「韓国は日本より上」韓国人がそうした上下関係に異常に執着する言語的な理由
プレジデントオンライン / 2021年10月13日 9時15分
※本稿は、シンシアリー『日本語の行間』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。
■まるでアクションゲームのような会話
私が日本で、日本人の皆さんといろいろ話してみて感心させられた中の一つが、「相手の話を最後まで聞く」ことです。
この期に及んで何を隠そう、読者の皆さんの中にも同じ経験をお持ちの方もいるかもしれませんが、韓国人は相手の話を最後まで聞こうとしません。「はい」か「いいえ」までは聞きますが、それから「なぜ私は『はい(または、いいえ)』と思うのか」と相手(韓国人)に言おうとすると、相手は私の話を切って、自分の話を始めます。そして、その話は、やたらと長いのです。
韓国にいると意外と自覚しなかったりしますが、会話って妙ですね。相手が私の話を切ろうとすると、私は意地でも少しでも長く話そうとし、相手と「マウント取り」が始まります。少しでも長く話せたほうが勝ち。緊急回避(相手が切ってくるタイミングで早口で話し、聞こえなかったふりをする)、無敵時間(露骨に切られても無視して話し続ける)など、アクションゲームのようになります。
でも、何の勝負で、そもそも勝つ必要があるのかどうか分からない、そんな妙な状態になります。その結果はどうなるのか、ご存じですか。
気がつけば、私と相手、二人が同時に喋っています。ゲームで言えば何かのバグ、プログラムエラーで終わります。これは、別に会社などで上司と口喧嘩するシチュエーション設定ではありません。親しい人同士でも、結構こんなことがあります。また、こんな会話になっても、誰も謝ったりしないし、謝る必要もありません。よくあることですから。
■長く話すと謝る日本人
でも、日本に来てからは、相手が私の話を最後まで聞いてくれるし、しかも、大して長話もしてないのに「私ばかり話して申し訳ありません」「話が長過ぎました。引き止めてしまって申し訳ございません」と相手(日本人)から謝ってきます。
だから、私もつい「長く話すと失礼だ。短く話そう、短く」と、どうすれば短く話せるのか、言い換えれば「どうすれば話さずに済むのか」で悩んでしまいます。韓国にいたときのマウント合戦に比べると、真逆の現象です。
旅先でのことですから先のアクションゲームっぽい話とは状況が違いますが、最近のことだと、日光市の私の気に入りの場所、「神橋」でも同じことがありました。
韓国を旅行したことがある日本人の方とお会いしました。ホテルにガスマスクが用意されていたそうですから、結構前のことでしょう。韓国でアワビの粥を召し上がった話など、私も楽しく聞いていましたが、お別れのときに、その方が急に謝るのですよ。「長話してしまいました」と。そんなこと全然ないですけど。美しい景色の中、ほのぼのした旅の思い出です。
なぜこんな「差」があるのか。なぜ片方は少しでも長く話そうとするし、もう片方は短くしようとするのか。しかも、これは、同じ人(私)の経験談です。なんでだろうと、いろいろ考えてみました。
■相手への「尊重」があるかないか
真っ先に思いつくのは、漢字を使わなくなったことです。最初からハングルだけで出来ている言語体系なら問題なかったでしょうけど、「意味」を表現するための漢字を廃止し、「音」だけを残すから、意味を説明するために長く話すしかなかったのではないか、そんな考察でした。これについては、今でも「何かの影響を及ぼしただろう」とは思っていますが、だからといって、主な要因だと言い切る自信もありません。長くなるのはありますが、長い文章は無条件でダメだというわけでもないし、漢字圏の人が素晴らしい外国語文章を書くことだってありますから。
他にもいくつか「もしかして」と考察はしてみましたが、個人的に、どれもハズレでした。正解がどんなものかは知る由もありませんが、個人的にたどり着いた結論は、「相手を尊重しないから」です。
