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「日本の敗戦はインテリのデマだ」ブラジルに住む日本人の9割がそう信じて起きた悲劇

プレジデントオンライン / 2021年11月24日 10時15分

ブラジルの日系移民=1937年(写真=Unknown author/Wikimedia Commons)

「勝ち組」「負け組」という言葉にはもう一つの意味がある。終戦後、ブラジルの日本移民は、日本は戦争に勝ったとする「勝ち組」と、負けたとする「負け組」に分かれて、激しい抗争を繰り広げた。『灼熱』(新潮社)を出した作家の葉真中顕さんは「この抗争は殺し合いに発展し、23人が死亡した。フェイクニュースや陰謀論、デマの横行する現代だからこそ問うべき悲劇だ」という――。

■「日本は戦争に勝った!」というフェイクニュース

あの人は“勝ち組”だ──と言ったら、どんな人のことを思い浮かべるだろうか?

きっと何かしらの成功者、多くの場合は経済的な成功者のことをイメージするだろう。逆に何かしらがうまくいっていない人のことを“負け組”と呼んだりもする。

しかしこれは比較的最近定着した言葉の使い方だ。かつてこの“勝ち組”そして“負け組”という言葉が、現在とはまったく違った(そしてかなり物騒な)意味で使われていたことは意外と知られていない。

1945年の太平洋戦争終結時、「日本は戦争に勝った!」というフェイクニュースを信じてまった人々がいた。彼らを“勝ち組”、逆に敗戦を正しく認識した人々を“負け組”と呼ぶのだ。両者は激しく対立し、ついには殺人テロまで起き20人以上の死者が出る事態にまで発展した。そんなことあったの? と、驚く向きも少なくないだろうが、あったのだ。ただし日本ではなく、ブラジルで。

■日本に捨てられたブラジル移民

戦前の日本は近代化に伴う人口爆発への対策として国民の海外移住を推進しており、ブラジルにも20万人以上もの日本人が移民していた。そのほとんどは農業移民。当時のイエ制度では家督を継げなかった農家の次男坊や三男坊が、移民会社の「ブラジルなら自分の土地を持って稼げる」といった誘い文句を受けて移住を決意するというのが典型である。

海外興行株式会社による広告。「一家をあげて」とあるが、これはブラジル側が定住労働力確保を目的としていたため、基本的に、働き手が3人以上いる家族にしか移住の許可を与えていなかったことに関連している
海外興行株式会社による広告(写真=Unknown author/Wikimedia Commons)

言ってしまえば国家的な「口減らし」なのだが、当のブラジル日本移民たちは戦前の大日本帝国イデオロギーを強く内面化しており、自分たちはアジアの一等国からやってきたというプライドを抱いていた。移民とは言ってもブラジルに定住する気はなく、いずれ祖国に凱旋することを夢見る「出稼ぎ」としての移民だったのだ。

そんな日本移民の大半は、サンパウロ州の奥地で「殖民地」と呼ばれる農村を形成し、日本人だけで暮らしていた。そこでは日本語で日常生活が送れるので、日本移民の多くがブラジルの公用語であるポルトガル語をさほど覚えなかった。子弟にも日本語教育を施し、天長節(天皇誕生日)をはじめ日本の暦に合わせた行事を行っていた。日本移民の間だけで流通する邦字新聞も発行されるようになった。

政治学者ベネディクト・アンダーソンは祖国から離れた土地で祖国を想像しその一員としてのアイデンティティを強く抱く「遠隔地ナショナリズム」について論じているが、日本移民たちはブラジルに同化することなく、あくまで大日本帝国の臣民として生きようとしていたのだ。

■祖国の戦況を知る唯一の手段

ところが太平洋戦争が始まるとブラジルは連合国陣営に加わり、日本とブラジルの国交は断絶してしまう。戦争が始まる直前、邦字語新聞の発行も禁止され、ポルトガル語がわからない日本移民にとってブラジルは情報の隔絶地になってしまった。

