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「家でニワトリを飼いたい」小6長男が大家さん説得のために書いた"飼育計画書"の中身

プレジデントオンライン / 2022年5月8日 8時15分

筆者の家で飼育されていたニワトリたち(画像=『ニワトリと卵と、息子の思春期』)

子供が突然「ニワトリを飼いたい」と言い出したら、何と答えるか。長崎市に暮らす写真家の繁延あづささんは、ある日小学校6年生の長男に「ゲーム買うのやめるからさ、その代わりニワトリ飼わせて」と持ちかけられた。親子に何が起きたのか――。

※本稿は、繁延あづさ『ニワトリと卵と、息子の思春期』(婦人之友社)の一部を再編集したものです。

■「お母さんがなんと言おうと、オレは放課後ゲームを買いにいく!」

わが家にはゲーム機がなかった。「友だちが持っているから買って」と言われても、面倒が増えると思い取り合わなかった。いつもそんなふうにやり過ごしていた。それがこの夏、小6の長男と小4の次男とゲーム機について言い争ううちに、長男の方が「納得できない!」と言い返してきた。

翌朝彼は、「お母さんがなんと言おうと、オレは放課後ゲームを買いにいく!」と言い放ってから学校に向かった。乱暴に閉められたあとの玄関は静まり返っていたけれど、私の胸はうるさいくらいにドキドキしていた。なんだかとてもイヤな感じがして。

考えてみれば、確かに親が反対しようとも、お金さえあれば子どもでもゲームは買えてしまう。もちろんそれは、いままでだってそうだったはず。それなのに、初めてそのことに気がついた。状況は変わってない。変わったのは息子だった。これまで、“お母さんに同意されたい”という子どもの気持ちを、ずっと利用してきたことに気づかされた。そうした気持ちがなくなってしまえば、親の意向など何の効力もない。堂々とそこを突かれたことが、腹立たしくて、悔しくて、不安だった。

“このあと私はどう母を続ければいいのだろう――”

仕事現場へと車を走らせながら私は考えていた。長男にはいままでのやり方ではもう通用しない。それはわかった。けれど、そうかといって、帰宅してゲーム機を買ってきた彼と顔を合わせたとき、私は何と言えばいいのだろうか。帰宅するのが億劫(おっくう)になってきた。

■大家さんプレゼン用に作った「にわとり飼育計画書」

夕方、仕事を終えて帰ろうとしたら長男から電話が入った。出ると、突然「ゲーム買うのやめるからさ、その代わりニワトリ飼わせて」と言ってきた。え、なに⁉ ニワトリって……。まったく予想外の展開で、返答に詰まった。というか、こんなの即答できるわけがない。

でも思い当たることはあった。数日前に私が図書館で借りてきた『ニワトリと暮らす』(和田義弥著 今井和夫監修 地球丸刊)という本。おそらく、あれを読んだのだ。パラパラとめくり、おもしろそうだと借りてしまったのは私だった。自分が蒔いた種。返す言葉が浮かんでこない。とりあえず、矛先を変えるように「ニワトリ飼うなんて、大家さんが許可しないよ!」と言い返してみた。

家に帰ると、机の上に手書きの〈にわとり飼育計画書〉なるものが置いてあった。隅っこには小さく〈飼いたい理由 卵がとれるから〉とまで書いてある。まずい。展開が早すぎて、こっちがどう出るか考えるヒマもない。どうやら長男は大家さんにプレゼンするつもりらしい。パラリとめくって中を見ると、問題点を書き出したり、解決案や小屋の設計図を描いていた。面倒なことになった。

ニワトリなんてペットでもないし、しつけも無理だろう。うちは住宅地にあるわけで、朝からコケコッコー! なんて近所迷惑もいいところ。生まれ育った地域ならまだしも、6年前に東京から引っ越してきたわが家としては、せっかく築いてきたご近所との関係を壊すわけにはいかない。

■友人まで、長男を応援しはじめた

その後も説得は続いた。といっても、私が長男を説得するのではなく、私が長男に説得されていた。長男によると、コケコッコーと未明に鳴くのはオスだけらしい。「採卵したいからメス。オスは飼わないから大丈夫」とのこと。その後、私の出張中に大家さんの許可まで取りつけてきた。狡猾(こうかつ)だ。けれど、どんなに大人の許可を取り付けたって、わが家には庭がない。「やっぱり無理だよ」と言うと、長男はわざと聞いてない素振りをした。私はモヤモヤした気持ちを吐き出すように、彼の奇行(?)をブログに書いた。

