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「親の遺産をあてにするものじゃない。けど、私はもらう」親の介護を放棄する50代義姉の最低最悪な言い草

プレジデントオンライン / 2021年10月13日 12時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/standret

50代女性は3人の老人の介護で追い立てられている。同居する夫の両親は要介護状態で、自分の母親も日に日に衰えていき、心臓にも疾患が見つかった。疲労困憊な女性をさらに苦しめるのは義姉。老親の介護の一切を放棄し、「親の遺産をあてにするものじゃない。けど、私はもらう」と身勝手極まりない言動を繰り返す――。
前編のあらすじ
関西在住の花田陽菜さん(仮名・54歳・既婚)は短大を卒業後に就職し、23歳の時に結婚。2人の娘を出産した。夫の父親が経営する工場の上に建てた二世帯住宅に住み、夫は父親の会社を継いだ。だが、幸せな時間はそれほど長くは続かない。まず花田さんの父親が肝臓がんで他界。その後、義父も心筋梗塞を起こし、実母が心臓の病気(僧帽弁閉鎖不全症)を発症していることが発覚。さらに義母に胃がんが見つかり、摘出手術を受けたが、義父母ともに認知症が進行するなど次々に病魔が襲う――。

■自動車整備工場の廃業と自己中な義姉

2018年1月、関西在住の花田陽菜さん(仮名・現在54歳・既婚)の夫は、義父から自動車整備工場の経営を引き継いだものの、赤字続き、廃業を決断。花田さんは3月からパートに出て、夫は4月から路線バスの運転手として働き始めることになった。

7月、梅雨の長雨がきっかけで、約30年前、結婚直後に整備工場の上に建てた義両親との二世帯住宅に雨漏りがするようになっていた。

花田さん夫婦が業者に相談すると、「屋根の躯体(くたい)(構造体)が朽ちており、大掛かりな工事が必要になるため、修理すると400万円ほどかかります」と言われる。

花田さん夫婦は、「それならこれを機に賃貸併用住宅に建て替えて、家賃収入を得よう」と考え、義両親に提案。すると2人は賛同し、認知症で要介護2とはいえ当時はまだ会話ができる状態だった義父は、「別の場所にある土地を売却して、その頭金にするといい」と言ってくれた。

しかし、こうした取り組みの障壁となる存在があった。義姉だ。本人は2015年に離婚後、花田さんと義親の二世帯住宅の2軒隣に引っ越してきていた。夫が義姉に賃貸住宅への建て替え案を報告すると、「両親がいいなら」と認めた。ところがその数日後、義母が義姉の家に行き、「借金は嫌だ」と言った影響で「お母さんが反対なら反対」と前言を撤回した。

義父と同じように認知症の義母は、自分がどこで何を言ったかなど覚えていないが、義姉はそれを知らない。両親を連れて銀行を回り、過去10年間の両親の口座のお金の流れを調べ、両親の定期預金を解約。1000万円を引き出し、「自分が預かる」と言って譲らず、花田さん夫婦は困惑してしまった。

花田さんは今、この時のことをこう振り返る。

「義姉は私たち夫婦に対して、『かわいそうだから、両親はこのまま(老朽化した)家にいさせてやりたい』『両親に何かあった時、すぐ使えるお金を手元に置いておきたい』そして、『これで、賃貸併用住宅なんて建てられないでしょう? 建てられるものなら建ててみなさい!』と、捨てぜりふを吐きました」

■「子供は親の遺産をあてにするものじゃない。けど、私はもらう!」

義姉はさらに、「介護をしている知り合いは、介護疲れのために壊れてしまっている人が多いから、私は両親の面倒を見る気はサラサラない」と言い放ち、「どうせ家で最期までみることなんてできないんだから、さっさと施設にでも入れたらいい!」と、つい先程とは矛盾したことを言い、義父母の介護をしている花田さん夫婦をあざ笑う。

