「人の気持ちが分からないのは、心が冷たいからではない」脳科学者がそう断言する理由
プレジデントオンライン / 2022年5月3日 12時15分
※本稿は、茂木健一郎『意思決定が9割よくなる 無意識の鍛え方』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■「他人とわかり合える」という思い込みは止めたほうがいい
いつの時代も、人間関係は生きていく上で最重要テーマの一つである。仮にあなたが「私は私、他人は他人」と思っていても、他者は必ずどこかで介入し、本人が望まずとも、その人の思考や人生に何かしらの影響を及ぼすものだ。
心理学者のアルフレッド・アドラーが「すべての悩みは対人関係に集約される」と言い切ったように、他者が存在しないことには、自己認知が成立しない。悩みに限らず、僕たちの無意識や、それに伴う言動の傾向において、その多くは他者の存在を抜きにして考察することはできない。
人間関係について考えたときにまず理解しておきたいのが、他者とは決してわかり合えないという事実である。
考えてみれば、これは至極当然のことだ。男が女のことを完全に理解するのは不可能だし(逆もしかり)、生涯健康な人は先天的に持病を持つ人の気持ちを厳密にはわからない。ラノベしか読んだことがない人は、純文学の魅力を理解し難いだろう。内部モデルがないまま情緒的に共感することは、本質的には何も理解していないのと同じことなのだ。
しかしながら、「わかり合う」ことができる前提で物事が進められる風潮は、多様な価値観が当たり前となった現代においても、さまざまなシチュエーションで存在している。
「なんであの人は私の気持ちを理解してくれないんだろう」「もっとお互いの立場を汲み取ってほしい」……そんな、「話せばわかる」という無意識の認識は、ある意味では危険を伴うものですらある。
■「わかり合えない」ことが分かれば人間関係はラクになる
以前、小説家の山崎ナオコーラさんと対談させていただいたとき、興味深いお話を聞いた。彼女は過去に流産した経験があるのだが、そのことを、流産の経験がない人には「話しちゃいけない空気」のようなものを感じていたそうだ。
流産の経験がない人がその話を聞いたとき、「相手の気持ちを理解して、傷つけないようにがんばらないといけない、とプレッシャーを感じるのではないか」と思っていたという。「わかり合う」ことへの執着が、逆に関係性をギクシャクさせてしまっていたのだ。
その上で山崎さんは、「理解し合わなくても、会話をしていい。そういう前提があれば、もっとお互いを受け入れやすくなるんじゃないか」とおっしゃっていた。彼女のそんなスタンスは、「価値判断をしない」というマインドフルネスの神髄に近い気がして、なんだか感心してしまったのを覚えている。
「わかり合えない」ことをわかっている。これだけで、人間関係は随分とラクになるような気がする。
■脳には「他者に共感する」機能が備わっている
わかり合えないことを前提とした上で、どのように他者と折り合っていくか。他者のことを完全に理解するのは不可能でも、僕たちの脳には元来、相手に共感しようとする機能が備わっている。
例えば、親しい友人の身内が亡くなれば、その身内とは会ったことがなくても悲しい気持ちになるだろう。ホラー映画を観ていると、主人公と同じ恐怖を自分も味わうハメになる。
実際には自分が経験していないことなのに、あたかも経験したかのように他者と同じ感情を抱く現象は、考えてみれば不思議なことだ。僕たちが共感を抱くとき、脳の中では何が起きているのだろうか。
これには、神経細胞「ミラーニューロン」が深く関わっている。
ミラーニューロンは、1996年、イタリアの脳科学者によって発見された。一部では「DNAの二重螺旋構造の発見以来の最大の科学的発見」と叫ばれ、僕も何度となく話題にしたので、ご存じの方も多いかもしれない。
ミラーニューロンとはその名(ミラー、鏡)の通り、他者の行動を見て、自分が行動したかのように脳内で反応する神経細胞のことを言う。
例えば、目の前の相手が、手を伸ばして何かをつかもうとしているとしよう。それを見たとき、自身の脳内でも、まるである種の共鳴のように、自分が手を伸ばして何かをつかもうとするときと同じ信号を出している。
赤ちゃんに舌を出すとマネをするのは、こうしたミラーニューロンの機能によるものだと考えられている。
■「相手がどう感じているか」を推測するミラーニューロン
ミラーニューロンには、他者を模倣することで動作を学習するという、身体的に重要な役割がある。しかしそれ以上に注目されたのが、他人の心を推測する神経モジュールとしての機能だ。
つまり、相手の行動を脳内で模倣することで、そのときに抱く感情を自分事として理解し、「相手がどう感じているか」を推測しようとするのだ。
