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「地位も名声もいらない」ワクチンの女神カタリン・カリコ氏の揺るぎない姿勢

プレジデントオンライン / 2021年11月23日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MarianVejcik

新型コロナウイルスによる絶望的な状況に希望の光を照らしてくれたmRNAワクチン。その開発者であるカタリン・カリコ氏は、約40年にわたりmRNAの研究を続けてきた。驚異的なスピードでワクチンの開発に成功した軌跡をたどる――。

※本稿は、増田ユリヤ『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

■論文発表からようやく注目を集め始めたmRNA研究

2005年に論文を発表した頃から、カリコ氏の研究に日本人の村松浩美博士が加わった。村松氏は大学の隣の研究室に所属していて、脳虚血が起こす炎症反応の研究をしていたという。彼は動物実験を得意としていたが、研究に行き詰まりを感じていた。そこで、カリコ氏の誘いを受け、研究室の教授にも黙認してもらう形で共同研究に参加するようになった。

カタリン・カリコ氏
カタリン・カリコ氏(写真=YouTubeチャンネル 『池上彰と増田ユリヤのYouTube学園』より)

2012年には、シュードウリジンにさらに修飾を加えて改良し、タンパク質をさらに効果的に作ることにも成功した。現在のワクチンに使われているのはこの技術を使ったmRNAである(メチルシュードウリジン)。この年、日本の武田薬品工業から、肺気腫の治療を目的としたmRNA開発の資金提供を受けることになった。

翌2013年に来日したカリコ氏は、武田薬品工業を訪問しているが、彼女自身の研究に使えた資金はほんの一部でしかなかったそうだ。それでもカリコ氏は、研究を続けたい、そのための資金を出してくれるところなら、どこへでも行こうという気持ちだったという。

■新たな協力者の発現

同じ頃、カリコ氏の研究に着目した人がいた。それが、ドイツの製薬会社「ビオンテック」の創業者、ウグル・サヒン博士だ。ビオンテックは、2008年にサヒン氏と妻のオズレム・トゥレシ氏が創業したベンチャー企業。ふたりとも、トルコ系移民2世の医師である。

30年前に大学病院で出会ったふたりは、新たながん治療の開発を志していた。サヒン氏もまた、mRNAの研究を長年続けていたひとり。がんの治療で化学療法が効かなくなった患者に対して、何も提案ができないことをもどかしく思っていた。がんの場合、いわゆる「標準治療」がすでに確立されてはいたが、それだけではあっという間に患者に対してできることがなくなっていくことに気付いたという。そこで、2001年に最初の会社を設立して、正常な細胞を傷つけずにがん細胞だけを攻撃する抗がん剤の開発に当たった。いわゆる抗体療法である。

■ビオンテック設立の理由

なぜ、会社を設立したのか。

そこには学術界における「死の谷」の存在があった。「大学病院で研究を続けていた私たちが、がんの治療薬を作る研究成果をあげても、その成果を使って薬を作ってくれる企業がなければ、患者のいる病床に届けることができなかった。それが会社を立ち上げる動機となった」とサヒン氏はインタビューで語っている(2020年12月3日THE WALL STREET JOURNAL 日本版ウェブサイト)。

その後、がんの治療法の研究を、抗体療法からmRNAを用いる方法にも広げるために創業したのがビオンテックである。

ドイツのマインツに本拠を置くビオンテック社
写真=iStock.com/U. J. Alexander
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/U. J. Alexander

■ビオンテックでmRNAワクチンの実現化へ

2013年7月、カリコ氏の講演を聞きに来ていたサヒン氏は、カリコ氏に声をかけた。

「私たちが開発した、改良型mRNAがサヒン氏の会社で使えるのではないかと、興味をもってくれたのです。彼は、その場で私に仕事のオファーをしてくれました。私もOKと即答しました」(カリコ氏)

同年、ビオンテックのバイス・プレジデント(副社長)に就任したカリコ氏。ペンシルベニア大学で一緒に研究をしてきた村松氏とともに、ドイツへ渡り、ビオンテックで研究を続けることを決意する。

製薬ベンチャー企業のCEOの多くは、研究者ではなく単に経営者ということが多いが、ビオンテックCEOのサヒン氏は科学者。しかも、財務、セールス部門の責任者も含め、取締役は全員科学者だという。科学の視点に重きを置き、だからこそ、誰もやったことがない新しいことに次々と挑戦していくビオンテックの姿勢にカリコ氏も納得し、やりがいを感じてきた。これまでの大学での環境から考えると、雲泥の差だ。ここでカリコ氏は、サヒン氏はじめ仲間たちと一緒に、がん治療のワクチンや、ジカウイルス、インフルエンザウイルスのワクチン開発にすでに着手していた。mRNAの技術を使ったワクチンは壊れやすくて不安定だったが、脂質の膜で覆うことで不安定さを克服することにも成功した。

