先輩に顔面を10発殴られて転倒…それでも若手社員が"血で汚れたシャツ"で仕事を続けたワケ
プレジデントオンライン / 2022年1月3日 9時15分
※本稿は、坂倉昇平『大人のいじめ』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。
■白昼の駅前、突然殴りかかってきた先輩
2010年代後半、20代男性のAさんは、メディア業界の下請け企業に勤務していた。この会社では、業界大手の働き方改革の影響を受けて、かえっていじめと暴力が猛威を振るうようになっていた。
事件は、ある大都市のターミナル駅の前で起きた。その日、取引先に同行する外回りの仕事を、Aさんが、Aさんより数年早く入社したチームリーダーの先輩と終えた直後のことだった。
Aさんは先輩から、取引先の見送りには加わらず、すぐ事務所に戻って、当日のデータをまとめるように指示されていた。タクシーが駅前に着き、先輩と取引先を降ろして、自分はそのまま事務所に戻って作業すべくタクシーに行き先を告げようとした瞬間だった。
「なんで降りてこねえんだよ!」
先輩が声を荒らげた。理不尽なことに、さっき指示されたことと話が変わっている。Aさんが見送りする素振りも見せないことが気に障ったようだった。
取引先が駅構内に姿を消すと、束の間、平静を装っていた先輩は豹変(ひょうへん)した。歩行者や車が行き交う駅のロータリーで、Aさんは顔を握りこぶしで約10発ほど連続して殴られ、続けざまに平手打ちされた。鼻と口から血がダラダラと流れ落ち、Aさんはコンクリートの路上に倒れ込んだ。
■人気のない路地裏でも暴行は続いた
さすがに白昼の人通りの多い駅前だったため、驚いた通りがかりの中年男性が、「大丈夫ですか? 何があったんですか?」と声をかけて、止めに入ろうとしてくれた。しかし、Aさんは恐怖のあまり放心状態だった。自分が暴力を受けている理由も状況も理解できず、助けを求める声すら出すことができなかった。
すかさず先輩が、「関係ないんで、大丈夫です」と、中身のない返事をしてその場を取り繕い、男性を追い払った。
そのあとは、人気のない路地裏に無理やり連れて行かれ、暴行が続行された。「殺すぞ」「バカ」「クソ」と言われながら、Aさんは回し蹴りを受けた。Aさんの顔と体は赤く腫れ上がり、痛みは数日引かなかった。
しかも、恐ろしいことに、こうした流血事件は、見知らぬ人たちの目の前で血だらけになったということを除けば、この会社では決して珍しいことではなかった。先輩社員による後輩への暴力が、当然のように横行していたのだ。
■殴られ、蹴られ、首を絞められる日常
Aさんの同期ら若手社員は、少しでもミスや、うたた寝をしようものなら、この男性先輩社員から、すぐに拳で殴られた。徹夜作業をした翌朝に車で移動中、後部座席で居眠りをしていた若手社員が、顔面を靴で蹴り飛ばされたこともあった。若手の男性社員たちは、全員が彼から殴られたり、蹴られたり、首を絞められたりしたことがあった。女性社員ですら、容赦なく胸ぐらを掴まれていた。
会議中でも、気に障る発言があったら、ボールペンのペン先を向けて、勢いよく投げつけられた。「お前、口ごたえすんのか?」と平手打ちを繰り返し、胸ぐらを掴んで大声で「説教」されることもあった。
ただでさえ暴力の理由は理不尽だったが、別の若手のミスをあげつらった後、「お前は自分が関係ないと思ってんのか」と殴打し回し蹴りを食らわせることもあった。先輩の勘違いやミスの責任をなすりつけられて、暴力を振るわれることもあった。
暴力の加害者は、この先輩だけではない。別の先輩リーダーも、仕事が間に合っていなかった若手の頭を何発も殴ったあと、分厚いファイルの角で頭を殴り、出血させた。被害者はやむをえず、しばらく血で汚れたシャツで仕事をしていたという。この会社では、先輩から後輩に対する暴力が「日常化」していたのだ。
■上司は「殴られるのも仕事の一つ」と居直る
ここまで読んで、疑問を持たれた方がいるかもしれない。若手社員たちは、暴力を会社に相談しなかったのだろうか? こうした暴力が社内で問題になることはなかったのだろうか?
実は、この先輩たちの上司は、暴力を事実上容認していた。若手が先輩に殴られているところを見ても、「見なかったことにする」と言い放ち、それどころか「若手は殴られるのも仕事の一つだ。俺らのときは自ら進んで、先輩が殴りやすいように頰を差し出したもんだ。気配りが足りてないんじゃないのか」と居直る始末だった。
冒頭の先輩も、「●●(上司の名前)さんは、自分が俺たちを殴ってたんだから、俺らに文句なんて言えるはずがない」と自己正当化していた。
のちにAさんが行った団体交渉の場でも、この上司は「暴力があることは知っていたが、ある程度は仕方ないかなと思っていた」と発言している。
■下請け企業を追いつめた「働き方改革」
一体なぜ、このような暴力が「解決すべきもの」ではなく、「黙認するもの」とされていたのか。この会社の社風や社員が、たまたま「異常」だったのだろうか?
