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これは「反日ソング」なんかじゃない…物議を醸した「ピースとハイライト」に桑田佳祐が書き込んだロック哲学

プレジデントオンライン / 2022年7月12日 15時15分

画像=サザンオールスターズ『ピースとハイライト』CDジャケット

日本を代表するロックバンド「サザンオールスターズ」の曲は、なぜ世間を引きつけるのか。音楽評論家のスージー鈴木さんは「桑田佳祐はロック音楽に合わないテーマもさらりと歌にする。これは他のミュージシャンには簡単にはできないことだ」という――。

※本稿は、スージー鈴木『桑田佳祐論』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

■緊迫する日韓関係にフォーカスした「ピースとハイライト」

サザンオールスターズ「ピースとハイライト」
作詞:桑田佳祐、作曲:桑田佳祐、編曲:サザンオールスターズ、管編曲:原由子、山本拓夫
シングル、2013年8月7日

2013年にシングルとして発表され、翌14年のNHK「紅白歌合戦」で歌われ、炎上騒ぎとなったあの曲だ。

炎上騒ぎから遠く離れて、記憶も曖昧になっているこのタイミングで、もう一度歌詞を味わって、意味と価値を考えるべき曲だと、私は考えている。

そもそもタイトルからしてものものしい。新宿ロフトなどのライブハウスを運営するロフトプロジェクト代表の平野悠は『週刊金曜日』(15年1月23日号)に寄稿した「『ピースとハイライト』は時代を変えるのか」において、「この曲名には『平和(ピース)と極右(ハイライト)』という別の意味がある」と書いている。

そんなものものしい曲は、「♪何気なく観たニュースで お隣の人が怒ってた」という歌詞から始まる。「お隣の人」という柔らかい表現でくるまれた国は、もちろん韓国だろう。

発売の1年前、12年の日韓関係における重要な事件といえば、終戦記念日(韓国においては「光復節」)直前の8月10日に起きた、李(イ)明(ミョン)博(バク)大統領(当時)による竹島上陸である。

また、このような日韓関係の緊張を背景として、いわゆるヘイトスピーチが撒き散らされることとなり、東京・新大久保や大阪・鶴橋などで「朝鮮人を殺せ!」などの強烈なメッセージが連呼されていた。

■普通の人が普通の視点で日韓関係を見つめる曲

「ピースとハイライト」を解釈するにあたっては、記憶に新しい、新しいけれど、少しばかり錆び付き始めている、このような当時の記憶を、前提としなければならない。

このような、緊張感溢れる日韓関係に対して、「♪何気なく観たニュースで お隣の人が怒ってた」というフレーズは、いかにものんびりしている。まずはニュースを「何気なく」見ているし、「お隣の人」というのも、どこか他人事である。

ただ、その分、この歌詞における一人称は、普通の一般生活者であり、要するに私たち自身に通じるものとなる。だからこそ、この曲は、一部のいきり立った人々だけではなく、多くの人に開かれ、多くの人に自分ごとと感じさせる普遍性を持っている。

普通の人が普通の視点で日韓関係や現代史を見つめたら、どうなるか? どんなに普遍的で楽観的な展望が描けるのか?──「お隣」という柔らかい表現で始まっている曲だが、にもかかわらず、ではなく、だからこそ、本質的にラディカルな曲なのである。

■なぜ日韓関係が緊張しているのかを現代からさかのぼる

では、なぜ「お隣の人が怒っ」たのか、という問題になる。この時期の日韓関係がなぜ緊張したのか。当然この問題は、当時の話を超えて、従軍慰安婦問題や日韓基本条約(1965年)、ひいては太平洋戦争の話へとつながっていく。

隣り合った日本と韓国の国旗
写真=iStock.com/MicroStockHub
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MicroStockHub

この曲の主人公は、先に書いたように、普通程度の問題意識を持った普通人である。「教科書」が出てくるということは学生なのだろう。普通の学生。ただ、ちょっとだけ意識は高いようで、「現代史」を「一番知りたい」と思っている。

確かに、時系列に沿ったかたちで、半分おとぎ話のような古代史から始まることで、歴史という科目は、いきなり人を選んでいると思う。「おとぎ話」にロマンを感じるか否かによる選別。無論、古代史の授業が必要ないとは言わないが、現代の若者にとって、時代と隣接した現代史の方に関心を持つことは、自然なことだろう。