その上、ブラジル当局は「敵性国人」となった日本移民に弾圧を加えた。多くの日本移民が資産を凍結され、日本人街には立ち退き命令が出され、家財道具一式を官憲に奪われるというようなことも頻繁に起きた。

そんな日本移民たちにとって祖国の戦況を知る唯一の手段が、日本から辛うじて届く短波ラジオ、日本放送協会(のちのNHK)の海外放送「ラジオ・トウキョウ」だった。この放送は日本軍を優勢とするいわゆる「大本営発表」を伝えていたが、多くの日本移民はこれを信じた。「今は弾圧を受けていても、いずれ戦勝国民として祖国に凱旋できる」という希望を抱いていたのだ。

その一方で、開戦後、一部の日本移民が生産する薄荷と生糸の価格が高騰すると「薄荷と生糸はアメリカで軍事物資になるから『敵性産業』だ」いう根拠不明の噂が流れた。これらの生産者が「国賊」と非難され、焼き討ちを受けるといった事件も起きた。根底にあるのは大きく儲けた者への嫉妬心と考えられるが、気にくわない同胞に「国賊」のレッテルを貼り攻撃するというナショナリズムの歪みは終戦前から顕れていたのだ。

■「玉音放送」を勝利宣言と誤解する人が続出

そのような状況で、1945年8月15日を迎えた。

日本時間の正午、ブラジルは日付が変わった真夜中、ラジオ・トウキョウがほぼリアルタイムで玉音放送を流した。その後もラジオ・トウキョウは敗戦の報を流す。しかし大半の日本移民は、これをそのまま受け止めることはできなかった。

文語調でわかりにくく、音もよくなかった玉音放送を「勝利宣言だ!」と真逆に解釈する者が続出したのだ。それはまさに日本移民が待ち望んでいたものでもあり、日本勝利のフェイクニュースは瞬く間に広まった。

1945年時点では、日本移民のおよそ9割が日本が勝ったと思い込む“勝ち組”となった。しかもただ日本が勝ったというだけではなく、「日本が新型兵器で米艦隊を殲滅した」「戦勝使節団が迎えに来てくれる」など、フェイクに様々な尾ひれがついていった。

ポルトガル語を理解し現地の報道に触れていたごく少数の人々だけが、日本の敗戦を認識する“負け組”となった。その多くは都市部のインテリや産業組合の幹部で、従来から日本移民のエスタブリッシュメントと目されていた者たちである。

1945年の後半になると、天皇陛下が直々に発した終戦の詔書や、東京湾上のミズーリ号で行われた降服調印式の写真をはじめ、日本の敗戦を示す証拠がブラジルにも入って来るようになる。すると“負け組”の人々はこれらを用いて“勝ち組”に敗戦を認めさせる「認識運動」という運動を展開した。

■反目する「勝ち組」と「負け組」

ところがこれは逆効果だった。一般大衆である“勝ち組”からすれば、指導者層であるはずの少数の“負け組”が敗戦を流布するのは、裏切りに思えたのだ。しかも“負け組”の中にはこちらが正しいとばかりに高圧的に敗戦という「事実」を“勝ち組”に押しつけようとする者も少なくなかった。

“勝ち組”は「やつらは祖国を貶める国賊だ」と“負け組”への反発を強めてゆく。敗戦の証拠とされた詔書や写真も「捏造だ」「陰謀だ」と信じようとしなかった。降服調印式の写真などは「アメリカが降服したのだ」と、玉音放送と同様に事実と真逆の解釈がされた。

やがて“勝ち組”の人々の間で、国賊である“負け組”に天誅を降すべきだといった空気が醸成されるようになる。

そして終戦の翌年、1946年3月、バストスという土地で現地の“負け組”の中心人物が暗殺される事件が起きてしまったのだ。これを皮切りにサンパウロ州の各地で“勝ち組”による“負け組”へのテロが続発する。“負け組”も自警団を組織したりブラジル当局へ通報するなどして対抗した。

