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「家と土地を寄こせ」"無心モンスター"の兄を遇する70代母に"絶縁予告"を突き付けた30代妹の相続戦闘態勢

プレジデントオンライン / 2022年7月23日 11時30分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/S_Kazeo

30代の女性は小さい頃から、母親に兄妹差別を受けてきた。兄を王子様のように育てる一方、妹である女性を家来や召使のように扱った。大学進学時の学費(奨学金)は、女性は水商売の仕事をしてまで自力で返したが、兄の分は母親が一括で払った。2台の新車も買い与えた。母親は今、70代。女性は「今後、母が終活するにあたり遺産を平等にわけなければ完全に縁を切る」と宣言する――。
【前編のあらすじ】現在30代の女性は小さい頃から、母親にDVを受けてきた。母親の実家の婿養子になった父親もヒステリックな母親の餌食になり、その仕打ちに耐えかねて失踪してしまう。その後、女性へのDVはエスカレート。母親の地雷を踏むと、長時間折檻された。そうした歪んだ家庭環境は長期間続き、第三者に口外することができないタブーになった――。

■大学進学

幼少期より母親からDVを受けた黒島禎子さん(仮名・30代)には2歳上の兄がいる。母親は跡取りである兄を甘やかす一方で、暴言・暴力の対象にしたり、部屋に勝手に入り込んで探ったりした。そうしたプライバシーを侵す行為に反発した兄は大学に進学して実家を出たものの、下宿先の住所を教えなかった。ただ、家賃や大学の学費、生活費の仕送りは母親まかせという中途半端な反抗ぶりだったため、すぐに住所はバレてしまった。

さらに、自動車の免許取得費用も、その後の新車購入も母親持ち。しかし、納車された直後にスピード違反で免許取り消し処分になるも、再度自動車学校に通う費用や罰金に加え、「スピードを出した時に危ないから」と、以前より大型で高い車種の新車を買ってもらったという体たらく。

一方、母親は兄のプライバシー侵害をした。友人がたまたま兄の大学の教員をしていたことなどから、母は兄の行動を逐一確認し、出席日数から交友関係まで全てを把握していたのだ。

大学在学中、兄は家出した女子高生を大学の友だちAとともに自分の下宿先に住まわせて、寝食の世話をしていた。ところが、兄は少女がAと交際を始めると3人の人間関係が悪化。そうした状況をAから聞き出した母親は、兄の下宿を訪れ、少女には家に帰るよう説得。異常なほど母親は、兄に対して過干渉だった。

大学を卒業すると、兄は地元で有名な一流企業に入社。ただ、実家には戻らず、1人暮らしを継続した。

一方黒島さんは、大学進学の際、母親から「あんたは勉強も他の習い事もダメだったんだからスポーツを続けるしかないのよ」と、体育大学を勧められたが、「福祉の勉強をしたい」と言うと、日頃汚れ仕事を小馬鹿にしている母親は呆然。しかし、黒島さんが「将来きっと家族の役に立つ」と言って、隣県の福祉系短大のパンフレットを見せて説得すると、一変して応援してくれた。

もちろん、これには裏があり、黒島さんの短大合格がわかると母親は、「あんたが付き合っていた彼氏とあんたを引き離すのに都合が良かったから応援しただけよ!」と告げた。

「私と彼氏を離したかった理由は、表向きは“娘の貞操の心配をしている”というていでしたが、(彼氏経由で)“自分の悪事が外部に知れると都合が悪い”とか、“娘の優先順位が自分から彼氏に変わったのが腹立たしい”とか、そんな理由が見え見えでした」

高校時代、黒島さんが彼氏の誕生日のために作ったケーキを母親にねだられたことがあった。「切れ端ならいいよ」と言うと、母親は「なんでこの私が切れ端だけなんだよ!」と怒鳴ってテーブルを思い切り蹴った。

また、黒島さんが高校の授業で作った作品や趣味の手芸品なども、「これ私にちょうだい! ほしいもん!」「私の分はないの!? 私にも作ってよ!」と言って、何でも強奪していった。だが、手に入ると満足し、そのまま忘れてしまうのか、大切にしている素振りはなかった。

