欧米では独裁者扱いされているが…ハンガリー首相が猛批判を承知で「ロシア制裁」に反対票を投じたワケ
プレジデントオンライン / 2022年6月9日 13時15分
■「バカバカしいアイデアを回避できました!」
「ご家庭の皆さんは、今夜は安らかに休めます。私たちは、バカバカしいアイデアを回避することができました!」
ハンガリーのオルバン首相は5月30日、EU首脳会議の会場から出てくるや否や、フロアで待ち構えていたジャーナリストたちのカメラに向かってそう言うと、穏やかな笑みを見せた。あっぱれな首相である。
この日、ブリュッセルでEUの首脳らは、5月初めからの懸案だった対ロシアの追加制裁を、ようやく軌道に乗せた。つまりEUは今年の終わりで、ロシアの石油を“ほぼ”全面的にボイコットする。なぜ、“ほぼ”かというと、ハンガリーをはじめ、一部の東欧の国が、事実上、ボイコットへの参加を免除されたからだ。
実は5月の初めにEUは、今年の10月までにロシアの石油を全面禁輸にし、12月までにガソリンやディーゼルなど加工品も止めるというボイコット案を策定したが、オルバン首相が1人、国内の経済に与える打撃が大きすぎるとして反対を貫いた。
EUでは、制裁は全会一致でないと決められない。そこでEUはハンガリーに対し、石油とその加工品それぞれの禁輸に、1年の猶予を与えようと提案した。しかし、オルバン首相は、「ロシア依存を解消するには少なくとも5年はかかる」としてその妥協案を一蹴したため、会議は決裂した。
■同じロシア依存国のドイツも「卑劣」と批判
以来、水面下での交渉が続き、今回に至ったのだが、もし、今度もまとまらなければ、EUは世界に恥を晒(さら)す格好になる。そこで首脳たちは仕方なく面子のほうを取り、オルバン首相の主張を入れて譲歩した。その結果、制裁は、月の満ち欠けでいうなら満月ならず十三夜月ぐらいになってしまった。「ハンガリーが残り26カ国の首を絞めた(恐喝した)」と言われる所以(ゆえん)である。
ドイツのハーベック経済・気候保護相は会議後の記者会見で怒りに震えながら、「オルバンは、われわれが国民の幸せのためにやろうとしていることを取引だと思って」、「自分たちの利益のために“ruchlos”な賭けを打った」と罵った。ちなみに“ruchlos“というのは、不逞(ふてい)、極悪非道、卑劣というような意味だから、EUの一員である民主主義国の首脳に対して使う言葉ではない。また、この石油ボイコットがハーベック氏の言うように国民の幸せにつながるかどうかも、甚(はなは)だ疑わしい。
しかも、そもそもハーベック氏自身が、やはりドイツ経済が崩壊するという理由で天然ガスのボイコットに反対していたのは、つい最近のことだ。EUというのは、つまるところ、背広を着た人たちが自国の権益を守るために取っ組み合いをするボクシングのリングのようなところかもしれない。
■約7割を占める海上輸送ルートは何とかなるが…
それはそうと、では、いったいこの日、EUで何が決まったのか?
