両親に暴力をふるい、5年間ひきこもり…荒れる兄を更生させるため17歳の妹が挑んだ5つのミッション
プレジデントオンライン / 2022年7月23日 11時15分
■ハサミを突き刺す…引きこもり兄の暴力に翻弄される家
子供の引きこもりと家庭内暴力は親子問題の最終形である。改善策は見つからず、親は我慢を受け入れ、家庭内の秘密として社会から隠される。しかし、偶発的な機会から私のもとにこの手の話が持ち込まれることがある。
保護者対象の教育講演のあと、1人の母親が相談を寄せてきた。
何でも、高校3年になる娘が大学入試に怯え、合格の可能性の高い学校しか志望していないという。その考えを尊重したほうがいいのか、上の大学を目指すよう促すべきか。母親の質問を聞いて、私は娘が中学や高校の入試体験の失敗を引きずっているのではないかと考えた。実際、あまりに堅実な志望校選びは過去の挫折体験に起因している場合が多い。
が、母親は娘の受験に関し特に思い当たる節はないという。
では、娘を取り巻く環境に何か問題があるのではなかろうか。私の問いかけに母親はしばし沈黙したあと、絞り出すように声を発した。実は娘の4歳上の兄・C君が受験に失敗して長らく引きこもり、家のなかで暴力をふるっている。娘はその様子を見て受験の失敗に対して極端な恐れを抱いている。恥ずかしい話だが、自分たちではどうすることもできない。母親は俯きながら特別な事情を話し、再び黙り込んでしまった。こうして私とC君の家族との関わりが始まった。
後日、母親に私の事務所に出向いてもらい、詳しい話を聞くことにした。C君は当時21歳。中高一貫校に入学し、辛うじて高校に上がることはできたが、ほどなく不登校となり中退。そこから本格的な引きこもり生活がスタートし、すでに5年になるそうだ。
暴力が始まったのは、それより以前の中学2年からだった。物に当たる、壁を蹴る。日増しにエスカレートしていく暴力に父親は強い言葉で挑み、焦(じ)れた果てに、C君の髪を掴み「学校に行け!」と引っ張り回した。対してC君は反撃に転じ、手元にあったハサミを手に父親と向かい合う。
冷静になれという父の呼びかけに、ハサミを持った彼は大声を上げ、自分のベッドの掛け布団に何度も突き立てた。そして最後はボロボロになった布団に突っ伏して号泣したそうだ。以来、暴力は激しさを増し、話をするため部屋を訪れた父親にハサミを振りかざし、父親が危険を感じ避難するまでに至る。
■成績が悪い時に殴っていた
私は母親に聞いた。小学生の頃、父親がC君に暴力をふるったことはないか。
すると、塾の成績が悪いときや宿題をさぼったときに幾度か手を上げたことがあるという。本当に幾度なのか。親は皆、自分の罪を過少に申告する。「数度の体罰」は「なかったこと」になり、「苛烈な体罰」は「幾度かある」という言葉に化ける。問い詰めることはしなかったが、私は父親が息子に対し頻繁に体罰という名の暴力をふるっていたものと確信した。
C君は小学校を出て、中高一貫の私立中学に進む。それは親をがっかりさせるレベルの学校だったが、彼の意向をよそに塾の模擬試験の偏差値から父親がセレクトしたものでもあった。勉強が出来ず、自尊感情が損なわれ、そこに親の暴力が加わる。誰からも救済の手は伸びなかった。
結果、彼は高校に入ってまもなく引きこもり状態に陥る。父親が仕事に出かけ、妹が登校し、さらに専業主婦の母親が買い物に行った隙に冷蔵庫をあさり風呂に入る昼夜逆転の生活。家族が家にいる間は部屋の向かいのトイレに行く以外、基本、自室にこもっていた。いつしか両親はC君とのコミュニケーションをあきらめ、母親が食事を部屋の前にお膳で置くだけの関係が残る。
■息子に怯え要求をのむしかない両親
そんな彼が部屋を出て暴れるのは、決まって買い物に関する要求が聞き入れられないときだった。
最初はアマゾンで自由に買い物ができるようリクエストし、それを父親が拒否するとリビングのテーブルをひっくり返し父親に掴みかかった。母親が仕方なくクレジットカードの使用を認めたところ、カップラーメン、アニメのDVDからパソコンまで欲しいものを注文し放題。両親が設定した買い物枠はすぐに限度を超え、そのたびC君は暴れ、家具を破壊した。親は、大きな買い物はメモに残してくれれば必ず買うと提案し、それを約束するしか術はなかった。