「母は何かにつけて、私に対して『男好きだな』『あんたばっかり男と楽しそうにしやがって』とも言っていたので、娘がオンナになるのがとにかく許せなかったように思います。当時の彼氏や今の夫からもよく言われましたが、母からは、娘に対抗意識を持っている感じがするそうです」

■立派とロクデナシ

大学を卒業した黒島さんは、高齢者施設に介護士として就職。しかし激務が続くあまり、23歳の時に疲労とストレスで、多少の緊張や小走り程度の運動で蕁麻疹(じんましん)が出て、全身を内側から針でチクチクと突かれているような痛みが出る発作が起こるほか、1日に何度も失神するようになる。

さまざまな病院にかかり、いろいろな検査を受け、食事療法なども試したが原因はわからない。上司や同僚から親身なサポートを受け、何とか勤めていたが、迷惑をかけ続けるわけにもいかない。最終的に心療内科で、「ストレス性のものでしょう。お母さんと物理的に離れなさい」と言われたことをきっかけに、当時知り合ったばかりの31歳の整体師と結婚の話を進め、寿退社という形で辞職し、家を出た。

寒い、風が強い、雨の秋の日に空の駐車場を歩いてする傘を保持している若い女性
写真=iStock.com/gruizza
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gruizza

ところが結婚して数日後、その相手がDV夫だったことが判明。気に入らないことがあると、激痛が走るがアザができない程度の力加減で指圧をしてきたり、関節技をかけてくる。

「最初は穏やかで頼り甲斐のある男性という印象でしたが、そうではなく、口先三寸で他人を意のままにコントロールしたいだけの冷たい人でした……」

黒島さんは3カ月で離婚すると、実家へ戻った。

これまで一度も母親に弱音を吐いたり悩みを相談したりしたことがなかった黒島さんだったが、離婚を決めた時に初めて「結婚を決めた時に喜んでくれたのにごめん。耐えられなかった」と打ち明けた。すると母親は、「無理はせず、体が治ったらまた復帰したらいいよ」と珍しく優しく励ましてくれたため、救われる思いがした。

「この時は家族の存在がありがたかったです。兄は離れて暮らしていましたが、久々に会ったとき、『俺は大学を出て新卒から正社員として働いているから立派だ。お前は仕事もすぐ辞めてフラフラした挙げ句に離婚までして、親に迷惑かけてるロクデナシだ』と鼻で笑われました。この頃の兄は、幾度となく親に10万円単位の金をせびって、さすがに不信感を持たれ始めていました。私はというと、病気に振り回されつつも社会復帰を目指し、親とも少しずつ和解できてきた頃だったので、『立派とは? ロクデナシとは?』と複雑な気持ちでした」

■2度目の結婚

1年ほどで病気が軽快してきた頃、大学の奨学金の返済についての封書が届く。「もしこれ以上病気が悪化した上に、借金までとなるとお先真っ暗だ……」と不安になった黒島さんは、半年ほど勤務した事務の仕事を辞め、抵抗がありながらも早く完済したい一心で、キャバクラでホステスをすることを決意。

吉祥寺ハーモニカ路地
写真=iStock.com/kanzilyou
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kanzilyou

半年ほどで完済し、その後は母親と食事に出かけたり誕生日に贈り物をしたりしながら1年ほど勤め、25歳で辞職。精神を病んでいる母親がたびたび祖母に対して嫌がらせをしたりケンカをふっかけたり、時々心配して様子を見に来てくれる親戚や友人を邪険に扱ったりするため、そばで見守る必要があったが、金銭的にも余裕ができたため家を出た。

「母は、たまにキツめに注意すると泣きわめいて謝るのですが、態度を改める様子は全くなく、同じ揉めごとを何度も起こしました。あるとき、『これは私が見捨てずに構ってくれるかどうか、愛情を試しているのではないか。このままではつけ上がるだけだ』と思い、思い切って距離をおきました」

