掛布雅之「阪神タイガースには読売ジャイアンツをライバルと呼ぶ資格はない」
プレジデントオンライン / 2021年12月27日 12時15分
※本稿は、掛布雅之『阪神・四番の条件』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。
■「巨人には伝統があるけれど、阪神には伝統がない」
野球自体もそうだが、チームの戦力というのは、時代によって刻々と変化する。1985年の日本一の野球を毎シーズンできるわけがない。野球自体やチームの戦力が変化していくなかで、どうやって勝つかが、阪神に限らず各チームの命題になるわけだ。
1979年、阪神に前年ドラフト1位指名された江川卓が、当時のコミッショナーの「強い要望」によって、巨人選手との交換トレードとなった。相手は巨人のエース・小林繁さんだ。
阪神のミーティングに初参加した小林さんは開口一番、こう言った。
「巨人には伝統があるけれど、阪神には伝統がない」
打者では藤村富美男さん、吉田義男さん、田淵幸一さん、藤田平さん、投手では小山正明さん、村山実さん、江夏豊さんらが築いてきた歴史をないがしろにされたようで、僕は内心、憤慨して誓った。
「絶対、この人だけには負けまい」
事実、このシーズンは自己最多48本で本塁打王を獲得している。
しかし、いみじくもあの言葉こそ阪神が強くなるヒントを言い当てていたのだ。
そして、巨人にいちばん負けたくないのは小林さん自身だった。
小林さんは1976年・77年と連続18勝を挙げ、長嶋・巨人の初優勝・2連覇の原動力となった。翌1978年も13勝。押しも押されもせぬ巨人のエースだった。しかし、簡単にトレードされてしまったのである。小林さんの胸中はいかばかりだったか。
1979年、「阪神・小林」はライバル巨人に8連勝を含む22勝。最多勝と沢村賞に輝いた。「巨人だけには絶対負けない」――サイドスローながら帽子を飛ばしての熱投には、サードを守っている僕から見て鬼気迫るものを感じた。
あの言葉は、「オレは頑張る。阪神ナインも新しい伝統を築いていけ!」と僕たちに発奮を促していたのだ。
■優勝に向かってがむしゃらになる巨人
僕はユニフォームを脱いでから、中畑清さん、同い年の江川卓、原辰徳監督に聞いたことがある。異口同音に語っていた。
「V9の伝統に恥じない野球をする。毎シーズン、常に優勝をめざすんだ」
V9を達成した1973年から、およそ50年の歳月が流れた。巨人は2016年から18年、広島にリーグ3連覇を許した。
優勝の十字架を背負う球界の盟主・巨人にしてみれば、4連覇を許したら昭和50年代の広島4度の優勝(1975年・79年・80年・84年)をも上回る屈辱だ。
2019年、3度目の指揮を任せられた原辰徳監督の強い決意を感じる言葉を、またしても耳にした。
「掛布さん、なりふりかまわず、広島の4連覇を阻止します。もう、巨人の伝統も何もないんです。格好なんかつけていられません」
シーズンに突入すると、いきなり坂本勇人にバントさせたこともあった。言葉どおりペナントを奪回、翌2020年も続けてリーグを制した。そのがむしゃらな姿勢こそが「伝統」だった。
■優勝数で巨人と阪神には大きな差がある
優勝にかける巨人選手の思いは、取材するプロ野球記者も折に触れて口にする。
「巨人の選手だけは常に優勝をめざしている。駆け出しの選手であっても、自分が優勝に貢献するという意識が浸透している。取材をしていてひしひしと感じる」
阪神選手にその気概と反骨心はあるのか。
「伝統の阪神-巨人戦」と言うけれど、阪神が優勝したのは1リーグ時代に4度、2リーグ制になってからは1962年、64年、85年、2003年、05年の5度だけなのだ。近年に限っていえば、中日と広島に抜かれている。
前身のチームを含んだセ・リーグ各球団の優勝回数は、巨人47、阪神9、中日9、広島9、ヤクルト8、横浜2だ。