実はその背後には、業界全体に蔓延(はびこ)る長時間労働の問題があった。しかも、この時期は、「働き方改革」のあおりを受けて特に忙しくなっていた。クライアントや元請けの大手企業の社員たちが、「長時間労働対策」によって土日にきっちり休みを取るようになり、それまで下請け企業の社員たちと一緒に開いていた休日の会議が禁止された影響だ。
休日前に会議を終わらせるため、締め切りまでの期日が大幅に短くなり、下請け企業の社員たちの労働の密度は一気に濃くなった。一日当たりの労働時間がさらに長くなったうえ、休日出勤もなくなるわけではなかった。平日に手が回らない仕事を休日にこなすためだ。
加えて、働き方改革に先立って、クライアントや元請け企業のコスト削減が深刻化していた。プロジェクトの単価が毎年削減され、そのしわ寄せをダイレクトに受ける下請けは、人件費をカットせざるを得なくなっていた。これに働き方改革による納期短縮が追い討ちをかけ、下請け企業は残業代も払えないまま、社員一人当たりの業務量を増やすことで凌ぐしかなかったのだ。
こうした状況の下、チームリーダーである先輩たちは多忙を極めていた。上司が取引先から膨大な仕事を取ってくるため、チームリーダーたちはそれをさばくしかなく、どんな業務をどれだけやるかの自由がない。その代わり、後輩に暴力を行使する「自由」を与えられていた。殴る・蹴るなどの行為は、彼らの「ガス抜き」として会社から容認されていたのだ。
■残業時間が過労死ラインの約2倍になる月も
チームリーダーを支えるAさんたちも、過酷な長時間労働に晒されていた。残業は毎月100時間程度あり、180時間を超える月もあった。厚労省が定める過労死ラインの約2倍だ。
Aさんたちは、プロジェクトの資料作成から、外回り業務に伴う様々な雑用までを行う。外回りが終わるやいなや事務所に戻って、その日の成果を資料化する。徹夜も頻繁だった。チームリーダーが翌日出勤して、すぐ仕事に取り掛かれるように準備しておくためだ。
寝不足のまま、翌朝、外回りの業務に出発することも多かったが、移動中の車内ですら寝ることは許されない。取引先の相手をする必要があるからだ。ミスやうたた寝をするなというほうが無理な話だったが、見つかった瞬間に先輩たちから殴られた。
そして、クライアントや大手元請けの働き方改革のあおりを受けた労働強化のせいで、ミスはさらに増加した。暴力やハラスメントは以前からあったが、この時期は特に過酷だったという。
■先輩社員たちの「暴力による労務管理」
チームリーダーたちは、若手たちがこうした長時間の労働に「耐えられる」ように、暴力を振るっていたともいえる。睡眠不足でボロボロでも、暴力への恐怖で思考停止に陥らせ、命令された業務を忠実にこなさせるのだ。もちろん離職者は続出していたが、残ったAさんたちは、長時間労働にも理不尽な業務にも文句を言わない従順な社員に仕立て上げられていった。
そして、つもりにつもった不満は、自分が仕事のリーダーになったとき、後輩の若手社員たちに向けて爆発する。不条理な業務と過労死レベルの残業を受け入れられる社員だけが残り、「暴力の連鎖」は、連綿と「継承」されていたのだ。
確かに、このシステムは会社が意図的に作ったものではないだろう。だが、「暴力の連鎖」は、この企業において実に「効果的」な「労務管理」の方法として、「役立って」いたことは間違いない。
■「この業界での通過点として耐えよう」
日常的に繰り返される暴力行為を、若手社員はどのように受け止めていたのだろうか? なぜ、すぐに辞めなかったのだろうか?
訊いてみると、まず、「殴られる自分が悪い」と思って、「受け入れていた」という答えが返ってきた。前述したように、暴力を受けるのは、基本的に業務で「ミス」をしたときだったからだ。もちろん実際には、長時間労働や過剰な仕事量がミスの背景としてあったのだが、それを問題視する意識はなかったという。
次に、女性を含む社員全員が暴力を振るわれており、先輩から過去の暴力の話も聞かされていたため、「みんな殴られているんだからしょうがない」「これが業界の常識なのか」と感じていたという。
さらに、「この業界での通過点として耐えようと思った」という言葉もあった。憧れていた業界であり、自分もこの世界で責任を持って活躍する立場になりたいというモチベーションで仕事を続けていたという。Aさんは、このモチベーションを失い会社を辞めたが、それ以前は、理不尽な扱いは「修行期間」だけで、「この立場を卒業すれば苦しみから解放される」という思いで耐えていた。
■優しかった先輩も出世すると豹変した
社内でチームリーダーに選ばれるのは、「真面目な」者が優先された。そのためAさんは、暴力も受け入れる「真面目な」社員として振る舞っていた。
ただ、同期だけの飲み会では、暴力やハラスメントを受けた話をして、お互いを慰め合っていた。「この会社、本当に何なんですか。暴力でしか人を扱えないんですか」「暴力振るうとか最悪だよな」とも吐露していた。
そして、この飲み会では、「ああはならないぞ」という決意を、みんなで確かめ合っていたという。実際、暴力を振るわず、仕事もできるチームリーダーもおり、若手たちの憧れの対象となっていた。
とはいえ、ほとんどのチームリーダーが、ハラスメントと無縁ではなかった。暴力はなくても、つい1年前まで優しかった先輩が、リーダーの立場に身を置いた途端に、後輩に対してハラスメントといえる扱いを始めたこともあった。Aさんの脳裏には、この業界で出世していくと、人間性が変わってしまい、ハラスメントの加害者になることは避けて通れないのかという諦念すら浮かんでいた。
■引きこもりから回復し、異常性に気づく
Aさんは、数年の勤務の後、この業界への夢をあきらめ、退職することにした。Aさんが退職する際の送別会で上司は、「おまえは苦しいことから逃げるのか。この先、どこへ行っても逃げ続けるんだ。死んじまえ」と同僚たちの前で言い放った。Aさんの退職が、残った社員たちへの見せしめとして、最後まで「利用」されたのだ。
この言葉がダメ押しとなって、Aさんは退職後に精神疾患になり、その後1年以上も、一人で家に「引きこもり」状態になった。
精神状態がやや回復して、インターネットで調べるうちに、ようやく労働環境が異常だったことに気づいたという。そして、たどり着いたのが筆者たちのNPO法人POSSEだった。
Aさんと最初に面談したのは筆者だった。最初に会った日、Aさんは長時間労働の実態を絞り出すように話しながら、どこまで声を上げるかについてはまだ思い悩んでいる様子だった。筆者は、そうした職場の問題にAさんたちの責任は全くないこと、問われるべきは会社であり、その責任を追及することで会社に改善を求められることなどを説明した。
また、もしハラスメントの被害を受けていたら、それについても会社の責任を追及できると説明したが、Aさんはその点に関しては黙って相槌を打つだけだった。
■経営者や上司は職場の実態を隠蔽
Aさんが暴力やハラスメントについて徐々に口を開き始めたのは、2回目の面談以降だった。Aさんにとって、簡単には記憶から呼び起こしたくないことだったのだろう。
個人で入れる労働組合である総合サポートユニオンを紹介され、会社と団体交渉をすることが決まっても、Aさんは会社に声を上げることについて、理屈では納得しつつも、どこか引け目や恐怖を感じていたという。
しかし、いざ団体交渉を始めると、その迷いはたちまち吹っ切れた。団体交渉の席で、経営者や上司たちが職場の実態を隠蔽(いんぺい)しようとする発言を繰り返したからだ。
Aさんはユニオンの他の組合員と一緒に、元請け企業の前で、拡声器を持って、ビラをまき、街頭宣伝を行った。
■暴力の音声データが決定的な証拠に
会社にとって決定的だったのは、Aさんの同期が、先輩による暴力の音声データを証拠として隠し持っていたことだった。Aさんがユニオンに入って、元同僚たちにも声をかけて証拠を探していたときに、「実は俺、証拠を持ってるんだ」と打ち明けられた。いつか告発しようと機会を窺っていたのだ。
団体交渉の結果、未払い残業を今後は続けることができなくなり、会社はいやでも長時間労働の削減に踏み切らなければならなくなった。暴力をもっとも繰り返していた先輩は懲戒解雇になった。会社に対しても、暴力やハラスメント防止に努めることを約束させた。同僚たちは暴力から解放され、自由時間ができたことに感動していたという。
Aさんはこの業界への夢は失っていたが、交渉を最後までやり遂げたのは、暴力といじめの連鎖を断ち切り、元同僚たちのために職場や業界を良くしたいという思いからだった。その後、Aさんは新たな目標として、自分が受けた被害、そして会社と闘った経験を他の人のために役立てたいと考えている。
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NPO法人POSSE理事
1983年生まれ、静岡県出身。ハラスメント対策専門家。京都大学大学院文学研究科修士課程修了。2006年、労働問題に取り組むNPO法人POSSEを設立。08年、雇用問題総合誌『POSSE』を創刊し、同誌編集長を務める。現在はPOSSE理事として、年間約5000件の労働相談に関わっている。共著に『18歳からの民主主義』(岩波新書)、『ブラック企業vsモンスター消費者』(ポプラ新書)。
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(NPO法人POSSE理事 坂倉 昇平)
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