「落語家の前座修業はパワハラになるのか」弟子にやめられた師匠が悩んで出した結論
プレジデントオンライン / 2022年1月27日 17時15分
■厳しい前座修業はパワハラになるのか
弟子がやめました。
両親を交えた面接をし、コロナ禍でも思いが変わらないことを確認した上で昨年11月から入門した29歳の若者でした。とても真面目な子です。
この世界は真面目過ぎてもダメですし、かと言って不真面目だと絶対に生きていけません。だから、彼の先輩前座さんには「厳しく教えてあげてね」とお願いしていました。自分の場合も師匠に怒鳴られながら育ててもらってきましたので、やはり近いことしかできません。
以来2カ月半見習いとして私の落語会や寄席の楽屋などで先輩前座さんから指導を受けながら過ごして来ましたが、この度、「想像していた以上の過酷さに睡眠不足にもなり、ついてゆけなくなりました」とのメッセージを寄越してきました。
去る者は見送るまでです。自分は師匠に何度も言われました。「俺はお前にここにいてくれと頼んだわけではない」と。
広小路亭の後、彼は私を出待ちして、挨拶に来てくれました。ラストに立つ鳥後を濁さずの了見で来た彼の勇気を誉めてあげました。やめるのにも覚悟はいるのでしょう。「何かあったら応援するよ」と去りゆく彼に語りかけました。
可哀想ですがこの厳しさが落語界です。しかし、彼の背中をみながら、ふと思ったのです。前座修業の厳しさはパワハラになるのだろうかと。
2020年より施行された「改正労働施策総合推進法」(通称パワハラ防止法)。
その定義を見ると、①職場において②優越的な関係を背景とした言動であって、③業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、④(その事業主の雇用する)労働者の就業環境が害されるもの(身体的もしくは精神的な苦痛を与えること)。以上、これらの要素をすべて満たすものが「パワハラ」と認定されるそうです(『「職場のハラスメント」早わかり』布施直春著・PHPビジネス新書より)。今年4月からは中小企業も含めた全企業でそれが義務化されますが、定義を読んでもあいまいで、迷う経営者は多そうです。
■談志を訴えたら勝てただろうか
自分も前座時代は、師匠の南大泉の自宅から当時の下宿まで歩いて20分の道のりを毎日泣いて帰る日々でした。
入門当初などは師匠が好き過ぎるあまり直接指示されても困惑し、テンパってしまい、怒鳴られるという「負の連鎖」に陥っていました。お茶をいれれば「こんな馬のションベンみたいなお茶飲めるか!」と怒鳴られ、手間取っていると「もたもたするな!」、何か言おうとすれば「お前の言い訳なんざ聞いていない!」。そして、「痩せるほど気を遣え!」「ばかたれが」と続きます。パワハラで訴えれば勝訴していたかもしれません。
というのは冗談で、自分はパワハラとはまったく思っていませんでした。つらくてもそれを上回る芸への魅力があったからこそ、やめようとも考えませんでした。
「惚れた弱み」なのでしょうか。「厳しいこといわれても、あんな落語家のそばにいられるのだし、自分がその片鱗さえ受け継げれば」という思いでしょうか。自分の場合はサラリーマンを辞めての入門でしたので、ここから逃げるわけにはいかなかったのかもしれません。
いま振り返って思うのです。
やはり前座修業という過酷な厳しさを経ないとプロにはなれなかったと。プロとはプロセスなのではないでしょうか。だから私はプロを自称する人たちが苦手なのです。私自身、あの時の涙が慈雨となった果実がいま大きく育っています。本となり、小説となり、そしてシナリオまで完成しました。泣いた過去は裏切りませんでした。
■自分への悪口を許容してくれた談志
談志に毎日怒鳴られ続けられる日々でしたが、落ち込む自分に優しい言葉もかけてくれました。
「お前に対する小言は、あくまでもお前の言動に対する小言であって、決してお前の人格否定ではないからな」。
先ほど挙げたあのきついトーンのフレーズは自分の「しくじり」に向けられたものだったのです。実際、問題となった言動に注意を払い、次から改善させると、その小言が避けられたことをいまさらながら顧みています。世にいうパワハラ上司に圧倒的に欠けているのはこのあたりの差配ではないでしょうか。さすがは「言葉の達人」であります。
また、談志はよく「俺の悪口言っていれば2時間は持つだろ」と言っていました(実際は2時間どころではなく、2晩以上語り尽くせるほどでしたが)。
当人は「自分のいないところで弟子たちは悪口というかネタにしている」ということはデフォルトとして受け止めていたのです。企業のパワハラ上司にそんなことをしようものなら、ますますのパワハラが待っていることになるはずです。いや、私が芸人であるということを差っ引いても、社員同士がパワハラ上司の悪口を言い合って楽しんでいるという光景などは全く想像できません。
根底に人格の尊重や信頼関係が存在しているかということが、「パワハラかパワハラでないか」の違いではないかということが浮かび上がってくるような気がします。
■すべては相手との関係性で成り立つ
残酷な話ですが、同じことをしても許される人と許されない人がいます。何事も、相手との関係性がすべてなのです。
師匠にその存在を認められて初めて弟子となり、一度首を縦に振らせて二つ目になり、二度振らせて真打ちになるという構図です。カミさんに「あなた」と呼ばれて亭主になり、その関係性の産物である子供に「パパ」と呼ばれて父親になります。版元が認めてくれるからこそ作家になります。逆に被害者から訴えられるからこそ加害者と呼ばれるマイナスなケースもあるわけですね。
落語家らしくふざけ半分気味に申しますと、人生なんて「自分が好意を寄せた人と行為に及ぶことができるかどうか」だけかもしれません。
自分がしたい行為を他者が許してくれるか。カリスマになるほどその許容度がアップするのです。
テレビの番組収録に平気で遅れてきて「前の現場が楽しすぎただけだから」と言ってのけた人はあの人しかいませんでした。極端な一例ですが、「他人に無理が言えるかどうか」こそ信用されているかどうかのチェック機能でもあると言えないでしょうか? パワハラとかセクハラはそういう意味で信頼関係の誤認、信頼関係の債務超過なのでしょう。
無論、法律という前提条件は肝心ですが、杓子定規になることなく、「俺ってそんなにカリスマ性(信頼関係)がないから今の言動はパワハラ案件かもな」という自己チェックを怠らないようにいたいものです。
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立川流真打・落語家
1965年、長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。ワコール勤務を経て、91年立川談志に入門。2000年二つ目昇進。05年真打昇進。著書に『大事なことはすべて立川談志に教わった』など。
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(立川流真打・落語家 立川 談慶)
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