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「盛り上がらない選挙」という報道は無責任すぎる…7月10日の参院選で争点となっている3つの要素

プレジデントオンライン / 2022年6月21日 12時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/y-studio

7月10日に投開票される参院選ではどこに注目すればいいのか。ジャーナリストの尾中香尚里さんは「一部では『盛り上がらない選挙』と言われているが、むしろメディア受けする『お祭り型の選挙』のほうが良い選挙と思えたためしがない。今回の参院選では3つの争点に注目するべきだろう」という――。

■「お祭り型」の選挙が良かったためしがない

参院選が6月22日に公示され、7月10日に投開票される。今回の国政選挙について政界から聞こえてくるのは「今回の参院選は盛り上がりや見どころが少ない」という、嘆きにも似た声である。

なるほど、客観的に見て、この参院選はメディアの言う「盛り上がり」には欠けているのだろう。だが正直なところ、筆者は「盛り上がる選挙が良い選挙」という発想には立てない。過去にもメディア受けした「お祭り型」の選挙はいくつかあったが、振り返ってみてそれが「良い選挙だった」と思えたためしがないからだ。

例えば、いわゆる「小泉旋風」が吹き荒れた2001年参院選や05年衆院選だ。01年参院選では「自民党をぶっ壊す」という小泉純一郎首相(当時)の雄叫びに国民が熱狂し、こぞって自民党に投票するという珍現象が起きた。いったい、あの選挙で示された民意とは何だったのか。筆者にはいまだに説明ができない。

「郵政選挙」と呼ばれた05年衆院選は「郵政民営化に賛成か反対か」といったシングルイシューで戦われることになった。まるで国民投票のような、こうした単純な争点の選挙を筆者は好まないが、自民党のいわゆる「郵政反対派」が党の公認を外されて無所属で戦ったので、選挙における争点は一応はあったと言える。この選挙もいわゆる「盛り上がった」選挙だったことは論をまたない。

だが、この選挙の翌年に小泉氏が「党総裁の任期切れ」という理由に首相を辞任すると、反対派議員は次々と自民党に復党。選挙で示されたとされる「民意」は、選挙とは何の関係もない自民党の論理で、結果としてゆがめられた。

■民主党の「政権交代」もドラマを求めた結果生まれた

民主党への政権交代が実現した09年衆院選も、ある意味同様だ。あの時も「政権交代」というただ一つの言葉に、人々は熱狂した。

「政権交代可能な政治」は、現行の小選挙区比例代表並立制が求める政治のありようであり、衆院選とは本来、常に「政権選択選挙」であるべきだ。だがあの時の選挙は、国民が(というよりメディアが)「自民党が政権を失い下野する」という「ドラマ」を求めて選挙を「盛り上げた」印象が拭えない。民主党政権に対し、自民党政権の何を変革し、どんな新しい国家像を打ち立てることを期待しているのか、メディアも国民も十分に問いかけることなく、ただ「お祭り」のように政権交代を実現してしまった。

もちろん、民主党の当事者たちに「自民党に代わり目指すべき国家像」といった意識が希薄だったのも確かだ。振り返れば、民主党が下野した後の野党の多弱ぶりや、現在の一部野党の迷走は、あの衆院選を「お祭りに流されて雑に戦ってしまった」ことの帰結であるようにも思う。

だが、その責任を当事者のみに求めるのは、少し違うのではないか。「盛り上がる」選挙を求めてきたメディアにも、責任がないとは言えないと思う。もちろん、その当時に新聞社の一員であった筆者自身の責任も認めざるを得ない。

■どんどん淡泊になっていく新聞、テレビの国会報道

さて、現在の状況はここから大きく逆張りし、メディアが「盛り上がらない選挙」を意識的に演出しているかのように見える。テレビの国会中継や、与野党の政治家による良質な討論番組はめっきりと減った。新聞の国会報道も、ずいぶんと淡白になった。