その直後から母親は、親戚に自分から謝罪をするようになり、祖母への態度が柔和になった。逆に、黒島さんへはいつも高圧的だったのに、たまに会うとオドオドと顔色を窺うような態度に変わり、黒島さんは、「『私が自分から離れない』とタカをくくっていたのだな」と確信。

物理的に距離は取ったが、祖父母に会いに行ったり、母親の誕生日に花を贈ったりという遠隔的な付き合いを数年続けると、次第に母親の精神は落ち着いていった。

「母は不安定になると、泣いて暴れましたが、私がなだめると愛されていると確認しているようでした。私は子供を扱うように、もしくは、いわゆるメンヘラなパートナーを扱うような気持ちで接しましたが、それが功を奏しました。あんなに私を罵倒したくせに、たまにバッタリ鉢合わせると名残惜しそうにするのが、本当にメンヘラ彼女そのものでした」

家を出た黒島さんは、居酒屋で働き始めた。4年目のある日、常連客の男性と親しくなり、結婚を前提とした交際に発展。半年間の同棲を経て、黒島さん29歳、男性40歳で入籍。

黒島さんは、2度めの結婚をしてからすっかり体調が良くなった。

■祖父母の死

祖父母は、兄も黒島さんも可愛がってくれたが、祖父は特に兄のほうを可愛がっていた。

しかし祖父は88歳、黒島さんが26歳の頃、要介護状態になり、祖母はそれから遅れること3年、87歳で要介護状態になると、2人はやっと“目が覚めた”ようだった。

兄は、たびたび入院する祖父母に金をせびりにきては、断られると話もせずさっさと帰ってしまうのだ。一方黒島さんは、祖父母から小遣いを渡されても断っていた。

嵐の海に向かって行くと帽子とサンドレス女性
写真=iStock.com/AleksandarGeorgiev
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AleksandarGeorgiev

そのため祖父母は亡くなる前、「あの子(兄)は金をあげないと顔を見せにもこない」と悲しそうな顔をしていた。黒島さんは、祖父母にそんな顔をさせる兄が許せなかったが、これ以上祖父母を悲しませたくないとの思いから、「お兄ちゃん、仕事が忙しくて会いに来れないんだって。電話したら2人のことを気にかけていたよ」と嘘をつき続けた。面会を促すため兄に電話をすると、「行ったよ。けど、寝てたから帰った」とバレバレの嘘をつかれた。

一方母親は、祖父母の介護をかいがいしく続けた。

祖父のときは母親がキーパーソンとなり、1年間在宅介護を行った。黒島さんは毎日実家に寄り、栄養や体調管理、入浴のサポートをした。祖母のときはデイサービスを利用しつつ、在宅介護を2年ほど行い、黒島さんはトイレの補助などをサポート。最後の1年は施設に入所した。母親は、祖父の入院中も祖母の入所後も、2人の顔を見るために毎日通った。

「ここまで母が介護を頑張るのは意外でした。“頑張ってますアピール”に飽きたら、すぐにギブアップすると思っていました」

特定の人と過剰に仲良くなっては揉めるという悪い癖がある母親は、人間関係が原因で約10年ごとに仕事を変えていた。73歳になる現在は、印刷会社でパートをしているが、祖父母に介護が必要になった約3年前も、勤めながら介護していた。

祖父は2013年、黒島さんが27歳のときに89歳で肺炎で、その5年後、祖母は黒島さんが32歳のときに90歳で老衰で亡くなった。

■母親と兄

現在73歳の母親は実家で、38歳の兄は実家の隣の県で一人暮らしをしている。78歳のはずの父親は、家を出て以来ずっと消息不明だ。

兄と黒島さんは、20代半ばまではたまに会って食事をするなどして良好な関係を保っていたが、ある時昔話になり、「俺は親の離婚で人生を狂わされた。子供の面倒を見るのは親の義務だから、一生金で面倒を見させてやる」とニヤニヤする兄に呆れ果て、以降、会うことはなくなったそうだ。

