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人間臭さを消してまで立派なことをやろうと思わないほうがいい…永守重信が「きれい事は続かない」というワケ

プレジデントオンライン / 2022年7月27日 9時15分

日本電産の永守重信会長

自分の欠点とどう向き合えばいいのか。日本電産の永守重信会長は「周囲から評価されるためにとか、よく見られるようにといった理由で何かを抑えたり、変えたりする必要はない」という――。(第1回)

※本稿は、永守重信『人生をひらく』(PHP研究所)の一部を抜粋・再編集したものです。

■仕事も人間も「原点」を変えてはいけない

仕事という点において一番よくないのは、根っこが変わってしまうことだと私は考えています。

たとえば、日本電産でモーターの仕事を10年やった人が、突然畑違いの会社に行ったとしたら、根っこから何からすべて変わってしまう。これまでモーターを10年やって、何台もモーターの設計をしてきたことがまったく活かされないという意味では、10年が無駄になってしまうのではないでしょうか。

それは会社でも同じで、回るもの、動くもの、それに関する部品・製品・応用製品というように、日本電産としてはこれからもいろいろな事業をやっていきますが、その原点は変わりませんし、変わってはいけない。

では、人間はどうでしょうか?

■人間は「饅頭」と一緒

先日、株主や投資家への説明会でアナリストに対して大きな声を出したということで、「相変わらず、人間ができていませんな」という内容のメールをたくさんいただきました。ただ、私は変わるつもりはありません。

私はそのときは本気で真剣に怒っていました。真剣に怒っているにもかかわらず、周囲から評価されるためにとか、よく見られるようにといった理由で何かを抑えたり、変えたりするつもりはまったくありません。そんなことをしたら、この会社の成長はぴたりと止まってしまうでしょう。

たしかに、見ようによっては、これは私の欠点かもしれません。ただ、人間は饅頭と一緒だとも思うのです。砂糖がたっぷり使われた饅頭はおいしいに違いありませんが、砂糖ばかりの饅頭は1個ならまだしも、2個、3個、4個、5個と食べようと思ったら、塩味がないと無理でしょう。砂糖だけの饅頭、砂糖だけのおはぎというのは、食べられてせいぜい1個か2個。もっとたくさん食べたいなら、塩を塩梅よく入れないといけない。

人間も饅頭と一緒で、必ず欠点がないといけない。いい点と悪い点が交ざり合っているのが個性であって、いい点ばかりにする必要はないのです。

■人間臭さを消してまで立派なことをやらなくていい

周囲の人は、「次はああいうことを言わないほうがいいんじゃないですか」と言うけれど、次もまた私は言うでしょう。

言葉の使い方一つとっても、関東では「あんた」という言い方はダメで「あなた」と言ったほうがいいんじゃないかという意見もありましたが、そのとき真剣に怒っている私からしたら、言葉なんて選んではいられません。少し冷静になったときには、「あなた」と言い換えましたが、怒っている最中には関西弁が出てくるというのが私という人間なのです。

だから、人間臭さを消してまで立派なことをやろうと思わないほうがいい。人間には、欠点があったほうがいいと私は思っています。

■人生観や理念ができあがるまでには最低10年かかる

人間が何かをやろうとするときには、必ず動機があります。動機があるからこそアクションに結びつくのです。

私の場合でいえば、父親が中学2年生のときに亡くなって、家がものすごく貧しかったので、「自転車がほしい」と言っても、買ってもらえなかった。友達がズック靴を履いていても、こっちは裸足でした。

あるとき、同級生の家へ行ったら、ステーキとチーズケーキが出てきて、部屋の中でスイス製の模型列車が走っている──。友達に、「おまえのお父さん、何しとるんや」と聞いたら「社長や」と答えたものだから、「社長になったらこんなうまいものが食べられて、こんな立派な家に住めるのか」と子供心に思ったわけです。私が社長になりたいと思った最初の動機づけというのは、そんなものなのです。「社会に貢献して、雇用を増やして……」というような立派な動機で始まったわけではありません。

