日本の財界人を中国共産党の"代弁者"に仕立てる…制裁で苦しむ中国が仕掛けた「対日工作」の中身
プレジデントオンライン / 2022年7月10日 15時15分
■鄧小平による日本の財界人グループへの「特別視」
天安門事件後の1989年11月6~9日、中国共産党第13期中央委員会第5回全体会議(5中全会)が開催され、最高実力者・鄧小平が最後まで手離さなかった党中央軍事委員会主席のポストからも退き、江沢民総書記に譲った。
共産党指導部は、5中全会閉幕当日の9日夜、訪中した日中経済協会ミッション(団長・河合良一会長〔小松製作所会長〕、顧問・斎藤英四郎経団連会長〔新日鉄名誉会長〕)に対して、田紀雲副総理が会見と歓迎宴に応じるなど、対日重視を示した。5中全会は午後5時に閉幕し、6時半から会見に応じる厚遇で迎えた(橋本恕駐中大使発外相宛公電「日中経済協会訪中ミッション[田紀雲副総理との会見]」1989年11月10日)。
鄧小平は、11月13日、日中経協ミッションとの会談に応じ、「政治生活に正式に別れを告げた。したがって、皆さんのような大事な客とお会いするのはこれが最後の機会になると思う」と述べた(橋本大使発外相宛公電「日中経協訪中ミッション[鄧小平氏との会見]」1989年11月13日)。鄧小平は明らかに日本を特別視した。
しかし日中経協ミッションとの会見で、引退した鄧小平は意気揚々だった。「最も大きな問題」の「第一」として次のように述べた。
「(7月に開かれた)サミット(先進7カ国首脳会議)でいわれた人権ということについてだ。人権と国権とがあり、〔中略〕人権が重いのか、国権が重いのかといえば、私の考えでは国権は独立、主権、尊厳という点に関わるものであり、これが全てを圧倒すると思う」(前掲「日中経協訪中ミッション[鄧小平氏との会見]」)
■水面下で接触していたアメリカと中国
天安門事件を受けて「対立激化」したように見られていた米中両国は裏で手を握っていた。1972年に訪中して米中接近を演出したニクソン元大統領とキッシンジャー元国務長官もほぼ同時期に訪中し、鄧小平はそれぞれ10月31日と11月10日に会談している。
斎藤英四郎は鄧小平にニクソンとの会談内容を尋ねたところ、鄧小平は「中国は被害者なのであって、米国が被害者なのではない」と述べ、米国の干渉は許さないという従来の強気の姿勢を見せたが、柔軟になっていた。
「彼(ニクソン)は理解していると思う。米中双方が情熱を持って当たれば、この数カ月の米中間のわだかまりはピリオドを打つことができるだろう」
■米欧の制裁にならって日本も円借款を凍結した
日本政府は、天安門事件を受けて、対中制裁を強めた米欧諸国にならい、円借款など対中政府開発援助(ODA)を凍結した。こうした中、中国指導者からは日中経協ミッションに厳しい言葉が相次ぎ、緊張感すら漂った。

11月12日午前10時半、人民大会堂東大庁。
李鵬総理は日曜日に、ミッションとの会談に応じた。11時35分までが全体会談。続いて12時半まで、斎藤英四郎、河合良一、経団連副会長の平岩外四(東京電力会長)、日中経協副会長の小林庄一郎(関西電力会長)の首脳4人と少人数でより突っ込んで意見交換した。大使館からはナンバーツーの次席公使、久保田穣が同席した。
「松下幸之助先生の指導のもと、北京でブラウン管工場が設立された」
全体会談で李鵬は、天安門事件当日の6月4日も工場の操業を停めなかった松下電器産業(現パナソニック)の件に言及した。
「この企業は事件の最中、北京が最も混乱している時期にも生産を止めなかった。私は2度視察しているが、この工場が日中合弁のモデルになることを希望する」
■「日本は米欧の逆を行っている」と李鵬総理は批判
李鵬は対中制裁にも言及した。
「中国にとっても勿論、何らかの損害を伴う。しかし何らかの形で制裁をする側にもはねかえってくることも間違いない。注意深く、良く見ると、世界の先進7カ国の中にも、対中経済制裁のやり方は、口で言うのと実際のやり方に食い違いがある。ある国は(制裁を主張する)口数は多いが、実際面ではあまり行っていない。また口ではあまり言わないが、実際的には逆に行っているところもある」