私は両親とも社会の教師だったので、子供の頃たまに、歴史教育に関する会話を交わしたことがある。その中で「時系列とは逆順で、現代からさかのぼって歴史を教えるべきだ」という考えがあることを知った。

最近では、河合敦という歴史研究家が『日本史は逆から学べ』(光文社知恵の森文庫)という書籍シリーズを発表しており、サイト「本がすき。」内の記事、「なぜ歴史は“逆”から読むととたんに面白くなるのか?」(18年11月21日)で、インタビューにこう答えている。

逆順に学ぶことで、とたんに歴史を面白く感じる方が多いようです。「どうしてそうなったのか?」と問い続けますから一種の推理小説のように読み進められますし、現代と過去が地続きであるという実感も得やすい。歴史への興味がより深まるという声もいただきました。

太平洋戦争があって、慰安婦問題があって、日韓基本条約があって……その結果として、日韓関係が緊張したという論法ではなく、「なぜ今、日韓関係が緊張しているのか?」という、時代に沿った極めてシンプルな問いからさかのぼって、学びをスタートさせていく。両親とは違って、私自身は歴史教育に明るくないが、それでも、このメソッドの有効性は、感覚的によく分かる。

■日本のロック音楽家は過去のロック音楽を知るべき

「日本がアメリカと戦争をしたことを知らない若者が増えている」などの記事をよく目にするが、そんな現状に至った大きな要因の1つは、古代史から、ゆっくりのっそりと進んでいく歴史教育のメカニズムにあるのではないか。そのメカニズムは、一部の歴史マニアを生むのと引き換えに、太平洋戦争を知らない若者を量産している。

歴史教育の話は手に余るので、一旦ここでおくとして、私が語れる/語りたい「日本ロックの歴史教育」の話をする。年寄りじみたことを言うが、私は、日本の若いロック音楽家は、過去のロック音楽をもっと知るべきだと考える。

知ることによって、原理原則が分かる。原理原則が分かることによって初めて、原理原則をどうアレンジするか、どう超えていくか、どう蹴り飛ばすかという発想が生まれる。

例えば、「とにかく吉田拓郎を聴け」ではなく、Mr.Childrenから入って、桜井和寿のボーカルスタイルとの近似性で、浜田省吾を紹介し、その浜田省吾を生み出すキッカケと土壌を作った人物としての吉田拓郎、という順番で説明していくと、若い音楽家にもピンと来ると思うのだ。

■ロックで扱われないテーマをシンプルに歌う桑田佳祐の功績

ちなみに私は、今の日本の若いロック音楽家が、最も知らなさ過ぎで、つまり最も知るべきが、他ならぬサザンであり桑田佳祐の功績だと考える。一見、大衆に浸透し過ぎていることが、逆に、その本質を見えにくくさせている。サザン/桑田佳祐は、その功績が「最も知られていそうで最も知られていない」音楽家ではないだろうか(逆に、はっぴいえんどは、その功績が「最も知られていなさそうで最も知られている」音楽家かも)。

「♪何気なく観たニュースで お隣の人が怒ってた」「♪教科書は現代史を やる前に時間切れ そこが一番知りたいのに」──国際問題や歴史教育という、ロック音楽ではほぼ扱われないテーマについて、これほどシンプルに、これほどあっけらかんと歌った音楽家が、かつていただろうか。これは、サザン/桑田佳祐の、「知られていそうで最も知られていない」功績の1つだと思う。

■楽観的なメッセージソングであることを桑田佳祐も分かっている

「お隣の人」「教科書は現代史を やる前に時間切れ」という、切っ先鋭いフレーズによる緊張感が少しだけ緩むのは、サビに入ってからである。

「♪希望の苗を植えていこうよ 地上に愛を育てようよ」。ここは、少しばかり深みに欠けるというか、通俗的というか、とにかく、「ピースとハイライト」を「ピースとハイライト」たらしめている緊張感が解ける瞬間である。ただし、その緩みは、続くフレーズによって、見事に相対化される。

──♪絵空事かな? お伽噺かな?