しかし、家が大好きな義両親が「家にいたい」と言うことがわかっていた花田さんは、「施設も考えたことがあるけれど、やっぱり義両親を見捨てるようなことはできません」と反論すると、義姉は逆上。「なら勝手にすればいい! 嫌になったら施設にでも何でも入れればいい!」と怒鳴る。

そして花田さんが、「私は、2人の娘たちに資産を遺してやりたいと思うから、自分でできることは自分でやって、なるべく節約したいと考えています」と言うと、「子供は親の遺産をあてにするものじゃない。けど、私はもらう!」と身勝手な発言をして、「相続は家以外にある土地と、引き出した1000万と、義母の生命保険半分を要求する!」とまくし立てた。

大人の女性の手
写真=iStock.com/Antagain
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Antagain

「それまでは、『相続財産は放棄する』と言っていたのに、何が義姉の逆鱗(げきりん)に触れたのか、真逆への変わりようにびっくりしました。さらに、義両親の『通帳を半年に一度は見せろ』と要求してきて、私たちが使い込みをすると決めつけているんです。介護には一切手を出さないのに、お金のことには異常に口を出し、私たちを泥棒扱いしてくるのが、許せないと思いました」

義姉は夫より6歳年上の57歳(当時)で、小学校の教師をしており、教務主任まで務めていた。最初の結婚では、相手の実家で同居をしていたが、数年で我慢ができなくなり、自分の実家から5分ほどのところに家を買って家族で生活を始めた。

しかし、長男が中学に上がる頃に家を飛び出して不倫相手のところへ行き、数年後に離婚。長男はこれがきっかけで不登校になり、何とか入学した高校も中退。しかも義姉は、交際相手との別れの度に自分の弟(花田さんの夫)を呼び出して愚痴を吐き、慰めさせ、不登校になった長男の高校との面談も、別れた夫ではなく弟に行かせた。

義姉は短大を卒業後、旅行代理店などいくつかの会社を転々として、2010年の教員採用試験に合格して小学校教師になった。しかし、家事・育児は近くに住む義母に依存し、医大に通っていた姪(義姉の娘)は、祖父母の家から通っていた時期もあった。それにもかかわらず、義母にも夫にも、「そんなことをしてもらった覚えはない」と言い切る。

「夫が『赤字続きの自動車整備工場をたたみたい』と義両親に話したとき、義母は『そんな格好の悪い。辞めたらここに住めなくなる』と言うので仕方なくその後も4〜5年続けましたが、毎年300万円ほどの赤字を重ね、義両親が援助を申し出てくれました。それを義姉は、私たちが使い込みをしたと考えたのでしょう。最終的には私たちの貯蓄は底をつき、生活費さえなくなり、私の母に援助をしてもらっていました。義姉には夫がさんざん説明しましたが、結局わかってもらえませんでした」

■母親との同居と義母の認知症

こうした義姉との確執を抱えた中、大事な家族には次々と病魔が襲った。

隣町に住む花田さん母親は2018年の同じ月、尿路感染症になり入院。母親の見舞いや義両親の介護をするため、花田さんはパートの仕事を辞めざるを得なくなる。

パートを辞めた花田さんは、義母の認知症の進行の速さに驚いた。これまでずっと、義父のトイレ介助は義母がやっていたが、急に怒鳴ることが増え、義父が失敗すると、すぐに手が出るように。また、好きだった買い物も行きたがらず、食事の支度もせず、毎日のように花田さんに「お総菜買ってきて」と使い走りさせた。

一方、尿路感染症から退院した母親は、しきりに「身体がしんどい」と言うように。そのため義父母と花田さん家族が住む二世帯住宅に、母親も同居するようになった。

2019年7月には、義母は義父が欲しがらないと水分を与えていなかったため、義父は脱水症状を起こし入院。義母はしばしば見舞いに行ったが、帰ってくると行ったことを忘れており、その日のうちにまた「見舞いに行く」と言うように。

