「28年間に中高生114人が死亡」日本の学校柔道で悲惨な事故がなくならない根本原因
プレジデントオンライン / 2021年10月27日 9時15分
※本稿は、土井香苗・杉山翔一・島沢優子編、セーフスポーツ・プロジェクト監修『スポーツの世界から暴力をなくす30の方法 もう暴言もパワハラもがまんしない!』(合同出版)の一部を再編集したものです。
■柔道部顧問に何度も投げられ、意識不明になった息子
ベッドの上で、息子の身体は明らかに硬直していました。中枢神経の障害によって四肢の筋肉が収縮したサインである「除脳硬直」でした。意識障害の評価方法であるグラスゴー・コーマ・スケールは5点。15点中8点以下は生存困難と言われています。命が潰える寸前でした。
私は、人はこんなにも簡単に死んでしまうのかと唖然として息子を見ていました。「絶対にあの世から引きずり戻すんだ」と強烈に思いました。
2004年12月。その日はクリスマスイブでした。横浜の市立中学校の3年生で柔道部員だった三男は、練習中に意識不明の重体に陥りました。柔道部の顧問Aに何度も投げられ、首への絞め技を2度も掛けられました。その結果、急性硬膜下血腫、びまん性軸索損傷、脳挫傷、頸椎損傷が発症し、側頭部や喉の骨も折れていました。緊急手術で奇跡的に助かりましたが、高次脳機能障害という重い障害が残りました。
■1カ月前、スポーツ推薦を断っていた
顧問Aは講道館杯全日本柔道体重別選手権大会で優勝した経験のある柔道家でした。その激しい暴力には、伏線がありました。
事件があった1カ月前、3つの高校からスポーツ推薦をもらった息子は「柔道で高校に行きたくない。自分が行きたい高校を受験したい」と言って、推薦入学を断りました。わが家は「自分が決めて進む。自分がしたいことをやる」という方針だったので、息子の意思を尊重しました。
息子は何か感じていたのでしょう。練習に出ずに逃げ回っていたようでしたが、顧問Aは下校時に校門で待ち伏せしていました。そして、練習と見せかけて息子に激しい暴力を振るったのです。
「死線を彷徨うような重傷を生徒に負わせたのだから、学校はきちんと調べてくれる」
そう私たちは信じていました。ところが、学校は私たち被害者家族に何も知らせないまま、1月4日に横浜市教育委員会に「事故報告書」を提出していました。報告書には「当該生徒の生命に別条はない」とありました。息子はまだ生死の境にあって、実際翌日5日に2回めとなる脳の大手術をしているのに。しかも、学校はこのような重大な学校事故は地元警察に通報する義務があるにもかかわらず、それさえもしていませんでした。
■「救急車が来たことを話すな」副校長のかん口令
私は、8人ほどの柔道部員の自宅を訪ねて回りました。部員の女子生徒にも尋ねました。顧問Aの暴行現場に居合わせたことを確認していたからです。
「何でもいいから、見たことを教えてちょうだい」
私が必死で頭を下げると、彼女はこう答えました。
「私は何も聞いていないから、わからない」
私は「見たことを教えて」とお願いしたのに、なぜ「聞いていない」と答えたのか。それは息子のうめき声や、けいれんしている時の叫び声を聞いたことを否定しているのではないか……。
そう感じました。あとで、副校長が「救急車が来たことを話すな」と子どもたちに話していたことがわかりました。強いかん口令が敷かれていたのです。
■「通学中に電信柱にでも頭をぶつけたのでは?」
その後、この事故による処分回避を希望する9000人以上の署名が集まり、教育委員会に提出されました。神奈川県のB道場などが発起人になり、全国の柔道指導者、道場の子どもの保護者や学生らに協力を要請したそうです。高校や大学、所属団体で先輩後輩の絆の強い柔道界で、全国覇者の顧問の存在は大きかったのでしょう。
私は、近所のスーパーで柔道部の保護者から「いつまでA先生を困らせるの?」と責められるようになりました。うつ状態になり、夕方買い物に行こうとしても玄関でドアが開けられなくなりました。
学校や教育委員会に対し「なぜこのような事故が起きたのか?」と質問し、教育や柔道の専門家に調査分析を依頼してほしいと懇願しましたが、教育委員会からは「調査の結果、けがの理由になるものは何も見つからなかった」との回答でした。教育主事からは「息子さんは学校に行く途中に電信柱にでも頭をぶつけたのではないか」とも言われました。関係する大人たちすべてが息子の事故に真摯(しんし)に向き合わず「あいにくの事故」という対応に終始しました。当時はSNSもなく、一度もメディアで報道されることはありませんでした。
■報道をきっかけに書類送検されるも嫌疑不十分で不起訴
ところが、事故から1年2カ月が経過した頃、思いがけない事態になりました。学校のだれかが息子が重傷を負ったことを、メディアにリークしたのです。
