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盗れそうなのに、盗らないのは損…逮捕されても万引きを止められない「窃盗症」という病気の怖さ

プレジデントオンライン / 2022年8月11日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/GoodLifeStudio

何度逮捕されても万引きをやめられない「窃盗症」という精神疾患がある。窃盗症に詳しい精神科医の竹村道夫さんは「窃盗症はギャンブル障害などのほかの疾患に比べて研究の蓄積が少なく、実態の解明が遅れている。逮捕されても更生できないケースが多いが、専門的な治療を受けることで回復することが可能だ」という――。(第1回/全2回)

※本稿は、竹村道夫、吉岡隆(編)『窃盗症 その理解と支援』(中央法規出版)の一部を再編集したものです。

■研究があまり進んでいない「窃盗症」

窃盗癖は、ギャンブル障害、インターネット使用障害、買い物嗜癖、性嗜癖、摂食障害などとともに、精神医学的には行動嗜癖の一つとみなされる。精神障害としての常習窃盗、クレプトマニア(Kleptomania)は、古くからある病名であるが、行動嗜癖のなかでも、最も治療体験と研究の蓄積が少なく、実態の解明が遅れている。

クレプトマニアの邦訳名としては、従来、「病的窃盗」「窃盗癖」などが使われてきたが、DSM-5では、日本精神神経学会の訳(2014(平成26)年)によって新しい病名、「窃盗症」が採用された。

常習窃盗を大雑把に3種類に大別すると、①経済的利益のために金目の物品や金銭を盗む職業的犯罪者、②飢えて食物や生活必需品を盗む貧困者、そして③金があるのに些細なものを盗む病的窃盗者、ということになる。もちろん現実には、3類型の境界域、混在型、移行途上など、分類困難なタイプや、この3類型以外の、コレクター(収集家)や知的障害者、認知症による常習窃盗も存在する。

■窃盗症を診断するための「5つの診断基準」

本稿では、精神障害としての病的常習窃盗の意味では、窃盗癖ではなく、クレプトマニア(窃盗症)という医学用語を用いて、両者を区別する。精神障害としての病的窃盗には、「クレプトマニア」という疾患がある。この疾患の診断基準はかなり制限的であるが、その輪郭は明確ではない。

例えば、窃盗症に密接な関係があるとされるうつ病は、DSM-5ではクレプトマニアの合併症の一つとしてあげているが、国際疾病分類、ICD-10では、うつ病に伴う常習窃盗を、クレプトマニアから除外している。「窃盗症」は、DSM-5では、「秩序破壊的・衝動制御・素行症群」の章に移され分類された。DSM-5による窃盗症の診断基準には、DSM-IV-TR(2009年)からの変更がなく、以下の5項目からなる。

A 個人的に用いるためでもなく、またはその金銭的価値のためでもなく、物を盗もうとする衝動に抵抗できなくなることが繰り返される
B 窃盗に及ぶ直前の緊張の高まり
C 窃盗に及ぶときの快感、満足、または解放感
D その盗みは、怒りまたは報復を表現するためのものではなく、妄想または幻覚への反応でもない
E その盗みは、素行症、躁病エピソード、または反社会性パーソナリティ障害ではうまく説明されない
(出典:日本精神神経学会(日本語版用語監修)、高橋三郎・大野裕(監訳)『DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアル』p.469、医学書院、2014)

■「窃盗のための窃盗」をしているケースはほとんどない

問題は、この診断基準Aの条文をどのように理解するかである。狭義解釈者は、窃盗症は「利益のための窃盗」ではなく、「窃盗のための窃盗」であると主張して、「放火のための放火」である放火症(Pyromania)を引き合いに出して説明している。しかし、窃盗行為と経済的利益を完全に切り離すことは、病的賭博(ギャンブル障害)を経済的利益と切り離すことと同様に、現実にはできない。