花田さん夫婦は、ずっと家にいると認知症が進むだけだと考え、義母を説得し、デイサービスの利用を再開させる。

9月になると義母は、「お父さんが家にいないと寂しいから、退院させたい」と言い始め、花田さんの夫が「親父はもう食事介助が必要だし、下の世話も必要なんだ」と説明するも、「食事も下の世話も全部私がするから!」と言って聞かない。結局折れて、義父を退院させたにもかかわらず、認知症が進んだ義母は義父のことを完全に放置。やがて義母は一切の炊事をしなくなり、洗濯機の使い方を忘れ、炊事も洗濯も花田さんがするようになる。

週に3日デイサービスに行っている以外は、部屋に閉じこもってテレビを見るか、義父と横になっているだけになった。自分の家のことや母親の介護だけでも手いっぱいだった花田さんは、義父のオムツ替えや夕食の介助をヘルパーに依頼した。

ザッピングしながらテレビ番組を見る人
写真=iStock.com/Yuzuru Gima
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yuzuru Gima

■義父の誤嚥性肺炎と延命処置

2020年2月、義父の食が極端に細くなった。心配になった花田さんは栄養補給に工夫をしたが、義父の食欲は一向に戻らず、訪問診療で点滴を受けることに。

そして3月、義両親がデイサービスに行っていると、職員から「お義父さんに微熱があるため、病院を受診します」との連絡が入り、花田さんは義母と共に病院へ向かう。レントゲンを撮ったところ、義父は誤嚥性肺炎を起こしており、入院が決まる。

やがて入院先の病院からは、今後の義父の延命処置について相談があった。

「病院からは、①高カロリーの点滴で看取りまで、②経鼻栄養で施設を転々、③胃ろうで施設を転々、の3択を迫られました。私と夫は、①の高カロリーの点滴で看取りまで、を選択しましたが、義姉は、『②の経鼻栄養で、少しでも人間的な処置を』言いました」

意見が分かれたため、医師になっていた姪に相談すると、

「永久的な経鼻栄養を『人間的な措置』と捉えるのには違和感があります。鼻のチューブは基本不快です。あと、チューブが入っていること自体が誤嚥性肺炎を誘発します。なので私は①か③と思ってます」

と回答。すると義姉は、「それなら③の胃ろうを作って、少しでも長生きしてほしい、義母の生きる希望になる」と言った。

治療を受ける患者
写真=iStock.com/fotocelia
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fotocelia

その発言を受けて姪は次のようなメッセージをグループLINEで送ってきた。

「苦痛と思っているかどうかは本人でないとわかりませんが、鼻からチューブはたぶん気持ち悪いし、胃ろうを作るとき痛いので、それをどう判断するかです。あとは今後、『いよいよ厳しい』と何をもって判断するか。(病院はすでに、『いよいよ厳しい』と判断しているからこそ、この話をしてきていると思う)。それと、転院したらお祖母ちゃんが毎日お見舞いに行くのは難しくなるかもしれない。以上についてどう考えていますか?」

これに対し、義姉からの返事はなかったが、しばらくして義姉からLINEが入った。

「医師の話からは『いよいよ厳しい』という緊迫感は伝わりませんでした。なので、いろいろと考えたのですが、医者であるあなたがそう言うのなら、もう差し迫った時期なんでしょうね。それなら②も③もないと思います」

すると姪は、長文のメッセージをくれた。

「一番苦痛のない方法は、①です。たぶん大半の医師は①を選ぶと思う。けど何か明確な目標があっての延命(例えば、特定の日までは何としてもどんな形でも生きていてほしい、とか。)なら、半端に②ではなく、③だと思って、①か③と言いました。でも、そうではないようなので、①が良いと思います。ちなみに、『いよいよ厳しい』といっても、日単位でどうこうというわけではなく、ただ、治療やリハビリをしても、もうこれ以上回復の見込みはないという意味です。今は幸い、肺炎自体は落ち着いていて、お祖父ちゃんは苦しむことなく過ごせています。現時点で一番危惧すべきは、誤嚥性肺炎の再燃であって、再燃すると次こそ命取りになり得るし、何より本人がしんどい思いをします。その状態をお祖母ちゃんに見せるのもかわいそうです。そう考えると、極力誤嚥のリスクの低い治療法を選択するのが、祖父母も含めた皆にとって一番いい形なのではないでしょうか」

