1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

残酷で絶望的な死をしっかりと描く…今、世界が「イカゲーム」にハマるのはなぜか

プレジデントオンライン / 2021年11月16日 15時15分

Netflixドラマ『イカゲーム』 - 画像=YOUNGKYU PARK/Netflixメディアセンターより

ネットフリックスの韓国ドラマ『イカゲーム』が全世界でヒットしている。なぜ人々の心をつかんだのか。ジャーナリストの松谷創一郎さんは「『イカゲーム』で行われているデスゲームが、現実の競争社会の劇画として受け入れられている可能性がある」という――。

■Netflixにとっては「満願成就」と言える作品

韓国ドラマ『イカゲーム』がNetflixで公開されて2カ月近くが経った。全世界で火がつき、同サービスで史上最大のヒットになったのはすでに多く報じられているとおりだ。

非英語作品がこれほどのグローバルヒットとなった例は過去にはない。それは、Netflixにとっては満願成就と言える結果だろう。なぜなら、Netflixが当初から目指していたのは、各国から発信されるコンテンツをインターネットで全世界の隅々に届けるグローバル展開の徹底だったからだ。

『イカゲーム』のなにが世界中の人々の心を掴んだのか──。

■一見、デスゲームとしては凡庸な設定

『イカゲーム』の主人公は、貧しい中年男性ソン・ギフン(イ・ジョンジェ)だ。ある日、彼は地下鉄で会った謎の男に誘われて、勝てば大金を得られるゲームに招かれる。

行き着いた先には、大金目当てに集まった456人がいた。彼らとともに挑む最初のゲームは「だるまさんがころんだ」。だが通常の子どもの遊びと違い、このゲームは負けた瞬間に射殺される。こうしてギフンは死のゲームに放り込まれる──。

『イカゲーム』にはふたつの大きなポイントがある。

ひとつは、生死をかけた争い=「デスゲーム」を描いた作品であることだ。

登場人物が生死をかけたゲームに放り込まれるデスゲームは、90年代後半以降に全世界で一般化したジャンルだ。その大きなきっかけはカナダ映画『CUBE』(1997年)と日本映画『バトル・ロワイアル』(2000年)のヒットだった。その後、日本のマンガとその影響を強く受けたハリウッド映画を中心にさまざまなバリエーションを生み出しながら拡大していった。日本は「デスゲームの本場」とも言える国だった。

『イカゲーム』もデスゲームの文脈上に位置する。主人公の立場は福本伸行のマンガ『カイジ』シリーズと似ており、登場するゲームも金城宗幸原作・藤村緋二作画『神さまの言うとおり』(2011年)と共通するシンプルなものであるように、実はこの設定自体に斬新な点はない。一見デスゲームとしては凡庸だ。

■従来のデスゲーム作品の魅力は「不謹慎さ」だった

だが、日本を中心とする従来のデスゲーム作品とは、決定的に異なった点があった。それは、デスゲームと(韓国)社会をしっかりと結びつけていたことだ。多くが映画化された日本のデスゲームマンガに見られなかったのはここだ。

たとえばそれは、同じくNetflixオリジナル作品として映像化された『今際の国のアリス』(2020年)と比較してもわかるだろう。この作品で、登場人物は本人が望んでないにもかかわらず、突然異空間に放り込まれてデスゲームに参加させられる。

それは奥浩哉原作の『GANTZ』やハリウッド映画の『エスケープ・ルーム』(2019年)などでも同様だ。デスゲーム作品の多くは、複雑なゲーム性の妙味やそうしたゲームに翻弄される登場人物の葛藤を描くに留まってきた。設定もSFや社会と隔絶されたホラーであるケースが目立ち、そこでは脱落者の死は軽んじられ、むしろその不謹慎さが最大の魅力とも呼べるものだった。

■ドメスティックな要素こそが価値を生じさせている

それらに対し、『イカゲーム』はきわめて実直にデスゲームを扱う。エリート証券マン、ヤクザ、外国人労働者等々──登場人物たちが抱える事情と大金を必要とする動機がしっかりと描かれる。従来のデスゲーム作品では覚えなかった登場人物への感情移入が強く生じるのはこのためだ。

なかでも特徴的なのは、韓国特有のキャラクターも登場することだ。脱北者であるカン・セビョク(チョン・ホヨン)は両親が脱北に失敗し、弟は養護施設に入っている。彼女にとって、ゲームで大金を手にすることは厳しい現実を脱するための切実な手段だ。韓国固有のドメスティックな設定がしっかりと取り入れられている。

これは映画『パラサイト 半地下の家族』同様に、グローバルに流通するコンテンツにおいてドメスティックな要素(ここでは分断国家)こそがむしろ価値を生じさせることを示唆している(逆に、ドメスティックな要素をドメスティックでのみ流通させると「ガラパゴス化」となる)。

脱北者のカン・セビョク
画像=YOUNGKYU PARK/Netflixメディアセンターより
脱北者であるカン・セビョク - 画像=YOUNGKYU PARK/Netflixメディアセンターより

