不祥事から8年…「北アルプスに近い信州の小中一貫校」から開成・慶應・海外校に受かるワケ
プレジデントオンライン / 2021年12月30日 11時15分
■東京オリンピック陸上100メートルの日本代表が学校にやってきた
12月上旬、白い北アルプスをのぞむ信州・松本のある小学校でかけっこ教室が行われた。
午後12時30分、体育館に集合した5年生35人が軽い準備体操で体をほぐした。体育館の対角線に25メートルのレーンが作られている。お手本を見せる20代の男性が走ってみせ、瞬く間にゴールへと到達した。わずか3秒ちょっと。角に立てかけたマットに勢いよく突っ込んで止まった。
「すごい!」「速い!」。見たことのないスピードと、美しいフォーム。生徒はみな感嘆の声をあげた。
それもそのはずだ。デモンストレーションしたのは、正真正銘のオリンピアンだったのだ。今夏の東京オリンピック陸上100メートルと400メートルリレーの日本代表・小池祐貴選手だ。
小池選手と関係スタッフはその後、スタート地点とゴール地点に置かれた測定器とタブレットで、生徒たちが走るところを撮った。
「いけいけ、がんばれ」。クラスメートの声援を受けながら、一人ずつ全力疾走。ゴール地点でストップウォッチを持つ担任の先生がタイムを告げる。「4秒75」「4秒96」……。生徒は自分のタイムをワークシートに書き込んでいく。
各自が持っているタブレットには、自分のスタート時の画像とともに、さっき走った小池選手の画像も送られる。そして、体育館内に設置された大きなモニターではスタッフによる専用の動作解析アプリを使った画像の比較説明が始まる。
「スタートしたときの自分と小池選手はどこが違うかな。『分度器マーク』を押してね。どれくらい前かがみになっているのか。肩の位置と体育館の床に水平になるように線がでてきたかな。小池選手と角度はどれくらい違うかな」
続いて、今回、小池選手に同行した順天堂大学准教授(スポーツ科学)の柳谷登志雄さんが解説する。
「スタートの姿勢、小池選手は前側に倒れているよね。でも、みんなは起き上がってる。(小池選手は)頭も低い位置だよね。前足よりも頭が前に出てるでしょ。だれかにちょっと押されたら出られるぐらいの意識です」
最後はオリンピアン小池選手の登場だ。
「スタートは倒れながら出るのがポイントです。“よーい、ドン”と言われてから、体を倒して走り出すと、もったいない時間が生まれてしまうんです。だから、ぼくは最初から倒しておきます。100メートルは特にスタートが大事です」
生徒は目をキラキラさせて、話を食い入るように聞いたのは言うまでもない。
■五輪選手が信州の小さな小学校にやってきた理由
なぜ、五輪選手がわざわざ地方の小さな小学校にまで足を運んだのか。
この学校は、才教学園小中学校(松本市)。1学年30~50人で、中学生にあたる7~9年生を含め、全校生徒350人。地元松本のほか、近隣の市である諏訪、安曇野などから生徒が電車やスクールバスで通学する。1年生も9年生も一緒に通学して親近感が醸成される。
2005年の創立以降、順調に市民に認知されていった。
ところが8年前の2013年、突然、大きな問題が持ち上がる。あろうことか、教員免許を持っていない人物が教壇に立っていたことが発覚したのだ。当時の経営陣は退陣し、現校長の小松崇さんが赴任して必死に再建を図ってきた。小松さんはこう語る。
「私が赴任して以降、特に大事にしている3つの教育方針があります。それは、学ぶ力を高める。人格を高める。そして、未来の力を育てる、です。未来の力を育てるために、テクノロジーを使って価値あるものを作る能力を子供たちにつけたいと考え、さまざまな教育手法を研究しました」
その中で、着目したのが「スティーム教育」だ。STEAM(Science:科学、Technology:技術、Engineering:工学、Arts:芸術、Mathematics:数学)の視点を教育現場にも加え、新たな“学びの場”を作り出そうという試みだ。
学校の体育や部活に、PCやタブレットなどデジタル端末を導入し、児童・生徒自身が考えて取り組むことで、学び成長していく。
そうしたスポーツを起点としたスティーム教育の教材を開発し、地域・学校に独自のソフトやノウハウを提供している「STEAM Sports Laboratory」(以下STEAM Sports、東京都港区)から今回、かけっこのプランの提案があり、実践したというわけだ。
小池選手は、STEAM Sportsの山羽教文社長から協力を打診され、即了承した。
「(オファーの)資料を見せていただき、これは僕が陸上競技の技術向上の際にやってきた動作解析の考え方に近く、思考しながら競技に取り組む心構えにも共鳴できたので、自分のこれまでの経験を教えられると思いました」
■なぜ端末を使ってかけっこをすると速く走れるのか
オリンピアンによる「速く走るためにはどうしたらいいのか」というテーマの特別授業は続いていた。班ごとに分かれた生徒は、小池選手と自分たちの「違い」を話し合う。どこを改善したらいいのか。そのためには練習で何を意識すればいいのか。それらをワークシートに書き込んで整理する。
柳谷先生と小池選手は各班をまわって、課題を確認しアドバイスを送った。そして20分ほど課題克服の練習をしてから、もう一度タイムを計る。
タイムが縮まった子、逆に遅くなった子もいた。全員が速くなるわけではないから、実証実験は面白い。トライアルアンドエラーを重ねていく。
子供たちの感想だ。
