「弱いストレス」だけで死に至る…免疫をめぐるマウス実験の"ぞっとする結果"
プレジデントオンライン / 2022年6月17日 10時15分
※本稿は、チーム・パスカル『いのちの科学の最前線 生きていることの不思議に挑む』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
■ストレスが病気を引き起こすメカニズムはよく分かっていない
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村上正晃(むらかみ・まさあき)教授
北海道大学 遺伝子病制御研究所
1963年生まれ。1993年大阪大学大学院医学研究科博士課程修了。北海道大学免疫科学研究所助手、コロラド大学客員准教授、大阪大学大学院医学系研究科助教授、同大学院生命機能研究科准教授を経て、2014年より教授。16年から20年まで北海道大学遺伝子病制御研究所所長、21年より量子科学技術研究開発機構量子生命科学研究所量子免疫学グループリーダー、自然科学研究機構生理学研究所教授、22年より同大学遺伝子病制御研究所所長を再び務める。
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一昔前なら、「病は気から」ということわざは、「気合と根性で病気なんて吹き飛ばせ」という文脈で使われたかもしれない。だが、現代ではこの言葉を、病気にならないためには「気」、すなわちストレスの対処法や心のケアが大切であるという意味で受けとめる人のほうが多いだろう。大きなストレスは、私たちの体を物理的に傷つけ、病気を引き起こすことが広く知られ、経験則的な証拠も数多く挙がっているからだ。
ところが、現象としては多く知られていても、ストレスが病気を引き起こす分子メカニズムは、まだあまり分かっていない。
最もよく調べられているのが、全身をめぐるホルモンを主役とするメカニズムだ。大きなストレスがかかると、腎臓のすぐ上にある副腎という臓器からホルモンが分泌される。これが血液にのって全身を流れ、細胞にメッセージを送ることで、血圧や血糖や免疫機能などが調整される。本来は、ストレスから体を守る機能だが、長期的にストレスが続くと、体のあちこちにさまざまな機能障害を引き起こしてしまう。現代社会でのダラダラ続くストレスは、体も想定外なのだろう。
ただし、このような全身をめぐるホルモンの働きだけでは、ストレスと病気の関係のすべてを説明することはできない。
北海道大学遺伝子病制御研究所教授の村上正晃氏は、指定難病である「多発性硬化症」を研究する過程で、神経と免疫系が相互に制御し合っている新しい仕組みを発見した。そこから、ストレスが病気を引き起こす全く新しいメカニズムが浮かび上がってきた。
■「多発性硬化症」の研究で現れた意外な結果
多発性硬化症は、脳と脊髄の神経細胞の髄鞘が障害されて、視力や運動能力や認知機能など、さまざまなところに症状が現れる難病だ。髄鞘というのは電線を覆う絶縁体のカバーのようなもので、神経細胞を覆って情報伝達の効率を高めている。これが障害を受けると、神経回路による情報伝達がうまくいかなくなる。害を受けた髄鞘の場所や神経回路によって、症状も多彩になる。発症の原因は完全には分かっていないが、自己を攻撃してしまう免疫細胞が何らかの原因で生じて脳や脊髄に入り込んでしまったせいであることが、遺伝的な解析から分かっている。
免疫細胞は、ウイルスや細菌などの異物と闘うが、そのためには敵と味方をきちんと見分ける必要がある。だが、何らかの原因で自分の細胞や臓器を敵だと認識して攻撃してしまう免疫細胞が誕生してしまうことがある。そのような自己に反応する免疫細胞が原因で引き起こされる疾患群が「自己免疫疾患」で、多発性硬化症もその一つである。
「私たちは、自己の髄鞘を攻撃する免疫細胞をマウスの静脈に注射することで、多発性硬化症のモデルマウスを作製しました。自己反応性免疫細胞を入れてから1週間ほどで弱い麻痺などの症状が認められ、2週間で完全に病態が現れました。しかし、これはよく考えると、今までの常識を覆す意外な結果だったのです」
■血管中の免疫細胞は脳や脊髄に入れないはずだ
村上氏が意外な結果だと話すのは、本来、脳や脊髄には、血管中の免疫細胞は入れないはずだからである。全身の細胞は、血管を通して必要なものを取り込んだり排出したりしている。そのために血管の壁は適度にゆるみ、物質を通す仕様になっている。しかし、中枢神経(脳と脊髄)周りの血管は例外的で、血液脳関門と呼ばれる緊密な構造になっている。大事な中枢神経を守るために、血管壁の内側の細胞が密着しており、大きな分子が通れないのだ。免疫細胞も通り抜けできないはずだった。
「マウスに麻痺が起きたということは、脳や脊髄で、血管中の免疫細胞が集まって炎症が起きていることを意味します。血液脳関門があるので、血管に注射された免疫細胞は脳や脊髄には入らないはずなのに、なぜそれが起きたのか。どこかに入口があるのではないかと思って、詳しく調べることにしました」
■「第5腰髄」に入口が形成されていた
処置を施し、病態を発症する前のマウスの組織を詳しく調べ、注射した免疫細胞がどこにあるのかを解析した。すると、マウスの脊髄のある場所だけに目印である蛍光が光っていた。自己反応性免疫細胞は、背骨の下側の第5腰髄と呼ばれる場所の血管の周囲に集まっていたのだ。
