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本物の「シャブ漬け生娘」を治療してきた精神科医が、吉野家常務の発言と反応におぼえた強い違和感

プレジデントオンライン / 2022年4月26日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kokkai

吉野家の役員の「生娘をシャブ漬けにする」という発言の本当の問題点はどこなのか。精神科医の松本俊彦氏は「覚醒剤依存症の人の多くは、自己肯定感が低く、孤独に苦しんでいる。『シャブ漬け生娘』という表現は、そうした人たちをより苦しめることになる」という――。

■吉野家騒動に潜んでいるもう1つ別種の差別

「田舎から出てきたばかりの生娘をシャブ漬けにする企画」。吉野家の伊東正明・常務取締役企画本部長は、若い女性向けのマーケティング施策についてこう表現し、役員を解任された。不快に思うのは無理もない。なにしろ、その表現には、吉野屋を訪れる客を馬鹿にしているばかりか、人身売買的犯罪を肯定するようなニュアンスが含意されているからだ。

とはいえ、ちょっと気がかりなことがある。

くだんの発言を非難する人のなかには、「シャブ漬け生娘」という表現から「シャブ山シャブ子」(「相棒 Season 17」, テレビ朝日, 2018)のような覚醒剤依存症者のイメージを思い浮べ、「あんなゾンビみたいのと一緒にするな!」と憤る人が混じっていないだろうか?

勘違いかもしれない。私が薬物依存症を専門とする精神科医で、それこそ世間から「シャブ漬け生娘」と形容されかねない患者の治療をするのを生業としているせいで、いささか神経質になりすぎている可能性もある。

だが、もしも私の懸念に多少ともあたっている点があるならば、この騒動の深層には、もう一つ別種の差別が存在することにならないか。

■「シャブ漬け」になるのは依存性が強いからだけではない

おそらく世間の人たちが「シャブ漬け生娘」という言葉から想像するのは、次のようなイメージであろう。

覚醒剤に脳と心を支配され、それを手に入れるためならば、暴力をふるう男との生活に耐え、見知らぬ男に身体を売り、仕事も乳飲み子の世話も放り出して薬物に耽溺する女性、あるいは、世の中にはそんな生活よりももっと楽しく、素敵なことがあるはずなのに(=牛丼よりももっとおいしい高級料理があるはずなのに)、シャブ以外目もくれず、薬物中心の生活を送っている女性……。

だが、物事はそんな単純ではない。彼女たちが「シャブ漬け」になるのは覚醒剤が強力な依存性薬物だから――だけではないのだ。いくら何でも、それでは薬物の影響力を過大評価しすぎというものだろう。「ダメ。ゼッタイ。」なるプロパガンダを掲げる薬物乱用防止教育では、「一回やったら人生は破滅」と連呼されるが、これは疑似科学的なフェイクニュースにすぎない。

■薬物を接種し続ける動物たちは孤立無援を感じている

かつて頻繁に行われた実験がある。ネズミやサルの頸静脈にカテーテルを留置した状態で檻のなかに閉じ込め、ネズミやサルがレバーを押すと、カテーテルを介してヘロインやコカインがその体内に注入される、という装置(スキナーボックス)を用意する。すると、動物たちは日がな一日レバーを押し続けるようになり、やがてその頻度はエスカレートし、挙げ句に死んでしまう、というものだ。

この実験が、薬物が「脳をハイジャックし、最後は人を死に至らしめる魔物」であることを証明し、厳罰政策や、薬物依存症者をゾンビのように醜悪に描く、差別的な予防啓発を肯定する根拠とされてきた。

しかし、このお粗末な実験を鵜呑みにしてはいけない。檻のなかの動物が死ぬまでレバーを叩くのは、孤独なうえに死ぬほど退屈で、何よりとても窮屈で、そうしたつらさを紛らわせるのに、他にできることがないからなのだ。

それを証明したのが、1970年代終わりに心理学者ブルース・アレキサンダーが行った、有名な「ラットパーク実験」だった。それは、一匹ずつスキナーボックスに閉じ込められたネズミと、多数の仲間と一緒に広々として遊具がたくさんある楽園に置かれたネズミとで、どちらの方がよりたくさんのモルヒネを混ぜた水を消費するのか、という実験だった。

その結果、大量のモルヒネ水を懸命に摂取し消費するのは、檻のなかに閉じ込められた孤独なネズミの方だった。広々とした快適な空間で仲間たちとじゃれ合い、楽しむネズミたち、不思議とモルヒネ水を消費せず、見向きもしなかったのだ。

■人間が覚醒剤に依存してしまう原因も孤立無援にある

ラットパーク実験は、依存症の原因は、薬物の側ではなく、孤独で窮屈な檻の側にある可能性を示唆している。

都会の夜景を眺めている若い女性
写真=iStock.com/Satoshi-K
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Satoshi-K