テンダーロインステーキ
写真=iStock.com/Andrei Iakhniuk
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Andrei Iakhniuk

そして、会社をつくったらつくったで、キャッシュがないので、毎日毎日、資金繰りに追われて、会社の理念や経営方針などについては、当初は考える余裕もありませんでした。

要するに、人生観とか理念というものは、一挙に出来上がるものではないということです。最低10年はかかります。

■上場は入り口にすぎない

その後、会社がだんだん軌道に乗り始めて、健全な利益が出始めたときに、「これでは中小企業で終わってしまうな。もっともっと大きな志を持たないといけないのではないか」と思うようになったのです。その間、妻からは「あんたは偉くなると思ったから結婚した」と言われたり、私が会社を大きくしたことで母が「ああ、いい夢を見させてもらって自分は死んでいくわ」と思ってくれたりということもありました。人間の動機づけというのは、自分だけのものではないということです。

日本電産が上場したとき、「社長。上場したのだから、この辺でゆっくりして、毎月とは言いませんが、3カ月に一遍くらいゴルフコンペをやって、少しは楽しみましょうよ」と言う人もいて、「こんなものはまだ入り口だ。今から売上が何千億円という会社にするんだ。楽をしたいのなら君はもう株を売ってゆっくりすればよい」と言ったこともありました。

■「これで十分」と思ったら、人間はそこでおしまい

だから、どんな仲間を集めるかというのも、志を大きくしていくには大切な要素になってくるのです。「ぜひ自分はもっと大きな会社で働きたい」とか、「もっと成長を加速したい」「一緒にやりたい」という人が集まってきて、志は大きくなっていくのです。

今でも私は中小企業規模で満足している人とは付き合いません。ソフトバンクの孫正義さんや、ファーストリテイリングの柳井正さんのような人たちとばかり付き合っているから、はたから見たら、とても実現できるとは思えないくらいの目標を掲げるなど、ホラの吹き合いのように見えるかもしれませんが、ソフトバンクも、ファーストリテイリングも成長しています。

ですから、みなさんも志があるなら、何歳になろうとも自分の志を大きくしていただきたいと思います。「これで十分」と思ったら、そこでおしまいです。

■危機感を「悲愴感」に変えてはいけない

危機感を振りかざすときには、必ず夢と一緒に語らないといけない――。危機感だけでは、必ず最後は悲愴(ひそう)感のところへ行ってしまうからです。

頭を抱えているビジネスマン
写真=iStock.com/kuppa_rock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuppa_rock

以前、注文が取れずに非常に苦労している現場の役員が、急に明るい顔になったことがありました。それもそのはずで、長らく低迷していた営業成績が上向き、「あっちでも注文を取った! こっちでも注文を取った!」というように、明るい話題がずいぶん出てきたので、顔色もよくなったのでしょう。

そのとき私は、その役員に「君、去年の今頃は、不幸ごとがあったような暗い顔をしていたけれど、今日はやっと普通に戻ったな。次、来るときには結婚式場の職員の顔になってから出てこい」と言いました。

要するに、去年はよい要素が何も出てこないものだから、危機感を抱いていたわけです。危機感を持つことは悪いことではないのですが、その塩梅が大切で、危機感を通り越して、組織全体を悲愴感が覆い尽くしてしまうのはよくありません。

■「足元悲観、将来楽観」が基本

もし、「このままでは売上はずっと伸びないのではないか」という思いが頭をよぎったなら、そのときには夢を語る必要があります。「夢」と「危機感」は表裏一体ですから、危機感を語るときは、夢とセットでなければなりません。厳しい話をしないといけないときは、「将来は明るいぞ」と夢を語る。「足元悲観、将来楽観」が基本なのです。「ここを乗り切れなかったらどうなるんでしょうか?」と言われて、「それはつぶれるわな」というような話だけではダメということです。