言い換えれば、相手への尊重があるか、ないかの差です。先のアクションゲーム(のような会話)は、まるで勝ち負けで喧嘩をしているようなイメージですから、ここでいう「尊重」は、勝ち負けにこだわらないという意味でもあります。
■話だけでなく文章も長い
また、これから書く内容の脈絡に合わせると、「感謝」にしてもいいでしょう。なかなかありえない(有り難い)と思う心。それが、ありがとうの源。「私は配慮を受けて当然だ」と思えば思うほど、世の中のありがとうは一つずつ消えてなくなります。だからくだらないことで勝ち負けにこだわったりするわけです。
尊重や感謝のない、ただ長いだけの文章、または会話。それがいかに窮屈で、くだらないものなのか。私が主に読んでいる韓国語文章は、もちろん書籍や論文なども読みますが、基本的には「記事」、特にコラム系のものです。毎日、ブログを書いていますから。
データや現状だけ黙々と伝える記事ももちろんありますが、ある種の自己主張のある記事、コラムや社説系の記事を読んでいると、なぜか「長い」と感じてしまいます。長くても説得力があり、読み手を最後まで惹きつける文章は、いくらでもあります。でも、この場合はそうではありません。読んでいると、その趣旨に同意するか、しないかとはまた別に、妙な拒否感があって、なかなか内容が受け入れられず、読み終わる頃には何の話だったか忘れてしまいます。
そう、先の「私の話を切るな」と同じに思えます。
■本題はコラム全体の約二割
最近読んだものからサンプルを一つ紹介しますと、以下、二〇二一年六月二十六日、『東亜日報』の論説委員が書いた記事です。さすがに全文を載せる必要はないと思いますので抜粋しますと、全般的には「日本に対する古い観点を捨てないと、日本には勝てない」という趣旨の文章ですが、申砬という朝鮮時代の武将の話で始まります。
申さんが活躍して王の注目を浴びるようになった、という話になって、次は彼が日本軍の鉄砲に破れたこと、日本が鉄砲を改造したこと、朝鮮の当時の安保体制が甘すぎたこと、などなどを書いてから、やっと本題の「日韓関係」の話が出てきます。それから韓国政府の日本関連政策がうまくいかないでいるのは、「日本に関する情報が足りないからだ」として終わります。
本題はコラム全体の約二割だけです。その二割は、韓国政府及び与党を「叱る」内容ですが、いざ「反日思想」の根本的な部分、そして日韓基本条約(請求権協定など)による韓国の国際法違反状態については、何も指摘していません。
■「教育している」構図にしないと相手からバカにされる
この記事(コラム)だけの問題ではありません。長い、しかも妙な拒否感がある、失礼だと分かっていながら、途中で「切り」たくなる。先のマウント取り会話のように、「切るな」と言われたから切りたくなる抵抗感。さらにもうちょっと詳しく言うと、そう、叱られる気分。私の上司でもない人が、一方的に上司を演じながら、私を「訓戒」している(教育している)、そんな不愉快な感覚になってしまいます。
訓戒は、基本的に上の人が下の人に行います。下の人は、上の人の話を切ってはいけません。それは下剋上です。だから韓国側の文章には「戒める」ニュアンスで書かれたものが多く、そのために文章や段落、または記事の字数を引き伸ばします。誰かを戒める文章を書く側が、その戒めの相手、または読者そのものを、「教育している」構図にするためです。これは、意図的というよりは、社会的心理が反映されたある種の処世術でもありましょう。そう書かないと、相手からバカにされる、という。
二〇一九年、韓国で二十五万部以上の大ヒット(韓国は日本より市場が小さいので、日本での百万部クラスのヒットに匹敵します)を記録した『あなたが正しい』という本には、「親が子に言うのは九十九・九%が子を見下しているから」「たとえ親でも、あなたの境界を破ってくるなら、切り捨ててしまえ」という衝撃的な内容が、心理カウンセリングとして書いてあります。職場の人からの忠告も、どうせ見下されるだけだから、受けるな、そして忠告なんかするな、というのです。
■「訓」には「下のものを教育させる」という意味がある
