なぜ台湾は中国に占領されず生き残れているのか…台湾民主化の父・李登輝が選んだ「親日」というカード
プレジデントオンライン / 2022年8月15日 12時15分
初の台湾出身の総統。日本統治下の台湾に生まれ、京都帝国大学に進学し、太平洋戦争中は旧日本陸軍に入隊。戦後は台湾に戻り、大陸側が組織する中国国民党に入党して政界入りする。1988年、台湾出身の初の総統に就任。台湾の民主化を進め、直接選挙の導入を実現。2000年まで総統を務めた。日本では、親日派として知られる。
■国民党の守旧派からも、中国当局からも
【佐藤】2020年7月、97歳で亡くなった台湾の李登輝は、その言動を普遍化することで多くの学びを得られる人物です。
【池上】日本統治時代の台湾に生まれ、京都帝国大学(現京都大学)などで農業経済を学び、国家元首である総統の座に就いて以降は、独裁政権下で激しい政治弾圧なども行われた中華民国の民主化に尽力しました。
【佐藤】政治家として、三代前の総統、蒋介石(しょうかいせき)が掲げた「大陸反攻」、すなわちもう一度中国大陸に攻め上るのだ、というスローガンの旗を降ろし、中国共産党による大陸の実効支配を認めました。
【池上】同時に、自分たちは中国とは違う存在だと明言したり、独自に国連加盟を目指す方針を公にしたり。
【佐藤】これらの言動は、今では当たり前のことのように受け止められるかもしれませんが、ぜんぜん当たり前ではありませんでした。最初に結論を言えば、彼の本質が類まれなプラグマティスト(実用主義者)だったからこそ、そんな「大それたこと」を口にできたのです。
■「台湾の生き残り」のために、利用できるものは何でも利用する
【佐藤】李登輝と親交のあった自民党の村上正邦さんが、最後は李登輝のことを嫌っていたのです。
【池上】「参議院のドン」と呼ばれ、支持団体をめぐる受託収賄罪で実刑判決を受けた政治家ですね。なぜ嫌うようになったのですか?
【佐藤】村上さんが、中国との関係で実現できなかった李登輝訪日のために散々力を尽くしたのに、逮捕以降、全く接触しようとしなくなったからです。ただ、そういうのを見て、あらためて最初に述べたような感想を持つわけです。李登輝というのは、類まれなプラグマティストなのだ、と。今のエピソードを当てはめれば、ことのほか人間関係を大切にするように見えて、実はそれは「計算された人間関係」だった。
【池上】言い方は悪いけれど、利用できそうな人間とは親しくするという現実主義者。
【佐藤】李登輝がそういうプラグマティズムに徹した理由がどこにあったのかと言えば、「台湾の生き残り」にほかなりません。中国という強大な国家と対峙(たいじ)しなくてはならない中で、後ろ盾のアメリカにはいつ切り捨てられるか分からない、日本からの投資も手放しで喜べるものと言えるのかといえば、疑問符が付く。
【池上】アメリカにも日本にもそれぞれの国益があるから、最後まで台湾のためを思って行動してくれる保証はありません。事実、次々に中華人民共和国と国交を回復し、中華民国とは「断交」したわけだから。中華民国は、71年に国連から「締め出され」てもいます。
【佐藤】自分たちがいかに脆弱(ぜいじゃく)な立場にあるのかを、李登輝は誰よりも分かっていたと思います。ただし、それは現状、台湾が甘受せざるを得ない「与件」です。
【池上】自分たちで動かせるわけではない。
■靖国神社に参拝した理由
【佐藤】そうです。ならば、そうした与件の下でどう生き延びるのか。ひとことで言えば、それが李登輝のプラグマティズムだと思うのです。だから、利用できるものは何でも利用した。必要と思えば、どんなカードでも切ったわけです。2007年、李登輝は、中韓があれほど嫌う靖国神社に自ら参拝し、「親日」をアピールしています。日本に対して靖国参拝というカードまで切ったのです。
【池上】乃木希典(「『無謀な命令を繰り返し、部下を無駄死にさせる“乃木希典”のような上司』をスマートにかわす最良の対処法」)で論じた「限定合理性」に通じる話だとも思いますが、この場合の合理性には、それこそ「国」の命運がかかっています。
【佐藤】だから、日本やアメリカのことを心から信頼することはできないと考えていても、そんなことはおくびにも出さない。不必要に中国の悪口を言ったりもしない。
■ライバル民進党の政治家を応援することで、台湾の分裂を防いだ
【池上】「切れるカードは何でも」という点で言えば、李登輝は国民党のトップとして総統に上り詰めたわけですが、蔣経国総統時代に新たな政党の結成が認められ、民主進歩党(民進党)が力を持つと、明らかにそちらの方向に立場をシフトさせていきます。自分の後継に連戦(れんせん)という人物を指名するのですが、表向き支援するように見せて、実際には民進党の陳水扁(ちんすいへん)を応援するような形になる。そして、国民党が候補者一本化に失敗したこともあって、台湾初の政権交代が実現するわけです。
