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ブッダの教え「子どもは大切な友として接するべきであり、親の所有物と思ってはいけない」

プレジデントオンライン / 2021年12月29日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kohei_hara

子育てに悩んだとき、何を参考にすればいいのか。福厳寺住職で登録者40万超のYouTubeチャンネルが人気の大愚元勝さんは「お釈迦さまは『子を自分の所有物だと思うな』と説いている。親と子は別人格であることを自覚し、共に成長することを心がけたほうがいい」という――。

■人間が持つ悩みで最大のものは人間関係

「子育てに正解はない」とは、子育てに迷う親がよく聞く言葉です。確かに、理想の子育て、完璧な子育てなどありえないでしょう。

しかしそうは言っても、大切なわが子の子育てに、失敗したくないと思えば思うほど、正解を求めたくなるのが親というものです。

どんな親も、かつては子どもでした。

子どもは経験したことがあるけれど、親は経験したことがありません。

子育てに戸惑うことが多いのは当然ですし、思うように子育てができないのも当然です。

人間の持つ悩みの中でも、根本的かつ最大の悩みは、いつも人間関係の悩みです。

子どもの前に、夫が、妻が、思うようにはなりません。

夫が、妻が、の前に、自分自身でさえ、思うようにはなりません。

かくして、悩みが尽きないのが、家族というものです。

■ブッダがつくったサンガという組織に学ぶ

私自身、子どもがいますし、かつては10年間、幼稚園の現場にもいました。

また、現在も、僧侶のかたわら、学校の運営や複数の会社の経営、僧侶として弟子の育成にも関わっているため、そうした子育て、人育てに関する悩みは、とても人ごとだとは思えません。

