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「親の介護丸投げで遺産貰おうなんて」家族会議でハゲタカ義姉を撃退した嫁の啖呵【2021編集部セレクション】

プレジデントオンライン / 2022年5月7日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/vanda_g

2021年にプレジデントオンラインで配信した人気記事から、いま読み直したい「編集部セレクション」をお届けします――。(初公開日:2021年4月10日)
アルツハイマー型認知症の義父母を自宅で介護することになった30代の嫁の前に現れたのは、義姉。介護には一切、手を貸さないにもかかわらず、親の実家売却額の分け前や遺産分割を求める。ワガママ言い放題の義姉に対して家族会議で嫁が発した痛快な啖呵とは――。

■義父母の「遺産」目当てに義姉がしゃしゃり出てきた

(前編から続く)

2018年12月。中部地方に住み、介護認定調査員の仕事をする能登千秋さん(仮名・30代後半)夫婦は、結婚して他県で暮らす義姉を交えて家族会議の場を設けた。当時、義姉は40代。大学生の息子と高校生の娘がいた。義姉は自分の子どもたちに入学や卒業など何かお祝い事があってもなくても、頻繁に義母に金の無心をしてきた。

義両親は認知症になる前、まだ元気な頃は、義姉家族とよく旅行や外食に出かけていたが、費用だけでなく土産代まで、すべて支払っていた。

義姉は、能登さん夫婦がアルツハイマー型認知症で生活に不安がある義父母の実家を売却して、自宅に招いて同居することになったと知り、「千秋さんはそれでいいの?」と聞いてきた。能登さんが「嫌だって言ったらお義姉さんがみてくれるんですか?」と訊ねると、「いや、ウチは子どもたちが今就活や受験で……」と慌てて、自分が両親をみる覚悟はさらさらない。

義姉は10年ほど前、母親や今は亡き祖母に「実家に帰ってくるなら事前に連絡して、手土産ぐらい用意する!」と怒られてから、実家に寄り付かなくなっていた。

夫が両親に700万円の借金があることについて話すと、「家を処分して返せばいいじゃない」と義姉は即答。

■親の介護放棄「姉ちゃんは人として間違ってる」

続いて夫が義父母に、「父さんたちは相続について何か考えはある?」と訊ねると、義父は「お前に一任する」と言った。

「ありがとうお父さん。俺の考えは、両親は俺たちが引き取って同居する。借金は家を売却して返済。残金は2人の老後の資金として、死亡後の口座凍結に備えて、父さんと母さんの口座に半分ずつ。借金さえ完済すればギリギリ年金で生活はできるから、貯金は施設に入るときに使う。だから姉ちゃんには、相続を放棄してほしい」

夫がそう言うと、「そんな! ウチだっていろいろ大変なのに!」と義姉が声を上げ、義母も「たった2人の姉弟なんだから、仲良く分ければ良いじゃない!」と続いた。

「お母さん、介護も家の売却も借金の返済も俺たちに丸投げ。なのに何もしない姉ちゃんに『財産を半分あげて』は変だろう? 俺らは別にお金にこだわってるわけじゃないけど、姉ちゃんは人として間違ってる。千秋も言いたいことあったら言っていいよ」

突然話を振られた能登さんは、「ただ娘だっていうだけで、親の介護もせずに財産がもらえるって、幸せだなって思います」と控えめに発言した。

■義姉「そんなことないわよ! 私だって協力するもの!」のウソ

すると「そんなことないわよ! 私だって協力するもの!」と義姉。そこで能登さんはにっこり。

「お義姉さん、お義父さんとお義母さんの遺産を相続する代わりに、介護もやってくれるんですね! 以前、『プロらしく介護しろ!』って仰っていたから、てっきり私たちに丸投げするのだと思っていました。メインは私たちで構いませんが、たまにはお義姉さんのところに1〜2カ月行くのも、旅行気分で良いかもしれませんね! 私たちも助かりますし、お子さんたちもお祖父ちゃんお祖母ちゃんとゆっくり過ごせるし、お義姉さんも、お義母さんにいろいろ助けてもらえるからありがたいですよね?」

