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「和食にもたっぷり」日本人がいつの間にかアメリカに押しつけられた"デブ穀物"の正体

プレジデントオンライン / 2021年10月17日 12時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuppa_rock

第二次世界大戦後、日本はアメリカから多くの食物を輸入してきた。京都橘大学の平賀緑准教授は「特にトウモロコシは日本人の食生活に深く入り込んでいる。そこには、食糧援助だけでなく、日本人の胃袋をもっと消費する形に変える、という目的があった」という——。

※本稿は、平賀緑『食べものから学ぶ世界史』(岩波ジュニア新書)の一部を再編集したものです。

■大量生産+大量消費による経済成長

第二次世界大戦後、多くの先進資本主義諸国はケインズ主義的な経済政策を採用し、政府が経済に介入しながら、米国を筆頭に先進諸国は「資本主義の黄金時代」を迎え、右肩上がりの経済成長を実現しました。1945年に敗戦した日本は、その10年後、1955年から「高度経済成長期」に突入します。

市場の自由に任せきりでは上手くいかないことを世界恐慌から学び、「大きな政府」が積極的に経済に介入し、農業や国内産業を護り、生産や貿易などにおいて保護や規制を設定しつつ、労働者も保護し、財政や金融政策によって景気の波を調整しました。

景気を安定させ、完全雇用を目指し、労働組合など労働条件も整え、所得を平等化するなど、資本主義経済でありながら福祉国家的な要素も含んだ混合経済の時代でした。また、鉄道や郵便など重要な産業分野は、日本でいえば日本国有鉄道(国鉄)、日本電信電話公社、日本郵政公社など、公的な企業体が率いていました(現在では民営化されて、それぞれ、JR、NTT、日本郵政グループになっています)。

ある程度まじめに働けばまともに暮らせる賃金を得て、工業部門が生産したいろんな新製品を購入することができて、その消費がさらなる経済成長を支える、そんな大量生産+大量消費によって、経済成長した時代でした。

■海外市場を拡大し、消費を増やす

この時代、農業・食料部門でも、大量生産と大量消費が押し進められました。農業は工業化・大規模化され、農薬や化学肥料、農業機械を使った大量生産になりました。

かつては、農民が自ら種を採り、人力や畜力で耕し、有機的な肥料などを循環させることによって土を育てるなど、農業とは自立的な営みでした。それがこの頃には、工業部門が石油などから製造した農薬や化学肥料などの農業資材を農家が購入して、大規模に生産した商品作物を食品製造業など他の工業部門の原材料として出荷するようになりました。

つまり、農業も資本主義経済へ取り込まれたといえます(専門的には資本による農業の包摂といわれています)。政府も、戦時中の飢餓の記憶から農業生産を支援したり、多額の補助金をつぎ込んで自国の農業の大量生産体制を推進したりしました。

資本主義の常として、食料も「商品」として大量生産したら、大量に販売するため市場を確保する必要があります。でも、食料の販売量(=消費量)を増やそうとしても、人間の胃袋には限界があります。そこで、ひとつには海外まで農産物の市場を拡大すること、もうひとつには新商品を開発してもっとたくさん消費してもらうことが図られました。

■アメリカは「食糧援助」で日本を仲間に引き込んだ

第二次世界大戦後、米国政府は必要以上に生産した小麦や大豆を「食料援助」も利用して日本や途上国に輸出増加しました。まずは戦後の飢餓時代に飢える子どもたちを「援助」するという意味もありましたが、しだいに、米国農産物の海外市場を開拓すること、そして冷戦が激しくなると、途上国を仲間に引き込むという戦略的な意味も持つようになりました(第二次世界大戦後、世界は米国を中心とする西側陣営と、旧ソ連を中心とする東側陣営とに二分された「冷戦」が半世紀ほど続いていたのです)。

敗戦後、米国の支配下に入った日本にも、米国産の小麦や大豆が流入しました。戦後直後には、パンと脱脂粉乳を中心とした学校給食によってパン食を広める動きもありました。やがて日本が復興するにつれて、穀物・油脂・砂糖・動物性食品(肉や乳製品)を多用する食品産業が発展し、日本でも多くは米国ら輸入した穀物・油糧種子を原料とする食品の消費が増加されました。

パン
写真=iStock.com/kuppa_rock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuppa_rock

■トウモロコシが原料の「高果糖コーンシロップ」の利便性

海外に市場を拡大する努力と共に、今までなかった新しい食べ方や新商品の開発によって、国内外の食料市場において、より大量に食べさせる(食品を買わせる)懸命な努力もなされました。そのために、政府と企業がどれほど努力して人々の食生活を変えてきたか、『デブの帝国』というちょっとビックリする題名の本を参考にみてみます。

一例に、戦後米国の農業政策などによって、大量生産されるようになったトウモロコシを原料に、新しい甘味料が大量生産されるようになりました。じつはある日本の食品科学者が1971年に発見した技術ですが、とくにトウモロコシ大生産国の米国で、この甘味料を効率よく生産する方法が工業化され広まりました。

日本では、「異性化糖」や「ブドウ糖」と呼ばれることも多い、高果糖コーンシロップ(HFCS:high-fructose corn syrup)です。これがインスタント食品など加工食品の発展につながりました。