私はこんな主張にはどうしても同意できませんが、まわりの全ての会話がそうなっているから、そもそも言うな、聞くなというとんでもないカウンセリングが成立するわけです。
朝鮮半島では、昔から「下のものを教育させる」という意味で、「訓」の字を使ってきました。まだ学校というものが出来る前には、読み書きなどを教える人を「訓長」と言いました。朝鮮の王「世宗」がハングルを作ったときにも、最初は「訓民正音」と言いました。
その目的は「漢字が分からない愚民たちは言いたいことがあっても書くことができないので、哀れに思い新しい字を作った」となっています。この考えが、「訓」の認識として今でも残っていると言えるでしょう。
もう少し面白い事例だと、テコンⅤがあります。皆さん、韓国の劇場用ロボットアニメ『ロボットテコンⅤ(ブイ)』というものをご存じでしょうか。四十代、五十代ぐらいの韓国人なら誰もが知っている、国民的なヒットを飛ばしたアニメ映画です。そのロボットのパイロットの名前が、金訓です。悪党に、正義を「分からせて」やるという意味です。
■訓戒もどきを演じることで自分を「上」にしたい
最近も、社会で一般的に上の立場の人が下の人を叱ることを、訓戒するとよく言います。逆に、下のものが何か意見を出すと、「お前に何の権利があって私を訓戒するのだ」と、喧嘩になりがちです。「訓」は、いろいろ知っている人が、知らない人に教えるもの、教えてあげるものだからです。
今まで本書で述べてきた、韓国社会の言語体系においての「上下関係」への異常な執着、そして「儒教思想」の影響などは、単にそれぞれの単語を変えただけでなく、文章の構造、簡単に言えば長さそのものをも、変えてしまったわけです。
私は、この「訓を演じる書き方・言い方」こそが、韓国人の話や文章を長く、そして迂回的なもの(教育的なニュアンスを演出するため、やたら昔話や古文からの引用が多く、最近はなんと映画からの引用も多い)にした大きな要因だと思っています。
そう、実際に立場が上だから訓戒するのではありません。訓戒もどきを演じることで、自分を「上」にしたいわけです。
しかし、そんな会話、または文章には、一つ、決定的に欠けてしまうものがあります。それは、相手を尊重する心、「ありがとう」たる気持ちです。相手を戒めることにこだわりすぎで、余裕をなくしてしまったのです。
日常で出会う人に感謝する心があるなら、会話でマウント合戦が起きたりするでしょうか。読者にある程度の感謝を込めているなら、訓戒っぽい論調の記事が書けましょうか。日韓関係を良くしたいという願いが本物ならば、書くべきはアドバイスであり、政府への訓戒ではないでしょう。
そもそも、韓国側の対日本観に決定的に欠けているのが、この感謝の気持ちです。民族がどうとかプライドがどうとかの話は別にしてでも、併合のおかげで、日本の先人たちのおかげで朝鮮が近代化できたという最小限の感謝さえあれば、日韓関係が今のようにはならなかったでしょう。
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著作家
1970年代、韓国生まれ、韓国育ち。歯科医院を休業し、2017年春より日本へ移住。アメリカの行政学者アレイン・アイルランドが1926年に発表した「The New Korea」に書かれた、韓国が声高に叫ぶ「人類史上最悪の植民地支配」とはおよそかけ離れた日韓併合の真実を世に知らしめるために始めた、韓国の反日思想への皮肉を綴った日記「シンシアリーのブログ」は1日10万PVを超え、日本人に愛読されている。著書に『韓国人による恥韓論』、『なぜ日本の「ご飯」は美味しいのか』、『人を楽にしてくれる国・日本』(以上、扶桑社新書)、『朴槿恵と亡国の民』、『今、韓国で起こっていること』(以上、扶桑社)など。
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(著作家 シンシアリー)
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