やがて緊急事態宣言が発令されると、義父との面会はできなくなった。

■夫のがんと母親の心不全、そして義父の死

2020年8月、夫が会社の人間ドックを受けたところ、「腎臓に嚢腫と影があるので、大きな病院で再検査をするように」と言われる。紹介状を書いてもらい、すぐに総合病院を受診し、CTを撮ったところ、腎臓がんと診断された。

幸いまだ11mmほどの大きさで、医師からは「急がなくても大丈夫」と言われたが、不安でたまらなかった花田さんは、「いや、急いでください!」と頼み込み、最短である11月に手術を決めた。

11月、夫の手術は無事終わり、その後、半年ごとに経過観察受診することに。

その同じ月、かねて「息苦しい」と訴えていた母親は、かかりつけ医の診察日に相談すると、そのまま検査入院に。念入りに検査したところ、心不全を起こしていたことがわかり、7日後に退院できたものの、ひどいせん妄症状が出始める。

母親にせん妄症状が出るとき、ろれつが回っていない気がした花田さんは、脳神経外科でMRIを撮ってもらったが、脳梗塞ではなかった。脳神経外科の医師に、「認知症でせん妄が出ますか?」と花田さんが訊ねると、「せん妄のある人が全部認知症というわけではありません」と言われた。

「突然母は、高知にいる母の従弟の家にいると思い込んでいて、『家賃を払わないといけない!』と言い始めたり、タンスの向こうに舞台があって、そこで私の長女の『舞台を観るのか?』と訊ねてきたり、壁や天井に蛇がいる、猫がいる、犬がいると言って騒いだり、ひどいときには、家の中に数人の男性がいて、私がその男性たちの性欲処理をしていると思い込んでいて、『恥ずかしい娘!』とののしられたりするようになりました」

フォーク状の舌を出している、猛毒をもつ蛇
写真=iStock.com/Byronsdad
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Byronsdad

2021年1月7日、義父が入院している病院から、「消耗品を持ってきてください」という連絡があり、コロナ禍で面会ができないため、花田さんが義父の様子を訊ねると、「お変わりありません」と回答。

しかし翌8日、「血圧と意識レベルが下がっています」との連絡を受け、特別に面会が許されることに。すぐに義母を連れて面会に行くと、「いつ急変するかわからないので、24時間連絡が付くようにしておいてください」と言われる。

さらに9日、今度は「心拍が弱まっています」との連絡があり、花田さんは夫に連絡。連絡を受けた夫は義母とともに面会に行き、いったん落ち着いたとのことで帰宅。ほっとしたのもつかの間、「すぐに来てください!」と再度連絡があり、夫と義母が病院へ駆けつけると、そのまま義父を看取った。91歳だった。

■2人の母親介護

以降、花田さんは、義母と実母の在宅介護に明け暮れている。

短期記憶障害の義母(85歳)は、新しいことを少しも記憶することができない。紙に書いても読まず、大切なものをどこかに片づけてしまい、片付けた場所を忘れてまた訊ねてくる。今一緒に暮らしている家族は、結婚前の自分の両親や兄弟姉妹だと思い込み、亡くなった義父や自分の子どもたちの存在を忘れるときが増えた。かろうじて花田さんのことは、「息子の嫁」とわかっているようだが、肝心の息子が誰だかわからなくなっている。そしてそんな義母にイライラをぶつける夫を目の当たりにするのもつらい。

せん妄症状がひどい母親(87歳)は、毎日のように花田さんを責め、ののしり、理解不可能なことを言ってくる。花田さんが「違う」と言っても、憎しみを孕んだ目で「信用できない」と一蹴。いつからか、気づけば母親は一人では歩けなくなり、移動は家では手引き歩行、外では車いすとなっていた。