すると、思いもよらぬところから、思いもよらぬ展開が生じてしまった。山の上でカフェを営む友人の剛くんが、養鶏経験からアドバイスしようと息子を訪ねてきたのだ。

彼は対馬の在来の馬・対州馬のほか、ヤギや犬や猫と暮らしていて動物が大好き。私のブログを読んで、動物に関心を寄せる長男に共感してくれたのだそう。またも私が蒔いた種だった。私は種蒔き名人だな。

にわとり飼育計画書
長男が書いた「ニワトリ飼育計画書」(画像=『ニワトリと卵と、息子の思春期』)

■養鶏ができる土地を自ら近所で探していた

その数日後、今度はべつの友人が、私の知らぬところで養鶏の本を手渡していた。あとで知ったが、これが『自然卵養鶏法』(中島正著 農山漁村文化協会刊)という本で自然養鶏のバイブル的な存在なのだそうだ。さらに、近所の人と顔を合わせると、「息子さん土地見つかった?」などと訊かれるようになった。なんのことだ⁉ たずねると、こう返ってきた。

「息子さん、ニワトリ飼う土地探しとっとやろぉ」

なんと! 息子は養鶏させてもらえる土地はないかと近所に聞いてまわっていることが判明。私が日々仕事と家事と末っ子の世話に追われている間に、長男の養鶏熱はますます高まり、どんどん状況が変わっていく。焦った。

いや、もちろん、息子を応援してくれる人たちの厚意をありがたいと思わないわけじゃない。でも、ただでさえ慌ただしい毎日。仕事と家事で手いっぱいなのに、わが家に動物の世話が加わるなんてまっぴらごめんだ。それだけじゃない。周囲からの苦情もあるかもしれない。子どもの自由な発想はいいが、最終的に責任は親に向けられる。人生の中で一度も動物を飼ったことのない私は、正直面倒くさかったのだ。しかもペットじゃなくて家畜だなんて。

■近所の男性が土地を貸してくれることになっていた

そんな葛藤の最中、ある日息子がニヤニヤしながら「お母さん、土地が見つかったよ。うちの前の空き地」と言ってきた。なぬ⁉ 12歳の小学生が近所の大人とどう話したのか――。そう訝(いぶか)しんでいたら、玄関を叩く音。案の定、息子が話したという近所に住む男性だった。期限付きで土地を貸してくださるという。話を聞いていると、どうやらその方も息子を応援してくださるような話しぶり。なんとなく戦意をそがれた私は、「はあ、ありがとうございます」と頭を下げた。

けれど、その方が帰ったあと、私は少し冷静になって“やられた!”と思った。子どもには強気な私だが、大人相手になるとめっぽう弱い。息子はそんな母の性格を見越していたんじゃないだろうか。結局、すべて息子の思うように進んでいるじゃあないか。

とにかく、ニワトリを飼うことがどんなものかを知る必要がある。そういえば……と思い出したのは、烏骨鶏(うこっけい)を飼っている友人のこと。彼は長崎県北部・平戸で塩炊きを生業としている今井弥彦さん。お米や野菜など自分の食べる分の作物をつくったり、飼っている烏骨鶏の卵を採り、ときには絞めて食べたりという暮らしをしていた。彼の家に遊びにいきがてら見学して話を聞いてこようということになった。というのは、平戸には親しい友人一家も住んでおり、彼らに会いにいくのは私たち夫婦にとっても嬉しいイベントだったから、そこだけは気持ちが動きやすかったのだ。

烏骨鶏
純白の羽毛をまとう烏骨鶏(画像=『ニワトリと卵と、息子の思春期』)

■長崎の海沿いでニワトリを飼う友人宅を訪れた

弥彦さんが海水を汲み上げる場所は平戸島の西海岸。根獅子(ねしこ)浜・人津久(ひとつく)浜と連なる一帯にあり、長崎でも有数の美しい浜辺。子どもたちがひとしきり遊び、疲れたころ、大きくて真っ赤な夕日が沈みはじめた。望遠レンズでのぞくと、太陽と海の境目は単なる一直線じゃなかった。ゆらゆらと線がたゆたうよう。これから太陽は海の向こうの世界を照らしにいく。そんな想像をさせる風景だ。この一帯は多くのキリシタンが暮らした地域でもある。西の果てに暮らせば、〈海の向こうの世界〉への感度はおのずと高まるものがあったのかもしれない。

日が沈むと、近くの弥彦さんの家に移動して宴の準備。私は近所の猟師さんからもらった猪肉で餃子のタネをつくっていき、台所でビールを飲みながら包んでは焼きまくった。大人も子どもも楽しんだ夜だった。

