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漫然と「波」を乗り切っただけ…医師がコロナ急減を手放しで喜べない"これだけの理由"

プレジデントオンライン / 2021年12月8日 12時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/tore2527

新型コロナウイルスの国内感染者数が急減している。日本のコロナ対策は世界の中でも成功事例と呼べるのだろうか。ノンフィクションライターの石戸諭さんが取材した――。

※本稿は、石戸諭『東京ルポルタージュ 疫病とオリンピックの街で』(毎日新聞出版)の一部を再編集したものです。

■新型コロナウイルスのもう一つの現場

現実を動かそうとした、一人の医師の話である。

東京オリンピック期間中に新型コロナの新規感染者数が東京では5000人を超える日もあり、「過去最多」を更新し続けた。いつの間にか「災害」という言葉で語られるようになった。

オリンピックに携わった現場の医療従事者の力もあって、選手村で大量のクラスターが発生するという事態は避けられた。他方である有名医師はオリンピック開催に執着した菅義偉政権を声高にテレビで批判し、熱狂的な支持と賞賛を集めた。

だが、この医師が新型コロナの特効薬候補と言われながら、この時点でまったく効果が証明されていない薬を実際の診療で使うと宣言したことに集まった批判は注目されないままだった。

オリンピック開催中に病床は逼迫し、入院もできない患者が次々と現れるなか、危うい特効薬候補に飛びつくことなく、在宅医療というもう一つの現場で動き出した医療従事者がいた。

首都圏で最大規模の訪問医療を提供する「医療法人社団 悠翔会」の理事長・佐々木淳が、普段はまったく接点のない患者の診察が明確に増えてきたと感じたのは、2021年7月も後半に差し掛かった頃だった。

在宅医療の主要な患者は高齢者、それも継続的、計画的な医療が必要な高齢者である。悠翔会は首都圏に17拠点、沖縄に1拠点、医師は96人、そのうち常勤医は46人で、約6400人の在宅患者を抱える(この数字はいずれも2021年9月時点)。

佐々木たちは今では第1波と呼ばれるようになった2020年春の流行時も、訪問診療を積極的に続けてきた。患者の中には新型コロナ陽性者もいたが、避けることなく現場でノウハウを積み上げてきた。

■医師が見た東京の二つの顔

佐々木たちがオリンピック下の東京で直面していたのは、普段はまず診療しない30~40代の新型コロナ患者と接する日々だった。政府の方針は中等症は原則入院だったが、その定義に当てはまる患者でも入院ができないという事例ばかりだった。

彼には二つの東京が見えていた。東京の風景は一見すると、何事もなかったかのように平然としている。だが、彼らが往診で見たのはこんな現実だった。

東京渋谷クロッシング
写真=iStock.com/Mlenny
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Mlenny

中等症に該当する症状なのに医療機関にアクセスできず3日間苦しんでいた一人暮らしの患者、強い消化器症状が出ており、一週間近くまともに食事をとることもできないまま赤ちゃんに授乳を続けていた女性、家族全員が新型コロナに感染しているにもかかわらず、誰にも助けてもらうことができずに孤立している一家……。

マンションなどで人目が気になるという声をうけて、患者によっては家の玄関で感染防護のためのガウンや医療用のN95マスク、キャップ、足のカバーや二重グローブを着用する。本来ならレッドゾーンにあたる家の中ではなく、外で着替えることが医学的に推奨されるのだが、感染を知られたくないという要望を無視することはできなかった。

新型コロナ禍を「災害」だと政府も専門家も言っていたのに、現実は災害でも起きないような医療にアクセスできない人々が大量に残る状態になっていた。口だけで危機を強調しても、現実は動かない。

■ブラックジャックへの憧れ

1973年生まれの佐々木が医師を志した理由の一つに、手塚治虫の漫画「ブラックジャック」がある。専門分野にとらわれず人の命を救う姿勢に惹かれた。大学を卒業し、医師として病院勤務が始まる。

現実の医療は「専門」が常に求められる。特に高度な医療を提供する病院であればあるほど専門分化された医療があり、治療が必要な患者がやってくる。ところが病気によっては治療しても再発を繰り返し、最後は治療の限界を告げなければいけない。彼はこんなことを考えてしまう医師だった。これで患者は幸せなのだろうか。

一度、医療を別の視点から見ようと決めて、入社を希望した外資系コンサルティング会社から内定も得た。就職するまでの間、生活のためのアルバイトにと新宿区内の在宅医療クリニック「フジモト新宿クリニック」に非常勤医師として勤めることになった。ここでの経験が彼の人生を変えた。

そこに病気や障害を持っていても、楽しそうに暮らす人々がいた。ALSの女性患者は、「不便ではあるけど困ってはいない」と口にした。必要ならばサポートを頼むことができて、病気になって常に夫が側にいてくれることが幸せだと語り、2人で外食に出かけることもあった。目の前の患者を高度な医療で治すのではなく、支えるものという価値観を知った。

