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「田舎の有権者を甘く見るな」稀代の政治家・田中角栄が若手に欠かさず調べさせたこと

プレジデントオンライン / 2021年10月20日 10時15分

1972年7月5日、第27回自民党臨時大会で新総裁に選出され、あいさつする田中角栄氏(東京・千代田区の日比谷公会堂) - 写真=時事通信フォト

昭和の政治家・田中角栄元首相は、今でも根強い人気がある。なぜ彼は人の心を惹きつけるのか。セブン‐イレブン限定書籍『田中角栄処世訓 人と向き合う極意』(プレジデント社)の一部を特別公開する。今回は「スピーチ」について――。(第2回)

※本稿は、小林吉弥『田中角栄処世訓 人と向き合う極意』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■人の心をつかむ“角栄流”スピーチの極意

交渉事のやりとりや
スピーチに、
多くの数字と
歴史にまつわる
話を入れろ。
説得力が増す。

雄弁家とかスピーチ上手と言われる人の話の多くは知識満載なのが通例だが、帰り道に「さて今日の話はなんだっけ」と、結局はあとに何も残っていないことが少なくない。交渉事のやりとりも同様である。

田中角栄は演説やスピーチに、多くの数字と歴史にまつわる話を入れていたのが特徴的だった。同時に、人の情に訴えかけたり、夢を語ったりということも加わった。さらに、絶妙な間を取りながら、比喩や例え話なども織り交ぜ、笑いを誘いつつ、結びはビシッと締めたのである。

すると、例えば演説を聞き終えた聴衆はその帰り道、本題の内容は忘れても、小さな話のなかに妙に心に引っかかるものが残ったりする。ちょっとした夫婦の物語だったりで、聞き手としては「今日はいい話を聞いたな」と思わせるのである。

田中は「私の演説、スピーチは田舎のジイサンやバアサン、学生、会社の経営者など誰が聞いても分かるようにできている」と自信に満ちて口にし、それもまた「スピーチの極意のひとつ」としていた。

稚拙でもいいから、
自分の言葉で話せ。
自分自身が
汗と涙で体得したことを、
自分なりの言葉で話せば、
相手の心に響く。

一方で田中は、「自分の言葉で話せ。借りものは必ず人が見抜く。世間は甘くない」と言っていた。スピーチと同様、本、テレビ、人から聞きかじった話などから拾ってきた知識では、人の心は打たないということである。

世の中には、その程度のことは百も承知という人は山ほどいるから、借りものはすぐに見破られる。稚拙でもいいから、自分自身が汗と涙で体得したことを自分なりの言葉で話せば、より説得力が増し、相手にも響くということである。

もっとも、一般的には自分の言葉だけで話をするというのは容易なことではない。田中は15歳で上京し、苦労に苦労を重ねて這い上がっていくなかで、人の心の移ろい、綾といったものを身に付けていった。聞いている人が胸を打たれるのは、そのあたりから来ている。

■まず結論、理由は3つに

長話はやめろ。
考え抜いて、
結論から言え。

「話をしたいなら、まず結論を言え。理由は、三つに限定しろ。世の中、三つほどの理由をあげれば、大方の説明はつく」

田中角榮内閣総理大臣(第64代)
田中角榮内閣総理大臣(第64代)(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

田中角栄は、日頃、接する若手議員や自らの秘書たちに、よくこう言い置いた。

田中は元々、せっかち、合理主義的な性分であった。また、常に多忙であり、頭の回転が早く、一を言えば十、いや二十くらいは悟ってしまう人物でもある。ダラダラした話など、とても聞いているヒマはないということである。

そのために、議員も秘書も、そうした“鉄則”を守らなければならなかった。そうしたやりとりのあと、直ちに返ってくるのが田中の代名詞とも言うべき「分かった」の一言だったということになる。

こうした「角栄派」は、手紙、電話においても同様で、例えば手紙の内容も極めて率直、簡潔、事務的である。拝啓、謹啓、敬具などは一切なし、が特徴である。

一、お申し越しの件、調査の結果、解決策は次の三案しかありません。
一、この三案の利害損得は、左の通りとなります。いずれを選ぶかは、貴殿のご自由であります。
一、何月何日までに、本件に関してのご返答をわずらわせたい。

■ラブレターも率直、簡潔、事務的……

若い頃のラブレターの“中身”も、また同じであった。「何月何日何時。どこそこにて待ち合わせ。何時までは会える」と、じつにソッ気ないのである。

田中いわく、「愛してるだの、夜眠れないだのは、会ったときに言えばいいじゃないか」と、なんとも“合理的”このうえなかったのである。「我惟おもう、故に我在り」で知られるフランスの哲学者にして数学者だったデカルトも、「よく考え抜かれたことは、極めて明晰な表理をとる」と言っている。

田中における、意余ってということは、デカルト流に言えばよく考え抜かれているということになる。説明はするが、なかなか結論が見えてこないビジネスマンなども少なくない。要領を得ない話をして、交渉事がうまくいくはずはない。森羅万象、物事のポイントは、枝葉を取れば意外と簡明にできていることを知りたい。

長話は、誰もが嫌うことを知っておきたいということでもある。

■人の心をつかむ切り札は“フルネーム”

