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こんな政党にだれが投票するのか…今度は「維新との選挙協力」を打ち出した国民民主党の迷走ぶり

プレジデントオンライン / 2022年4月29日 13時15分

夏の参院選をめぐり、京都と静岡で選挙協力を行う覚書を交わす国民民主党の前原誠司選対委員長(左)と日本維新の会の馬場伸幸共同代表=2022年4月20日、国会内 - 写真=時事通信フォト

政府予算案に異例の賛成の立場に回った国民民主党が、今度は今夏に行われる参院選で、日本維新の会と相互協力すると発表した。ジャーナリストの尾中香尚里さんは「国民民主党はもはや与党なのか野党なのかもわからない。これでは有権者は投票のしようがない」という――。

■日本維新の会との選挙協力を発表した国民民主党

政府の2022年度予算案に賛成した国民民主党について、筆者は4月18日、「やがて自民党に吸収されるだけ……国民民主党がまんまとハマった『提案型野党』という毒饅頭」という記事を書いた。記事の中で、玉木雄一郎代表の予算案賛成方針に反対の意思を示し、採決で体調不良を理由に欠席した前原誠司代表代行兼選対委員長の動向に注目した上で、以下のように指摘した。

「前原氏が今回の予算案をめぐる国民民主党の行動を機に、自らの『非自民性』を改めて強く自覚したのなら、もう一度『政権を担い得る野党勢力』をしっかりと構築するために、自分のなすべきことが見えてくるのではないか」

記事の公開直後の20日、新たな動きがあった。夏の参院選で国民民主党と日本維新の会が、前原氏の地元である京都、それと静岡の2選挙区で、それぞれの党が支援する候補を相互推薦することで合意したと発表したのだ。

どうも前原氏らの独断だったらしい。相互推薦に関する合意文書に「政権交代を実現し」などの文言があったことなどについて、玉木氏が「党執行役員会の事前の了承を得ていない」と問題視。合意はわずか1週間で破棄される可能性が高まりつつある。

前回の記事で指摘した玉木氏と前原氏の確執は、もはや抜き差しならないところまで来たと思う。この党の空中分解は、筆者が思うより早いのかもしれない。

前原氏はもともと、維新との連携に積極的な姿勢を示していた。自らを「非自民」と明確に意識しているはずの前原氏が、後述するように岸田政権の発足以降急速に野党色を強めている維新と手を結ぼうとするのは、その是非はともかく、あり得る行動なのだろう。実際、前原氏は同日の記者会見で、相互推薦の理由について「新たな政権交代を目指す受け皿を作るため」と発言している。

■政策実現第一の玉木氏と、政権交代を掲げる前原氏の党内確執

問題は、前原氏のこうした考えが、政府の予算案に賛成するほど自民党にすり寄った玉木氏の考えと相容れるはずがない、ということだ。

18日の記事の繰り返しになるが、「たとえ自民党と連携してでも政策実現」の玉木氏と「非自民勢力を結集し、政権交代して政策を実現」の前原氏では、目指す政治の姿はもはや真逆なのだから。

これでは、有権者は国民民主党に、何を託して投票すれば良いのか分からない。この党は与党なのか、野党なのか。自民党政権を倒して政権を作るのか、自民党の補完勢力になるのか。そんな大事なことをあいまいにしたまま、有権者に目をつぶって投票せよ、と言うのだろうか。

連携する政党をその時々で都合良く入れ替えながら「時には与党、時には野党」のような振る舞いをこれ以上続けていたら、国民民主党はやがて、あらゆる政治勢力からの信頼を失い、しまいには自らの存在意義さえ失ってしまうのではないかと危惧している。

■自民とも維新とも連携を深めることはあり得ない

ここで、前回の記事とは少し違う視点を提示してみたい。

国民民主党の中に「自民党と戦って政権を勝ち取り政策を実現する」ことを目指す前原氏に対し「自民党と協調してでも政策を実現する」ことを目指す玉木氏――という対立構造があることは、すでに指摘した。だが、対立軸はそれだけではない。もっと根本的な「目指すべき社会像」という問題がある。