しばらくぶりに再会した祖父の葬式では、兄は遅刻したうえに普段着で登場した挙句、「爺さんの金は長男である俺の金だ! 俺に全部寄越せ!」と母親に迫ったのを黒島さんが嗜めた。以来、決定的に仲が悪くなり、黒島さんの結婚式も欠席。祝儀も電報もなかった。

暗闇の中に立つうつ病の女性のシルエットは、後ろに光が輝く
写真=iStock.com/Favor_of_God
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Favor_of_God

「私も兄も、父がいないことを馬鹿にするような粗野な友人はおらず、大学まで出させてもらって何不自由ない人生のどこが“狂わされた”のだろうと思います。兄は、母からの過保護のせいで、『母親と妹は永遠に長男のために尽くす』と信じて疑いません。また、兄は母が自分の部屋を勝手にあさったり、友人関係や恋愛に口を出すしたりするなど過干渉のせいで、『距離感を見直すには拒絶しかない』と思い込んでしまっているように思えます。もしくは幼少の頃のDVを繰り返した母への漠然としたおそれが未だにあり、『話し合うのが怖いのかな?』という気もします」

兄は徹底的に母親を避け、一方の母親は、「兄が冷たいのは自分のせいだ」と自覚しているようだが、「あの子(兄)は私のことが嫌いなのよ……! もう知らない!」とメソメソしたり、入院した祖母の見舞いで兄と久しぶりに会うと、「キャッ、久々に顔見れちゃった」とはしゃいだり……。

そんな様子を間近で見る黒島さんは、「まるで拒絶しているのに求め合ってしまう、元恋人同士のように見えて薄気味悪いです。兄の心のなかには、本来ならば相容れない2つの気持ちが同居しています。ひとつは『金銭的に頼りたい、アテにしたい』という甘えた気持ちと、もうひとつは『干渉されたくない』という拒絶する気持ち。外見はおじさんだけど、心は幼児のままという感じです」と苦笑する。

■家庭のタブー

筆者は、家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つが揃うと考えている。

黒島家の場合、父親に対する扱い、兄に対する大人たちの扱いに、短絡的思考があったのではないだろうか。そもそも母親がこのような子育てをした理由には、母親自身が育てられた環境にきっかけがあった。

祖父は、娘である母親を溺愛し、祖母をDVしていたのだ。それは兄を溺愛する母親、妹である黒島さんを虐げる母親と重なる。黒島家の大人たち、すなわち祖父、母親は、家庭内で行われるいじめに疑問を持つことなく続けてきた。

黒島家に入った祖母は虐げられてきた張本人だが、おそらく声を上げたくても上げられずに耐え忍んで生きてきたのだろう。黒島家の婿養子になった父親は何度も疑問の声を上げてきたのだろうが、ついに限界を迎え、1人で脱出。

そうして黒島家には、短絡的思考をする大人たちだけが残った。それはさながら、高い城壁に囲まれた王国のようだったろう。失踪した父親のことを話すことがタブーとなったことがきっかけで、淀んだ空気の蔓延する家庭内では、この家庭に疑問を持つことをよしとしない風潮が生まれた。これが外界との「断絶・孤立」を進めたに違いない。

抽象的な未来的黙示録的背景
写真=iStock.com/Gladiathor
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Gladiathor

「わが家で父の話は完全にタブーでした。父からもらったおもちゃをいくつか隠していたのが母に見つかり、ものすごい形相で睨(にら)まれながら、自分の手でゴミ袋に捨てたことがありましたが、今でも後悔しています。唯一隠し通せた小さな動物の形のキーホルダーは、あちこち取れてボロボロになってしまいましたが、今も手元にあります」

父親の失踪後、父親の話だけでなく、恋愛や性的な話題をすることは、家庭内で御法度となる。

さらに黒島さんは、「ガキのくせに恥ずかしがるな!」と言われながら小6まで母親との入浴や、母親の目の前で着替えることを強要され、胸の膨らみをチェックされた。兄は、不在の間に机や部屋をあさられ、成人してからも、買い与えられた車の車内やアパートを隅々までチェックされ、青年向け雑誌などを勝手に処分された。

