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「ローマ法王も石原慎太郎もやっている」菅元首相の"ヒトラー投稿"を政争の具にすべきではない

プレジデントオンライン / 2022年2月5日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Ricardo_ha77

菅直人元首相の「(日本維新の会は)ヒトラーを思い起こす」というツイートが、政治問題として多くのメディアで報じられている。ジャーナリストの尾中香尚里さんは「ヒトラーになぞらえた批判はローマ法王さえ行っているごく普通の政治論評。立憲民主党は維新の抗議を真に受ける必要はない」という――。

■菅氏「維新の弁舌の巧みさはヒトラーを思い起こす」

立憲民主党の菅直人元首相(党最高顧問)がツイッターで日本維新の会を批判する投稿をしたことが注目されている。松井一郎代表ら維新幹部が発言にかみつき、メディアも面白おかしく(その多くが菅氏をやゆするトーンで)はやし立てている。

筆者は思わず苦笑してしまった。すでに政治の中心から距離を置いている菅氏だが、その勝負勘はまだ健在だったかと。

発言の品の善しあしは置くとして、現在の政治状況をとらえる意味で、菅氏の問題意識は正しい。夏に参院選を控える2022年、菅氏が属する野党第1党・立憲民主党が今戦うべき相手は、岸田政権以上に日本維新の会だということを、菅氏は正確にとらえていた。

「『維新』と戦う立憲有志の会の準備をしている」。菅氏がこんな投稿をしたのは、衆院本会議で代表質問が始まった1月19日のこと。「次の総選挙は自民党はもとより、東京に進出を図る維新との戦いだ。立憲民主党は政策的に真正面から維新と戦わない限り東京は維新に席巻されてしまう」。投稿の言葉には強い危機感がにじんでいたが、菅氏はさらに21日、維新創設者の橋下徹氏の名前を上げつつ「主張は別として弁舌の巧みさでは第一次大戦後の混乱するドイツで政権を取った当時のヒットラーを思い起こす」と記述した。

■偽悪的な舌戦は自民も維新もやってきたこと

当然、維新側は「反発」する。党代表の松井一郎大阪市長はツイッターに「ヒトラー呼ばわりとは、誹謗中傷を超えて侮辱ですよね。立憲は敵と思えばなんでもありという事ですか? 正式に抗議致します」と投稿。「ヒトラー発言」は複数のメディアにも取り上げられた。

菅氏の狙い通りの展開に違いない。菅氏は、発言が維新側から「反発」されることも、第三者に眉をひそめられることも、全く気にしていない。見出しにとられ、話題になった。バトルが可視化された。目的は達成されたと考えているだろう。民主党政権の発足前から何度も見てきた、菅氏の戦闘スタイルだ。

「ヒトラー発言」に何の問題もないどころか「問題にする方が問題」であることは、この間すでにいくつもの指摘が出ている。言うまでもないが「ヒトラーになぞらえた批判」は、ローマ法王さえ行っているごく普通の政治評論であり、死去が報じられたばかりの石原慎太郎元東京都知事も、橋下氏をヒトラーにたとえた過去がある。本当にやってはならないのは「ヒトラーを称賛すること」であり、今さら繰り返すまでもない。

それに、多少偽悪的(あえて言う)であっても相手を徹底的に攻撃するスタイルは、例えば安倍晋三元首相や麻生太郎前財務相ら、何より橋下氏を含む維新関係者こそが、好んで使ってきた。多くのメディアが彼らの発言を「○○節」などと呼び、むしろ面白がってきた。

菅氏の言葉を不愉快だと言うなら、政治家もメディアも、ああいう言葉を散々野放しにして、政治の言論環境を思い切り荒らしてきた自らの罪を、深く恥じるべきだろう。

■立憲の最大の敵が自民ではなく維新である理由

話がそれてしまった。本題に戻る。立憲民主党が今戦うべき相手は、岸田政権以上に日本維新の会だ、という話である。

昨年公開した記事でも述べたが、昨秋の衆院選における「自民圧勝、維新躍進、立憲惨敗」という「世間的な」評価に、筆者は異を唱えている。

理由は二つある。一つは「与野党間の力関係」という側面。与野党間に圧倒的な議席差がありながら、安倍晋三、菅義偉という2人の首相が、衆院選を待たずに辞任に追い込まれた。そこまで自民党をおびえさせたのは、直近の選挙で勝ち続けた立憲民主党などの野党である。

野党は衆院選を戦う前に「安倍・菅政治を倒す」目標を達成してしまった。選挙の結果、確かに自公政権は継続したが、少なくとも安倍・菅両政権にみられた、国会で野党の質問にかみついたり、無駄な答弁を延々と垂れ流したりする、見るに堪えない政治は影を潜めた。