義姉は顔面蒼白で、「1〜2カ月はちょっと……」とぽつり。

思考が糸でつながる男女
写真=iStock.com/tomozina
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/tomozina

「俺らは年単位でみるんだよ。姉ちゃんがお父さんとお母さんをみて、俺が相続放棄するっていうのでも全然構わないんだけど?」

夫が訊ねると、姉はか細い声で言った。

「お父さんとお母さんのことは、あなたに任せるわ。相続を放棄するかは、夫と話し合ってから返事します……」

■我慢していた30代嫁がついに爆発、痛快な啖呵を切った

すると義母が、「ゆっくり考えればいいわよ! この子ばっかり責められて、かわいそうで見てられないわ」とかばう。その言葉を聞いた能登さんは、思いのたけを吐き出した。

「お義母さん、失礼ですけど、元を正せば、お父さんとお母さんの借金が原因ですよね? お義姉さんは家が遠いって言い訳してちっとも来ないし、かわいそうと言うなら夫のほうがよっぽどかわいそうですよ。都合の悪いときだけお義父さんや物忘れのせいにする母親! 親のことをみる気もないくせに、口ばっか出してお金のことは一丁前に主張してくる姉! 急激に認知症が進んでいる父親! 夫は全部一人で背負ってるんです! 感謝されても文句言われる筋合いはないと思います!」

思わず義姉は、「あなたにそこまで言われる筋合いないわよ!」と立ち上がる。しかし能登さんは、一喝した。

「それなら自分の親の介護くらいやりなさいよ! 文句ばかり言って、面倒なことは全部弟夫婦。何年も来なかったくせに、家売ってお金が入りそうとわかったら急にやってくる。弟の嫁が自分の思い通りになるなんて思わないでください!」

姉は絶句するしかなかった。

「千秋の言うことはもっともだと思う。これから千秋には絶対に迷惑かけるんだから、何回お礼言ったって足りないよ。姉ちゃん、両親は俺ら夫婦がみるけど、これまで通り何もしないなら相続放棄を頼む。それができないなら、俺はどんなことをしても、娘として親を見るという義務を果たしてもらうから。お義兄さんと相談したら、早いうちに連絡して」

夫がしめると、能登家最初で最後の家族会議は終了した。

■2世帯同居「自分たちのことは自分たちで」はもろくも崩壊

12月25日。能登さん夫婦は子どもたちを保育園に預け、義実家へ。例によって義母は認知症の影響か「通帳を失くした」と騒いでいた。能登さん夫婦は探しているフリをしながら荷造り。一通り生活に必要なものがそろったところで、「今日から一緒に暮らそう。子どもたち楽しみに待ってるから、クリスマスパーティーでもしようよ」と夫が声をかける。

義母は初めは渋ったが、「2人とも本当にありがとう。感謝します」と言い、何かを手に戻ってきた。見ると、土地の権利書や実印、ネックレスや指輪などの貴金属類だった。

「ウチにはこれだけしかないのよ。後は図鑑や辞書、レコードやCDくらいかしら。そういうのは後で片付けるわ」
「わかった。これらは失くさないように千秋と一緒に管理するね」

能登さんと夫は、スマホのボイスレコーダーのスイッチを入れて、預かったものを一つひとつ確認しながら車に積み込む。

ボイスレコーダー
写真=iStock.com/#Urban-Photographer
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/#Urban-Photographer

能登さん夫婦の家に到着すると、義母は泣きながら「ご迷惑おかけしますが、よろしくお願いします」と言い、義父は笑顔で「よろしく頼む」と頭を下げた。

義母は「掃除や洗濯は任せて」と言うが、能登さん一家は2階、義両親は1階で、「お互いのためにも、自分たちのことは自分たちでやりましょう」と言って聞かせた。

保育園から帰ってくると、子どもたちは「じいじとばあばだ〜!」と大喜び。

ところがその夜、「そろそろ御暇(おいとま)しましょうか」と義母が立ち上がる。2人が引き止めると、「こんなボケた両親と一緒に暮らしてくれるなんて……こんな有り難いことないわよ」と号泣。