わずか2年ほど前、コロナ禍でステイホームを強いられた多くの国民が、激変した自分たちの生活への不安に駆られながら国会中継を見た。ニュースで切り取られていない生の国会審議に初めて触れた国民も少なくなかっただろう。

そのことが結果として、安倍晋三、菅義偉の2人の首相を辞任に追い込み、先の衆院選で自民党に「下野の不安」まで抱かせたと、筆者は考えている(結果として政権交代は起きなかったが、昨秋の衆院選投開票日のわずか1週間前の参院静岡補選ごろまで野党側候補が勝ち続け、自民党側が不安を募らせていたことは間違いない)。

国会報道が減ったのは、まさかその反動なのか。岸田内閣への不信任決議案を採決した衆院本会議(9日)でさえ、NHKの国会中継はなかった。こんなことは言いたくないが、国会報道を国民から遠ざけて「ステルス政権」たる岸田政権への「見えない援護射撃」にしたい思惑でもあるのではないか。そんなうがった見方さえしたくなる。

国会は「盛り上がらないから報道しない」ことが許されるものではない。水道の蛇口をひねれば水が出るように、一種のインフラとして国民に提供されるべきものである。メディアがそこを枯渇させておきながら、今になって「盛り上がらない」というのは「自分の責任を棚に上げて、何を今さら」という思いしかない。

■選挙の見どころは有権者一人ひとりが生活を顧みて見つけるもの

ちなみに、参院選が「盛り上がりに欠ける」からといって「見どころがない」ことにはならない。そもそも「見どころ」は個々の有権者が投票にあたり、自らの生活を顧みながら自ら発見するものだ。メディアの仕事はそれを手助けすることにある。

ということで、筆者が現時点で考えている「参院選の見どころ」を記しておきたい。

■野党第一党を争う立憲民主と維新の綱領

①次の衆院選で自民党と政権を争うべきは、立憲民主党か日本維新の会か

筆者は昨年末から今回の参院選について「立憲民主党と日本維新の会の『野党第1党争い』」に着目してきた(昨年12月公開の「本当に『旧民主党の負の遺産』を克服できたのか 立憲民主党が参院選までにやるべきこと」をお読みいただきたい)。両党の基本的なスタンスには、日本が目指すべき社会像に大きな違いがあるからだ。

綱領に「支え合う共生社会」をうたい、自助よりも共助や公助に力点を置く立憲。公助による政府の過剰な関与を見直し「自助」を重視する維新。目指すべき国のかたちはほぼ真逆だ。現在の政治状況は、何をしたいのかが見えない自民党の岸田政権と野党の間にではなく、野党第1党と第2党の間にこそ対立軸がある、と言っても過言ではない。

メディアは最近、野党第1党争いの勝敗の基準を、なぜか「比例代表の得票数」に置こうとしているが、これには違和感を覚える。良くも悪くも国会におけるリアルパワーは議席の数であり、だからこそメディアはこれまで、小選挙区制のもと与党が圧倒的多数の議席を得た時、与野党の実際の得票数にさほど大きな差がなくとも「与党圧勝」と報じてきた。

にもかかわらず今回の参院選で、突然評価基準を変えて「比例の得票」ばかりを強調するのは、維新が勝ちやすい要素のみにことさらに注目するメディアの思惑を疑わざるを得ない。

だが、仮に維新の比例の得票が立憲を上回り、メディアが「維新勝利」をあおり続ければ、確実に次の衆院選に影響するだろう。自民党に対峙(たいじ)する国家観が「支え合いの社会」から「自己責任の社会」に移る可能性がある。