もう一つは「野党内の力関係」の側面。立憲民主党の獲得議席や比例代表の得票数は、野党第1党の獲得議席としては民主党の下野後最多となった。また、野党第1党(立憲民主党)と第2党(日本維新の会)の議席差が最も開き、野党「多弱」の状態から、立憲民主党が頭一つ抜ける形となった。

■衆院選と参院選の最大の違い

最も強調したいことは、この選挙の結果、保守の自民党にリベラル路線の立憲民主党が対峙(たいじ)する「保守vsリベラル」の構図が、小選挙区の導入後初めて、明確に確立されたことだ。平成の時代に長く求められてきた「保守二大政党」の構図が、ようやく崩れたのだ。

「世間的な風評」と大きく異なる評価だとは承知している。だが、一度ステレオタイプな論評を忘れ、選挙結果の数字を虚心坦懐(たんかい)に見れば、こうした見方が提示されても、別におかしくはないはずだ。私たちの政治観が、あふれる偏った情報によっていかにゆがんでしまうかには、常に意識を向けていたい。

ともかく、2021年の政治は、2010年代の政治状況を大きく変えて幕を閉じた。自民党が政権を奪還して第2次安倍政権が発足してからの10年近い政治に一区切りがつき、2022年は新たな政治状況の中で各政党が戦う必要がある。

では立憲民主党にとって、新たな政治状況とは何であり、何とどう戦うべきなのか。ここでようやく話が冒頭に戻るが、つまりは「維新から野党第1党の座をいかに守るか」である。

小選挙区制は政権与党と野党第1党を中心とした1対1の戦いだ。選挙戦では与党と野党の第1党が有利になる。政権を争う二大政党が一度確立すれば、その後は野党第1党と第2党の交代は難しい。

しかし、参院選には複数区がある。ほとんどの選挙区で野党が候補一本化を迫られる衆院選と違い、複数区や比例代表における「野党間競争」の持つ意味が大きい。野党第2党の日本維新の会が目指すのは、野党第1党となり政権への挑戦権を得ること。維新にとって目下最大の敵は、自民党の岸田政権以上に、立憲民主党なのである。

マイクを手にメモを取るジャーナリスト
写真=iStock.com/Mihajlo Maricic
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Mihajlo Maricic

■メディアによる「維新上げ」の風が吹き荒れている

先の衆院選以降「世間的な風評」はすっかり「維新躍進、立憲惨敗」のイメージ一色に塗り込められている。「維新が野党第1党をうかがう勢い、危機感を抱く立憲」といったトーンの論評がこれでもかと流され、政界の「空気」が強引に作られていく。

典型例が1月21日の朝日新聞朝刊の記事「維新の矛先、首相も立憲も」だ。20日の衆院本会議の代表質問で維新の馬場伸幸共同代表が、月100万円の文書通信交通滞在費(文通費)について「自民と立憲の事実上の『談合』で(抜本改革が)先送りされた」と発言したことを好意的に取り上げた。何しろ文末がこうだ。

「馬場氏は記者団に語った。『与党にも野党にも言うことを言う。これが是々非々の政治だ』」

維新幹部の発言で記事を締める。ここが見出しにもなっている。見得を切る歌舞伎役者を見るようだ。馬場氏の発言を無批判に持ち上げていると思われても仕方がない。

立憲は馬場氏の発言について「『談合』は事実と異なる」と批判しているが、馬場発言の問題は「立法府(与野党)が行政府(岸田政権)に対し諸施策を問いただす場」である国会で、答弁に立てない野党を批判する非常識さにある。こういう場面で正しいパンチを繰り出せない現在の立憲には歯がゆさを禁じ得ないが、ここで押さえるべきは「メディア環境が完全に『維新上げ』の状況のなかで、立憲は参院選までの半年を戦わなければいけない」ことである。

■「保守二大政党」の構図を何としても取り戻したい人たち

「維新上げ」はある意味歴史的なものだ。冷戦が崩壊してからの30年余り、日本の政界は政治家も学識者もメディアもこぞって「保守二大政党」を追い求めた。社会民主主義とかリベラルといったものは「負け組」「古びたもの」として政治の脇へ追いやろうとしてきた。その最たるものが2017年の「希望の党騒動」。まさにリベラル勢力を政界から一掃しようという動きだった。改革保守勢力たる維新を持ち上げる動きも、この流れの中にある。

だが、リベラル勢力は意外にしぶとかった。民主党は「リベラルは愛である」と語っていた鳩山由紀夫代表の時代に政権交代を成し遂げ、菅直人氏も首相になった。希望の党騒動の際はリベラル勢力の「救命ボート」として結党された立憲民主党が、その希望の党を抑えて野党第1党の座を勝ち取った。昨年の衆院選では自民党に下野の恐怖を与え、首相の首をすげ替えさせ、そしてついに前述した「保守(自民)vsリベラル(立憲)」の対立構図を生んだ。