例えば、高層ビルを綱渡りする人の動画を観ると、まるで自分がその場にいるかのように背中がゾワゾワすることがある。ドアに手を挟んだ写真を見ると、痛みを感じないまでも、不快な気分になるだろう。こうした感情はいずれもミラーニューロンの働きによって生じ、他者への共感に寄与することになる。
ミラーニューロンのこうした機能を含め、他者の感情や言動を読み取ろうとする、人間の生来の衝動を「心の理論」と言う。これもおそらく、「今、どうするべきか」という脳の問いに応えるべく、相手の行動を予測して生存率を高めるために備わった本能だと考えられている。
■他者の気持ちを理解できるのは4歳頃から
「心の理論」については、その発達度合いを測る有名なテストがある。
部屋にサリーという少女がいて、彼女はぬいぐるみと遊んでいる。やがてサリーは、そばにあった箱Aの中にぬいぐるみを入れ、部屋を出ていってしまう。すると、次にアンという少女がやってきて、箱Aの中のぬいぐるみを取り出し、別の箱Bに入れ替えてしまう。やがてサリーが戻ってきたとき、もう一度ぬいぐるみで遊ぶために、彼女はどこを探すかというテストだ。
このテストでは、他者(ここではサリー)の視点に立って物事を考えられるかどうか、また、「ぬいぐるみは箱Aにあるはず」というサリーの心を理解できるかどうかを判別する。これまでのデータでは、3歳児の半数以上が「箱Bを探す」と答え、4歳児以上になると、大半が「箱Aを探す」と答えている。もちろん、正解は「箱Aを探す」だ。
このことから、「心の理論」は4歳くらいになってようやく機能することがわかる。逆に言えば、3歳くらいまでは、子どもは大人が思うほど他者の気持ちを理解できないということだ。3歳ともなれば大人と達者に会話する子もいるので、少し意外に思う方もいるかもしれない。
■人間が「他者」という存在を認識していく過程
「心の理論」は4歳頃から発達するが、ミラーニューロン自体は生まれたときから脳に存在する。そして、家族やさまざまな人との触れ合いと共に「自分」と「他者」の存在を理解するようになり、共感力を育んでいく。
これには、自身の内部モデルの構築が大きな意味を持つ。人が生まれて初めて内部モデルを構築する際、多くの場合、その対象は母親だ。ミルクをくれたり、抱っこしてくれたりする母親を通して、自分にとって安全基地のようなイメージの内部モデルが出来上がる。
しかし、自分が成長していくにつれ、安全基地的な内部モデルは変化していく。
例えば、お腹が空いて泣いていても、母親が手を離せなくて相手をしてくれない場合もある。あるいは、家事や仕事でぐったりと疲れている母親を目にすることもあるかもしれない。そうした経験を通して、安全基地であった内部モデルが、一人の人間としての母親像を形成していく。
つまりこれが、「他者」という存在の認識への第一歩となり、「心の理論」を呼び起こすきっかけとなるのだ。
■「教養とは他人の心がわかるということ」
あらためて、内部モデルとは何か説明したい。
簡単に言えば、過去の経験に基づき、自分の外の世界の仕組みを脳内でシミュレーションする神経機構のことだ。
例えばタレ目の人と会ったとき、その人のことをよく知らなくても「なんか優しそうな人だなぁ」と思う。それは、「目が下がっている人は柔和な人が多かった」というこれまでの経験に基づいた内部モデルが働き、その人の人柄を推測していることに他ならない。
つまり、人との触れ合いとそれに伴う経験値、あるいは身につけた教養が豊かなほど、内部モデルのデータベースも豊富に蓄積されていく。それに伴い「心の理論」も成熟され、共感の幅が広がり、他者の感情を汲み取ることができる脳が育成されるのだ。
養老孟司さんはしばしば、「茂木くん、教養とは他人の心がわかるということなんだよ」とおっしゃっていた。それは決して情緒的な理想論ではなく、脳科学的な事実なのだ。
他者とわかり合うことは難しくても、自身の内部モデルを多彩に構築して、他者への共感力を高めることは可能なのである。
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脳科学者
1962年生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学院理学系研究科修了。クオリア(感覚の持つ質感)を研究テーマとする。『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。近著に『脳のコンディションの整え方』(ぱる出版)など。
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(脳科学者 茂木 健一郎)
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