玉木氏はなりふり構わず「自民党への接近」に突っ走り、一方の前原氏は「維新との連携」を模索しているわけだが、少なくとも夏の参院選で、この二つは両立しない。なぜなら現在の政界において、岸田政権と維新は「目指すべき社会像」が真逆であり、国民民主党がその双方と連携を深めれば、自らが股裂きに遭うからだ。

菅前政権の時は「目指すべき社会像」の対立軸の分断線が、与野党の間に明確に存在していた。菅氏や、その前任者でアベノミクスを推し進めた安倍晋三元首相が「自助」をうたい、新自由主義的な「自己責任社会」を目指したのに対し、立憲民主党の枝野幸男前代表は「お互いさまに支え合う社会」を掲げて野党をまとめて戦った。何かにつけ立憲といがみ合っている国民民主党も、政策の立ち位置は後者に近い(もともと同じ民主・民進党に所属していたのだから、当然と言えば当然である)。

一方、「身を切る改革」という新自由主義的路線を掲げてきた日本維新の会は、一応野党でありながら、むしろ安倍・菅両政権と極めて親和性が高かった。

■自民党内にも生まれた「自己責任社会」か「支え合いの社会」かの対立

岸田政権の誕生で、この構図は複雑に変化している。

相変わらず何をしたいのかが見えない岸田文雄首相の「新しい資本主義」だが、少なくともコンセプトだけは、昨秋の衆院選を戦った野党共闘勢力に近いように見える。後景に退いた安倍氏らと路線を異にしているのは確かだろう(だからネット上などでは、安倍氏のシンパとみられる人々が、積極的に岸田首相を攻撃している)。

岸田首相が、何かにつけ政権への「介入」を図る安倍氏らの影響力を排除できるのか、安倍氏の傀儡で終わってしまうのかはまだ見通せないが、かつて与野党の間にあった「目指す社会像」の対立軸が、自民党内にも生まれたのは確かなようだ。

■国民民主党は党としてのゴールを見失っている

野党陣営の対立軸はもっと分かりやすい。立憲民主党らの「支え合いの社会」と、日本維新の会の「身を切る改革」から生まれる自己責任社会は、菅前政権の時代に与野党の間にあった対立軸そのものだ。政界では選挙になると「野党の候補者一本化を」という声が上がるが、少なくとも立憲民主党を中心とした野党勢力と維新にそれを望むのはほぼ無理であり、やるべきでもないと思う。

つまり現在は、本来与党と野党の間にあるべき「目指すべき社会像」の対立軸が、与党と野党それぞれの内部にある、という難しい政治状況が発生しているのだ。

国民民主党は、小政党でありながら、党内にその対立軸の双方を抱え込んでいる。そして、個々の議員が自らが思い描く政権構想に基づいて勝手に連携相手を求め、もはや党として何をゴールとしているのか分からなくなってしまっている。

矢印の上から遠く離れた旗を見ている旗を持つビジネスマン
写真=iStock.com/z_wei
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/z_wei

自民党などと連携して、与党になって政策を実現するのか、野党として与党を倒して政権交代で政策を実現するのか。そのどちらに進むのかも分からない。支え合いの社会を目指すのか、自己責任の社会を目指すのか、それも分からない。

そんなあいまいな立ち位置が、なぜ自分たちには許されると考えるのだろうか。甘えが過ぎるのではないか。

■選挙を経ずに自民にすり寄る国民民主党は有権者への裏切りである

国民民主党を含む野党陣営は、昨秋の衆院選で政権を取れなかった。ならば野党各党は、再び「次の衆院選での政権奪取」を目指し、権力の監視と「次の政権」に向けた準備に全力を挙げるべきだ。それが衆院選で示された民意である。こうした民意を無視し、選挙を経ずに権力にすり寄る玉木氏の行動は、民主主義のあり方として間違っている。少なくとも次の衆院選までは、野党としての立場を全うすることを忘れてはいけない。