巨人は川上哲治監督がV9、原辰徳監督も3次政権計14シーズンで実に9度優勝している。
中日は星野仙一監督が2度、落合博満監督が「守り勝つ野球」で8年間に4度優勝。広島は古葉竹識監督が昭和50年代に4度、2016年から緒方孝市監督が3連覇した。ヤクルトは野村克也監督の「ID野球」で9年間に4度リーグ制覇を果たしている。
■1973年、歴史を変えた阪神-巨人戦
阪神は、ライバルと並び称された巨人に1965年から73年まで9連覇を許しているのだから、決して「ライバル」とは言えない。
巨人のV9時代は、オールスターゲームまでは阪神が1~2ゲーム差でトップだったが、終わってみたら3~4ゲーム差離されて最後は2位。そんなシーズンが実に5度もあった。
極めつきは1973年。10月20日、阪神は優勝に王手をかけた名古屋での中日戦に、エース・江夏豊さんで敗れた。
天下分け目の関ヶ原よろしく、勝ったほうが優勝となる22日、甲子園での阪神-巨人戦でも敗れ、巨人はV9を達成。阪神はまたしても巨人の後塵を拝する。
当時巨人の捕手だった森祗晶さんが、このときのことを述懐していた。
我々巨人ナインは、新幹線で大阪への移動日。ちょうど試合中に球場の後ろを通過しました。阪神は勝って優勝を決めると思ってましたが、スコアボードを見たら負けていました。
さらに驚いたのは、この試合で阪神の先発は、ローテーションを変更して、中日に相性の良い上田(次朗)ではなく、江夏を起用していた。これは私の推測ですが、阪神はエースの江夏に優勝の花を持たせたかったのかも、と思いました。
先発が入れ替わり、我々との最終戦は上田が先発でした。正直、楽な気持ちになった理由はこれでした。気負うことなく、甲子園に乗り込み、特に苦手意識のなかった上田を1回から打ちまくりました。私もあの試合は3安打しました。
こちらは(高橋)一三が完封。優勝の懸かった試合が、9-0のワンサイドゲームとなり、怒ったお客さんが試合後、グラウンドになだれ込んできました。
いつもなら試合後はマウンドに駆け寄って投手やナインと握手するのですが、慌ててベンチに戻りました。
もしあの試合、先発が江夏だったらどうだったか……。巨人の歴史がどうなっていたか、分かりませんね。
忘れられない一戦です。(日刊スポーツ、2021年5月15日)
いや、阪神の歴史も変わっていただろう。王・長嶋のONがいた巨人の9連覇を、阪神の「黄金バッテリー」江夏豊・田淵幸一が止めていれば……。
結局、巨人のV10を阻んだのは中日だった。
そして高く険しい巨人の牙城を崩したのは広島だった。昭和50(1975)年・54年・55年・59年と優勝し、「広島時代」を築き上げたのだ。
■連覇を逃した責任は僕にある
当然、僕も巨人を意識した。「巨人を倒してくれ!」という阪神ファンの強い気持ちも感じていた。とくに甲子園球場の阪神-巨人戦は特別な舞台で、燃えるものがあった。甲子園の阪神ファンのみなさんが声援と応援であと押ししてくれた。
当時、僕と同年代の巨人の投手には江川と西本聖がいた。田淵さんも僕も「巨人戦シーズン2ケタ本塁打」を目標にしていて、田淵さんは2度、僕は3度達成した。
先述の森さんは「阪神は特別な相手だった」と語っていたし、王貞治さんでさえ、「甲子園でやる阪神3連戦は精神的に疲弊する」と話していた。
バース・掛布・岡田の「バックスクリーン3連発」に象徴される昭和60(1985)年の優勝。「60年代こそ阪神の時代」だと、僕ら阪神ナインも吉田義男監督も意気込んだが、優勝翌年は僕もケガをしたりして、連覇できなかった。連覇していたら、阪神の歴史は変わっていたに違いない。
1986年以降、2003年に優勝を遂げる前年まで、17年間で実に10度の最下位。Aクラスは2度しかなかった。