「自分の中では、最優先で母を看ているつもりなのに、それがわかってもらえず、母のことを嫌いになりそうでつらいです。また、旅行や外出が大好きな夫を、介護のために我慢させてしまっている気がして、申し訳ない気持ちになります。今が一番精神的に苦しいです。『もういい! 誰一人私に協力してくれない! 消えたい!』と思い、何もかもが嫌になってしまう時があります」

杖をつき歩道を歩く男性の長い影
写真=iStock.com/Oleg Elkov
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Oleg Elkov

今年8月、母親は心不全の悪化とNK細胞慢性リンパ球増殖異常症、下顎骨髄炎などを発症し、治療のため入院。母親が入院し、少しは楽になるかと思った花田さんだったが、母親は入院した病院から深夜でも早朝でもお構いなしに電話をしてくるようになり、花田さんは寝不足に悩まされた。

さらに同じ月、母親は入院先の病院で転倒し、外傷性クモ膜下出血発症。知らせを聞いて駆けつけた花田さんだったが、命に別状はなかったのが幸いだった。

「母は、結婚後も、義父母や義姉に関する悩みを抱える私の一番の相談相手でした。いつも私の愚痴を聞いて、ストレスを軽くしてくれました。私は母がいなくなってしまうかと思うと、目の前が真っ暗になります。ずっと『娘に迷惑をかけたくない』と言って、同居を拒否してきた母。良妻賢母という言葉がぴったりの人でした。一方、義母は、自分最優先のお嬢様で、気に入らないことがあるとすぐ怒っていました。そういうところは義姉とよく似ています。でも今は、私が一番の頼りのようで、私に気を使って、とても素直なかわいいおばあさんになっています。が、夫には昔の義母が顔を出します」

介護がつらいとき、花田さんの救いになるのは、夫と、離れたところにいる2人の娘と、ケアマネジャーだった。

夫は育児に関しては協力的だったが、介護に関しては、自発的に手を出すことはなかった。義父の介護はよく手伝ってくれたが、義母は夫が相手だとすぐに激昂するので、義母にはあまり近づきたくないようだ。だが、花田さんが苦しいとき、一番側で受け止めて支えてくれたのは夫だった。

東京にいる長女と結婚して家を出た次女とは、LINEグループでつながり、花田さんが悩みや愚痴を書き込むと、励ましたり、勇気づけたりしてくれる。ケアマネジャーは、月1の面談の度に花田さんの言動を肯定してくれ、花田さんは肩の力を抜くことができた。

花田さんの7歳上の兄は、家族を九州に残し、東京で単身赴任をしている。母親が僧帽弁閉鎖不全症になって以降は、よほど忙しいとき以外は毎日母親に電話をした。花田さんと母親が同居してからは、花田さんが兄にLINEを送るようになっている。

「兄との仲はいい方だと思います。忙しい人なので、年に1〜2回しか会えませんが、母の介護について相談すると、『僕がとやかく言える立場ではない。任せっきりで申し訳ない』と言ってくれています」

■問題大ありの義姉をどうするべきか?

問題は、義姉だ。

「私は、義姉に対する意地があるので、義母が私のことがわかる間は、施設への入所は考えないつもりです。でも、本来介護で最優先すべきは介護者自身。身内の誰かが、かわいそうだとか、ひどいことをするとか、とやかく口を出してきたとしても、介護者が楽になるために被介護者を施設に預けることは、悪いことではないと思います」

「義両親より、母のほうが大事だと思っていることに罪悪感がある」「介護のせいで夫と出かけられず、夫に申し訳なく思う」と話す花田さんだが、全く罪悪感を抱くことはないし、申し訳なく思うこともない。

嫁というだけで、自動的に「夫の両親を介護しなくてはならない」という考え方や状況は、令和に入って3年にもなる昨今、そろそろ消滅させるべきだ。

誤解を恐れず言うならば、どこにも、「介護しなくてはならない人なんていない」。大切な家族が要介護状態になったら、介護をしたい人はすればいい。しかし、介護をしたくない、介護ができないという人は、いつでも安心して介護を手放せる。そんな社会を望む。無理な介護は、マイナスしか生まない。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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