■キーパーソンは「妹」
C君は、自身の要求で台所の片隅に置かれた少額の現金を持ち、深夜、稀にコンビニに出かけることもあった。
その隙に親が彼の部屋に入ろうとしても叶わない。C君は部屋のドアに自ら鍵を取り付けていたからだ。ただ、アマゾンで掃除グッズの購入履歴があり、部屋は整頓されているような雰囲気を漂わせていた。
引きこもりや家庭内暴力を快方に向かわせるためには、子供と親を引き離す必要がある。そこで重要になるのが第三者。外部の人間が望ましいが、このケースにおいては妹の存在がキーとなるだろうと考えた。
母親によれば、妹は兄の暴力に巻き込まれていないという。C君がふらりとリビングに現れるのは決まって妹が自室に退いたあとで、C君が暴れても部屋から出てこないよう両親から言い渡されていたので、兄が父親に掴みかかる様を見たのはこれまで一、二度しかないそうだ。兄妹の関係は良好とはいえないまでも決して険悪なものではなく、妹が幼い頃にはC君は兄らしい一面を発揮することもあったそうだ。
そこで、まずは指定校推薦(受ければほぼ合格する試験制度。一般的に9月に校内選考、11月試験、12月初め合格発表)で大学入試に向かう妹の小論文の対策をするという名目で、彼女に私の事務所まで足を運んでもらうことにした(一緒にやってきた母親には同席を遠慮いただいた)。
まずは90分、小論文指導を行ったあと、兄の状況を聞いていると前置きしたうえで、目標を持って勉強を頑張らず、指定校推薦で合格確実な大学を選んだのは兄の影響があるのか聞いてみた。対し、彼女は、それはあると明言した。
妹の目に、兄の暴虐は中学受験の際に親が望むようなレベルの学校に行けず、それを叱責されたことが原因のように映っていた。自分に関しても、親や教師からもっと難しい大学にチャレンジすればと言われても、兄の一件があり、大学入試は合格第一の安全運転を心がけたいという。
■「兄は気の毒」
今の家庭状況について、兄の顔色を日々うかがう両親は大変で、一方兄には気の毒に感じているそうだ。兄が暴れるのは両親に何か問題があったのだろうと彼女なりに推測し、少なくとも引きこもり、時折暴れる兄を自分の人生の障害として邪魔に思う気持ちはないようだった。
私は妹に、兄のための協力と、年末までの再訪を依頼し承諾を得た。目的はもちろんC君を部屋から出し、新しい道に向かわせることにある。そのためには、私がこれから彼女に依頼するミッションを両親に逐一報告しないことも約束してもらった。
進む大学が決まった12月半ば、妹は再び私のもとを訪れた。いったい自分が何をやらされるのか、少々怯えている様子だったが、兄の救出に力を貸す意欲ははっきり見て取れた。
■妹に託した「兄の救出作戦」開始
第1のミッションは、兄の部屋に「どうしても話したいことがあるから、ぜひ時間を作ってほしい」とメモを残すことだ。
これにリアクションがなければ、両親が不在の時間に兄の部屋をノックして話す機会を持ってほしい。ここでもリアクションはないかもしれないが、その後も機会をうかがいドアをノックすることは続けてほしい。
そこで、もし仮に兄が顔を出したら部屋に入り、話をしてほしい。その内容は自分が大学に行くことの許可を得ることと、兄の本棚を見て妹自身が興味を寄せられるマンガかライトノベルを貸してほしいと頼むこと。これが第2のミッションである。
一つ目は、妹が兄に敵意を持っていないことと、自分だけが順調な人生を歩むことへの罪悪感の表明である。実際、妹は多額の学費がかかる大学に進学することに対し小さな罪悪感を抱いており、この問いかけは嘘や方便と言えるものではなかった。
二つ目は、今後、兄との会話の道筋を残すことが目的である。そもそも妹はマンガ好きで、この依頼はむしろ進んでできることだろう。兄の部屋には相当数のマンガ、ライトノベルがあることはアマゾンの購入履歴から把握済みである。結果、もしこの関係が成立すれば、兄の引きこもりからの脱出は一気に現実味を帯びてくる。
■兄はすんなりドアを開けた
妹は年末の押し詰まった頃、第1のミッションを実行した。寝る前に兄の部屋の扉にメモを挟み、翌朝確認したところメモは消えていた。明らかに読まれている。が、兄からのリアクションはない。