誤解を恐れずあえて言うなら、やはり江夏豊・田淵幸一という阪神投打の二枚看板にも責任はあると思う。彼らは最後まで縦縞のユニフォームを着て辞められなかった。これは球団だけの責任ではない。
そして「巨人戦シーズン2ケタ本塁打」(計3度)を打つなかでチームの優勝を目標にしていた僕も33歳で現役を引退した。僕にも責任は当然ある。
■巨人のスタメンには「生え抜き」が多い
巨人の「ミスター」は長嶋さんだけ。阪神は複数存在する。
すなわち歴史的に、巨人は「チーム力」で戦ってきた。阪神は「個の力」を中心に戦ってきた。その違いでことごとく叩きのめされてきた。
繰り返しになるが、僕は阪神二軍監督時代、「ひとりに強くなれ」とよく言った。
自分がうまくなるための練習時間を作って、なんだかんだ言っても、自分自身でのし上がらなきゃ、誰も手助けはしてくれない。
個の力を強くする。小さな個の集まりよりも、大きな個の集まりのほうが強いのは当たり前だ。
「ミスター・ラグビー」と称されたラグビー元日本代表選手/監督の平尾誠二さんが、こんなことを言っていた。
「個人のスキルを上げろ。小さな点みたいな個を集めたって、小さな個にしかならない。レベルの高い個が集まれば、大きな個ができる」
一方、巨人はチームを活性化するために、他球団から戦力を大補強するイメージが強い。
2018年まで阪神のオーナーだった坂井信也さんと一緒に阪神-巨人戦を見たときに、オーナーからすごく面白いことを言われた。
「掛布さん見てくださいよ。巨人のスタメン、4人がドラフト1位ですわ。阿部慎之助(2000年)、坂本勇人(06年)、小林誠司(13年)、岡本和真(14年)。阪神のドラフト1位は4人いますけど、全部ベンチですよ」
巨人は大補強もするけれど、なんだかんだ言って、「生え抜き」が中心なのだ。
■阪神ドラフト上位の打者は育っているか
1965年のドラフト制導入以降の55年間、阪神のドラフト1位・2位で打撃3部門のタイトルを獲得したのは、藤田平(65年ドラフト2位、81年首位打者)、田淵幸一(68年ドラフト1位、75年本塁打王)、今岡誠(96年ドラフト1位、2003年首位打者・05年打点王)のわずか3人しかいない。
参考までに、同じく阪神のドラフト1位・2位で最優秀防御率、最多勝、最多奪三振、最優秀勝率、救援のタイトルを獲得したのは、江夏豊(1966年ドラフト1位)、山本和行(71年ドラフト1位)、中西清起(83年ドラフト1位)、井川慶(97年ドラフト2位)、藤川球児(98年ドラフト1位)、安藤優也(2001年ドラフト1位)、能見篤史(04年ドラフト2位)、藤浪晋太郎(12年ドラフト1位)の8人だ。
今後、阪神も生え抜きを軸としたチームに変わらなくてはならない。
現状では、大山悠輔(2016年ドラフト1位)、近本光司(18年ドラフト1位)、井上広大(19年ドラフト2位)、佐藤輝明(20年ドラフト1位)の4人を打線の核としたチーム編成になるのではないだろうか。
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野球解説者
1955年、千葉県出身。習志野高校卒業。73年、ドラフト6位で阪神タイガース入団。本塁打王3回、打点王1回、ベストナイン7回、ダイヤモンドグラブ賞6回、オールスターゲーム10年連続出場などの成績を残し、「ミスター・タイガース」(4代目)と呼ばれる。85年には不動の四番打者として球団初の日本一に貢献。88年に現役を引退。阪神タイガースGM付育成&打撃コーディネーター、二軍監督、オーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザーを歴任。
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(野球解説者 掛布 雅之)
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