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ハーバード大学の首席でも就職先ゼロ…4歳児を連れたユダヤ人女性が「伝説の最高裁判事」になるまで

プレジデントオンライン / 2022年6月7日 18時15分

ルース・ベイダー・ギンズバーグ(写真=Supreme Court of the United States, Photographer: Steve Petteway/PD US SCOTUS/Wikimedia Commons)

アメリカには生涯にわたって性差別と戦い続けた「伝説の最高裁判事」がいる。最高裁判事を27年間つとめたルース・ベイダー・ギンズバーグさんは「ハーバード大学を首席で卒業しましたが、4歳児を連れたユダヤ人女性である私に、チャンスをくれる企業はひとつもなかった」という。アメリカの人気番組『ザ・ルーベンシュタイン・ショー』をまとめた書籍『世界を変えた31人の人生の講義』(文響社)から紹介しよう――。

■自分の考えがあることに初めて魅力を感じてもらえた

【ルーベンシュタイン】ご結婚されて56年になります。コーネル大学でパートナーのマーティと出会いました、そうですね?

【ギンズバーグ】ええ、私が17歳で、彼が18歳のときでした。

【ルーベンシュタイン】コーネル大学に通う女性がそこで結婚相手に——それも子育てや料理はもちろん、結婚生活におけるあらゆる家事を進んで分担しようとするような相手に出会う可能性は、いったいどれくらいあるでしょう? あなたがご覧になって、それはごくありふれたことですか?

【ギンズバーグ】いつの時代もなかなか難しいでしょうが、特に1950年代にはあり得ませんでした。ちなみに当時のコーネル大学の学生の男女比は4対1の比率で、女性ひとりに対して男性が4人の割合ですから、娘を持つ親ならぜひ娘を送りたい場所でした。コーネルで結婚相手が見つからなければ、ちょっと絶望的です。

マーティは、私が自分の考えを持っていることに惹かれた初めての男性でした。彼はいつも私を理解し、応援してくれました。

■2%弱しか女性がいなかったハーバード・ロースクール

【ルーベンシュタイン】コーネルでのあなたの成績は、間違いなく優秀でした。そしてハーバード・ロースクールに進まれます。当時のクラスの男女比は、半々くらいでしたか?

【ギンズバーグ】いえ、とてもとても。はるか昔の話ですが、私は1956年から59年までロースクールに通いました。新入生は500人以上いましたが、私たち女性は9人でした。

でもマーティの学年に比べたら大躍進です。彼は私よりも1学年上のクラスにいましたが、女性は5人でしたからね。

今ではハーバード・ロースクールの学生の半数は女性です。

【ルーベンシュタイン】あなたはとりわけ優秀だったので、機関誌の『ハーバード・ロー・レビュー』に参加されます。成績はトップ、悪くてもトップタイでした。

マーティがニューヨークへ移らなければならなくなると、あなたも一緒に行こうと、コロンビア・ロースクールへの転校を希望されました。ハーバード・ロースクールの学部長は、ハーバードの学生として卒業したいのなら、あまり良い考えだとは思わなかったようです。

【ギンズバーグ】学部長は、卒業生になるには3年目をハーバードで過ごす必要があると言うのですが、そうしなかったのには理由がありました。マーティがロースクールの3年生で、精巣癌と診断されたからです。

■「規則は規則」学位は取得できなかった

【ギンズバーグ】当時は癌の治療も緒に就いたばかりでした。まだ化学療法はなく、大量の放射線をあてるだけで、彼が生き残れるかどうかは分かりません。でも私は、シングルマザーにはなりたくありませんでした。私がロースクールで勉強を始めたとき、娘のジェーンはまだ1歳2カ月でしたし、私たちは家族として一緒にいたかったのです。

マーティはニューヨークの会社で良い仕事に就いていました。私の胸の内には簡単な答えがあったので、私は学部長に尋ねることにしました。「コロンビアで無事に法学を修めたら、ハーバードの学位を認めていただけますか?」。しかし学部長の答えはこうでした。「それは無理だ。ここで3年目を送らない限りね」

そこで私は、自分では完璧と思われる反論を試みました。私のコーネル大学時代の同級生で、ペンシルベニア大学のロースクールで1年次を送り、2年になってハーバードに転入してきた学生がいたので、私は彼女を例に挙げて学部長にこう言ったのです。

「なるほど、だからアイセルベーカー夫人は2年次と3年次をここで学び、ハーバードの学位を取得するわけですね。しかしロースクールの1年目が最も重要だということは、誰もが納得する事実ではないでしょうか。彼女は2年次と3年次、私は1年次と2年次です。大した違いはないはずです」

しかし学部長から言われたのは、「それはそれ、これはこれ。規則は規則だ」という言葉だけでした。

■ユダヤ人であり、女性であり、母親であるというハンデ

【ルーベンシュタイン】あなたはコロンビア・ロースクールに通われ、法学位はコロンビアで取得されました。成績も大変優秀で、そこでもロー・レビュー(法学雑誌)の編集委員でした。『ハーバード・ロー・レビュー』と『コロンビア・ロー・レビュー』の両方に参加されたご経験がおありですから、さぞかしたくさんの有名な法律事務所から誘われたのではありませんか?