数日後、年を越して何日か経ったある日、彼女は両親が揃って出かけた際に第2のミッションを実行した。妹が兄の部屋をノックするのは何年ぶりか思い出せないほどだった。期待はしていなかった。
が、意外にも兄はすんなりドアを開け、「なに?」と問うてきた。その反応に驚きながらも彼女が「話があるから部屋に入ってもいいかな?」と頼んだところ、兄はしばしの沈黙のあと、「少し時間がほしい」と返答してきた。そして約1時間後、妹を呼び自室に招き入れる。
部屋は整頓されており、マンガ、ライトノベル、小説が整然と並んでいた。妹は兄と向き合い「この春から大学に進学にすることになった。自分だけ大学に行くのは悪いと思ってるんだけど、なんとか許してもらえないだろうか」と告げた。対し兄はひどく驚いた様子で「いいよ。自分のことは気にしないでくれ」と答える。これまた意外な反応だった。
続いて、妹は兄の本棚を見渡し、まとまった冊数のマンガを手に取り「これを貸してほしい」と頼んだ。兄は素直に「いいよ」と答え、妹はマンガを手にして部屋を出る。第2のミッション成功。私もここまで簡単に事が運ぶとは予想もしなかった。
■マンガの感想を言い合う兄妹の時間
事前の約束どおり、妹はこの一件を親に報告せず、以来、兄の部屋に入ってはマンガなどを借り、その感想を言い合うようになる。
となれば、第3のミッション敢行である。それは、自身の大学生活の報告と、友人関係の愚痴など些細な悩みを相談することだ。これまで築き上げた兄妹関係をさらに良好にするのが趣旨である。
妹は特に苦もなくミッションを遂行した。どころか、自分の欲しい本やマンガを兄に買わせたり、コンビニの買い物の際に「ついで買い」を兄に依頼するまでになる。
やがて、兄のみならず妹までも親の金で買い物をしていることを両親に知られ、彼らは兄妹でコミュニケーションが成立していることに気づく。当然ながら、親はそこでどんな会話が交わされているのか妹から執拗(しつよう)に聞き出そうとした。しかし、妹は、兄にとって絶対的な敵である両親の介入は防がねばならない。そのことも十分に理解していた彼女は、時々マンガの感想を言っているだけと報告するに留めた。決して嘘ではない。
■真心を込めて長所を伝える
こうして数カ月が過ぎて、第4のミッションを迎えるときが訪れた。
兄と笑い合うような瞬間、心の通い合ったと感じる瞬間があった際、思い切って「学校に行ってほしい」「長所を活かしたことを学んでほしい」と妹から告げてもらうのだ。長所は、マンガに詳しい、私の話を聞いてくれるなど何でも構わない。とにかく美点を挙げれば、人はその相手をより好意的に見るようになるものだ。
このケースでは、妹は心から兄に人間的な魅力を感じていたので、お世辞ではなく、兄の長所をストレートに口にし、さらには教師や医療関係の仕事が向いているように思うとも伝えた。C君は、何も答えなかった。妹も急かすような言動は控えたが、自分が本気で兄のことを思っていることは十分に伝わった感触を覚えた。
■グループホーム入居を決意
それから1カ月が過ぎても兄から芳しい反応はなかった。
この間、妹は時折、進学の話題を口にしたものの、しつこく迫るようなことはしない。焦らず兄の言葉を待った。そして、そのときはやってくる。ある日、いつものように兄の部屋で雑談していた際、兄自ら「自分は高校中退で、学校に行くにも方法がない。今さら上手く対人関係を築ける自信がない」と告白したのだ。妹は、「私が何とか方法を考えてみるから時間がほしい」とだけ答え、あとはまた雑談に終始した。
兄の恐れる気持ちを言葉で引き出した妹は後日、事の経緯を私に報告してくれた。
ここから第5のミッションである。私は妹と母親を呼び、まず親が役所の福祉課に行き、兄の暴力を含め洗いざらい状況を説明し、グループホームの入所を考えていると告げ、しかるべきサービス管理者の紹介を役所の担当者に依頼するよう伝えた。サービス管理者は、高齢者福祉におけるケアマネージャーに相当するもので、障害者の社会復帰・自立支援のプランを立てる仕事に従事している。
