「脳を持たないのに合理的な行動ができる」イグ・ノーベル賞を二度受賞した"すごい単細胞生物"
プレジデントオンライン / 2022年6月14日 10時15分
※本稿は、チーム・パスカル『いのちの科学の最前線 生きていることの不思議に挑む』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
■粘菌研究で「イグ・ノーベル賞」を二度受賞
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中垣俊之(なかがき・としゆき)教授
北海道大学 電子科学研究所
1963年生まれ。1989年北海道大学薬学研究科修士課程修了後、製薬企業勤務を経て、名古屋大学人間情報学研究科博士課程修了、学術博士。理化学研究所基礎科学特別研究員、北海道大学電子科学研究所准教授、公立はこだて未来大学システム情報科学部教授を経て、2013年より現職。専門分野は物理エソロジー。イグ・ノーベル賞を二度受賞(史上2件目)。2017年から2020年まで電子科学研究所所長を務める。
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生物は、大きく二種類に分けられる。脳を持つ生物と、脳を持たない生物だ。人は脳を持つ生き物、ゆえに知性を備えている。では、脳を持たない単細胞生物に、知性はないのだろうか。環境変化に対するコロナウイルスの順応ぶりを見ていると、生物ではないウイルスでさえも、何らかの生存戦略を持っているかのように思える近年だ。
実際、単細胞生物の中には、まるで知性に裏づけられたような振る舞いを見せるものがある。北海道大学電子科学研究所の中垣俊之教授は、その一つである真正粘菌の複雑な動きに着目し、粘菌に知性と呼ぶにふさわしい能力を見出した。そして粘菌研究で「イグ・ノーベル賞」を二度受賞している。
イグ・ノーベル賞といえばノーベル賞のパロディ……、一般にはその程度の受け止め方をされているようだ。けれども同賞は、「人々を笑わせ、そして考えさせる業績」に対して贈られる賞である。だから単にユーモアあふれるだけでなく、改めて「人に考えさせる気づきや発見」が必ずセットでなければならない。これを二度受賞(2008年と2010年)した研究者は、中垣氏を含めて今のところ世界で4人(中垣氏の共同研究者2名を含む)しかいない。
■単細胞生物が「知性」を持つ可能性を発見
中垣氏の発見とは、人間以外の単細胞生物が知性を持つ可能性であり、その功績に対して「認知科学賞」(2008年)と「交通計画賞」(2010年)を贈られた。いずれも研究の対象となったのは、真正粘菌の一種モジホコリ(Physarum polycephalum:以下粘菌)である。この粘菌は通常、公園の枯れ葉や朽ち木のあるような場所に潜んでいる。大きさがせいぜい2ミリ以下と小さいため、普通に公園を歩いている分には、まず気づかないだろう。
ただし、この粘菌は単細胞生物でありながら、極めて特殊な性質を備えている。たとえばときに、周囲が数十センチメートルにもなるシート状の形をとる。だからといって、小さな粘菌がいくつも集まるわけではなく、単細胞のままで巨大化するのだ。このように巨大化した粘菌は、「変形体」と呼ばれる。
■状況に応じて大きさを自在に変える不思議な生き物
粘菌のような単細胞生物は「原生動物」と呼ばれ、同じ単細胞生物の細菌とは異なり、細胞内に核を持つ真核生物である。単細胞のままで巨大化するだけでも不思議な現象だが、粘菌の変形体はさらに奇妙な特徴を備えている。
「巨大粘菌の外見からは、まるでマヨネーズを薄く引き伸ばしたかのような質感が感じられます。内部にはきめ細かな管のネットワークが張りめぐらされていて、その中を栄養やさまざまな信号が活発に流れています。さらにじっくり観察していると、管の中の流れの向きが、2分ぐらいの間隔で変わっている様子が分かります」
変形体となった大きな粘菌をちぎると、断片は新たに単細胞の粘菌となる。条件次第では、その粘菌が成長して再び巨大な粘菌ともなりうる。あるいは複数の変形体が合体して、巨大化する場合もある。
巨大化した変形体は、ゆっくりと動き回って餌を探して食べる。ところが空気が乾燥するなど外部環境が悪化すると、一変して今度は1~2ミリぐらいの小さな変形体に分裂して、子実体(胞子をつくって放出するためのキノコ状の形態)になったりする。状況に応じて大きさを自在に変える、融通無碍とも言える不思議な生き物なのである。