経済的利得が動機に全く含まれない賭博行為や窃盗行為というものは、理論的にはあり得ても現実には存在しない。盗品を多少でも個人的に使用することがあれば、この基準を満たさないと理解すると、窃盗症患者は、臨床上、ほとんど実在しないことになる。

診断基準Aは、窃盗の主たる動機が、その物品の用途や経済的価値でなく、衝動制御の障害にある、という意味に許容範囲を広く理解すべきだ、というのが筆者らの見解である。実際、筆者らの観察では、窃盗症患者も、経済的利得意識をもって、自分が欲しい物や使用する物を盗み、盗んだ物を使用している。

店内のポケットに新しいガジェットを入れて消費者泥棒の手を閉じる
写真=iStock.com/Михаил Руденко
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Михаил Руденко

■窃盗症患者にみられる12の特徴

DSM-5は、万引きで逮捕される人の4~24%に窃盗症が見られるという数値をあげている。

診断基準Aを厳格に適用すると、窃盗症患者は、節約意識をもたず、個人的に使用しない商品ばかりを万引きすることになるが、想像困難な人物像であり、そのような人がこれだけ存在するとはとうてい思われない。

現実に、換金目的に金目の商品をねらう職業的窃盗者以外のほぼすべての万引き犯が、自分で摂食する食品や自己使用する商品を窃盗する。また、一般人口中の窃盗症有病率に関しては、DSM-IVには記載がないが、DSM-5では、0.3~0.6%であるとされており、これは、ギャンブル障害(GamblingDisorder)の生涯有病率(0.4~1.0%)に匹敵するほどの高い数値である。このように、窃盗症は、現在では、以前考えられていたよりはるかに多い精神障害であるとされている。

DSM-5による窃盗症の診断基準以外に、私たちの経験からは、窃盗症患者の多くは、以下のような特徴がみられた。

①窃盗の手口として、9割が万引き
②ほぼ全例が単独犯
③経済状態や社会的地位からみて、「リスクに見合わない窃盗犯罪」を繰り返している
④万引き行為以外には反社会的行動がない
⑤職業的犯罪者ではない
⑥窃盗衝動のスイッチが入ると、自力で中断することが難しい
⑦極めて再犯傾向が強い
⑧生理的、心理的飢餓感をもっていることが多い
⑨摂食障害など、ほかの精神障害を合併することが多い
⑩罰金や服役などの罰則ではほとんど更生しない
⑪治療前には、病識がない
⑫専門的治療によって回復できる

■「ひどいときは盗れそうなものは何でも盗んでいた」

当事者は語る
前嶋浩子(仮名・女性・53歳)

自分がなぜ、またどういう動機から万引きを始めたのか、はっきりした原因や理由は今でも分かりません。

ただ、事実のみ、生起した順に並べると、まず摂食障害を発症し、症状が拒食から過食、さらに過食嘔吐へと推移し、大量に食べて吐くことを覚えた後に、食べ物を万引きするようになりました。そして、しだいに常習化するとともに、最初は食べ物だけだったのがそれ以外のものも万引きするようになりました。

ひどいときは盗れそうなものなら何でも手あたりしだいに盗む、という感じだったこともあります。

私は、進学を機に親元を離れて大学の寮に入り、おそらくその直後に摂食障害を発症したものと思われます。当時、素朴なやせ願望のほかに私にはもう一つ、ぜひ体重を減らしたい理由がありました。

というのも、私はそれまでの人生において「自分のありようは自分である程度コントロールできている」と思い込んでいたのですが、体重だけは全くコントロールの外だったことがどうにもがまんできなかったのです。そのことが非常な屈辱でもあり、とにかく癪しゃくで気に入りませんでした。何とか体重も自分のコントロール下に置きたい、自分の望むような体重、体型になりたい、という思いが強かったと記憶しています。