この糖分は、砂糖より安い甘味料ということに加えて、食品製造業者にとって何かと都合の良いものだったのです。冷凍食品に使うと冷凍焼けを防ぐことができる、長期間陳列される食品には味を新鮮なままに保つことができる、パンや菓子がいつまでも焼き上がり状態に見えるという嬉しい特徴も兼ね備えていました。安くて液状の糖分であるため、ソフトドリンクにとっても好都合でした。この新しい甘味料は、1970年代後半から広く使われるようになり、私たちの身体に入り込んできました。

手元にあるペットボトルの表示をみてみてください。「果糖ブドウ糖液糖」などと記載あれば、トウモロコシから作られたHFCSの可能性大です。

■和食に見える食事にもトウモロコシは大量に入り込んでいる

トウモロコシは、現代の畜産業において、家畜の飼料(エサ)として大量に使われています。かつては庭先で虫や草の種子を自分で探して食べていた鶏(「ニワのトリ」)も、裏庭に数頭つないで畑や台所の残り物を与えて肉を得ていた豚も、本来は草を食べて4つの胃で消化する身体を作っていた牛も、「動物工場」ともいえる建物の中に閉じ込めると、外からエサとして穀物を投入する必要がでてきます。

このような穀物のエサを家畜に与えて肉に加工するような畜産業を「加工型畜産」とも呼ぶ人もいます。動物たちのふん尿も、かつては土に戻して作物を育てる地力維持に役立っていたのに、動物を閉じ込めることで大量に排出されるふん尿は環境破壊要素となってしまいました。

結果、トウモロコシは加工食品や動物性食品に姿を変えて間接的に大量消費されるようになり、現在の米国人は「歩くトウモロコシ」ともいわれるほどになりました。その名も『キングコーン』(アーロン・ウルフ監督、2007年)という映画を見ると、いかにトウモロコシが産業用に大量生産され、ありとあらゆる食品に入り込んでいるか、わかるでしょう。

ちなみに、最近までこのトウモロコシを世界一大量に輸入していた国は日本でした。そんなに毎日トウモロコシ食べてないけれど? と思う人が多いと思います。

出典=NHKいのちドラマチック「シリーズ主食(1)トウモロコシ 驚異の繁栄」2010年より作成 イラスト=川野郁代
出典=NHKいのちドラマチック「シリーズ主食(1)トウモロコシ 驚異の繁栄」2010年より作成 イラスト=川野郁代

焼きトウモロコシや粒が見える形でトウモロコシを食べることは少なくても、より多くのトウモロコシが肉や油、スターチや甘味料、その他の食品添加物として私たちの食生活に入り込んでいるのです。実は、日本人も調べてみたら身体の炭素の4割がトウモロコシ由来だったという実験結果もあります。

一見、和食に見えるメニューにどれだけトウモロコシが入り込んでいるか、わかるでしょう。私たちも、多くは米国産の「歩くトウモロコシ」なのかもしれません。

■安くて高カロリー食品だらけの時代の到来

同じく米国で大量生産した大豆は、味噌や醤油を作るより、納豆を作るより、ずっと多い量の大豆が油と粕を生産する原料として使われています。大豆も食用油やいろんな添加物として多種多様な加工食品に入り込み、大豆粕は家畜のエサとして肉の大量生産に使われるようになりました。

平賀緑『食べものから学ぶ世界史』(岩波ジュニア新書)
平賀緑『食べものから学ぶ世界史』(岩波ジュニア新書)

さらに、大豆粕とトウモロコシの価格低下により、それらをエサとして肉や乳製品など動物性食品を安く大量に生産できるようになりました。かつて肉は、欧米でもときどき食べる程度の貴重な食べものだったのに、それがより安価に頻繁に食べられるようになり、ハンバーガーなどファストフードを含む外食産業の発展も支えていったのです。

戦前から戦後にかけての農業政策に支えられ、小麦、大豆、トウモロコシが大量生産され、それらを原料に食品製造業や加工型畜産が発展して、加工食品や動物性食品が大量生産されるようになりました。

加えて、それらを大量に流通するスーパーマーケットやコンビニという新しい形の小売業や、ファストフード店など外食産業があわせて発展しました。

『デブの帝国』いわく、「スーパーマーケットに並ぶ高カロリーのインスタント食品が、それまで以上に手の届きやすい値段になっていった。ますます余剰量が増えていく米国産トウモロコシからつくられる高果糖コーンシロップのおかげで、冷凍食品製造のコストは下がり、次々に商品がつくられた。TVディナーや、マカロニチーズの冷凍品はじつに安くなった。ファストフードの店では、客に出す一人前の量が多くなった。フライドポテトはぐっと味がよくなり、安くなった」(p.31)。

つまり、大量生産・大量加工・大量流通・大量消費の構造が形成され、「安くて、豊富で、おいしい高カロリー食品がいっぱいの時代が到来した」(p.31)わけです。

こうして、「肥満は国民的な病気」(p.6)と宣言されるまでの「デブの帝国」が出来上がっていきました。この過程で利潤を得たのは、農民や消費者だったでしょうか? むしろ、穀物商社や食品製造業、小売業、外食産業など、資本主義的食料システムを構成する産業群だったと思いませんか?

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平賀 緑(ひらが・みどり)
京都橘大学准教授
1994年に国際基督教大学卒業後、新聞社、金融機関などに勤めながら「ジャーニー・トゥ・フォーエバー」共同代表として、食・環境・開発問題に取り組む市民活動を企画運営した。植物油を中心に食料システムを政治経済学的アプローチから研究している。著書に『植物油の政治経済学』(昭和堂)。

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(京都橘大学准教授 平賀 緑)

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