相手のフルネームを
頭に叩き込め。
親近感、信頼感が生まれる。

田中角栄は官僚の経歴などを頭に入れておき、それを存分に“利用”、これを有力な武器として官僚を掌握したものだった。

しかし、そのうえで田中が“切り札”にしていた手法は、相手の名前をフルネームで覚えていたことだった。

人間は不思議なもので、姓だけで呼ばれるより、フルネームで呼ばれることで、妙な親近感、信頼感を覚えるものである。

大正時代にわが国10人目の総理大臣となった「平民宰相」の原敬は、自分を支持する県市町村議会の議員の名前を、すべてフルネームで暗記していた。自分の選挙の手足となる彼らと向き合うときは、相手をまずフルネームで呼びかけ、親近感をより盛り上げたというエピソードもある。

一方、田中もこの“手”をよく使った。記憶力が抜群の田中は、10年近く会っていない選挙区のバアサンに会っても、たちどころに例えば「新田トラ」さんなどと呼びかけ、相手を感慨させてしまうことが多々あった。「新田トラ」さんは、あの田中が自分の名前を10年近く経っても覚えていてくれたと感激、選挙にでもなれば隣近所から選挙区内の知り合いまで、「田中先生に是非1票」と頼んで歩くことになるのである。こうしたことがあるから、田中の選挙区は強力地盤になったということだった。

■「そんなことは分かっている。下のほうの名前だ」

さて、フルネームについてだが、先の原敬より、じつは田中が一枚上手であった。フルネームと言われても、物忘れをすることもある。ノドまでは出かかっているが、名前が出てこない。ところが、田中はこんなやりとりのなかでフルネームを引き出したのである。

「やあ、しばらくだな。元気か。あんたの名前が出てこんのだ」「鈴木ですよ」「そんなことは分かっている。下のほうの名前だ」「一郎です」「そうだ。思い出した。鈴木一郎さんだった」

なんていうことはない。フルネームすべてを忘れてしまっていたのだが、下の名前だけを忘れたフリをして、フルネームを引き出してしまった凄いテクニックである。あとは、記憶力抜群の田中である。「鈴木一郎」とのこれまでの関係を思い出すことに、時間はかからない。

「たしか、息子さんが二人いたな。もう嫁ももらっただろう」などと一気に親近感を増幅させ、先の「新田トラ」さん同様、「鈴木一郎」さんもまた新たに田中支持への思いを強くするといった具合になっていった。

しばらくぶりの相手をフルネームで呼ぶことは、なかなかの効果があることを知っておきたいものだ。うまくいかなかった人間関係が、これで氷解する可能性がある。

■「歴史」重視……人を取り込むからめ手

相手の
「歴史」を
見てから
判断すべし。
小林吉弥『田中角栄処世訓 人と向き合う極意』(プレジデント社)
小林吉弥『田中角栄処世訓 人と向き合う極意』(プレジデント社)

田中角栄の対人関係を見ていると、頭から見くびった相手は別にして、常に全力投球で向き合っていたのが特徴的だった。この際の全力投球とは、相手のことを事前に調査し、徹底的に把握しておくことである。その手抜き一切なしの下調べは、経歴、生活状況など多岐に及んでいた。とくに、相手の来し方などの「歴史」を重視したものだった。

例えば、政界に入る前の事業家時代にも、商売相手のことは徹底的に事前調査していた。田中はこう言っていた。

「オヤジは酒飲みだが、長く商売をやってきている。息子はいささか甘いが性格はいい。誠実に商売をしているのが分かる。ここまで調べて、会ってみて間違いないとなったら商談に入る。これで、まず相手を見間違うことはない。ワシは、常にその人の「歴史」を見て判断することにしている」

地域に溶け込むためには、
諸々の歴史を
知ってから取り組め。

その「歴史」重視は、政界に入っても変わらなかった。若き日の自らの新潟での選挙を振り返って、田中派若手議員あるいは田中派からの候補者に、こう言い置いたことがある。

「いいか、例えば選挙区の神社の石段はなぜあるのか、未だどんな由緒に基づいているのかなど、正確に歴史を説明できないようで、なんで『郷土を愛している』などと口にできるんだ。有権者の眼力は凄いぞ。甘く見るな。選挙区の歴史を知らないような奴に、多くの支持が来るワケがない」と。

相手に自分の諸々の歴史を知られてしまったら、弱点を握られたに等しい。田中はこうした“からめ手”でも、人を取り込んでいったのだった。

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小林 吉弥(こばやし・きちや)
政治評論家
1941年、東京都に生まれる。早稲田大学第一商学部卒業。的確な政局・選挙情勢分析、歴代実力政治家を叩き合いにしたリーダーシップ論には定評がある。執筆、講演、テレビ出演などで活動する。著書には、『田中角栄 心をつかむ3分間スピーチ』(ビジネス社)、『田中角栄の経営術教科書』(主婦の友社)、『アホな総理、スゴい総理』(講談社+α文庫)、『宰相と怪妻・猛妻・女傑の戦後史』(だいわ文庫)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『新 田中角栄名語録』(プレジデント社)などがある。

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(政治評論家 小林 吉弥)

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