)など。

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(著作家 シンシアリー)

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