そうではなく、「これは今、大変なことになっているぞ。ここで注文が取れなかったら、どうなるかわかっているな。しかし、わが社がやっているビジネスは、これからの時流に合ったものであり、今ここを乗り切ったら、いい方向に変わっていけるんだ」という話をしなければならない。

実際、危機感だけを話している例は多い。そうではなく、最初に危機感をパッと述べたあとに、「でも、先は明るい。やっと春が来るぞ」という話をして終わるようにしていただきたいと思います。

そして、状況がよくなってきたら、今度は逆の発想が大切になります。よくなってきたときに、調子のいい話だけをしては、みんな浮き足立って天狗になってしまうので、「これくらいで調子に乗っているのか? これは危ないぞ」と言って、危機感を醸成しなければなりません。

■自分の実力をわかっていない人は、途中で倒れてしまう

私は一時期、体力をつけるためにと、休みになると山登りをやっていました。もともと人に負けるのが嫌いな性格ですから、「こんな山を登るのに何をもたもたしているんだ!」という感じで、バーッと追い抜いていく。しかし、あまりにスピードを出すものだから、8合目くらいで体力を使い切って、バタンと倒れてしまったことがあります。

仕方がないので、身体を休ませるため横になっていると、ずいぶんと前に追い抜いた人たちがゆっくりゆっくり登ってきて、リーダーの人がこう言うんですね。

「みなさん、あそこで今寝ておられる方はずいぶん前に私たちをバーッと追い抜いていかれましたね。なぜ、倒れてしまったかわかりますか。あの方は体力を温存できていないんですよ。自分の山登りの実力をわかっていないんだ。山登りにおいては、ああいうことをやると失敗しますから、気をつけてくださいね」

私がへたって休んでいる横で、わざわざ足を止めてそうやって説明したのです。

■「山登り」と「会社経営」に共通すること

そのとき、私は「ああ、なるほどな。それはそうだな」と思いました。最初は体力があるし、相手もゆっくり登っているから、簡単に追い抜ける。「なぜこんなところを、こんなにゆっくり歩いているのか。もうバーッと登って、上で飯を食って早く帰ろう」と思いながら「お先! お先! お先!」と追い抜いていくことができます。「これくらいならあっという間に登れる」という感じがするのですが、実際にはそうはなりません。8合目くらいになったら急に足が動かなくなってしまって、最後にはバタンと倒れてしまうのです。

永守重信『人生をひらく』(PHP研究所)
永守重信『人生をひらく』(PHP研究所)

「これではいかん」となって、次は体力を温存しながら登ったら、頂上にたどり着いてもまだ体力が残っていました。「ああ、これだな」とそこで学ぶことになったのです。

あまり慌て過ぎるのはよくないという点は、会社経営も一緒です。もちろん、「これは何としてでも登り切るぞ」という気持ちがあればこそ、身体だってついてきます。気概と執念というのはどこまでいっても大切です。「つらいな」と思ったらすぐ逃げるのではなく、「これくらい何だ」と思って挑戦しなければ、何事も成就しません。

ただし、そもそもの実力がなければ、いくら気概と執念があったところで途中でバタンと倒れてしまうでしょう。ですから、山登りでも会社経営でも、自分の実力が目標に見合っているかどうかを見極めることも大切になってくるのです。

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永守 重信(ながもり・しげのぶ)
日本電産 代表取締役会長
1944年、京都府生まれ。6人兄弟の末っ子。京都市立洛陽工業高等学校を卒業後、職業訓練大学校(現・職業能力開発総合大学校)電気科を首席で卒業。1973年、28歳で日本電産を創業し、代表取締役に就任。同社を世界シェアトップを誇るモーターメーカーに育てた。また、企業のM&Aで業績を回復させた会社は60社を超える。著書に『成しとげる力』(サンマーク出版)、『人を動かす人になれ!』(三笠書房)など。

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(日本電産 代表取締役会長 永守 重信)

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