今回の参院選は「立憲vs維新」という野党間の戦いに「国家像の選択」という大きな命題が隠されていると、筆者は考えている。

■「野党」の仕事を放棄した国民民主やれいわをどう評価するか

②自民党に「すり寄った」野党にどんな審判が下されるのか

①で書いたことといきなり矛盾するようだが、その維新は国会の最終盤になって、自民党と対峙すべき役割を自ら捨ててしまった。

岸田政権になってから政府への反対姿勢を強め、2022年度政府予算案や補正予算案に反対し(野党なら当然と言えるが)、両案に賛成した国民民主党を口を極めてののしっていたはずの維新は、今月9日の衆院本会議で、立憲民主党が提出した岸田内閣に対する不信任決議案に反対。週刊誌報道で女性記者などへのセクハラ疑惑が取り沙汰された細田博之衆院議長に対する不信任決議案には「態度を留保する」として、賛否も決められず棄権した。

筆者は脱力した。これでは、自らが批判してきた国民民主党と同じではないか。この半年間、参院選の見どころを①であると見定めてきたのは間違っていたのか。維新は本当に野党だったのかと。

立憲と維新の「国家観」の選択という要素は、現在も確かに残っているので、見どころ①を完全に捨てようとは思わない。だが、少なくとも両党の戦いを「野党第1党争い」と呼ぶ気持ちは、急速に失せつつある。

ちなみに、内閣不信任決議案については、維新のほかに国民民主党が反対、れいわ新選組が採決を棄権した。また、細田議長の不信任決議案については、維新、国民民主、れいわの3党が棄権している。

内閣を信任したり、賛否を留保したりして信任をアシストする政党を「野党」と呼んでもいいのか。特に国民民主とれいわは、わずか半年前の衆院選で、明確に野党陣営の一員として支持を得たはずだ。こうした政党の行動を有権者がどう判断するかが、ここへ来て参院選の見どころに浮上している。

■「ロシアのウクライナ侵攻」に対する各党のスタンスの違い

③各政党が「ロシアのウクライナ侵攻」から何を学び、日本の政治に取り入れようとしているか

「目指すべき国家像」という中長期目線の争点が苦手な方には、目下の世界的な政治課題である「ロシアによるウクライナ侵攻」に対し、各党がどう反応しているかを見どころとするのも良いと思う。

「ロシアの『力による現状変更』は許せない」という、誰もが言いそうなことではない。そこでは各党の差はほとんどつかない。だが「現実に顕在化した脅威のどこに着目し、どう対応するか」の考え方には、大きく二つの方向性があるように思う。

ひび割れの入った壁に描かれたウクライナとロシアの国旗
写真=iStock.com/Gwengoat
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Gwengoat

一つは、隣国・中国を念頭に「『力による現状変更』を狙う他国の脅威にどう対処するか」に着目して「軍事」面中心の対処に力点を置く考え方だ。防衛費の倍増、敵のミサイル発射基地などを破壊する「敵基地攻撃能力」(反撃能力)の保有検討、緊急時に政府の権限を拡大するための、憲法改正による「緊急事態条項」の創設、日本国内に米国の核兵器を配備し、米国と共同運用する「核共有」(核シェアリング)などが挙げられよう。

もう一つは「ロシアがウクライナの原発を攻撃した脅威」に着目する考え方だ。稼働中の日本の原発が他国から攻撃されれば、通常兵器による攻撃であっても核攻撃を受けたのと同等の被害を受ける可能性があるとして、原発の再稼働阻止を訴える。これに関連して、戦争が世界の物流を止め、エネルギーや食糧の国際的な調達に大きな支障が生じることに備え、エネルギーや食糧の自給率を上げることなどにも力点を置く。「軍事だけでなく、エネルギーや食糧の確保も国家の安全保障」という考えだ。具体的には再生可能エネルギーの普及促進などが挙げられるだろう。

これらはあくまで筆者の考える「見どころ」であり、有権者の皆さん一人ひとりの暮らしと政治の接点の中に、それぞれの「見どころ」が生まれるはずだ。選挙戦で多くの政党、多くの候補者の生の声に触れ、自分の「見どころ」を見つけていただきたい。

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尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト
福岡県生まれ。1988年に毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長などを経て、現在はフリーで活動している。著書に『安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ』(集英社新書)。

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(ジャーナリスト 尾中 香尚里)

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