ロシアの石油がヨーロッパに来るルートは、タンカーでの海上輸送が2本、陸のパイプラインが1本と、計3本ある。一つはバルト海、北海経由で、シベリアの石油をドイツ、オランダなど西ヨーロッパに運ぶ北ルート。もう一つは地中海、アドリア海経由で、主にカスピ海近辺の石油を南ヨーロッパに供給する南ルート。そして、3本目が陸上ルートで、シベリアから来たパイプラインが、ベラルーシ、ウクライナ経由で3本に分かれながら、ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキアなど東ヨーロッパにつながっている。
輸送量は、タンカー輸送が全体のほぼ7割で、陸上パイプライン経由が3割。ロシアからタンカーで入ってくる石油を減らすのは、それほど難しくない。新しい買い付け先さえ見つかれば、価格のほかは、すべてこれまで通りで済むからだ。だから、海からのロシア石油の輸入量はすでに大幅に減っている。ドイツでさえ、ほぼすべてを代替品に変えた。
■港から製油所へ運ぶパイプラインがほとんどない
ところが、陸上パイプラインのほうは、そう簡単にはいかない。このパイプラインはドルジバ・パイプラインといって、当時のソ連が1960年初頭に、衛星国であった東欧諸国に石油を供給するために建設したものだ。海のないハンガリーやスロバキアにとって、ソ連の石油はまさにライフライン。ドルジバは「友好」という意味だそうだ。
当時の東ドイツも、当然、このパイプラインに繋がっていた。その東欧やドイツ(ベルリンをはじめ、旧東ドイツほぼ全域)が、ドルジバ・パイプラインに依存しているという状況は、実は今も変わらない。ロシアの石油が到着する旧東独のシュヴェートとロイナは、現在も精油と化学工業の町だ。
ドルジバ・パイプラインを放棄すると、特に旧東ドイツ地域にはその代替がない。海上輸送の石油に切り替えようにも、港から運んでくるパイプラインがほとんどない。そんなものは必要なかったからだ。また、30年前まで東西ドイツは違う世界だったため、それをつなぐパイプラインもほとんどない。
つまり、もし、今、ロシアの石油がなくなるとすれば、ガス火力か原発を新規に建設するとか、タンカーが着く港から新しいパイプラインを引っ張ってくるといった大ごとになる。もちろん、どちらも一朝一夕でできるものではないし、ガスもロシア産以外となると、やはり調達しにくいし、原発は絶対にNG。
■「禁輸はハンガリー経済に対する原子爆弾だ」
困難な状況はハンガリーも同じだ。しかもハンガリーは石油の96%をロシアに依存している。オルバン首相が、「ロシアの石油の禁輸は、わが国の経済に対する原子爆弾だ」と反発したのも無理はない。だから、彼の猛烈な反対で、ドルジバ・パイプラインはボイコットの対象から外されることになった。しかも、いつまで外すかという期限さえ定められなかったのだから、オルバン首相の大勝利だったと言える。
ハンガリーのオルバン首相が1人で悪役を演じたのは、ひょっとすると役割分担なのかもしれないが、いずれにせよ、その恩恵に与(あずか)れたのが、このパイプラインに依存しているスロバキア、チェコ、ブルガリア、ポーランド、ドイツ(旧東独地方)など。これらの国々が、オルバン首相に深く感謝していることは間違いない。
ただ、ドイツとポーランドは殊勝にも、EUの連帯のため、今年の終わりにはこの例外措置から抜けるという。ポーランドはグダニスク港を持ち、しかもそこから各地へのパイプラインもあるので、どうにかなるのだろう。しかし、難しいのはドイツだ。これまでドルジバ・パイプライン経由で入っていた石油は、ドイツがロシアから輸入していた石油全体の3分の1もの量に上る。
■製油所もロシアの息がかかっている
そして、その全量が、ポーランドに近い国境の町シュヴェートか、あるいは南のザクセン=アンハルト州のロイナの製油所のどちらかで精製されていた。つまり、将来の問題は、代替の石油を、どうやってここまで運んでくるかだ。シュヴェートとパイプラインで繋がっている港は、ポーランドのグダニスク港しかない。
しかも問題はまだある。シュヴェート製油所の筆頭株主が、ロシアの国営石油会社、ロスネフチなのだ。この株主が、ロシア以外の産地の原油を扱うことに賛成するはずはない。そこでドイツ政府は今、慌てて法律を改正し、エネルギー供給を安定させるためには、エネルギー関連企業を国営化できるようにするつもりだという。こんなことをロシアがしたら、おそらく大騒ぎだろう。
ただ、本稿で私が本当に書きたかったことは、ここからだ。
■アゼルバイジャンからの“別ルート”確保を発表
実は、オルバン首相がブリュッセルでEU26カ国を向こうに回して、捨て身で自国の経済と国民を守ったその日、同国のペテル・シーヤールトー外相はクロアチアの首都ザグレブで、クロアチアのエネルギー担当相と会談し、アドリア・パイプラインの延長について合意したというサプライズを発信した。「オルバン首相のおかげで、ロシアからの石油輸入は保証された。しかし、完全なエネルギー安全保障のためには、調達国の多様化が重要な鍵である」とシーヤールトー外相。
アドリア・パイプラインというのは、アゼルバイジャンなどからカスピ海方面の石油をイタリアまで運ぶパイプラインで、その一部はクロアチアも通っている。そして、そのクロアチアのアドリア・パイプラインとハンガリーの間は、すでにパイプラインが繋がっている。これは、主にハンガリーがロシアのガスをクロアチアに送るために利用されていたものだが、反対方向に使えば、アゼルバイジャンの石油をハンガリーに送ることができる。