■歯磨きでもするように淡々と万引きに及んでいた

食事を制限することから始まったダイエットが極端な拒食になり、それが突如過食に転じ、さらに過食嘔吐へと進んだ後に食品の万引きが始まりましたので、よくいわれることですが、「たくさん食べたいのに食品購入に使えるお金には限りがあるから」とか「どうせ吐いてしまうものにお金を使いたくないから」などと説明すると何となくつじつまが合います。

重量損失失敗の概念。スケールは、抑うつ、イライラ、悲しい女性の膝の上に頭と腕を保持の床に座って。
写真=iStock.com/Tero Vesalainen
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tero Vesalainen

自分にもそういう心理があったことは否定しませんが、ただ、それだけかというとやはり違うというのが正直な気持ちです。私の場合、しだいに食品以外の物も盗むようになりましたし、18歳で発症して以来ずっと摂食障害、それも大半の期間は過食嘔吐を繰り返してきたのですが、ほとんど盗まないでいた時期もあります。単純に過食のみが万引きの唯一の動機とはいえないのではないでしょうか。

一方、毎日必ず何かしら盗んでいた時期もあります。そういうときは、盗むことがほぼ日課のようになっていて、行為が習慣化、自動化されているので、一回ごとに「自分の行為は許されることなのか」「そんなことをしていいのか」などと自問することもなければ、「やろうかやめようか」という逡巡(しゅんじゅん)も、「やってしまおう」という選択や決断もありません。

習慣化された日常の行為として、例えば歯磨きでもするように、淡々と行為に及んでいた感じです。おそらくあえて自分を判断停止状態に置くことで、犯罪にほかならない自己の行為を直視することから逃げていたのだと思います。

■執行猶予期間中に逮捕されたことがきっかけで治療を受けることに

ともあれ、何度か警察に連れて行かれるようなこともありつつ、何とか穏便に済ませてもらい、周囲には知られることなくどうにかやっていたのですが、不本意ながら学業を終えて社会に出ることとなり、自分の人生が思うに任せなくなってきたころから万引きがひどくなった気がします。

万引きを続けながらも一方には「もうやめたい、こんなことを続けていたくない」という気持ちはあるのに、自分ではどうにもやめることができないのです。盗む量と頻度が増すに従って取り締まる側の対応も厳しくなり、謝れば帰してもらえる、というわけにいかなくなっていきました。

一度は起訴猶予になったものの次は略式命令で罰金刑に、それも結局歯止めにならず、次は起訴されて裁判となり、懲役1年執行猶予3年の判決を受けたのですが、その猶予期間中に再度万引きで逮捕されました。この事件をきっかけに担当弁護士の尽力で赤城高原ホスピタルへの入院がかない、ようやく専門的な治療を受けることができるようになりました。

日本警察
写真=iStock.com/Marco_Piunti
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Marco_Piunti

入院治療と並行して裁判も進行していったのですが、入院から約4カ月を経て迎えた判決では、すでに治療に入っていることとその治療に一定の効果が認められることを酌(く)んでという温情ある判断のもと、再度の執行猶予が認められました。6カ月の入院加療を経て退院し、現在まで盗まない生活を続けています。

■「盗れそうだ」と思うと盗るようになってしまった

自分の行動がいかにも病的だったと思われるのは、例えば次のようなところです。初めは「欲しい」と思ったものを盗っていたはずなのに、いつの頃からか「盗れそうだ」と思うと盗るようになっていました。

別に欲しかったわけでもないのにたまたま店で目に入り、周囲に人目がないなど「盗れそう」な状況だったりすると、「この(盗れそうな)状況で盗らないのは損なんじゃないか」というような、何とも倒錯したおかしな心持ちになり、欲しくもなかったものを盗んで持ち帰ってくるのです。

そういうものは、欲しかったわけでもないので、興味を失ってその辺に放り出してあるのですが、翌日など、いくらか正気に戻ってからそれが目に入ると、自分でもあまりの異常さに慄然(りつぜん)とする、ということがしばしばでした。毎日同じ鞄を持って店に行き、その鞄が口のところまでパンパンになるまで隙間なく商品を詰め込み、てっぺんのファスナーを苦労しながら閉じてようやく「作業完了」という気になっていた時期があります。