一方で、いくら野党の連携が必要だとしても、自分の党が目指してきた社会像と真逆の政策を掲げる維新との連携を図る前原氏の行動も、また間違っていると筆者は思う。前原氏自身が5年前の民進党代表選当時から現在に至るまで掲げている「All for All」(みんながみんなのために)と照らし合わせても、維新の方向性は全く違う。

「All for All」に共感して前原氏を支持した人たちもいたはずだ。前原氏は、自らの理念・政策を、もっと大切に扱うべきだ。

■予算案賛成で批判したばかりの国民民主と選挙協力する維新の矛盾

国民民主党の姿勢にも首をかしげるが、さらにわけが分からないのは日本維新の会だ。

維新は安倍・菅両氏が政権を降りて岸田政権が誕生するという自民党内の「疑似政権交代」(ポスト55年体制が定着した令和の時代に、こんな昭和のような自民党内政局をまだ見せられるとは思わなかった)に呼応して、政権から大きく距離を取り、岸田政権批判に転じていた。自らの「身を切る改革」とは逆方向の指向性を持つ政権だと察したのだろう。その意味において、維新の姿勢は正しい。

でも、だからこそ維新は、国民民主党が政府の予算案に賛成した時、そのすり寄りぶりを厳しく批判したのではなかったか。松井一郎代表は3月17日の記者会見で「与党と一緒に政策協議するなら、早く自民党に連立の申し入れをした方が分かりやすい」と述べ、国民民主党を突き放した。

その舌の根も乾かぬうちの選挙協力。松井氏は4月20日の記者会見で「政策が一致するグループと連携していきたい」「政策の一致なく『立憲共産党』のような野党談合は一切しない」と記者団に語ったが、ではこの1カ月で国民民主党の何が変わったのか、維新は何を根拠に国民民主党への評価を変えたのか、全く分からない。

曲がりなりにも市民連合を介して共通政策への合意を取り付けた立憲民主党と共産党などと比べても、「談合」の度合いは国民民主党と維新の方がずっと大きい。そう言われても仕方がないのではないか。

■野党間の小競り合いは野党全体を沈没させるだけ

今回の相互推薦は、両党の選挙戦術上も微妙だと思う。

例えば国民民主党にとって、維新の公認候補予定者を推薦することは、本当に党勢拡大につながるのだろうか。支持団体の連合京都はすでに、立憲民主党の福山哲郎前幹事長の推薦を決めている。京都の連合系地方議員は対応に苦慮するのではないか。5年前の「希望の党騒動」の京都版が起きる可能性も否定できない。選挙結果次第では、国民民主党と連合との間に埋めがたい亀裂が入る可能性もある。

逆に維新は、国民民主党が推薦する無所属候補の応援が、本当に党の利益になるのだろうか。

維新はこれまで、他の野党と自らの間に一線を引いて孤高を演出してきた。「与党も野党も批判する」ことで「しがらみのなさ」を訴え、支持を得てきた。にもかかわらず、自らが口を極めて罵ってきた労働組合を支持基盤に持つ国民民主党と組むことを、支持者はどう受け止めるだろうか。

また、京都と違い、静岡では連合静岡が、国民民主党系の現職の推薦を決めている。維新は今後、与党にすり寄る国民民主党を批判してきたことに加え、労組と選挙協力を行うことについても、これまでの姿勢との整合性を問われることになるだろう。

維新の松井一郎代表は27日になって、国民民主党との選挙協力について合意を白紙に戻す可能性に言及したが「何を今さら」という印象しかない。

もうここまで来たらいっそのこと、どの党が自民党と対峙する野党の盟主なのかがはっきりするまで、徹底的に小競り合いでも何でもすれば良いのではないかという気もしてくるが、その小競り合いが結果として、野党全体を沈没させてしまう可能性に誰も思いが至らないのだとしたら、実に残念なことである。

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尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト
福岡県生まれ。1988年に毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長などを経て、現在はフリーで活動している。著書に『安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ』(集英社新書)。

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(ジャーナリスト 尾中 香尚里)

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