「前かがみとか、練習はためになりました。オリンピック選手を生で見ると、ものすごく速い。かけっこが好きになりました」
「スタートダッシュの姿勢を低くすること。もうちょっと早く走れると思う」
柳谷教授は練習の尊さを説いた。
「先生(小池選手や柳谷教授本人)の話をきちんと聞くと理論があって、効果がある。その通り練習をすると速くなる。今日もたったこれだけの時間で速くなったでしょ」
小池選手はもう少し早くなりたいなと思うことが大事だよ、と笑顔だ。
「タイムが伸びてうれしかったとか、ちょっとでもワクワクしたなら、ぜひ続けてもらえたらと思います」
最後に記念撮影と、子供たちと一緒に20メートルを走った。小池選手は手加減なしだ。
この日のかけっこ教室では、タブレットで画像を撮って、スタートのフォームの角度を見比べた。スティーム教育的な観点でいうと、テクノロジーとマスマティクス、エンジニアリングの要素を含んでいる。
かつては教師の言うことを一方的に聞くだけの教育が主流だった。このかけっこ教室は一流アスリートから直接ノウハウをアドバイスしてもらい、それをもとに子供たちで話し合い、共有し、咀嚼し、最後の計測という結果でアウトプットさせた。貴重な経験になったはずだ。
小池選手にとってもかけっこ教室は有意義だったようだ。
「競技者になって、“仕事”になると走ることが楽しいっていう気持ちが薄れてしまいます。かけっこは楽しい。今日、思い出しました。楽しくないとパフォーマンスも落ちていきますからね。子供たちには、得意なことを早いうちに見つけて好きになってもらいたい。スポーツに限らず好きなことに触れていってもらえたら」
全国の中学・高校・大学の授業・部活でスティーム教育を働きかけている山羽社長はこう語る。
「スポーツには遊びの要素と競争という2つの要素があります。好きなことをするので、主体性を醸成しやすく、競い合って勝ち負けを決めるので目標が設定しやすい。試合をやるたびにフィードバックをするので、課題点もわかります。スポーツはスティーム教育に合っていますね。今後、トップアスリートのVR映像を活用した教材も作っていきます」」
■「北アルプスに近い信州の小中一貫校」から開成・慶應に受かるワケ
一方、才教学園のスティーム教育はスポーツだけではなく多岐にわたる。
5年生はプログラミング教材を使って、レゴで自動運転の車を実際に生徒自身が作る。6年生はNPO法人の国際ボランティア学生協会のサポートで避難所作りを体験した。
7年生はガラス乾板を現代のテクノロジーで復元し、フィルム写真の撮影、現像体験や写真を撮るテクニックなども学ぶ。これは理科の「光」「レンズ」の学習からの発展形だ。
8年生は日本の伝統文化のひとつである和菓子と、室町時代から続いていて近年のエコへの関心の高さから脚光を浴びている風呂敷を作る。日本文化を海外にどう、広めていくかを考える。
巣山孝弘教頭はこう語る。
「これらは地元を含む企業の皆さんや地域の人たちとコラボしてテクノロジーを活用した授業をさらに展開していきます。そうした学びをどうアウトプットしていくか。成果は文化祭やプレゼンコンテストで発表します」
才教学園では1~4年は平日25分間、英会話の時間がある。そして5、6年生では週3コマの英語の授業がある。こうした充実したカリキュラムをみて、学力水準が高い子供たちが集まってくる。
注目されるのは子供たちの進学先だ。
1学年のうち約3分の1の生徒は、難関大学への進学実績の高い県内1、2位の進学校、長野高、松本深志高などの県立校へ進む。学年の5割が松本深志に合格した年もあったという。
首都圏の私立校への合格者も少なくない。開成高、慶應義塾高、豊島岡女子校といった難関校のほか近畿圏、海外への進学者もいる。こうした現象は、かつてはなかったものだ。
卒業生の中には理Ⅲを含む東京大、一橋大、国公立医学部大へ進んだ者も少なくない。
「基礎学力のある生徒が多い、ということもありますが、私たちが大事にしている人格形成の効果もあるかもしれません。人の話に耳を傾ける素直さ。そして謙虚にコツコツ努力をすること。スティームをやって生徒たちはより前向きになりました。来年は何をやるんだろう、と楽しみにしています。物事を多角的に、視点を縦横、斜めから見られる。国語的にも算数的にも理科も社会も。柔軟な思考は受験に生きると思います」(巣山教頭)
小松校長も目を細めて言う。
「上位の高校に行ってもらいたい、という希望がないと言ったら嘘になります。でも、入る高校は結果なので。生徒が行きたい高校へ後押しするのがわれわれの役目。そこに合格してもらうことが一番、うれしい。テクノロジーを使った外部の教育事業者の皆さんとコラボをしてスティーム教育をやりだしてから、子供たちの顔のきらきら感が違ってきました。生徒が学ぶことって楽しい、と気づき、その学びを深めて自分に備わっている力や才能を見つけて、強化していく。そのサポートをしていきたいと思います」
強いられる学びではなく、楽しいから学ぶ。スティーム教育の効果で、一度不祥事で転落しかけた信州の小さな小中一貫校はさらに飛躍するかもしれない。
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フリーライター
ベースボールマガジン社を経て独立。総合週刊誌、野球専門誌などでスポーツ取材に携わる。
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(フリーライター 清水 岳志)
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