【ギンズバーグ】ニューヨークにあまたある会社のなかで、私にチャンスをくれた企業はひとつもありませんでした。私には3つのハンデがありました。

まず私はユダヤ人でした。しかも当時はまだ、ウォールストリートがユダヤ人を受け入れ始めたばかりでした。次に私は女性でした。そして何より決定的だったのが、私が母親だということでした。ロースクールを卒業したとき、娘は4歳でした。いくら女性を雇用する気持ちのある経営者でも、母親まで雇ったことはありませんでした。

■それでも雇い入れてもらうために、教授が放った一言

【ルーベンシュタイン】あなたの法学教授のひとりであるジェラルド・ガンター教授は、エドモンド・パルミエリ裁判官にかけあい、司法書記官として雇い入れてくれるようお願いしました。裁判官にとって、それは簡単なことでしたか?

【ギンズバーグ】裁判官は女性を雇用することに抵抗はありませんでした。これまでも書記官として女性を雇ったことがあったからです。それでも彼は、私が母親だということを心配していました。ニューヨークの南部地区にある裁判所はどこも忙しく、日曜日でも書記官が必要な場合があり、そういうとき、私に働いてもらえないようでは困ってしまうからです。

私が知ったのは数年後で、その当時は知らなかったのですが、ガンター教授はパルミエリ裁判官にこう話をしていたのだそうです。

「彼女にチャンスをあげてやってください。もし彼女が期待に添わなければ、彼女のクラスにダウンタウンの会社に行く男子学生がいますから、彼が代わりに出向きますよ」

それは一見、飴のようなものでしたが、実は鞭も含まれていました。つまり「あなたが彼女にチャンスを与えなければ、今後はコロンビアの学生は一切推薦しません」という意味でもあったのです。

男性の裁判官
写真=iStock.com/gorodenkoff
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gorodenkoff

■スタンフォードの才女が4カ月間無給で働いたワケ

【ギンズバーグ】私ほどの年齢と境遇の女性にとって、このような待遇こそごく当たり前のことで、まず仕事をもらうまでがとにかく大変でした。

サンドラ・デイ・オコナー判事が、どうやって最初に仕事をもらうことができたか、ご存じですか? 彼女はスタンフォード・ロースクールでも非常に優秀な学生でしたが、正式な仕事のオファーはひとつもありませんでした。

そこで彼女は郡検事を4カ月間無給で働こうと提案し、こう付け加えたそうです。

「4カ月経ったとき、私にそれだけの価値があると思えば、給与の支払い対象者にしてください」

そしてもちろん、4カ月後にはそれだけの価値があると認められたのです。

うまくきっかけをつかんで大きなハードルを乗り越え、最初のチャンスをつかむことができました。女性も機会さえ与えられれば、少なくとも男性と同じように取り組めますから、次に仕事を得ようとするときには、ハードルは幾分下がります。

【ルーベンシュタイン】法務職員を務めたあと、最終的にラトガーズ大学の法学教授という職を得ますね?

【ギンズバーグ】はい、コロンビア大学ロースクール国際手続きプロジェクトに携わっていたときに、ラトガーズから声をかけていただきました。

■市民権を裁判所に認めさせるのは困難だった

【ルーベンシュタイン】性差別の解消とそれに関する法律の制定というあなたの先駆者としての努力が、どうACLU(アメリカ自由人権協会)につながっていったのでしょうか?

【ギンズバーグ】それは、私が教えていたラトガーズの学生たちが、女性と法律に関する講座を望むようになったのがきっかけでした。そこで私は図書館へ足を運び、ひと月のうちに、連邦が下した性差別に対する決裁書にすべて目を通しました。重要なものは何ひとつありませんでした。

このころ、ACLUのニュージャージー支部に新しい苦情が寄せられていました。これまでACLUが目にしたことのないもので、苦情を申し立てていたのは、妊娠が始まったときにいわゆる産休を取得した公立学校の先生たちでした。

彼女たちが産休を取った理由が、学校運営にあたっている学区が、『小さな子どもたちに、先生がスイカを飲み込んだと思わせたくない』と心配したためだったというのです。産休は無給扱いで、しかも復職も保証されていませんでした。妊娠した先生たちは文句を口にし始めていました。

一方、家族を健康保険に加入させようと申請したところが、『家族に対する保証を申請できるのは男性のみで、女性は適用外』だと言われた女性ブルーカラー労働者がいました。女性労働者は自分自身の保証は受けられても、家族まで加入させることはできなかったのです。

こうして、法の下での女性の地位について学びたいと考えている学生と、ACLUに寄せられ始めていた新たなタイプの苦情が見事に一致することに気づきました。

それは私にとって、計り知れないほどの大きな幸運でした。なぜなら70年代の初めまで、裁判所に、女性も同じように市民権を持つ存在なのだと認識させるのは、ほぼ不可能に近かったからです。

■「アメリカ本来の姿ではない」カーター大統領の英断

【ルーベンシュタイン】あなたは性差別を取り上げたACLUの数多くの訴訟に勝ち、多くの人に名前を知られるようになると、その後、今度はコロンビアで教鞭をとりました。そしてジミー・カーター大統領から、コロンビア特別区の合衆国控訴裁判所に行くよう求められます。大統領からの指名には驚きましたか? 裁判官になりたいと思いましたか、それとも教授のままでいいと思っていましたか?