■ウクライナに配慮しつつ、自国の利益も守るしたたかさ
種類の違った石油を受け入れるための施設の調整はそう難しいことではなく、また、わずかの投資でアゼルバイジャンは増産もできるという。つまり、いざとなれば、ハンガリーの消費分ぐらいは、これで十分カバーできるらしい。
なぜ、ハンガリーがこれを急いでいるかというと、ロシアを制裁したいわけではなく、ウクライナを警戒しているからだ。ドルジバ・パイプラインはウクライナ経由なので、ウクライナがその気になれば、輸送を妨害したり、あるいは、それを武器にハンガリーに圧力をかけたりすることができる。ウクライナは、ロシアと敵対関係になろうとしないハンガリーのことを非常に不快に思っているから、妨害はあり得ないことではない。ハンガリーの安全保障に関する心構えは実に秀抜である。
それに比べて日本。「EUが連携して、さらなるロシアへのエネルギー依存の低減につながる措置につき合意したことを歓迎する」と松野官房長官。そして、「石油のほぼすべてを輸入に頼っているわが国としては大変厳しい決断だったが、G7=主要7カ国の結束が何よりも重要なときであり」と、日本の制裁参加を正当化した。ただ、ここにはG7の意向は反映されているが、日本国民に対する配慮がまったく感じられない。
■岸田首相は“例外”を引き出すよう試みたのか
対ロシア制裁は、ロシアより日本経済により多くの打撃を与えるだろうし、何より、ロシアの日本に対する恨みを募らせる。そうでなくても日本の周りには、日本を憎む核保有国がロシア以外に2国もある。この上、ロシアまで敵に回して、日本政府はその後の対応策を考えているのだろうか?
岸田首相は、G7の足並みを乱さずに、何らかの例外を引き出すことは試みなかったのだろうか。日本の地勢的状況や、エネルギー調達における非常に困難な国情を説明することは、しなかったのだろうか?
ハンガリーのオルバン政権は、4月3日に行われた総選挙で大勝し、国民の揺るぎない支持を確認した。勝利宣言でははっきりと、キリスト教を基盤にした民主主義政治を打ち出し、ハンガリー・ファーストの方針を表明した。だからこそ、EUはオルバン首相を毛嫌いし、主要メディアも常に彼を独裁者のように書く。
■国際社会で一向にうまく立ち回れない日本
しかし、ハンガリー国民には、オルバン氏の国民を守ろうという強い意志がしっかりと伝わっていたのだろう。それが4月の選挙では、「この選挙には平和と安全がかかっている」という国民の思いとなり、オルバン勝利に繋がった。そして、その支持に背中を押されて、オルバン首相は今回、単独で制裁案に反対した。
この行動が、世界の多くの西側諸国で、「良からぬ行動」として報道されることも想定済みだった。しかし、これをしなければ、ハンガリーは間違いなく経済が崩壊した。
では、日本は? G7やEUの尻馬に乗っても、誰も日本のことを褒めてはくれない。政治家の役目とは、国民の命と国土を守ることだ。もちろん日本にとってもそれは同じはずなのに、複雑な世界の中で一向にうまく立ち回れない日本政府を、私は大変歯痒く思う。
付け加えるなら、ハーベック氏のような環境原理主義者が政権の中枢にいるドイツも、やはり危ない。ハンガリーは小さな国だが、自国の指導者を信頼できるハンガリー国民は、ドイツ人や日本人よりも幸せかもしれない。
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作家
日本大学芸術学部音楽学科卒業。1985年、ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ライプツィヒ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。2013年『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、2014年『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)がベストセラーに。『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)が、2016年、第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞、2018年、『復興の日本人論』(グッドブックス)が同賞特別賞を受賞。その他、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『移民・難民』(グッドブックス)、『世界「新」経済戦争 なぜ自動車の覇権争いを知れば未来がわかるのか』(KADOKAWA)、『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)など著書多数。新著に『無邪気な日本人よ、白昼夢から目覚めよ』 (ワック)がある。
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(作家 川口 マーン 惠美)
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