義母はその後も、能登さん夫婦の寝室のドアを何度もノックしては、「明日の朝帰りますからね〜」と繰り返し、能登さん夫婦はなかなか寝付けなかった。

■深夜の義父の徘徊「ご苦労さま」と寝室に侵入してくる

翌日から能登さん夫婦は、義実家を片付けつつ、両親が2人で入れる施設探しを開始。

同居から1週間が経つ頃、義父の徘徊が始まった。深夜から明け方、「ご苦労様です〜!」と言いながら、能登さんたちの寝室に入ってくる。トイレの近い義父は、1〜2時間毎にやってきた。

一方、義母は毎日のように「通帳がない!」と騒ぎ、銀行に再発行の電話をしてしまう。能登さんは家事・育児・仕事に介護が加わりヘトヘトだった。夫は家事にも子育てにも協力的だったが、やはり自分の親相手だとイライラしてしまうようで、母親との喧嘩が絶えなかった。

施設探しも難航した。義母が世間体を気にするあまり、「私たちにはまだ早い」「ここは年齢が上の人ばかりで話が合わなさそう」などと言って行きたがらないのだ。

■借金ありの認知症の親から金品をとろうとする義姉の神経

そんな中、まだ幼い子どもたちは、度々体調を崩す。しかし認知症の義両親には言ってもすぐに忘れてしまうため、寝かしつけ中でもお構いなしにやってくる。能登さんは気が休まるときがなかった。

2019年2月。義母が「お金がない」「お金を下ろしてきて」と何度も言うようになり、もしやと思った能登さんが聞くと、息子の就職と、娘の大学が決まったので、義姉がお祝いを催促してきたらしい。能登さん夫婦は、借金があり、認知症になった両親から金品をとろうとする義姉の神経を疑った。

能登さんは、図書カード5000円分ずつと、お守りを贈ることを提案。するとお守りが大好きな義母は大賛成し、近所の寺院に義父と一緒に行き、就職祝いに「学業成就」、大学入学祝いに「合格祈願」のお守りを購入。能登さんが郵送し、夫は義母のスマホから自分たちの連絡先以外を削除した。

お守り
写真=iStock.com/FrankvandenBergh
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/FrankvandenBergh

■義父はケアハウス入所も女湯に入ったり、トイレ以外で放尿したり

同年4月。義父は能登さんの名前を忘れてしまっただけでなく、態度がよそよそしくなった。今までは「千秋さんおはよう。いつもありがとう」とフレンドリーに接していた義父だが、「ご苦労さまです。いつもすみませんね」と他人行儀。少し怒りっぽくなったこと、短期記憶がかなり怪しくなっていることから、「文字が書けるうちに早く実家が売れてほしい」と願いつつ、片付けに焦る能登さん夫婦だった。

そして7月。能登さんは退職。育児と介護を両立するため、夫と相談の上、自宅に近いエリアで再就職を目指すことに。

7月末には、かねて申し込んでいたケアハウスに空きが出た。介護が付いたケアハウスは高額なため、付いていないところを選択。能登さん夫婦のどちらか、もしくはヘルパーが介助しに行く必要があるが、能登さんにとっては、家族水入らずの時間や一人時間が増えるのはうれしかった。

例によって義母は嫌がり、能登さんが「1階の床下の工事をする間だけ」と機転を利かせて入所させたが、平穏は長くは続かなかった。

義父の徘徊が増え、勝手に他人の部屋のドアを開けたり、女湯に入ったり、トイレでないところで放尿してしまうなど、問題行動があまりに多かったため、6日で退所することになってしまったのだ。

かなり症状が進んだ義父と再同居することに不安を感じた能登さん夫婦は、すぐに次の入所先を探す。6日間とはいえ、ケアハウスの利用料、ハウスクリーニング代などがかかるため、義父母の両方を施設には入れられない。