■社会性とエンタテイメント性、両方の強度を持つ

デスゲームと(韓国)社会のしっかりとした接合──『イカゲーム』が大ヒットした最大の要因はやはりこの点にある。それは特段のひねりのある方法論ではなく、むしろ極めてベタなソリューションだ。しかし、それゆえに従来のデスゲーム作品になかった社会性の強度を持ち、一方で他の社会派作品には見られないエンタテインメント性(デスゲーム)の強度も持つことになった。

さらにグローバルに訴求した要因を探るならば、主人公を通して明確に格差社会を描いている点が挙げられるだろう。ギフンは、自動車メーカーをリストラされ、次に飲食店で失敗して多額の借金を抱えている。そして、作品の終盤ではこのゲームの黒幕が明らかとなって、より格差社会のコントラストが際立つことになる。

■格差社会化と激しい競争にさらされている韓国

歴史を振り返ると、韓国は1997~98年に国家財政が危機的状況に陥る。IMF(国際通貨基金)の救済を受けたのでIMF危機と呼ばれるが、これ以降、韓国は新自由主義への転換を余儀なくされる。現在はBTSなどK-POPの人気で活気に満ちた雰囲気がある韓国だが、それもこれも国家が破産しかけた過去から出発した結果だ。

2021年9月20日、国連本部で、登壇する韓国の男性音楽グループ「BTS」(アメリカ・ニューヨーク)
写真=AFP/時事通信フォト
2021年9月20日、国連本部で、登壇する韓国の男性音楽グループ「BTS」(アメリカ・ニューヨーク) - 写真=AFP/時事通信フォト

新自由主義経済への転換によって生じたのは、格差社会化とそれにともなう激しい競争だ。それらは『愛の不時着』や『梨泰院クラス』など韓国ドラマ・映画では必ずといっていいほど描かれる。それほどまでに、韓国では共有されて意識されている現実だ。

『イカゲーム』で描かれるデスゲームは、もちろん現実にはありえない。だが、それは韓国を生きるひとびとには厳しい競争のある現実のメタファーとして訴求している。

■「現実の競争世界の劇画」として感受されている可能性がある

そして、当然のことながら格差社会化は韓国だけの話ではない。

小さな政府と規制緩和を軸とした新自由主義化を主導したのは、80年代アメリカのレーガン政権とイギリスのサッチャー政権、そして日本の中曽根政権だが、それは現在にいたるまで国際経済の大きな流れを作ってきた。

だが、新自由主義による格差社会化は貧困など大きな問題を生じさせてもきた。近年、とくにそれは大きな問題として意識されており、先月発足した岸田内閣も再分配政策の見直しを含む「新しい資本主義」を掲げているのは記憶に新しい。

こうした状況は、近年エンタテインメントにも特徴的に反映してきた。たとえばイギリス映画の『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)と日本映画の『万引き家族』(2018年)はともにカンヌ映画祭で最高賞を受賞し、ハリウッド映画の『ジョーカー』(2019年)と韓国映画の『パラサイト 半地下の家族』(2019年)はアカデミー賞でオスカーを競った。これらはすべて格差や貧困を描いた作品だ。昨年オスカーを獲得した『ノマドランド』(2020年)も先進国の“遊牧民”をモチーフとしていた。

それらが、イギリス・日本・アメリカ・韓国の作品であることはけっして偶然ではない。そして、『イカゲーム』もこの文脈にある作品と捉えられる。そのデスゲームは、現実の競争社会の戯画として全世界的に感受されている可能性がある。

現実の競争社会の劇画として受け入れられているのではないか
画像=YOUNGKYU PARK/Netflixメディアセンターより
現実の競争社会の劇画として受け入れられているのではないか - 画像=YOUNGKYU PARK/Netflixメディアセンターより

■世界中が「現実社会への強烈なアイロニー」と共振している

格差社会・競争社会の背景には、それを肯定する「能力主義(メリトクラシー)」がある。「能力」は個々の努力だけで得ることができるわけではなく、そもそも生育環境に大きな影響を受けることは各種調査から明らかとなっている。

最近もマイケル・サンデルが指摘するように(『実力も運のうち』)、こうした能力主義(メリトクラシー)は自己責任論を生じさせやすい。「やればできる」というメッセージ(能力主義)には、「できなかったら自分のせい」という苛烈なメタメッセージ(自己責任論)が潜んでいる。

従来のデスゲーム作品の多くが等閑視してきたのは、この自己責任論だ。登場人物の多くはゲームに翻弄されるだけで、しかも軽い調子で描くことで死の重さを覆っていた。

だが『イカゲーム』は、参加者の死をしっかりと描く。悲痛で残酷で絶望的なその終わりを最後まで見せつける。それは、新自由主義社会の自己責任論をデスゲームのメタファーを使って最大化しているからだ。

無論のこと、これは現実社会への強烈なアイロニーだ。そして『イカゲーム』のグローバルヒットは、世界中が強いアイロニーと共振していることにほかならない。

----------

松谷 創一郎(まつたに・そういちろう)
ジャーナリスト
1974年、広島市出身。文化全般について商業誌から社会学論文まで幅広く執筆。現在、『Nらじ』(NHKラジオ第1)にレギュラー出演中。著書に『ギャルと不思議ちゃん論』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)、『文化社会学の視座』(2008年)等。

----------

(ジャーナリスト 松谷 創一郎)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください