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「偏差値日本一の医学生が陸上で大学日本一」東京大医学部6年生の"すごい時間術"

プレジデントオンライン / 2021年12月28日 11時15分

東京大学医学部6年生/インカレ陸上三段跳び優勝 内山咲良さん(撮影=岡村智明)

東京大学の中でも最難関の理科3類に合格した内山咲良さんは現在、医学部6年生。彼女は今秋、陸上女子三段跳びで大学日本一になり、脚光を浴びた。将来は救急医か産婦人科医を目指す。なぜ、勉強も陸上もテッペンをもぎとることができたのか。『プレジデントFamily』編集部がインタビューした――。

※本稿は、『プレジデントFamilyムック 医学部進学大百科 2022完全保存版』の一部を再編集したものです。

■「とにかく負けず嫌い、諦める前にやれることはすべてやります」

2021年9月17日から3日間行われた日本学生陸上競技対校選手権大会(インカレ)の女子三段跳びで、自己ベスト13m02を記録して優勝したのが東京大学医学部6年生の内山咲良さんだ。

大学生の陸上競技日本一を決めるこの大会には、もちろん陸上競技の強豪校や体育大学の選手も参加している。その中で東大生が優勝するのは史上初の快挙である。しかも、医学部生なのだから、まさに「文武両道の逸材あらわる!」と各界から注目を集めているが、本人は試合後、メディアの取材に控えめにこう応えている。

「私に陸上の才能があるとは思っていません。でも、そう思って諦める前にやれることはたくさんあるし、やれることはすべてやったと思えるような準備をしてきました」

小さい頃から、水泳、そろばん、英語、ピアノといろいろな習い事に挑戦してきた。そのどれにも全力で取り組む子供だったという。

「とにかく負けず嫌い。何事にも『上手にできるようになりたい!』『できなかったことを頑張ってできるようになりたい』という気持ちが強いんです。でも、そうやって頑張ってきたから、自分の幅がずいぶん広がったと思います」

なかでもピアノは4歳から高校2年生まで続けた。発表会に向けて猛練習し、本番は一発勝負という緊張感を何度も味わってきたことも、今の自分の糧になっている、と感じている。

筑波大附属中学に入学したとき、部活で陸上を始めた。当時は走り幅跳びの選手だった。同じ頃、それまで漠然とした夢だった医学部への進学も本格的なものになっていく。

「もともと人の体の構造に興味があって、医師になりたいなという夢はありました。でもちょうどその頃、心の病にかかって苦しんでいる人が身近にいて、その人の苦しみを少しでも和らげてあげられればと思うようになった。体だけじゃなく心にも寄り添える仕事が医師なのかなと。ですから最初は精神科の医師を目指したんです」

こうして陸上選手と医師という二つの夢に向かって歩き出したが、もちろんどちらも簡単な道ではない。特に陸上は「体の使い方が下手な選手」(内山さん)というレベルからのスタートで、かっこよく跳べない、走れないという悩みを常に抱えていたが、持ち前の負けん気で、諦めずにコツコツと取り組んでいった。

■「絶対に両立する。インターハイにも出場し、医学部にも合格するぞ」

その努力が少しずつ形になり、高校2年生の秋には関東大会で入賞。インターハイが射程距離に入ってきた。しかし受験勉強もある。学校での成績はオール5だったとはいえ、医学部受験に向けた勉強は必ずしも万全ではなかった。

「どちらかを諦める? いや、絶対に両立するんだ。インターハイにも出場し、医学部にも合格するぞという覚悟をしました」

その気持ちを最後まで維持できたことで、3年生でインターハイ出場を果たし、現役で東大理科三類合格を勝ち取った。

大学生になってからの陸上競技は、中高時代とは違う意味で、内山さんを刺激した。コーチ指導のもと、練習を続けてきた今までとは違い、練習のメニューや量は自分で決める。しっかりと自分の体と向き合っていけば、記録として自分に返ってくる。それが楽しい。

『プレジデントFamilyムック 医学部進学大百科 2022完全保存版』
内山さんが表紙を飾った『プレジデントFamilyムック 医学部進学大百科 2022完全保存版』

「でも、正直つらい時もありました。勉強と部活と塾講師のバイトもやっていましたから。陸上の遠征費や合宿費ぐらいは自分で稼ごうと意地になっていた部分もあって、無理していたんですね。2年生の秋にはそれがたたって疲労骨折。その頃は勉強のほうもうまくいかず、大学生活をどう過ごせばいいかわからなくなってしまって」

挫折の中で自分の道をもう一度冷静に考え、彼女が出した結論はシンプルなものだった。インカレには出たい。医者にもなりたい。ならば陸上と勉強に集中しよう。時間が足りなければ、そのとき大事なことを見極めて、一つずつ丁寧に努力を積み重ねていくしかない。

バイトはシフトの融通が利く飲食店のホールのみにし、勉強だけする日、陸上だけする日に分け、どちらかに集中するようにした。変化する筋肉量をチェックし、自分の体と体調を常に分析した。なかなか記録が伸びない走り幅跳びをやめ、4年生からは三段跳びに転向し、技術を磨いた。

■目標は、救急医か産婦人科医。「来年の日本選手権に出場したい」

その長年の努力の継続が、ついに21年の秋、インカレ優勝という形に結実したのだ。

「4、5年生の頃には、女子主将も務めました。壁にぶつかりつつも諦めずにやれることをひたすら続けてきた私だからこそ、悩みを抱える選手の力にもなれたかなと思います。女子選手の中には生理が止まってしまう子もいたりするので、今は自分の経験を活かして救急医か産婦人科医になれればと思っています」

三段跳びの練習風景
三段跳びの練習風景(撮影=岡村智明)

ただ、大学までと決めていた陸上競技は「来年の日本選手権に出場したいという気持ちも」と、やはりどこまでも負けず嫌いなのである。

【最近、もっとも忙しかった日のタイムスケジュール】
6:30 起床、朝食
7:40 通学(本郷キャンパス)
9:00 病院実習(手術、外来見学など)
15:40 移動(駒場キャンパス)
17:00 練習
19:30 練習終了
21:00 帰宅、夕食
22:00 入浴
22:40 勉強
24:00 就寝

(プレジデントFamily編集部)

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