ひとまず義父だけ仮に預け、その間になるべく費用の安い施設を探す。やむなく再同居することになった義母は、夜間せん妄がひどくなっており、「家に帰る!」「お金がない!」などと繰り返し、能登さんは睡眠不足に悩まされた。

■義両親にしてあげたことや使ったお金など細かく書き残す

やがて、介護認定調査の結果が出る。義父は要介護3。義母は要介護1。義父は泊まり中心、義母は通い中心で、同じ小規模多機能施設へ預け始めた。

能登さん夫婦は2人とも介護福祉士。介護には慣れているとはいえ、ピンチに瀕した際の連携プレーが素晴らしい。特に、能登さんの頭の回転の速さが際立っている。

しかし、まだ義実家が売れていないため、金銭的には苦しいはずだ。当初、能登さん夫婦は、義両親に使えるお金は、月15万円以内と考えていたが、約20万円になってしまっていた。それでも、能登さんは落ち着いていた。

「足りない分は夫が立て替えて、義実家が売れたときに返してもらうつもりです」

能登さんは、義両親との同居前に、相続に詳しい知人から「最近は嫁の介護に対しても相続が発生するから、義両親にしてあげたことや使ったお金など、細かく書き残すと良いよ」とアドバイスをもらったため、ずっと記録しているという。

ただ献身的に介護するのではなく、もらうべきものはもらう。そうした姿勢が潔い。能登さん夫婦は節約のため、義実家の片付けや物の処分は、業者に頼まず自分たちでおこなったが、おかげで2人とも腰を痛めてしまった。

義実家の片付けは順調に進んでいたが、市の無料相談で弁護士に相談したところ、名義人である義父の認知症がネックで、「売却はかなり難しいです」との返答。

能登さん夫婦が肩を落としていると、偶然数年ぶりに会った知人が、「先日、認知症になった親の家を売却したところ」だという。「渡りに船」とばかりに詳しく聞くと、知人いわく、「認知症でも、本人がうなずければOK」と言う。

翌日、知人が利用した不動産屋に電話で問い合わせると、「意思確認の時に名前が言えて、『売却しますか?』と聞かれてうなずければ問題なし」との返事。調べてみると、認知症になった人の不動産を専門に扱う業者もあることが分かり、専門の業者を含め、複数の不動産屋に査定を依頼した。

■義実家は売却でき義父は特養入所できたが、嫁は病魔に襲われ…

2019年10月。能登さんは自宅近くで介護認定調査員として働き始め、家事・育児に義母の介護、義父の面会、義実家の庭の手入れなどに追われた。

12月。3歳の長男に原因不明の発熱が続き、かかりつけの小児科から総合病院を紹介される。検査の結果「ヒトメタニューモウイルス」が重症化したことによる、肺炎と気管支炎の併発と分かり、5日間入院。能登さんは病院に泊まり込み、つきっきりで看病した。

2020年2月。能登さんは仕事中に突然、激しい頭痛と目眩に襲われ、嘔吐してしまう。何とか子どもたちを保育園に迎えに行くが、家事まではできない。夜勤明けの夫に家事を頼み横になるが、翌朝も良くならない。無理やり仕事に行くが、途中で動けなくなり、夫に迎えに来てもらい、脳外科へ向かった。

脳外科では、CTを撮るも異常なし。医師からは、「極度のストレスと疲れ、筋肉の緊張からくる症状と思われます。漢方を処方しますので、様子を見てください」と言われた。

ベッドにあおむけになり枕で顔を覆う女性
写真=iStock.com/sestovic
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能登さんは仕事を減らし、義母のショートステイを増やし、夫のサポートを受けながら養生に努める。幸い、出された漢方薬が合っていたのか、症状は落ち着いてきた。