ですから、日頃から、心理に関する本、教育に関する本、古いものから新しいものまで、さまざまな研究論文なども目を通します。

けれどもいつも、回り回って最後は、お釈迦さまの「人育て」に行きつくのです。

お釈迦さまは、人間の「心」を知り尽くし、真理に至られた方です。

そのお釈迦さまが、弟子たちに説かれた、人間の苦しみの源である「煩悩」を離れ、安心に至る具体的な道が仏教です。

お釈迦さまは、人々に教えを説かれただけではなく、世間に生きづらさを感じて、行き場所を失った人々に、孤立や自死の選択ではなく、第三の生き場所を提案されました。

それが、サンガと呼ばれる修行僧の集まりです。

仏教は、神など、外の存在に救いを求めるのではなく、自己を修養することによって、安心に至る教えです。そのための人間教育の道場が、サンガです。

そこには、子育てにも応用できる知恵があります。現代の心理学や教育学にも通ずる、重大なヒントがあるのです。

■「子どもを自分の所有物だと思うな」という戒め

今回はその中から、子育ての大原則と、親が心得ておきたい5つの役割を、紹介します。

まずは大原則。

お釈迦さまは「『わたしには子がある。わたしには財がある』と思って愚かな者は悩む」『ブッダの真理のことば・感興のことば』(岩波文庫)という言葉を残しておられます。

これは「子どもを自分の所有物だと思うな」というブッダからの戒めです。

親、とくに母親は、自分の胎内に子どもを宿し、自分の命をすり減らして子どもを育てます。だからこそ、子どもを自分の分身のように感じています。

もちろん、そのような親の愛情がなければ、幼な子は育ちません。

けれども、子どもはあくまで、親とは別の、独立した人格であることを忘れてはなりません。

親の子どもへの愛情は、時として、子どもを自分の所有物として扱ったり、わが子への執着として、母子ともに苦しめることになります。

次に、親が心得ておきたい役割があります。

1、抱擁と包容
2、躾
3、限界設定
4、慈悲喜捨
5、子離れ

の5つです。

1、肉体的な抱擁と精神的な包容

子育てというのは、親を全面的に信頼して生まれてきた赤ちゃんが、親に全面的に受け止められて、安心を感じながら社会性を身につけていくのを見守る、という作業です。

その作業には、「何があっても家族を守るんだ」という父の強い覚悟と、「何があってもこの子を受け止めるんだ」という母の深い愛情が包容力となって働きます。

この父母からの肉体的な抱擁と精神的な包容という基地があって初めて、子どもは未知の世界にチャレンジしてゆくことができるのです。

お釈迦さまが、設定したサンガは、生き場所を失った人々にとっての基地でした。

サンガには、厳しい身分差別が行われていた当時のインド社会の、どの階級の人であっても、人生に絶望した人を受け入れてくれる包容力があったのです。

■なぜ子供を躾けなければならないのか

2、社会との調和と子どもの理性を育てる限界設定

次に欠かせない親の役割は、限界設定です。

限界設定とは、「ここまではOK。でも、ここから先はNO!」と言ってあげることによって、子どもの心に欲求不満を起こさせることです。

子どもが社会に出て行くとき、自分の欲求がすべて通るわけではありません。

子どもが泣こうがわめこうが、駄々をこねて暴れようが、ダメなものはダメ。

そう、優しく、でもキッパリと親が限界設定をしてあげることによって、子どもは、理性で本能に折り合いをつけることを学んでいきます。

仏教では、欲や怒りなどの情動をコントロールすることを、忍辱(にんにく)と呼びますが、「忍辱」を学ばなかった子は、将来、社会と調和できないばかりか、自らの目的に向かって、自分を律することができなくなる可能性が高くなるのです。

仏道修行に励むサンガにも、限界設定がありました。

戒(かい)と呼ばれる個人のルールと、律(りつ)と呼ばれる、厳しい集団のルールです。

戒は個人の情動を抑えて理性を保つためのルールで、破ったとしても罰則はありません。

けれども、律は、集団(社会)のルールなので、破ると罰則があります。

サンガにおいて、戒律(限界設定)が大切にされた理由は、

①戒律を守ることによって、サンガ内外が調和するため。
②弟子たちの修行目的である、情動に流されない、理性的な人格が育つ。

からです。

戒律は、サンガにとって、欠かせない限界設定だったのです。

ベトナムの滝の下の僧侶
写真=iStock.com/Pavel Sipachev
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Pavel Sipachev
3、学びの機会を逃さないためにも躾は大事

3つ目に大切なことは「躾」です。

躾と聞くと、何だか非常に厳格なイメージで、抵抗を感じる人がいるかもしれません。

しかし、躾とは、決してビシビシ、ガミガミやかましくすることではありません。

「躾」の文字が示すとおり、「身に美しく」してあげることがしつけです。

身に美しいとは、どういうことか。

私たちは、日々、ご飯を食べて、身体を維持しています。

私たちは、日々、情報や刺激を取り入れて、心を維持しています。

そして、心身に取り入れたものを消化吸収し、体外に排出しています。

その毎日の作業が、周囲に嫌悪感を与えるようなものであれば、子どもは周囲から嫌われてしまいます。

例えば、食べる時、ガチャガチャと食器を鳴らしながら、クチャクチャとそしゃく音を漏らしながら食べたらどうでしょう。

例えば、食べたものを排泄するとき、ゲップやオナラ、尿や便をところ構わず垂れ流したらどうでしょう。

例えば友達と遊んでいるとき、故意ではないにせよ、誰かにぶつかったり、友達のオモチャを壊してしまったりして、「ごめんなさい」が言えなかったらどうでしょう。

子どもは親からよりも、はるかに多くの学びを、友達や学校など、家庭外から得て育ちます。

その時、彼らの口や身体を出入りする、食べ物や情報、排泄物や言動が、身に汚いものであったとしたら、友達や先生から嫌われて、せっかくの学びのチャンスを逃してしまうかもしれません。だから、躾が大切なのです。