ある時点で治療という選択肢を取らないと決めても、人生は続く。大病院は現代医学の知見を取り入れ、技術的にも最高の医療を提供できる。しかし「最高の医療」が個人にとっての「最良の医療」とは限らない。彼は内定を蹴って、「自分が考える最良の医療を提供したい」とこの年の8月、在宅療養支援診療所「MRCビルクリニック」を開設するに至る。それから15年――。

■佐々木医師が備えてきたこと

私は、2021年2月に佐々木たちの活動を取材していた。当事、もっとも恐れられていたのは、高齢者施設でのクラスター発生だった。

千葉市の高齢者施設「生活クラブ風の村いなげ」の一角にある悠翔会の診療所を訪ねた。佐々木は隣接するサービス付き高齢者向け住宅まで訪問診療に向かい、私も同行した。フロアでは、入居する高齢者たちがスタッフとおしゃべりに興じていた。

認知症を抱えている女性は、佐々木や看護師の姿を見るとわざとマスクを外し、大袈裟に咳込むふりをしながら気を引こうとしていた。無論、彼女に悪気は一切ない。

患者の一人、80代の女性は慢性的な疾患を多く抱える。亡くなった夫の遺影が飾られている部屋で、酸素を吸入していた。数値は安定しているようだった。

「先生、また来てね。来てくれるのが楽しみだから」
「大丈夫、また来ますからね」

往診を終えて、診療所に戻るまでの短い道で「ここにウイルスが持ち込まれたら、どうなると思います?」と佐々木に聞かれた。

「率直に言って防ぎようがないと思いました。相当な数の患者が発生しますし、今はワクチンもこれからで、治療薬もありませんから、間違いなく重症化すると思います」
「そうなんです。だから、現実を前提にオペレーションを組み立てるしかないんです」

当時から佐々木が徹底していたのは、アウトブレイク(感染爆発)の予防だけではない。彼はそれが起きることを前提にして「保健所がすぐには来ない、救急車も搬送不可能という状態」でのオペレーションが必要だと考え、備えてきた。激務が続く保健所は、すぐには現場に駆け付けられないし、現状の医療体制では病院搬送も時間がかかることは目に見えているからだ。

普段からPCR検査態勢を整え、施設関係者に陽性者が一人出たら保健所の指示のもと24時間以内に施設内の高齢者、職員に検査を自前で行い、ゾーニングまで完結させる前提で動いてきた。

車椅子の介護者と高齢者の手
写真=iStock.com/kazuma seki
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazuma seki

■原則自宅療養という政府の新方針

感染した場合、入院するのか、あるいは在宅で診るのか。佐々木たちは丁寧なシミュレーションと共に在宅と入院、双方のメリット・デメリットの説明も積み重ねてきた。

在宅でのコロナ患者の治療は、高齢者であっても決して難しくはないというのが彼らの知見だった。高齢者の場合、なにより気をつけるべき飛沫を飛散させるということはない。呼吸が苦しくなったとしても在宅で酸素吸入も可能であり、呼吸苦が強い場合は通常の肺炎と同じように痛みを取り除く緩和治療にも取り組む。

訪問前に換気をしておいてもらい、マスク着用、必要ならば医療用ガウンなどを着用すれば十分に避けられる。佐々木たちの説明を聞き、在宅での治療という選択肢があることに驚き、それを希望する当事者は決して少なくなかったという。

2月の時点では高かった高齢者のリスクは、夏場を迎えるまでにぐっと低くなった。ワクチン接種が進んだからだ。医療従事者の接種もほぼ終わったため、高齢者施設で陽性者が出ても感染は広がらず、せいぜい一人か二人で、ワクチンの効果もあって重症化することも少なくなった。

これは朗報だったが、逆に増えてきたのが若年層の患者だ。デルタ株での感染が拡大するなか、政府は慌てて入院方針を変更して原則自宅療養という方針を打ち出したが、そもそも新型コロナ患者について訪問診療、看護のノウハウを持っている組織はそう多くはない。千葉県や東京都の医師会が注目したのが佐々木たちの活動だった。

フェイスマスク
写真=iStock.com/Shalom Rufeisen
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Shalom Rufeisen

■医師一人で、1日10人が限界

首都圏最大のグループといっても常勤の医師は限られており、彼らもまた患者の容態に応じて地域の往診を一時的に止めたり、本来なら往診するところを後回しにしたりして、若年層の新型コロナ患者の治療にあたってきた。

最終的には、医師、看護師、ドライバーの3人1組で在宅コロナ専門往診チームを常時3チーム編成し、東京23区の面積の85パーセント、人口約800万人をカバーしたという。それでも見えてきた課題はこうだ。

一人の医師が朝から晩まで自宅を訪問し、患者を診て回ってもせいぜい1日10人が限界である。次の日にも新たに10人を診察し、10日で100人の患者を診たとしよう。だが、積み上がった患者100人のフォローまで現実にはできない。

容態確認の電話を医師が担当し、一人につき5分かけたとしても相当な時間を取られる。容態が悪化したときの受け入れ先はどこの病院になるのか。受け入れを断られたときの対応をどうするのか。具体的なオペレーションが描けなければ、方針変更は絵に描いた餅となってしまう。