李鵬は具体的にフランスを例に挙げ、「政治的には対中態度は最も厳しい(悪い)が、経済界の人々は政府より柔軟で弾力的」と述べ、広東省の大亜湾原発は英仏が落札したと紹介した(橋本大使発外相宛公電「日中経協訪中ミッション[李鵬総理との会見 全体会談]」1989年11月13日)。
「口ではあまり言わないが、実際的には逆に行っているところもある」。名指ししないが、日本のことを批判したのだ。李鵬の発言は、人民大会堂にいた日本財界首脳らにとって耳の痛いものだった。
続いて斎藤、河合、平岩、小林の財界首脳4人と李鵬との少人数会談に移った。李鵬は熱心にメモを取りながら日本側の発言に耳を傾けた。
「(10月の)国慶節の際訪中し、李鵬総理と会った際、(竹下登との)総理同士の約束だという話であった第3次円借款については帰国後政府の関係機関に伝えたが、残念ながら未だ再開されていない」と発言したのは河合だった。李鵬はこう答えた。
「どうやって(中日関係の)突破口を開くかについては、熟成した考えではないが、まず実際の仕事から始めてはどうかと思っている」
■日本は米欧の顔色を窺ってばかり
ここで同席した沈覚人対外経済貿易部副部長が李鵬に二言ほどささやいた。沈は前日、日中経協ミッションとの会議で「日本は欧米より借款問題で厳しい」と苦言を呈した幹部である。
李鵬は助言を受け、「まず日本から調査団を派遣して話し合うとかすれば、円借(款)の実行面においてさほど大きな影響を与えずに済むだろうと思う」と述べ、円借款の一部プロジェクトを公表せずに開始したらどうかと提案した。その上で、「西独の新聞にのっていた」話として、西ドイツは上海の地下鉄プロジェクトに対する借款を再開し、政府の認可も得ていると明かした。
李鵬は西ドイツに対して「(公表しないとの)義務」を負っているため、新聞に載っている情報としてしか紹介できないという、手の込んだ説明を行った。そして笑いながら「いろいろと弾力的な方法があり、それらを試してみるのがよいのではないかと思う」と述べた。
さらに李鵬は続けた。
「私は、この間、日本は経済力が強いので、米国の言いなりになったり、意見を聞かなくてもいいだろうという趣旨のことを言ったが、少々後悔している。日本には日本自身の困難や事情があるのだと思っている」
これは嫌味であり皮肉でもある。
李鵬は少し前まで、米国の言いなりで、米国に追随するしかない対中政策に不満だったが、この発言を「少々後悔している」と述べた。今や米中関係も好転しつつあり、米欧諸国は対中援助でも日本を追い越しつつある。米欧諸国は実際には水面下で中国側と交渉しているにもかかわらず、日本は米欧の顔色を窺わざるを得ず、対中円借款再開に躊躇している。それが「日本自身の困難や事情」であり、李鵬の口ぶりからは「お人好し」の日本を馬鹿にしているようにも聞こえる。
■日本の財界人は円借款の実施に意欲的だった
李鵬は、河合良一から、キッシンジャーとニクソンの訪中の様子を尋ねられ、「二人と会談して米中関係を本来の姿に戻すべく、困難を克服し、絶えず改善・発展させていくべきだとの印象を持った」と好意的に振り返った。
これを聞いた日本経済界首脳は、日本に先行する米欧の対中アプローチに衝撃を受けたことは間違いない。
その衝撃は、副団長を務める平岩外四の李鵬に対する発言に表れた。
「私は中国民航(機)で中国に来たが、欧米の人々が多く乗っていた。仕事をしに来たのだろうと思う。〔中略〕第3次円借(款)の円滑な実施のために日本政府に対し側面からお願いすることだと思う。実情を話して説得することが重要だと思う」
続いて同じく副団長の小林庄一郎もこう述べた。
「私は第3次円借を是非進めて欲しいと考えている。F/S(事業化可能性を調査するフィジビリティ・スタディ)を水面下でという気持ちはあり、我々から政官界にお願いするよう努力したい。また、中国政府から日本政府に強く言ってもらいたい」
小林は、自身が率いる関西電力では「原油の4分の1は、大慶(黒竜江省)原油を使っているが、動乱(天安門事件)後も影響はなかった」と謝意を述べた。