■好むのは有機栽培のオートミール、醤油は嫌う
また粘菌は、さまざまな化学物質に対して明確な反応性を示す。実験用に飼育する際の飼料は、市販のオートミールだ。それも、化学肥料や農薬を使って育てられたものより、有機栽培のものを好んで食べる。もとより粘菌は単細胞生物であり、脳も神経細胞も持たない。にもかかわらず、まるで味覚を持っているかのような行動を取るのだ。
逆に嫌うのが、醤油やマラリア特効薬のキニーネなどだ。ただキニーネを嫌うとはいえ、その嫌い方は一様ではなく個々の粘菌により異なる。
公立はこだて未来大学の高木清二准教授らが、次のような実験を行った。
「細長いレーンを用意して、その片端に粘菌を置き、真ん中あたりに濃度の薄いキニーネをセットして粘菌の動きを観察してみました。すると粘菌はまず、反対側に向かって動き始めます。その後、キニーネのあるところまで来ると、そこでいったん止まるのですが、その後の行動が粘菌により異なるのです。すなわちキニーネを乗り越えて前進するもの、キニーネから引き返すもの、キニーネのところで分裂して前進と後退に分かれるものもある。一連の観察結果からは、一つひとつの粘菌には個性のようなものが備わっていて、それが異なると考えられます」
感覚に似た機能を備えるばかりか、個性のようなものまで持っていそうな粘菌とは、いったいどのような生物なのか。中垣氏の関心は自然と、粘菌の知性に向かっていった。
■迷路で粘菌が見せた「知性」
2008年に中垣氏らは、イグ・ノーベル賞で「認知科学賞」を贈られた。これは、迷路を使って粘菌の知性を探究した成果を評価された結果だ。
「最初に4センチ四方ほどの粘菌の変形体を、迷路全体にまんべんなく広がるようにセットしました。次に、迷路の入口と出口の2カ所だけに餌を置きました。その結果、何が起こったか。粘菌はまず、行き止まりとなっている経路から後退していきました。続いて餌のある入口と出口をつなぐ経路すべてに、いったんは管を残しました。ところがその次には驚くべきことに、管の中で遠回りとなる経路にある管が、やせ細って切れてなくなったのです」
結果的に、迷路内でも入口と出口を結ぶ最短距離の経路に残った管が太くなり、粘菌の塊は餌のある入口と出口に集中した。両端を管でつないで変形体としての一体感は維持しながら、餌のある場所、つまり入口と出口に本体を集中させる。しかも塊をつなぐ太い管は、しばしば迷路内の最短距離を通る。
■「生存のために適した行動」を取った
一連の粘菌の動きは、極めて合理的と言えるだろう。だから粘菌の行動の背景には何らかの法則性がある、と中垣氏は考えた。
「迷路という複雑な状況の中で、生存のために適した行動を粘菌は取りました。おそらくこれは脳や神経系の有無にかかわらず、あらゆる生き物が持っている基本的な知能と呼ぶべき能力の一端であり、究極的には物理法則に還元できる全生物共通の基盤だと考えられます。
たとえば人に当てはめれば、野球で外野手がフライボールを追いかけてキャッチするとき、選手がいちいちボールの弾道計算などしているはずもありません。選手は、ただボールを見上げる角度が一定になるよう走っているのであり、これは浮遊物を捕獲するために備わったアルゴリズムの一種と考えられます。同じような浮遊物捕獲アルゴリズムは、犬やアブなど他の生物も持っているようです。だからフライをキャッチするのと同様に、空中にある餌を捕まえられる。つまり人間と犬、そして昆虫とその姿形は大きく異なっても、何らかの基本設計を共有していると思われます」
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2011年に結成された、理系ライターのチーム。構成メンバーは、ノンフィクションライター、ビジネスライター、小説家、料理研究家、編集者、メディアリサーチャーなど多様なバックグラウンドを持つ。サイエンスを限定的なテーマとして扱うのではなく、さまざまな分野と融合させる、多様なストーリーテリングを目指している。
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(理系ライターチーム チーム・パスカル)
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