「♪希望の苗を植えていこうよ 地上に愛を育てようよ」と歌った後に、「さすがにこれ、言葉がちょっと上滑りしてますかね?」と、但し書きが加えられる。「その上滑り感、歌っている俺たちも分かっているんですよ」と。

「絵空事かな? お伽噺かな?」による相対化は、単に「♪希望の苗を植えていこうよ 地上に愛を育てようよ」だけでなく、曲全体を相対化する。極めて楽観的なメッセージソングである「ピースとハイライト」に対して、「これが楽観的過ぎること、歌っているこちらも、重々分かっているんですよ」と。

■ロック音楽に課せられたタスクは「お花畑を語ること」

想起するのは、もちろんジョン・レノンの「イマジン」(71年)だ。「♪You may say I’m a dreamer」。今風に訳すと「お花畑だと思っているでしょう?」。「お花畑」は、楽観主義的な考え方を茶化すネットスラング。「日韓関係に希望の苗を植えていこうよ」という発言に対して「お前、脳内お花畑だな」と返す感じ。

「IMAGINE」と書かれたニューヨーク州セントラルパークのジョン・レノン記念碑
写真=iStock.com/exploitedfairy
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/exploitedfairy

でも、ここであらためて言いたいのは、もし「世界ロック音楽憲法」というものがあるなら、その何条目かに「臆せず、お花畑を語ること」という条文があるのではないか、ということだ。

もちろん、その憲法において、「お花畑を語ること」よりも「何よりもまず、現実的であること」という条文が優先されるべきなのは承知している。ただ、その条文が尊重されすぎた結果、もしくは羞恥心や忖度(そんたく)が行き届き過ぎた結果として、音楽家が誰も、夢や理想を語らなくなってきている今、「お花畑を語ること」も、ロック音楽に課せられる重要なタスクになっていると考えるのだ。

石井裕也という映画監督がいる。私は映画ではなく、TBSのテレビドラマ『おかしの家』(15年)という彼の作品を気に入ったのだが、「映画で伝えたいこと」をインタビューで聞かれて、彼はこう答えている。

優しさ、愛、夢、希望とか、つまり言葉にすると目を背けたくなるくらいうそくさいことです。(『エコノミスト』16年4月26日号)

「うそくさいこと」──つまりは、この不透明で不安定で、みんなが現実性の中に絡め取られようとしている時代に対しての「お花畑」。

■ジョン・レノンのスピリットは桑田佳祐に受け継がれた

ジョン・レノン好きの桑田佳祐のこと、「ピースとハイライト」を作るにあたって、「イマジン」をかなり意識したはずだ。その結果として、「♪You may say I’m a dreamer」に対して、「♪絵空事かな? お伽噺かな?」を置いた。

「イマジン」は評価が分かれる曲である。メッセージは理解したとしても、アレンジが甘すぎるとも思う(フィル・スペクターのオーバー・プロデュース)。少なくともジョン・レノンの最高傑作とは言い難い。

それでも「お花畑を語ること」という条文を、71年という早い段階で、しっかり具現化したことについては、いくら評価しても評価し過ぎることはないだろう。「イマジン」のスピリットは、忌野清志郎を経て、桑田佳祐に受け継がれた。

■「都合のいい大義名分で 争いを仕掛けて」の歌詞の意味

2番のパンチラインは、この「♪都合のいい大義名分(かいしゃく)で 争いを仕掛けて」となる。この部分をどう解釈するか。

14年のNHK「紅白歌合戦」で歌われたとき、この部分が、同年の憲法「解釈」変更~集団的自衛権行使容認の閣議決定を揶揄しているものとして語られた。

政府は1日夕の臨時閣議で、集団的自衛権を使えるようにするため、憲法解釈の変更を決定した。行使を禁じてきた立場を転換し、関連法案成立後は日本が攻撃されていなくても国民に明白な危険があるときなどは、自衛隊が他国と一緒に反撃できるようになる。「専守防衛」の基本理念のもとで自衛隊の海外活動を制限してきた戦後の安全保障政策は転換点を迎えた。(『日本経済新聞』14年7月2日付朝刊)

しかし「ピースとハイライト」の発売は13年の8月なので、この推測は的外れである。むしろ、11年に世界を驚かせた、ある「大義名分」の瓦解(がかい)を歌っていると「解釈」すべきではないか。

イラク駐留米軍が2011年12月完全撤退し、03年3月に始まったイラク戦争は約8年9カ月で終結した。イラク戦争は、フセイン政権が大量破壊兵器を保有し国際テロ組織アルカイダを支援していると主張するブッシュ前政権がイギリスとともに開戦に踏み切った。アメリカとイギリスを中心とする派遣軍がイラクに侵攻してフセイン政権を打倒したが、大量破壊兵器は見つからず、フセイン政権とアルカイダは無関係だったことが判明した。(『imidas』12年3月)