■新型コロナウイルスの世界的流行が起きて

カリコ氏は、2020年2月初旬、中国武漢で新型コロナウイルスの流行が始まったという知らせを、姉に会うために帰国していたハンガリーで聞いた。どんどん情報は入ってきたが最初は「遠い中国のことでしょう」くらいにしか思っていなかったそうだ。

しかし、ビオンテックCEOのサヒン氏は、それより前の2020年1月25日の段階である論文を読み、中国で発生した原因不明の病気が世界を巻き込むことを確信し、すぐに新型コロナワクチンの候補を10種類ほど考えて設計した。すでにビオンテックは、2018年からファイザーとの共同開発でmRNAを使ったインフルエンザワクチン開発に着手していて、臨床試験を始める段階だった。その積み重ねがあったので、新型コロナワクチンも、世界各地で臨床試験を展開し、製造や配送をするための準備に時間はかからなかった。2020年3月にはファイザーとの間に提携契約を結び、4月には臨床試験が始まった。このスピード感で11月には治験の結果が導き出され、サヒン氏からカリコ氏に報告の電話がかかってきた。

■実用化が確実となった瞬間

「11月8日、この日は日曜日でした。サヒン氏がアメリカに電話をしてきたのです。『部屋に誰かいるか?』と聞かれたので、夫がいると答えました。夫に話していいのかどうか、知られてもいいかどうかはその時点では判断がつきませんでしたが、電話の向こうからサヒン氏が『フェーズ3の結果は有効だ』と言ってきたのです。結局、夫にも『うまくいったわ』と話しましたが」(カリコ氏)

フェーズ3とは、新薬開発で多数の患者さんへの治験の段階をさす。第3相という言い方もするが、この3番目の段階で有効で安全と判断されれば、承認を経て実用化ということになる。

■記念すべきワクチン接種の日

翌12月、カリコ氏はワイズマン氏とともに、ペンシルベニア大学でワクチンを接種した。

普段は感情的にならないカリコ氏も、この時は感極まったそうだ。

「接種の準備が整うまでの間、ワイズマン氏とこれまでの研究を振り返って話をしました。目の前には、医療従事者や医師などが並んでいました。隣の部屋で、みな順番に接種をしていたのですが、私たちの接種が終わって外に出ると、『このワクチンの発明者が出てきたぞ』と脳神経外科のトップが言い、何人かが拍手をし始めたのです。そこで私もこれまでの様々な感情がこみあげてきて、涙ぐんでしまいました」

■科学者はロックミュージシャンと同じ

そんなカリコ氏だが、それでも彼女の生きる姿勢や考え方、価値観には揺るぎないものがある。

増田ユリヤ『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』(ポプラ新書)
増田ユリヤ『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』(ポプラ新書)

「真に称えられるべきは、新型コロナウイルスと最前線で向き合っている医療従事者や、こんな時でも仕事を休めないエッセンシャルワーカーと呼ばれる人たちです。私はただ研究や実験に没頭してきただけ。好きなことを続けてきただけなのです」

「ワクチン開発によって、自分がこれほどまでに注目されるようになるとは思ってもみませんでしたが、だからと言って、私の何が変わるわけでもない。パンデミックで自分が有名になることと、パンデミックが起こらずに自分が無名のままでいることと、どちらを選ぶかと聞かれたら、迷わず後者を選びます。私は、基礎科学の研究者。mRNAワクチンの技術が他の病気の予防や治療に役立つこと。それこそが、私が願っていることなのです」

「科学者は、生涯歌い続けるロックミュージシャンと同じ。私も命ある限り、研究を続けていきます」

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増田 ユリヤ(ますだ・ゆりや)
ジャーナリスト
神奈川県生まれ。國學院大學卒業。27年にわたり、高校で世界史・日本史・現代社会を教えながら、NHKラジオ・テレビのリポーターを務めた。日本テレビ「世界一受けたい授業」に歴史や地理の先生として出演のほか、現在コメンテーターとしてテレビ朝日系列「大下容子ワイド!スクランブル」などで活躍。日本と世界のさまざまな問題の現場を幅広く取材・執筆している。著書に『新しい「教育格差」』(講談社現代新書)、『教育立国フィンランド流 教師の育て方』(岩波書店)、『揺れる移民大国フランス』(ポプラ新書)など。

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(ジャーナリスト 増田 ユリヤ)

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