■昭和天皇の写真を踏ませる強引な取り締まりも…

テロはおよそ10カ月も続き、定説としては23人が暗殺により命を落としたとされている。犠牲者の大半は“負け組”だが、“勝ち組”にも“負け組”の自警団に殺害された者や、騒乱の中で死傷した者がいた。

また“負け組”と協力関係にあったブラジル当局は、“勝ち組”に対し拷問を加え「日本は負けた」と言わせたり、踏み絵のように天皇陛下の写真を踏ませるなど強引な取り締まりを行った。暴力が連鎖するまさに「抗争」である。

テロの実行犯が次々逮捕されたのに加え、1946年の後半から日本との手紙のやりとりや邦字新聞の発行が解禁され、正しい情報が流通する経路が広くなったこともあり、1947年1月を最後に、(少なくとも暗殺のような)テロ事件は起きなくなる。ただし解禁された邦字新聞の中には“勝ち組”の立場のものもあり、“勝ち組”と“負け組”の対立は1950年代の半ば頃まで続いた。

こういった混乱の時期は、詐欺師が暗躍するのも世の常である。対立を利用した詐欺事件も多発した。騙されたのは主に“勝ち組”だ。「日本が勝ったから円の価値が上がる」とすでに紙クズになっていた旧円を売りつける「円売り詐欺」や、「大東亜共栄圏の土地を売ってやる」と架空の土地を売る詐欺、戦勝国となった日本に凱旋したいという気持ちにつけ込んだ帰国詐欺などが横行した。1950年代にはお忍びでやってきた皇族に成りすました男女が信奉者に貢がせる「偽宮事件」など奇妙な事件も起きている。

■“忘れられた悲劇”が現代に問いかけるもの

こうしてさまざまな混乱に見舞われたブラジルの日本移民社会だったが、1952年に日本とブラジルの国交が正常化し人と情報の行き来が活発になるとさすがに敗戦の事実は明らかとなり、かつて大勢を占めた“勝ち組”も徐々に“負け組”へと宗旨変えをしてゆく。

葉真中顕『灼熱』(新潮社)
葉真中顕『灼熱』(新潮社)

そして1954年の「サンパウロ市創立400年祭」を機に日本移民たちは団結へと踏み出した。このとき団結を疎外しかねないこの抗争のことはタブー化された。公の場で語られることはなくなり、邦字新聞も記事を載せなくなる。そのうちに世代交代が進み、抗争を知らない戦後の日本移民も多くブラジルにやってきて、やがて抗争の記憶はブラジル日本移民社会の中でも薄らいでいった。現在では日本にルーツを持つ日系ブラジル人の人々でも、このことを知っている人は少数となっている。

忘れられた悲劇というべきこの抗争を、過去のことと笑えるだろうか? そんなことはあるまい。現代では、ほとんどラジオしかなかった当時と違いSNSをはじめ様々な情報技術が発達している。しかしそんな現代でも、いや、そんな現代だからこそ、人は自分に都合のいい情報だけを選んで触れるようになった。「信じたいものを信じる」という人間の性質は何も変わっていない。フェイクニュースや陰謀論、コロナに関するデマが横行し、人々の分断が加速する現代だからこそ、問う意味があると思う。

この“ブラジル勝ち負け抗争”を題材にした新刊小説『灼熱』では取材と執筆に5年を費やし、本稿では書ききれなかった歴史的事実や人々の想いを盛り込んだ。読めば異郷の地で日本人同士がなぜ分断したのか、より詳しくわかってもらえることだろう。フェイクニュースやナショナリズムなど「今」読むべきテーマを備えつつ、誰もが楽しめるエンターテイメント小説になったと自負している。興味を持った方は是非手に取っていただければと思う。

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葉真中 顕(はまなか・あき)
作家
1976年東京都生まれ。2013年『ロスト・ケア』(光文社)で日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞し、作家デビュー。2019年『凍てつく太陽』(幻冬舎)で大藪春彦賞および日本推理作家協会賞を受賞。このほか『絶叫』『コクーン』『Blue』(いずれも光文社)、『そして、海の泡になる』(朝日新聞出版)などがある。

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(作家 葉真中 顕)

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