「イラクが大量破壊兵器を隠し持っている」と「解釈」し、「だからイラクに侵攻しなければならない」という「大義名分」を振りかざしたことを歌っているという「解釈」が、時期的にも成立すると思うし、かつ、02年に「♪いつもドンパチやる前に 聖書に手を置く大統領(ひと)がいる」(「どん底のブルース」)と歌った桑田佳祐の作品としては、自然ではないかと思うのだ。

■「反日」という指摘こそが「都合のいい大義名分」ではないか

もちろん、そのような固有の事象ではなく、例えば、ベトナム戦争のきっかけとなったトンキン湾事件(64年)や、満州事変の発端となった柳条湖事件(31年)のように、(後に歌われる)「20世紀」に起きた様々な「争いを仕掛け」る「大義名分」となった、いくつかの捏造(ねつぞう)事件のことを指しているのかもしれない。

何度も書いているように、14年のNHK「紅白歌合戦」でこの曲が歌われ、この曲のメッセージや演出が「反日」だと騒がれ、炎上事件が起きた。しかし、それこそがまさに「都合のいい大義名分(かいしゃく)で 争いを仕掛けて」ではなかったか。この歌詞は、もう少し、広くて深いところを見据えていると思う。

前述の『週刊金曜日』におけるロフトプロジェクト代表・平野悠によるコラムより。

この原稿を書き終わった瞬間に残念な事態になった。年越しライブや紅白歌合戦での演出について事務所アミューズと桑田佳祐が1月15日、謝罪する事態に追い込まれたのだ。「表現方法に充分な配慮が足りず、ジョークを織り込み、紫綬褒章の取り扱いにも不備があった」と平謝りだ。これは異例だ。「謝るなら最初からやるな」というのが私の最初の感想だ。しかしサザンの40年間の偉大な歴史はそんな事で揺らいで欲しくないと痛切に思ったりもする。

基本、同意する。同意するものの、それでも、このコラムからの7年間、「サザンの40年間の偉大な歴史」は揺らがなかったと思うし、今後も決して揺らぐことがないよう、今一度ここで、「ピースとハイライト」について書いているつもりである。

■俯瞰する目線から融和を求める

「ピースとハイライト」の、それこそ「ハイライト」となるのが、「♪絵空事かな? お伽噺かな?」と同じ高い音程のメロディで歌われる「♪20世紀で懲りたはずでしょう?」というメッセージである。

何と気高い言葉なのだろう。

「ピースとハイライト」で歌われている様々な社会問題について、声高にアンチテーゼを突き付けるのではなく、抽象的な情緒にくるむのでもなく、一段高い、歴史を俯瞰する目線から、相手方に融和を求めるようなメッセージに聴こえる。

「馬鹿野郎、ヘイトスピーチにも、戦争にも、俺は反対だ!」

でもなく、

「この時代に、もっと愛と優しさが大事だよね……」

でもなく、

「こういうの、さんざん懲りたじゃん。20世紀で終わりにしようぜ」。

「懲りた」の主語は、自分も相手方も含めた「私たち」である。だから、自分と相手方は対立するのではなく、20世紀という共通の体験が接着剤となって、融和の方向に導いていく。

■ヘイトスピーチも戦争も20世紀で懲りた

NHKで時折放映される『映像の世紀』というシリーズがある。ここでいう「世紀」は20世紀。残された貴重映像から、20世紀の100年間を振り返るというドキュメンタリーなのだが、それを見ていると、「映像の世紀」は「戦争の世紀」だったことを痛感する。

第一次世界大戦、第二次世界大戦と、とりわけ20世紀の前半は、世界規模でのべつまくなし戦争し続けていたのだ。よく考えたら、とんでもない「戦争の世紀」である。

「♪20世紀で懲りたはずでしょう?」

懲りたに決まっている。懲りていない方がおかしい。懲りていなければ、その人は歴史を知らないか、単なる思考停止かどちらかだ。

この「♪20世紀で懲りたはずでしょう?」は、大げさに言えば、新しい運動論にも聴こえてくる。社会問題をイデオロギーの問題に転化(≒陳腐化)するのではなく(それは、往々にして「懲りていない」相手方を利する方向に帰結する)、歴史を俯瞰する目線から「俺たち、さんざん懲りたじゃん。20世紀で終わりにしようぜ」と融和、ひいては共闘を持ちかける新しい運動論。

ヘイトスピーチも戦争も、私たちは、もうさんざん懲りたのだ。だから、20世紀で終わりにすればいい──。

言葉の矢
写真=iStock.com/alashi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/alashi