そして翌朝、次男と末っ子は大はしゃぎで卵を採ってきた。私も鶏舎をのぞいてみる。烏骨鶏たちが思い思いに行動する様子が興味深く、しばらく眺めていた。こんなにじっくりニワトリを見たのは初めてかもしれない。いや、小学校の飼育小屋にはニワトリとウサギが飼われていたっけ。そんなことも何十年ぶりかに思い出した。でも、なぜそれ以来ニワトリを見ていない気がするのだろう。こんなにポピュラーな生き物なのに――と思い巡らせて気づいた。おそらく家畜だからだ。

■親と話すときとは違う、養鶏について質問する長男の姿

動物園にいくと、食肉になる動物が不在であることに気づく。いや、動物園によっては飼育されているところもあるだろうが、やはり少ない。かわいそうに感じたり、快く思えないだろうという配慮か。それとも客からそうした声が上がったのか。いずれにしても、おかげで私はいまとても新鮮な目でニワトリを見ている。歩き方、羽の広げ方、鳴き声。何もかもが興味深い。弥彦さんの鶏舎ではオスとメスが一緒に暮らしており、ぼんやりとだが、彼らの社会が感じられる風景だった。人が近づくと、メスが奥に、オスが手前へと移動していた。

いつの間にか、“うちではこんなふうには飼えないのか”と想像する自分がいた。

〈オスは夜明け前にコケコッコーって鳴くから、周囲の迷惑にならないようメスだけを飼う〉

長男の言葉が、具体的な風景として思い浮かぶようになってきていた。長男は弥彦さんから養鶏に関する話を聞いていた。エサのこと、ニワトリ小屋のこと、採卵のこと。私たち親と話すときとまるで違う。まあそりゃそうだろう。養鶏のことなどまったく知らないど素人の私たちと小競り合いするよりも、烏骨鶏を飼って暮らしてきた弥彦さんと話す方がおもしろいに違いない。

手にのせたニワトリの卵
卵を手にする子どもたち(画像=『ニワトリと卵と、息子の思春期』)

長男の行動は警戒心をもって見てしまうが、次男と末っ子がおもしろそうにニワトリを見たり雑草を差し出したりしている姿は、素直にいいなと思った。子どもたちと動物の風景は心地いい。私の気持ちは傾きはじめた。

■“命の重みは等しいか”長男の意見

長男が大家さんの許可を取りつけた私の出張中、学校では授業参観があったらしい。夫が娘連れでいったそうで、そのときの様子を話してくれた。

「遅れて、途中からしか観てないんだけど……」と前置きして、“命の重みは等しいか”というテーマの授業で、クラスの皆が“等しい”という方に手を挙げ、うちの長男だけが、そうは思わない方に挙手したのだという。

そして、その理由として「実際に経済動物というのがある」という話をしたそうだ。

“命の重みは等しい”方の子たちからの意見はなかったらしいが、「ペットが死んで悲しかったから」と言った子がいて、先生は「そうか、君には体験があるんだね」と言い添えられたのだそう。

■「命の重みが等しいかなんて言ってたら、蚊も殺せないな」

繁延あづさ『ニワトリと卵と、息子の思春期』(婦人之友社)
繁延あづさ『ニワトリと卵と、息子の思春期』(婦人之友社)

夫の報告はそこまでだったけれど、晩ごはんのときに、飛んでいる蚊をパチンとしながら「命の重みが等しいかなんて言ってたら、蚊も殺せないな」と言った夫の言葉が、どこか長男を擁護しているようで、おかしかった。いつも長男と言い争ってばかりの夫だけど、ひとりきりで意見を言う長男を、また違った目で眺めていたのかもしれない。

わが家は長崎に越してきて以来、近所の猟師さんからもらう猪や鹿の肉を食べている。私が台所で野生肉を料理する姿を見て、食べて、狩猟にも同行したことのある長男。“経済動物”という言葉から察するに、食肉の背景に思い巡らせたことがあるのだろう。そんな彼にとって、人間の口から発せられる“命の重みは等しいか”という言葉は、違和感があったのかもしれない。

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繁延 あづさ(しげのぶ・あづさ)
写真家
雑誌や書籍の仕事を行う傍ら、ライフワークである出産や狩猟に関わる撮影や、原稿執筆に取り組む。夫、二男一女と長崎市に暮らす。著書に『山と獣と肉と皮』(亜紀書房)『うまれるものがたり』(マイナビ出版)などがある。

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(写真家 繁延 あづさ)

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