【ギンズバーグ】カーター大統領は、今日の連邦裁判官の顔ぶれを決める偉大な決断をしました。彼は大統領就任後、裁判官たちが自分と同じような顔ばかり並んでいることに気づいたのです。つまり全員白人で、全員男性でした。これは本来のアメリカの姿ではない——カーター大統領はそう感じました。

そこで彼は連邦裁判所の裁判官に、女性とマイノリティグループのメンバーをなるべく多く就かせたいと考えたのです。それは単なる一時の興味からではありませんでした。

彼は25人以上の女性を地方裁判所の裁判官に任命し、11人の女性を控訴裁判所の裁判官に任命したと思います。私は11人のなかの最後でした。

■権利は守らなければ損なわれてしまう

【ルーベンシュタイン】憲法について何かひとつ変更できるとしたら、それは何でしょう、そしてなぜですか? もしあなたが建国の父、建国の母だとしたら、今の憲法にはない、何を入れるでしょう?

【ギンズバーグ】憲法に平等修正条項を追加します。

理由はこうです。ポケット憲法を取り出して孫娘に見せるとしましょう。たとえば修正第1条を開けば、言論と報道の自由が明示されています。ところが「女性と男性は同等の市民権を有する」と謳(うた)った文言はどこにもありません。

1950年以降に制定された世界のあらゆる憲法には、これに相当する条文——すなわち、男性と女性は法の前では平等であるという意味の条文がすでに含まれています。思想および良心の自由と同様、男女が同等の市民権を有するという考えが私たちの社会の基本的な前提であると認識できるように、そうした声明を含んだ憲法を孫娘たちに持たせたいと思っています。

夕日に照らされたワシントンDCの連邦最高裁判所
写真=iStock.com/sharrocks
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/sharrocks

【ルーベンシュタイン】あなたが将来の希望を抱くには、何が必要でしょう?

【ギンズバーグ】孫娘ですね。私は弁護士を務めている一番上の孫娘を、とても誇りに思っています。彼女は私たちの国を、そしてその最高の価値観をとても気にかけています。彼女や彼女のような若者たちがいてくれれば、いつでも私たちを正しい方向に引き戻してくれるでしょう。

デイヴィッドM.ルーベンシュタイン『世界を変えた31人の人生の講義』(文響社)
デイヴィッドM.ルーベンシュタイン『世界を変えた31人の人生の講義』(文響社)

【ルーベンシュタイン】私たちの民主主義にとって、最大の脅威は何だとお思いですか?

【ギンズバーグ】私たちが手にしている権利は、守らなければ損なわれてしまいます。そういう気持ちのない人たちの存在こそ、最大の脅威です。

有名なラーニド・ハンド裁判官は、自由について述べた偉大な演説のなかでこう語っています。「人々の心の中の火が消えてしまえば、憲法を、法律を、あるいは裁判所をもってしても、再びそれを灯すことはできない」と。私の信念は、自由な精神のなかにこそあるのです。

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デイヴィッドM.ルーベンシュタイン カーライル・グループ共同創設者兼共同会長
民間投資会社「カーライル・グループ」共同創設者兼共同会長。ジョン・F・ケネディ舞台芸術センターおよび外交問題評議会理事会議長、ハーバード・コーポレーション・フェロー、スミソニアン協会の評議員、ワシントンD.C.経済クラブ会長など、非営利活動分野で多岐に渡り活躍。ブルーミングTVとPBSが放映する『ザ・デイヴィッド・ルーベンシュタイン・ショー――ピア・トゥ・ピア カンバセーション』のホスト役。著書に、『American Story: Conversation with Master Historians』(サイモン&シュスター)、『世界を変えた31人の人生講義』(文響社)などがある。

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ルース・ベイダー・ギンズバーグ アメリカ合衆国連邦最高裁判所 元判事
1933年生まれ。ニューヨークのブルックリン出身。コーネル大学で文学士号を取得後、ハーバード・ロースクールに通い、コロンビア大学ロースクールで法学士号を取得。1963年にラトガーズ大学法学部教授、1972年にコロンビア大学ロースクール教授に就任。1980年、ジミー・カーター大統領によってコロンビア特別区巡回裁判区の米国控訴裁判所裁判官に任命される。その後ビル・クリントン大統領から最高裁判所判事に指名され、1993年に着任。2020年に87歳でこの世を去った。

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(カーライル・グループ共同創設者兼共同会長 デイヴィッドM.ルーベンシュタイン、アメリカ合衆国連邦最高裁判所 元判事 ルース・ベイダー・ギンズバーグ)

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