「保守二大政党」志向の人々にとって、この状況が面白いわけがない。今、現実のデータの評価を若干ゆがめてまで声高な「維新上げ、立憲下げ」が続いているのは、リベラル勢力が政権選択の一翼を「担ってしまった」現在の状況を破壊し、再び「保守二大政党」の軌道に戻したい人々の声が、今の政界でそれだけ大きい、ということなのだろう。

■参院選の結果次第では「万年野党」を歩む可能性も

筆者は、維新がそんなに簡単に、立憲に迫る勢力になるとは考えていない。維新は先の衆院選で「4倍増の躍進」と騒がれたが、それは前々回の2017年衆院選が、希望の党騒動という特殊事情の中で戦われ、維新の票が希望の党に流れたからだ。維新が先の衆院選で獲得した41議席は、希望の党騒動の一つ前、2014年衆院選での獲得議席と同じ。要は希望の党騒動前の議席に戻っただけにすぎない。

また維新は地方組織も、大阪以外では立憲民主党以上に心もとない。メディアの後押しで空中戦を有利に進めることに活路を見いだそうとしている、というのが維新の現状だと思う。

とはいえ現在の「維新上げ、立憲下げ」の言論環境は手強い。菅直人氏のヒトラー発言に目くじらを立てる論評はあっても、維新議員のこれまでの幾多の悪口雑言はほとんどスルーされている。その分かりやすい例の一つが、前述した朝日新聞の報道であろう。文通費について事実関係もお構いなしに「事実上の『談合』」などと国会で発言し、答弁できない野党を貶めるような発言を、問題にするどころか、逆に「事実上」持ち上げてしまっているのだ。意図しているか否かは別として。

こんな言論環境のなかで、参院選に向けた空中戦はかなりの威力を持つことになるかもしれない。

繰り返すが、参院選は野党間競争の側面が、衆院選に比べて強く出る。公正とは言いがたい現在の言論環境のなかで、立憲民主党が自民党だけを相手に「提案型」なるスタイルで優等生的な政治を繰り返すだけなら、後ろから維新に殴り倒されかねない。先の衆院選で辻元清美氏が維新の牙城・大阪で落選した痛手が、党全体に広がる可能性もある。

参院選で維新の大きな躍進を許せば、維新に実力以上の期待が高まり、その後の次期衆院選で立憲民主党は野党第1党の座を脅かされかねない。前述したように、小選挙区制は二大政党が特に優位になりがちだ。一度野党第2党に転落すれば、第1党への浮上は容易ではない。政権への挑戦権を長期的に手放し、万年野党への道を歩むことになりかねない。それでいいのだろうか。

■「支え合いの社会」か「自己責任社会」か

筆者が「立憲vs維新」の対立を重視するのは、両者の対立はつまり「支え合いの社会」(立憲)なのか「改革による自己責任社会」(維新)のどちらが、自民党に対峙する「政権の選択肢」であるべきか、という「目指す社会像の戦い」でもあるからだ。

衆院選は野党同士ではなく、与党と野党が「目指す社会像」をかけて政権を争う戦いであるべきだ。そして、自民党に代わる社会の選択肢は、平成の時代の古臭い「改革保守の自己責任社会」ではなく「支え合いの社会」であってほしいと筆者は思う。

せっかく「支え合いの社会」で政権の選択肢になる立場を手にしたのに、それを手放すきっかけを作ってしまうのか。再び「保守二大政党」の古い政治に戻すのか。今度の参院選で立憲民主党に問われているのは、そういうことではないか。

立憲民主党が自民党から政権を奪い、政権党として自らの手で「支え合いの社会」を実現したいなら、万年野党になりたくないなら、戦うべき時には戦い、相手を殴るべき時にはきちんと殴るべきだ。次期衆院選を見据えれば、立憲民主党が参院選に向けて今殴るべき相手は、維新なのではないか。維新と真剣にぶつかって勝ち抜き、野党の中核としての立場をさらに揺るぎないものとした上で次の衆院選に臨み、その時こそ自民党をしっかりと殴るべきだ。菅氏の騒動はそれを思い起こさせてくれたと思う。

もちろん、激しい空中戦にもなぎ倒されぬよう、地域にしっかりと根を張り「地力をつける」努力が、今の立憲民主党に何よりも必要であることは、改めて言うまでもない。

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尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト
福岡県生まれ。1988年に毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長などを経て、現在はフリーで活動している。著書に『安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ』(集英社新書)。

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(ジャーナリスト 尾中 香尚里)

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