私たちもそこで初めて取材を受けました。記者の方は「傷害事件じゃないか」と口々に言っていました。あるテレビ局のディレクターは「小林さんからも警察に行ったほうがいい」と電話番号まで渡してくれました。その後、テレビ・新聞各社が息子の事件を一斉に報道。私たちが行かずとも警察の知るところとなり、捜査が始まったのです。
顧問Aは傷害容疑で書類送検されたものの、検察は嫌疑不十分で不起訴にしました。その後、検察審査会が不起訴不当とし、再捜査になったにもかかわらず、たった1週間でまたもや不起訴となり、そのまま捜査は終了しました。刑事責任が問われなかった理由は「柔道場で柔道着を着て柔道技を使えば、どこからが犯罪で、どこまでが柔道か、線引きは難しいので立件はできない」でした。
検察のこの「疑わしきは認めない」というとらえ方は、私たちが起こした民事裁判でも同様でした。顧問による日常的な暴力について、「可能性がある」としながらも「故意に暴行を加えたとまでは認められない」という判決内容でした。
■海外では死亡事故は起こっていない
2010年3月、私たちは「全国柔道事故被害者の会」を立ち上げ、6月には第1回シンポジウム「柔道事故と脳損傷」を都内で開催しました。当初、100人の部屋を予定していたのに、申込者が多く200人の部屋に変更したほどで、高い関心が寄せられました。
私は、そこで「海外で柔道の死亡事故はゼロである」という発表を行いました。スポーツ振興センターの記録が残る1983年度から2010年までの28年間に、日本では中学校・高校の学校内における柔道死亡事故で114人もの命が失われていました。私は「日本でこれだけ柔道による死亡事故が多いのだから、海外でも当然、柔道事故で子どもが亡くなっているに違いない。数はどのくらいだろう?」と考え、語学に堪能な友人らの協力を得て調べました。
2010年の調査ですが、フランス、ドイツ、イギリス、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、イタリアなど、すべての国で死者はゼロだったのです。海外の柔道強豪国の柔道連盟やスポーツ機関、病院などにメールを送って問い合わせました。中でもフランスは当時の柔道人口が60万人と日本の3倍以上でした。いまだに重篤な事故は起きていません。
■イギリス柔道連盟が定めた「3つの虐待」と対応方法
「ほかの国で死亡事故は起きていません。日本は異常なのです」と文科省の担当者に訴えましたが、当時は信じてもらえませんでした(その3年後、文科省が多額の調査費を投じて調査しゼロであることを確認したそうです)。
この調査で私が驚いたのは、イギリス柔道連盟が指導者らに提示しているガイドラインの内容でした。そこには「成長期の選手の身体能力の未熟さを軽視した過度の訓練、不適切な訓練、過度の競争の3つは“虐待(Abuse)”である」と記されていたのです。
加えて、それら3つの虐待を見聞きした人がどこに連絡し、どう対処、改善すればいいかという方法が詳細に記載されていました。私たちは全文和訳し、被害者の会のホームページに掲載しましたが、それを参考にして改善したという声は残念ながら聞いていません。
■柔道事故を取り巻く環境はやっと変わりつつある
被害者の会設立から10年。2年後の2012年から14年までの3年間は、それまで延々と続いた死亡事故がゼロになりましたが、再び発生し2021年4月現在、累計121人に増えています(なおこれは学校死亡事故件数であり、一般道場では2010年に小学1年生、2019年に小学5年生が死亡しています)。
しかしながら、日本の柔道事故を取り巻く環境は変わりつつあります。兵庫県宝塚市の市立中学校柔道部の男性顧問が2020年9月、1年生の男子2人を柔道技で骨折させたなどとして傷害罪に問われた事件は、翌年2月の判決公判(神戸地裁)で男性顧問に懲役2年、執行猶予3年(求刑懲役2年)が言い渡されました。
「柔道場で柔道着を着て柔道技を使った」行為が、暴行と認められたのです。しかも、同市教育委員会は顧問を懲戒免職にしています。
一方、16年前に私の息子に暴力を振るった顧問Aは、何の罰も受けず教壇に立ち続けました。悔しい現実です。しかし、私たちが声を上げたことで何かが変わったこともまたひとつの事実でしょう。
私は柔道を憎いとは一度たりとも思ったことはありません。私の息子が愛した柔道が、多くの人に安全に楽しんでもらえるよう祈り続けます。
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全国柔道事故被害者の会前事務局長
2004年に当時中学3年の三男が柔道部顧問からの暴力によって重い障害を負う。10年に「全国柔道事故被害者の会」を夫とともに設立。
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(全国柔道事故被害者の会前事務局長 小林 恵子)
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