繰り返すが、「♪20世紀で懲りたはずでしょう?」──何と気高い言葉なのだろう。

「♪20世紀で懲りたはずでしょう?」──これが「ピースとハイライト」の、それこそ「ハイライト」である。

■ロック音楽は楽観的なメッセージをストレートに歌うもの

「ピースとハイライト」のいわゆる「大サビ」で歌われるのが、「♪色んな事情があるけどさ 知ろうよ 互いのイイところ‼」というフレーズである。多分に「お花畑」であり、しかし、だからこそ、この曲、及び、この曲に込められた桑田佳祐のメッセージを象徴するフレーズとなる。

このあたり、桑田佳祐の本音なのだろうと思う──「国際問題、とりわけ日韓関係に関して、『色んな事情』に拘泥せず『互いのイイところ』を認め合おうよ。そんな楽観的なメッセージをストレートに歌うことこそ、ロック音楽なんだよ」。

サザンが韓国について歌った曲として、まず思い浮かぶのが、シングル「あなただけを ~Summer Heartbreak~」のカップリング=「LOVE KOREA」だ。

「♪チョゴリの袖 見事なライン アボジは草野球のナイン」と、日韓関係の緊張とはまったく関係のない、他愛のない歌である。なお、フジテレビ『桑田佳祐の音楽寅さん~MUSIC TIGER~』の09年6月8日放送の第8回「寅さんの大阪案内」で、この曲と朝鮮民謡《アリラン》を、大阪・鶴橋の焼肉屋から楽しそうに歌っている。

加えて、あまり認識されていないと思うが、こらちも韓国に関係する歌として、アルバム『KAMAKURA』収録の「悲しみはメリーゴーランド」がある。創氏改名を匂わせる文字列が歌われる──「♪名前さえ 白い砂に埋(うず)めた日々 歴史が曲げた心には 隣の人が泣いてる」。

あっけらかんとした「LOVE KOREA」、シリアスな「悲しみはメリーゴーランド」、そしてそれらを総合した「♪色んな事情があるけどさ 知ろうよ 互いのイイところ‼」という楽観的に開き直ったメッセージ──これらすべてが桑田佳祐のメッセージだ。

■ロック音楽は何を歌ってもいい

その背景にあるのは「ロック音楽は、何を歌ってもいいんだ」という強烈な確信である。

社会問題を歌うのにオドオドして、あっけらかんと歌うことにも、シリアスに歌うことにも臆する多くの音楽家に対して、あっけらかんと、かつシリアスに歌う桑田佳祐。

また、社会問題に対してネガティブに噛み付く、数少ない音楽家に対して、「お花畑」と思われながらも、ポジティブで楽天的なメッセージを歌う桑田佳祐。

さらには、ラブソング、エロソング、コミックソング、ナンセンスソング、そしてメッセージソング……広大な面積の歌詞世界を自由気ままに飛び回る桑田佳祐。

「ロック音楽は、何を歌ってもいいんだ」。

スージー鈴木『桑田佳祐論』(新潮新書)
スージー鈴木『桑田佳祐論』(新潮新書)

桑田佳祐の言葉は、戦後民主主義を謳歌(おうか)し、堪能している。後継が続いていないことを知りつつ、いや、だからこそ臆せず、日本音楽シーン随一の広大な歌詞世界を、さらに広げようとしている。

日本国憲法第21条はこう謳う──「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」

日本国憲法が公布された1946年(昭和21年)からちょうど10年経ち、「経済白書」に「もはや戦後ではない」と記された56年に生まれた桑田佳祐は、表現の自由をこう解釈して、脳と心と肉体にインストールしたのだろう。

──ラブソング、エロソング、コミックソング、ナンセンスソング、そしてメッセージソングその他一切の表現の自由は、これを保障する。

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スージー鈴木(すーじーすずき)
音楽評論家
1966年大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。ラジオDJ、野球文化評論家、小説家。音楽評論の領域は邦楽を中心に昭和歌謡から最新ヒット曲まで幅広い。著書に『平成Jポップと令和歌謡』(彩流社)、『恋するラジオ』(ブックマン社)、『80年代音楽解体新書』(彩流社)、『イントロの法則80's -沢田研二から大滝詠一まで』(文藝春秋)、『サザンオールスターズ 1978-1985』(新潮新書)、『1984年の歌謡曲』(イースト新書)など多数。

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(音楽評論家 スージー鈴木)

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