■日本政府と財界の分裂が露呈
「中国政府から日本政府に強く言ってもらいたい」という小林の発言は、日本政府と財界の分裂を露呈させた。早期の円借款再開を望んでいた日本大使館としても、対米欧関係で日本政府や外務省が慎重に進める中、李鵬に乗せられる形で財界が、中国側から日本政府に圧力をかけてほしいというような発言はまずいと感じたのだろう。同席した日本大使館公使の久保田は、斎藤と河合に対してこう注意喚起した。

「中国側は、李鵬自身極めて日本の立場を考えた物の言い方をしているのであり、中国側の指導部で事務方は完全に意思疎通が出来ているとみられるところ、日本財界側から、けしかけるような発言は適当でないので慎重にお願いしたい」
日中経済協会側は「以後各団員とも気をつけるようにしたい」と反省の意を示した(橋本大使発外相宛公電「日中経協訪中ミッション[李鵬総理との会見 個別会談]」1989年11月13日)。
外務省と財界の分裂。李鵬は日本内部の分裂に付け込み、「米欧カード」を使って日本の財界を揺さぶり、焦る財界から日本政府に圧力を掛けてもらおうという対日工作を展開した。日本側はこれにまんまと引っ掛かった。
斎藤英四郎経団連会長と河合良一日中経済協会会長は帰国直後の11月15日、中山太郎外相を訪問し、訪中報告を行った。訪中時に会談した鄧小平や江沢民、李鵬から、海部俊樹首相や中山外相に「宜しく伝言願いたい旨を頼まれたこともあり、報告に来た」と述べた。共産党の対日接待工作に取り込まれたことが分かる。斎藤は中山に対して冒頭こう述べた。
「今回の中国側要人の対応は、従来と異なり、一部マスコミで報道された如き日本非難の調子、高圧的態度等全く見られなかった。また、李鵬、江沢民との会見は日曜日に、鄧小平との会見は代表団帰国当日の午前にわざわざアレンジされた。今回中国側は、現在(インフレ、外貨不足等国内経済の悪化及びサミット後の国際社会での孤立等)苦境に陥っている自国に対し、最も頼れる隣国である日本に手を差しのべてもらいたいとのシグナルを示したものと自分(斎藤)は理解している」
■経団連会長は「将来は百倍得るものがある」と熱弁
その上で、斎藤は中山に対し、中国に対する第3次円借款再開に向け「日本は米国を説得するくらいのイニシアティブをとるべき」と提言した上で、さらに強い調子で続けた。
「中国も今回はお願いするとの低姿勢で日本の援助再開を要望しており、今が関係改善のアクションを起す絶好の機会と考える。大臣の勇断をお願いしたい。今動けば将来十倍、百倍の得るものがあろう。しかし、逆の場合には今後の関係修復には数年を要し、先人たちが苦労してこれまでにした日中関係は崩れてしまう。米国に追随したのでは、中国はもちろんアジア諸国からも評価されないだろう」
中山は、財界からの熱い要望に対して「話は承った。我々も種々検討している」とだけ応じた(「斎藤英四郎経団連会長他の中山大臣来訪」1989年11月15日)。
(敬称略、肩書は当時)
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北海道大学大学院 教授
1969年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、時事通信社に入社。中国総局(北京)特派員として中国での現地取材は10年に及ぶ。2020年に早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程修了、博士(社会科学)。現在、北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院教授。著書に『中国臓器市場』(新潮社)、『中国人一億人電脳調査』(文春新書)、『中国 消し去られた記録』(白水社)、『マオとミカド』(同)がある。
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(北海道大学大学院 教授 城山 英巳)
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