そうすると、鞄にほんの少しでも空間が残っている間は落ち着かず、「この空いたスペースにちょうど収まる大きさの物はないか」という目で売り場を見回し、手ごろなサイズと形状の商品が見つかると、それが欲しいかどうかということとは一切関係なく、空いていた隙間に押し込んでファスナーを閉じ、それでようやく安心する、という具合でした。

■留置所で「万引きしてしまう自分」と向き合った

こうなると、盗ることが目的なのか鞄を隙間なく物でいっぱいにすることが目的なのか、わけが分かりません。ただ、物のためこみにしても、鞄の隙間を埋めることにしても、何かしら心のなかの空隙(くうげき)や欠落をそういう形で埋めようとしていたのではないか、心理的な不全感を物で満たそうという一種の代償行為だったのではないか、という気が今はしています。

こうした日常からの転機は、入院治療のきっかけともなった最後の万引き事件です。逮捕されて留置、さらに拘置されている間、否応なく「自分はなぜ万引きするのか」「なぜ万引きと過食嘔吐をしたくもないのにやめられないのか」といった、それまで考えないようにしてきた問いにようやく正面から向き合うようになりました。

病院の治療プログラムの一つであるミーティングのなかに、自分自身と向き合って過去を振り返り洗い出す「棚卸し」と称する作業があるのですが、私はこの時期に、自己流の不完全な形ながら「棚卸し」にすでに着手したのだと思います。

そのなかで、今まで自分の万引きの原因は過食嘔吐、広い意味での摂食障害であると長い間考えてきたのが、どうやらそうではないらしい、摂食障害になる以前から(それまで万引きをしたことはないけれど)万引きをしかねないような考え方や行動がずっと自分にはあった、と気づきました。

摂食障害さえ治せば万引きも自然にとまると簡単に考えていましたが、そうではない、自分に内在するもっと根深い問題なのだと気づいたことがとても大きかったと思います。

■「他人に知られなければなかったのと同じ」と考えてしまっていた

幼いころから一貫して私の行動を主導してきたのは、「他人が見ていなければ悪いこともしてしまえる」「他人に知られなければなかったのと同じ」といった、極めて自分本位な、ずるい考え方です。

竹村道夫、吉岡隆(編)『窃盗症 その理解と支援』(中央法規出版)
竹村道夫、吉岡隆(編)『窃盗症 その理解と支援』(中央法規出版)

私は自らの信念や行動指針に従ってではなく、もっぱら他者からの評価によって行動してきましたので、他人が見ていれば実力以上に評価してもらおうと頑張るのですが、誰も見てくれていないと分かったとたん「頑張ってもしょうがない、ばかばかしい」と手を抜くところがありましたし、それどころか他人の目がなければ、つまり自分の評価は下がらないと思えば、ルールに違反したり悪事をはたらいたりすることにもいっこうに痛痒(つうよう)を感じない、そういう人間でした。

「他人が見ていようといまいとやるべきことはやらなきゃいけないし、やっちゃいけないことはやっちゃいけない」という実に当たり前なことを、今さらながら自分にしつけていかねばならないと考えています。

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竹村 道夫(たけむら・みちお)
赤城高原ホスピタル院長
1945年生まれ。高知県出身。大阪大学医学部卒業。医師、精神保健指定医。精神科専門医。帝京大学医学部精神科、同大学医学部付属病院付属分院溝の口病院精神科科長(嗜癖問題臨床研究所所長兼務)、群馬病院を経て、1990年アルコール症専門治療施設の赤城高原ホスピタル開院。特定医療法人群馬会赤城高原ホスピタル院長・京橋メンタルクリニック勤務医

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(赤城高原ホスピタル院長 竹村 道夫)

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