佐々木のように重症病床とは違った意味で、現場の最前線にいる医師は「なぜもっと効率的に運用できないのか」という場面に幾度となく遭遇してきた。病床が簡単に増やせないのなら、退院の基準を見直す、あるいは診察に関わる医師や看護師を増やすしか方法はない。

熱などの症状が出ても歩けるという患者ならば、通常の病気と同じように、最初に医師が診察して解熱剤を処方し「それでも良くならなければ、また来てくださいね」で済むケースも多々ある。だが、2021年の夏を過ぎても、発熱患者すらまともに診察しないという方針を掲げている医院は少なくない。

■掛け声だけで終わった「次の波」への備え

本来ならば、新型コロナ患者の在宅ケアで主軸を担うはずの訪問看護にしても課題が残っていると彼は考えていた。医師が早期から介入して、訪問看護師に指示書を出せば、在宅での酸素投与やステロイドの処方、抗菌薬や解熱剤や点滴の投与といったバリエーションで治療に取り組める。だが、ここでも佐々木たちのように関わろうとする医師はまだ少ない。

感染爆発が起きているときは、中等症患者を集める大規模施設を造った方が一軒一軒、自宅を訪問するよりも効率的なのに、すぐにそうした手が打たれない。注目された抗体カクテル療法にしても、この時点では訪問診療では使えなかった。もし、使うことができれば早期回復、効果的に命を救える医療は可能になっていた。

病床確保のためのお金はこの1年でかなりつぎ込まれた一方で、もう一つの最前線であったはずの訪問看護への手当は低いまま感染者は増加し、そもそも担い手の少ない訪問看護が「最後の砦」になった。

これでは現場は報われない。大多数の軽症患者、中等症患者の一部を地域で治療・ケアし、よりハイリスクな中等症患者、そして重症者の治療に大病院の医師が集中できるようにする方法はある。現場の負担軽減にもつながるはずだが、こうした動きが特に首都圏では鈍かった。

いつも漫然と「波」を乗り切って、喉元を過ぎて熱さを忘れたためだ。「次に備えよう」は、掛け声だけで終わった。

■現実的かつ報われる仕組みはまだない

佐々木は、神戸市で在宅での新型コロナ患者のケアにあたってきた訪問看護師に聞いた話を教えてくれた。患者が辛いのは肉体だけではない。電話をしてもつながらない、どこにも相談できず、救急車を呼んでもやって来ないという状況で自分は見捨てられていると思ってしまうこと。「不安」もまた辛いのだ、と。

石戸諭『東京ルポルタージュ 疫病とオリンピックの街で』(毎日新聞出版)
石戸諭『東京ルポルタージュ 疫病とオリンピックの街で』(毎日新聞出版)

血中酸素飽和度が90パーセントを切るというハイリスクな状況でも入院先が見つからず、救急車を呼んでも搬送先が見つからないという現実はすでにある。明日にはひっそり重症化する患者が出る。

「基本的にはウイルス感染症だから、医療システムに組み込んで患者に応じた治療やケアに取り組めばいいのです。東京でも、感染してしまい一人で苦しんでいる患者がいます。いきなり救急車を呼んでも、来られるかどうかも運次第、感染しても適切な治療を受けられるかも運次第という状況を医療とは呼べません。僕たちももっとノウハウを地域の医療機関や自治体と共有して、できることを広げていかないといけない」

メディアに大きな注目をされることもなく、水面下で最前線に立っている医療従事者に口先だけの感謝ではなく、現実的かつ報われる仕組みはまだない。

2021年8月、新規陽性者数がピークを迎えた時、佐々木は「在宅コロナ患者への往診への協力を求めるメッセージ」を公開した。そこにはこんな内容が記されていた。

■業務内容
新型コロナ患者の在宅療養支援
・電話診療・オンライン診療
・往診(ドライバー・看護師同行)
・コロナ療養施設(看護師常駐・中等症ベッド5~10床)の回診
・上記に基づく在宅酸素療法の導入・指導、薬剤処方(院内・院外)、点滴などの必要な医療処置、訪問看護指示等
保健所及びフォローアップセンターからの対応依頼を、医療法人社団悠翔会の「コロナ対応本部」にて一元的に受付、初診カルテを作成した状態で引き継ぎます。
安全な診療ができるよう必要十分な資材を確保しています。
お問合せ、ご応募はこちらからお願いします。

ほどなくして、呼応する医師があらわれた。希望はこのファクトに宿る。

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石戸 諭(いしど・さとる)
記者/ノンフィクションライター
1984年、東京都生まれ。立命館大学卒業後、毎日新聞社に入社。2016年、BuzzFeed Japanに移籍。2018年に独立し、フリーランスのノンフィクションライターとして雑誌・ウェブ媒体に寄稿。2020年、「ニューズウィーク日本版」の特集「百田尚樹現象」にて第26回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞した。2021年、「『自粛警察』の正体」(「文藝春秋」)で、第1回PEP ジャーナリズム大賞を受賞。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)、『ルポ 百田尚樹現象』(小学館)『ニュースの未来』(光文社)『視えない線を歩く』(講談社)がある。

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(記者/ノンフィクションライター 石戸 諭)

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