お釈迦さまの時代のサンガ(東南アジアでは今でも)は、衣食住のすべてを、人々からの托鉢(たくはつ)やお布施によって得ていました。

躾がなされていない、言動が下品な僧侶がいるサンガは、人々から支援を受けることができません。

だからこそ、お釈迦さまは、弟子たちに厳しく躾をなさったのでした。

■親の背中を見て子は育つ

4、意識して育てなければいけない慈悲喜捨

4つ目は、「慈悲喜捨(じひきしゃ)」と呼ばれる4つの心です。

①「慈」とは、友を慈しむという意味です。子どもは、自分の所有物ではなく、自分の果たせなかった夢の代償でもなく、「友」。

成長するにつれ、大切な友を慈しむように接してあげたいものです。

②「悲」とは、子どもの悲しみを、共に悲しむ心です。

子どもの悲しみを、無視したり、弱虫だと切り捨てたり、過保護にするのではなく、悲しみに寄り添う心。子どもの悲しみを、自分に引き合わせて理解しようと努める心。

それが悲の心です。

③「喜」とは、子どもの喜びを、共に喜ぶ心です。

子どもの喜びに、嫉妬したり、バカにしたり、過剰に金品を与えたりするのではなく、素直に寄り添う心。それが喜の心です。

④「捨」とは、「じっとしている」心です。

かわいさあまって過保護にしたり、心配のあまり口を出し過ぎたり、イライラしたり、興奮したり……。とかく親は、子どものこととなると、「過ぎる」傾向にあります。

そこをこらえて、じっと見守る。それが捨の心です。

慈悲喜捨の心は、愛情とは違い、意識して育てないと育ちません。

仏教では、子どもに対してだけでなく、自分の家族や友人、知人、隣人にも、慈悲喜捨の心を広げていくよう、教えています。

親自身が慈悲喜捨の心で、家族にも、他人にも接している姿を見て、子どもは他人とどう関わればよいのかを学んでいくのです。

公園を走る子どもの後ろ姿
写真=iStock.com/kokouu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kokouu
5、わが子が自らの道を歩けるように子離れすべき

子育ての最終目標は、自立です。頭では分かっているけれど、実際はなかなか子離れができない親がいます。

とくに母親は、「心配」という大義名分で、子どもを自分の懐に囲いこんでしまいがちです。けれども、子どもは自分の所有物ではありません。

子どもは、子ども自身の人生を歩んでいくのです。

わが子に、親よりも大切にしたい人ができ、その人と自分の家庭を築いてゆく。

そのとき親は、何とも言えない寂しさに襲われるかもしれません。

けれども、そこを親自身が越えていかなければ、子どももずっと親離れができないのです。

■「私ではなく、自分自身を頼りとせよ」

お釈迦さまは、35歳でお悟りを開かれ、80歳でお亡くなりになりました。

偉大なお釈迦さまの最期、それまでずっと寄り添った弟子が、お釈迦さまの最期が近いことを知って、次のように嘆きました。

「お釈迦さま亡き後、私たちはどのように生きていけばよいのでしょうか」

するとお釈迦さまは、おっしゃったのです。

「私を頼りとするな。他を頼りとするな。自分自身を頼りとせよ」と。

仏教では、自分自身と頼りとすることを、自灯明(じとうみょう)と呼びます。

お釈迦さまが弟子たちに残された、ラストメッセージは、「自らの灯明を灯せ」というものでした。

子どもが、親を頼りとせず、自らを頼りとして生きていくこと。

いつの日かわが子が、自らの灯明を灯せるように、励まし、見守ること。それが、親の愛情であり、役割なのです。

いかがでしたでしょうか。

子育てに正解はありません。親自身が完璧な人間ではないのですから、

どう転んでも、完璧な子育てはありません。

けれども、それでいいのです。

なぜなら子育ては、親だけで完結するものではなく、友達や先生、その他大勢の、親以外の人たちから学び、成長していくからです。

そして親自身も、迷い、葛藤しながらも、時に喜び、時に涙しながら、子育てを通じて、成長させられるからです。

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大愚 元勝(たいぐ・げんしょう)
佛心宗大叢山福厳寺住職、(株)慈光グループ代表
空手家、セラピスト、社長、作家など複数の顔を持ち「僧にあらず俗にあらず」を体現する異色の僧侶。僧名は大愚(大バカ者=何にもとらわれない自由な境地に達した者の意)。YouTube「大愚和尚の一問一答」はチャンネル登録者数29万人、5400万回再生された超人気番組。著書に『苦しみの手放し方』(ダイヤモンド社)、『最後にあなたを救う禅語』(扶桑社)、最新刊としてYouTube「大愚和尚の一問一答」のベスト版として書籍化した『人生が確実に変わる 大愚和尚の答え 一問一答公式』(飛鳥新社)がある。

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(佛心宗大叢山福厳寺住職、(株)慈光グループ代表 大愚 元勝)

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