この結果から、血液中に存在する自己反応性免疫細胞の入口が、何らかの原因で第5腰髄の血管にできてしまったのではないか、と村上氏は考えた。
「第5腰髄の横にある神経節は、脚のふくらはぎの裏側にあるヒラメ筋からの刺激を受けます。ヒラメ筋は地球の重力に対して姿勢を保つために働く筋肉で、それは人間でもマウスでも同じです。そこでマウスの尻尾を器具で吊って、ヒラメ筋に重力がかからないで生活できる状態を意図的につくり出し、自己反応性の免疫細胞を血液中に投与しました。すると、今度は第5腰髄には入口が形成されず、その部分の脳脊髄炎の発症も抑えられました」
他にもいくつかの実験を重ね、村上氏はこの現象を次のようなメカニズムで説明した。
「ヒラメ筋は、重力に対抗する姿勢をとると緊張状態になります。それにより感覚神経が活性化し、その刺激は、第5腰髄横の神経節に伝えられます。その影響で、その近くの第5腰髄の交感神経も活性化します。この交感神経の活性化が、第5腰髄の背中側にある血管の免疫反応の過剰な活性化を引き起こし、入口が形成されると考えています」
■上腕三頭筋への電気刺激で、違う場所に入口ができた
特定の感覚神経に入力された刺激をきっかけに、特定の血管に入口ができて、本来侵入しないはずの血液中の免疫細胞が組織に侵入する。
この現象を「ゲートウェイ反射」と名付けた。「ゲートウェイ(Gateway)」とは、このときつくられる入口のことを指す。この成果は2012年に自然科学のトップジャーナルの一つである米国科学誌『セル』に掲載された。
この研究にはスケールの大きなおまけがある。重力の効果をさらに確かめるために、自己反応性免疫細胞を注射されたマウスは宇宙に旅立った。2019年にJAXAとNASAとの共同研究で、無重力状態でゲートウェイ反射がどうなるのかを調べたのである。地上では尻尾を吊って無重力を模擬して実験を行ったが、それでは他の筋肉に力がかかっている影響を排除することはできないからだ。マウスは1カ月後に無事帰還し、解析したところ、重力の影響がない宇宙では、第5腰髄の入口はつくられなかったことが分かった。
さらに、重力以外の刺激でもゲートウェイ反射が起こるのではないかと村上氏は考え、実験を続けた。脚を吊ったマウスの上腕三頭筋を電気刺激すると、今度は第3頸髄から第3胸髄に入口が形成された。重力刺激とは違う場所だ。
また、痛み刺激や網膜への光刺激によっても、それぞれ違う場所に入口がつくられた。
■「弱いストレス」を与え続けられたマウスが急死
2017年の実験では、それ自体では健康に影響を与えない弱いストレスを与え続けることで、自己反応性免疫細胞を注射したほとんどのマウスに急死を引き起こした。
「ストレス刺激の場合、入口は脳の特定の血管に形成されて、『ストレスゲートウェイ』と名付けました。ここに運悪く血液中に自己反応性免疫細胞が存在した場合、この血管の周りに集まって微小な炎症を発生させ、そこに分布している今まで活性化していなかった神経回路を活性化します。それが最終的に、胃と心臓につながる迷走神経回路を強く活性化して、それぞれに支障をもたらします。最悪の場合、死に至ることもありえます」
強いストレスでマウスが病気になることはこれまでにも知られていたが、今回の研究で与えたのは通常では病気を引き起こさない弱いストレスだ。それでも、自己反応性免疫細胞が血液内に存在するマウスでは、胃や十二指腸の出血や、心筋が壊れたときに放出される因子が認められたと村上氏は言う。
■「ぐっすり眠れない状態」を与え続けた
いったい、どのようなストレスを与えたのだろうか。
「一つは、マウスをじめじめしたところに置く実験です。マウスは濡れるのが嫌いなので、常に少し不快な状態でいることになります。もう一つは、特殊なケージで飼って、ぐっすり眠るのを妨害するというストレスです。マウスはぐっすり眠ると尾の力が抜けてだらりと下がってしまいますが、そうすると水に尾がついて、目が覚めてしまうのです」
我慢できないほどではない少し不快な場所に居続けたり、うとうとするけれどぐっすり眠れない状態を続けたりしたマウスが、血液中の免疫細胞の状態次第で急死に至る。この結果をそのまま人間に当てはめることはできないが、身に覚えのあるストレスなだけに、ぞっとする話である。生活環境の悪化や寝不足などの慢性的なストレスが、胃痛や下痢を引き起こし、心臓の機能不全など体の不調を誘発し、急死あるいは突然死を引き起こす……。リアルな「病は気から」がありありと思い浮かぶ。
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2011年に結成された、理系ライターのチーム。構成メンバーは、ノンフィクションライター、ビジネスライター、小説家、料理研究家、編集者、メディアリサーチャーなど多様なバックグラウンドを持つ。サイエンスを限定的なテーマとして扱うのではなく、さまざまな分野と融合させる、多様なストーリーテリングを目指している。
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(理系ライターチーム チーム・パスカル)
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