人間だって同じだ。

もしも「シャブ漬けになった生娘」がいたとすれば、それは覚醒剤という強力な依存性物質だけのせいではない。彼女たちの多くが、嵐の吹き荒れる家庭に育ち、虐待やいじめといった暴力、あるいは無関心に曝されながら、生き延びるために家を脱出していた。当然ながら、金もなければスキルや知識もなく、何より安心して相談できる相手がいない。

そんな寄る辺なき彼女たちが夜の街を漂流していると、つけ込んでくる悪い男たちがいる。彼らは生娘たちに手っとり早く金を稼げる仕事と居場所を与え、ついでに覚醒剤も与える。

■彼女たちは心の痛みを緩和し、自殺を遠ざけたい

もしかすると表向き、彼女たちは享楽的な日々を無邪気に楽しんでいるように見えるかもしれない。だが、決してそれでよいと思っているわけではないのだ。隙あればその状況から逃れたいと願い、実際、逃亡も試みるが、すぐに連れ戻され、あるいは、一人で生計を成り立たせることができず、肩を落として元鞘に収まらざるをえない。そして、再び殴られ蹴飛ばされる恐怖と痛みの世界で、「助けを求めても無駄なのだ」と絶望している。

なかには、その地獄に奇妙な居心地のよさを感じてしまう人さえいる。子どもの頃から「一番承認してほしい人」から殴られて育てられてきた人は、しばしば愛情の絆と暴力とを混同し、男性からの暴力に「愛されている」と誤解してしまいやすい。

「覚醒剤と出会わなければ、そうはならなかった」という意見もあるだろう。しかし、はたして本当にそうか? 私の臨床経験に照らせば、覚醒剤と出会わなければ、代わりにリストカットや市販薬のオーバードーズ、あるいは拒食や過食・嘔吐に耽溺した可能性がある。いずれも、胸の奥にぽっかりと口を開く虚無を埋めて心の痛みを緩和し、今すぐ自殺するのをほんの短いあいだ延期する効果があるからだ。

■恵まれた環境で育った子ならば危機回避は難しくはない

恵まれた環境のなかで自己肯定感を育まれた子ならば、そうはならない。これまでたくさんの承認を受けてきた蓄積があるから、「自分には力がある」「自分はそんな人間ではない」という確信がある。いつ田舎に戻っても、温かく迎え入れてくれる居場所があり、悪い男に捕まったら諭してくれる仲間がいる。だから、あやしげな誘惑を拒絶することにためらいがない。

こういった認識が生きるうえで役立つのだ。仮に不運にも覚醒剤のような薬物に手を出し、溺れかけてしまっても、そうした子ならば、周囲や専門家の助けを借りて薬物を手放し、人生の軌道修正を成し遂げるだろう。

もしも伊東氏が勘違いしているとすれば、まさにその点だ。

■女性たちを狙い通り「牛丼漬け」にすることは難しい

そもそも、金持ちの男性に高級料理を奢られるのが女性にとって真に幸せなことなのか、むしろ男性が女性を支配・被支配の力学に絡めとるための罠なのではないのか、という疑問がある。しかし、それについてはひとまず脇に置いておこう。

誓ってもよいが、「田舎から出てきたばかりの生娘」が自分のお金で高級料理を食べられるようになったなら、それまでどれほど「牛丼漬け」になっていても、一生懸命頑張った自分へのご褒美として「牛丼」という話にはならないはずだ。少なくとも、自身の安心・安全な居場所を見いだし、ささやかな誇りを持てる仕事と経済力を手に入れたなら、「今日も明日も明後日も牛丼」とはならない。

もちろん、ときには若き日を懐かしく思い出し、久しぶりに若き日に世話になった牛丼店を再訪し、意外なおいしさに舌鼓を打つといったことはあるだろう。だが、それは気まぐれな郷愁であって、日常ではない。

美味しい手作り牛丼
写真=iStock.com/shirosuna-m
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/shirosuna-m

■「あんな女たちと一緒にするな」という気持ちはないか

最後に、「生娘をシャブ漬け」という発言に怒れる人たちにお願いがある。

怒りはもっともだが、ここは一つ深呼吸をし、自らの内なる深淵に糸を垂らして、静かに自問してみてほしい。あなたの心のどこかに薬物依存症者を蔑み、「あんな女たちと一緒にするな」と一線を引こうとする気持ちはないのか、と。

そのうえで想像してほしいのだ。「生娘をシャブ漬けにする」という言葉に声を失い、凍りついた表情をしている人たちのことを――そう、それはまさに現在、薬物と暴力の恐怖に苦しむ女性たちのことだ。

今回の騒動、真に怒るべき点はどこなのか、しっかりと見定めてほしい。

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松本 俊彦(まつもと・としひこ)
精神科医
国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部部長 兼 薬物依存症治療センターセンター長。医学博士。1967年生まれ。93年佐賀医科大学医学部卒業。横浜市立大学医学部附属病院などを経て、2015年より現職。近著に『薬物依存症』(ちくま新書)、『誰がために医師はいる―クスリとヒトの現代論』(みすず書房)がある。

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(精神科医 松本 俊彦)

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