親がサービス管理者と面談し適任者がいれば、その人にC君の自立心を依頼するのである。サービス管理者は、さらにしかるべきグループホームを見つけ、医師の診断を経て、そのグループホームの入所をC君に勧めることになる。彼が承諾すれば国や自治体の一部補助を受けながら、グループホームにおいて自立への模索を実行できるようになる。生活の大半は仕送りに頼らねばならないが、親からすれば偉大な一歩だろう。
果たして、C君は体験入所を経て、正式にホームへの入所を決意した。
■「お父さんお母さんは、お兄ちゃんに謝るべき」
いよいよ家を出るという日、妹は最後のミッションをこなしてくれた。
リビングで親子4人全員が顔を合わせた場で、彼女はC君に代わって、お父さんお母さんは、お兄ちゃんに謝るべきだと告げた。その言葉に、父親はあれこれ言いながらも謝罪し、母親は泣いて謝った。つられて泣いた妹の肩を兄は優しく撫でてくれたそうだ。
私は後日、妹に、C君が高卒認定を受けたら大学か専門学校に進学するだろう、その際には実家と離れた地で学生生活をするよう提案してほしいと告げた。C君が親とのわだかまりを解消する日が到来したとしてもずっと先である。それまで親子は離れていたほうがいい。親子のこじれ解決にはとにかく時間が必要だ。
C君は順調に高卒認定を得た。高校に在籍していた際に取得していた単位があったからだ。その後、グループホームを退所し遠方の専門学校に進んだと聞いたが、以降の人生が順調であるかどうかは定かではない。ただ、何かあったときだけ連絡してくださいという私の言葉を聞き入れてくれているのならば、C君に特別な問題は起きていないはずだ。
■子供に「普通」を求めるから行き詰まる
C君のグループホーム滞在期間には、恐らく100万円を超える国と自治体の補助があったと推測される。
それを私的な問題の解決に公費を使うとは何事だと思う向きもあるかもしれないが、親の死後も彼の引きこもり暮らしが続いていれば、やがて生活保護の対象となる可能性も十分ありうる。また、引きこもりや暴力をこじらせ入院となれば、1日あたりの公費負担は数十万にのぼる。引きこもりは家族の問題であると同時に社会的な問題でもあるのだ。
内閣府が15歳~34歳を対象に行った調査によれば、現在「普段は家にいるが、近所のコンビニなどには出かける」「自室からは出るが、家からは出ない」「自室からほとんど出ない」に該当した者(「狭義の引きこもり」)が23.6万人、「普段は家にいるが、自分の趣味に関する用事の時だけ外出する」(「準引きこもり」)が46.0万人、「狭義の引きこもり」と「準引きこもり」を合わせた広義の引きこもりは69.6万人と推計されている(40歳から64歳までの引きこもりも60万人以上)。
これは、社会に適応しにくい子供が支援のないままに学校や世の中に出て、結局、あちらにぶつかり、こちらにぶつかり、つまずいた結果とも言える。中軽度の発達障害の子供ならば、学校で上手くいかない思いを抱いたまま社会に出て、社会に出ればその思いがさらに増幅し、社会から退場していく確率が高まる。すでに「HIKIKOMORI」は国際共通語ともなっており、その数は、イタリアをはじめ欧米各国で社会問題として認識されている。
問題は、引きこもり以前に、あるいは引きこもり初期に、親が社会的支援を要請し、的確な対応をしているか、ということである。親が子供に「普通」に生きることを求めず、適切な支援組織を探し出していれば、自立へと向かう可能性が生まれる。C君の例は、妹が心ある対応をしてくれたために解決に向かったが、こうしたケースは稀であることも忘れてはいけない。
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医学部専門予備校インディペンデント代表
同志社大学法学部卒業、同大大学院文学研究科新聞学専攻修士課程修了。東進ハイスクールなど塾講師を経て、現職。著書に『名ばかり大学生 日本型教育制度の終焉』『医学部バブル 最高倍率30倍の裏側』(いずれも光文社新書)など。
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(医学部専門予備校インディペンデント代表 河本 敏浩)
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