数日間ショートステイを利用すると、義母は入浴を拒否するらしく、いつもひどい臭いをさせて帰宅。臭いに敏感な長男は、あまりの悪臭に嘔吐してしまったこともあった。

■コロナ禍で婦人科系の腫瘍の再発が発覚

2020年10月。義実家には何度か買い手が現れては頓挫してしまうことが続いたが、義父の立ち会いのもと、ようやく契約まで終了。コロナの影響であまり面会できず、久しぶりに会った義父は、少しふっくらして顔色も良く、要介護3の認知症とは思えないほどしっかりしていた。不動産屋と義父、夫とのやりとりを見ていた能登さんは、「やっとここまでこれた……」と感慨深く、涙がこみ上げて来るのを抑えられなかった。

2021年2月。能登さんは20代の頃に婦人科系の腫瘍(良性)の切除と甲状腺腫瘍(良性)の手術を受けたことがあるが、婦人科系の腫瘍の再発が発覚し、手術を受けることに。育児と介護がある能登さんは日帰り手術を希望し、義母を3日だけショートステイに預け、自宅で安静に過ごした。

そして3月。義父が要介護3になってから申し込んでいた特養に空きが出たという連絡が入る。

義実家が売却できたため、借金は完済し、これまで夫が立て替えた義父母の生活費もすべて精算済み。義父が特養に移れば、残った貯金と年金で義両親は生活できる。「義実家も売れて、お義父さんの特養も決まるなんて……夢じゃないよね?」。能登さんは自分の頬をつねった。

「ダブルケア(義父母介護と育児)をしていて最もつらいのは、かわいい息子たちに自分の全てを注げないことです。認知症の義両親は、子どもが熱を出したと伝えても忘れてしまうため、子どもの看病に集中してあげられません。子どもが病気の時が一番しんどいと思いました」

暗い部屋の窓から外を見る2人の子ども
写真=iStock.com/SanyaSM
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SanyaSM

■人としてダメな義姉に比べ、いつも影で支えてくれた実姉

能登さんがつらいとき、影で支えてくれたのは実の姉だった。姉は、小さい頃から能登さんの一番の理解者で、困ったときはいつも話を聞いてくれた。しかし、今は姉にも家庭があるため、つらい・苦しいはなるべくお風呂で泣いて流し、代わりに愛しい息子たちの笑顔とハグでパワーをもらった。

「私としては、仕事であれば介護にはやりがいや喜びばかりなのですが、身内の介護を始めて、『こんなにもやりがいや喜びがないものなのか!』とびっくりしました。義両親が楽しそうにしている姿を見たり、おいしいと言ってご飯を食べたりする姿を見ても、『良かったね』とは思いますが、やりがいや喜びに直結しません。きっとその一瞬一瞬よりも、自分たちの生活にかかる制限や負担感のほうが大きいからだと思います」

介護のプロである能登さん夫婦でも、在宅介護は楽ではないのだ。素人では難しいはずだ。

「実際に在宅介護をしてみて、『お金があったらな……』と何度思ったかわかりませんし、介護サービスを利用する際は、『お金はかかるけど、少しでも楽になるなら』と何度も思いました。お金は、健康なら働いて稼げますが、ストレスで健康を失えば、働くこともできません。今でも『嫁が家でみるのが当たり前』なんて言う人がいますが、嫁にだって生活がありますから。使える手段はすべて使ってほしいなと思います」

能登さん夫婦は、自分たちが経験した苦労を子どもたちにはさせないために、自宅のローンを完済して一息ついたら売却し、2人でケアハウスに入ろうと考えているという。

「子どもたちには『介護』という負担を少しでも減らせたらなと思います。そのためには、一生懸命働いて、お金を貯めなければいけませんけどね……」

現在、77歳の義父は特養。76歳の義母は在宅。長男は4歳。次男は2歳だ。能登さん夫婦のダブルケアはまだまだ続く。しかし、能登さん夫婦は自然に話し合うことができ、お互いを敬い、信頼し合っていることが大きな強みだ。これからも夫婦で協力し、困難を乗り越えてほしいと思う。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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