「お金の不自由なく育ててもらえたことは本当に感謝していますが、母のことは今でも恥ずかしく思っています。もちろん、よいところもありますし、支えてくれたこともありましたが、人様に紹介したいとは思いません」

黒島さんによれば、母親は若い頃とても美人で異性にモテていたらしく、70歳を過ぎた今も、「私は美しいから何をしても許されるし、男はみんな私のことが好き」と信じきっており、いまだに男性に色目を使うという。

例えば、黒島さんの夫の寝顔を見に寝室に忍び込んだり、親戚との食事会で「夫さんの隣に座りたい! あんたはいつも一緒にいるんだから私に譲りなさいよ!」と本気で駄々をこねたりして、黒島さんの夫にたしなめられたりしたことも。

「昔から、『奥さん・彼女よりも私のほうがいいでしょ』と言わんばかりに、母は他人のパートナーにベタベタする人で、過去にも親戚の旦那さんに甘えた声で電話をしたり、よく行くお店の既婚男性店員に手紙を書いたりしていて呆れます」

黒島さんは小6の頃、スポーツクラブで知り合った姉妹の母親に出会ったときから、母親に羞恥心を抱いていた。

「わが子を立派に育て上げたいという母の思いはちゃんと感じていましたが、母がこうした歪んだ子育てをしてきたのは、母自身が人を“オトコ・オンナ”“自分より偉いか・偉くないか”でしか判断してこなかったせいではないかと思っています」

母親は、飲みに行ったり一緒に旅行したりする友だちは常にいるが、胡散臭い人が多く、だいたい数年すると揉めて喧嘩別れになり、また新しい交友関係を築くため、“何十年来の親友”というものは存在しないという。

祖父母からどんなことをしても無条件に愛されて育ったため、一旦こじれてしまうと、関係を修復することができなかったのか、人間関係も、“好き・嫌い”でくっきり白黒分けて考えることしかできなかったのかもしれない。

■本当の幸せ

「余談ですが、私は病気の治療と並行しながら、抵抗のあったお水の世界に足を踏み入れてまでして何とか奨学金を返済したのに、兄は母に一括で返済してもらったということを最近知りました。母から兄妹差別をいろいろ受けましたが、自分が苦労して乗り越えたものを、兄は当然のようにポンと助けてもらえるのだと腹が立ちましたし、正直こたえました。でも、病気をして実家に戻った約2年間は、母や祖父母たちと家族のやり直しができた大切な時間だったとも思っています」

とはいえ、これまで受けた兄との差別について、今後も母親に問いただす気はないという黒島さん。

「差別をしてきた母本人や、優遇された兄よりも、自力で幸せをつかんだ私のほうがずっとよい人生を送れていると思うので、これからも問いただす必要はないと思っています。ただ、70歳すぎの高齢者になった母が今後するであろう終活や私たち子供への相続に際して再び差別がなされたら、2人(母と兄)とは完全に縁を切るつもりです。その時には、判断にいたった長年にわたる因縁の経緯を話してしまうかもしれません」

日本人の最後の意志と治療とリストを行う
写真=iStock.com/takasuu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

現在のところ、祖父母の遺産は母親に入っている。黒島さんは、「葬式代だけ遺して後は自分のために使って」と母親に言っているが、兄は相変わらず、「実家と土地を(長男である自分に)寄こせ!」と息巻いている。

「最近の母は自分の行動や考えを改めようと努力しているのが見てとれますが、兄は思いやりや責任感というものがまるで感じられず、本当に恥ずかしいです。兄を見ていて思うのは、親が甘やかして育てると『家と家族を守らねば』という自覚も、『家族と協力しよう』という優しい気持ちも芽生えず、お金と愛を混同して、底なしに貪(むさぼ)る“モンスター”になるだけだということです。私は歪な家庭で育ったけれど、人生の最後を笑って迎えられそうな予感がします。母や兄もそうあってほしいなと思っています」

短絡的に思考し、母親から逃げ回っているだけの兄ではなく、家庭のタブーの本質にいち早く気づき、いち早く逃れた黒島さんが、今、最も幸せの近くにいる。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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