そういうスタンスを取ることにより、政権が民進党に変わっても、生き残ることができた。単に自らが政治家として生き残るというだけでなく、国民党支持者からも民進党支持者からも敬愛される「台湾民主化の父」となり得たのです。中国と厳しく対峙することでその干渉から台湾を守った功績は認められるものの、政治的独裁を厭わなかった蔣介石とは、そこが違いました。
【佐藤】「民主化の父」というのは、言い得て妙ですね。李登輝のそうした行動が、台湾の分裂を防ぎ、国際的な地位を向上させるうえで大きな役割を果たしたことは、間違いないでしょう。
■絵に描いたような、歴史に翻弄される人生
【池上】李登輝は、自分は「客家(ハッカ)」だと語っています。古代中国において、黄河流域から戦火に追われ、数次にわたって南に移り住んだ人々を指し、一部が台湾にも渡りました。「客家」という言葉は、外来の移住者に対する呼称で、「よそもの」の意味だとされています。
考えてみれば、彼の人生自体が「客家」的です。物心ついた時には日本人で、岩里(いわさと)政男(まさお)を名乗っていた。台北高等学校を卒業後、本土の京都帝国大学農学部に入学するのですが、在学中に太平洋戦争が勃発し、日本兵として学徒出陣するわけですね。ところが、日本の敗戦によって、突如母国は国民党の中華民国ということになる。絵に描いたような、歴史に翻弄(ほんろう)される人生です。李登輝が徹底したプラグマティストになったのには、そんな生い立ちも深く影響したのでしょう。
【佐藤】そういう経験が彼のしたたかさのバックボーンになっているのは、間違いありません。
【池上】国民党が権勢をふるった戦後は、自分自身はあくまで台湾人であり、大陸から入ってきた人間たちとは違う、という強烈な思いも芽生えたでしょうし。
■『中央公論』と『文藝春秋』を毎号日本語で読む知日家
【佐藤】島国ではあったけれど、常時身近な敵を意識せざるを得ない、という地政学的な環境も大きかったと思います。そういう場所では、置かれた状況を冷静に分析して、ドライに物事を決していく人材が育つのです。
例えばイスラエルには、李登輝のようなタイプの政治家が珍しくありません。というか、歴代のイスラエル首相は、政治的な立場は違えど、みんなそんな感じですよ。
【池上】シンガポールでも、初代首相のリー・クアンユーのような、いろんな意味でしたたかな政治家が輩出されていますよね。あの国は、人種問題などを理由にマレーシアから追放されるような形で独立し、周囲をイスラム国家などに囲まれている上に、水資源の問題も抱えています。
【佐藤】ところで、李登輝のプラグマティズムは、対日関係にも、それを例外とすることなく貫かれていました。でも、逆に日本から彼を見た時、その評価はどうだったでしょうか?
【池上】「日本においては、『22歳まで日本人だった』の言葉や、日本語が話せることなどから親日家としても知られた」といわれています。李登輝は、『中央公論』と『文藝春秋』は、毎号日本から取り寄せて日本語で読んでいたといいますから、大変な「知日家」だったことは、想像に難くないですね。
【佐藤】その二つを読んでいれば、台湾が生き残るために必要な情報を得る上で、間違いないですから。ただ、一方で、さきほどの村上正邦さんのような生々しい例もあるわけです。
■李登輝を「生粋の親日家」と考えるのは無邪気に過ぎる
【佐藤】台湾のトップとしての李登輝にとって、「親日派」でいることのメリットは明白でした。日本を、対中国をはじめとする安全保障の盾に使うことができますから。
【池上】バックにはアメリカが控えているし。
【佐藤】もう一つ。台湾で「反国民党」や「反外省人」を公言することは憚られますけど、「親日」という“イソップ寓話(ぐうわ)”を語ることによって、結果的にそのメッセージを発信することもできるわけです。
【池上】なにも日本を貶めようというのではなく、何度も言うように、命懸けで勝ち取った民主主義を守り、自らの「国」が生き延びる方策として、そのように振る舞うこともあった。
【佐藤】あえていえば、それは「正しい」のです。他方、受け取る側は、そうした相手の真意を踏まえた上で、外交を構築していかなければいけない。ですから、李登輝のような人を生粋の親日家と考えるのは、私に言わせれば無邪気に過ぎるというか、勘違いも甚だしいと感じるのです。特に政治に携わる人間は、こういうことを額面通りに受け取ってはダメだと思うのです。
【池上】しかし、多くの日本人は、疑問の余地なくそう受け取っているでしょう。そこに、「与えられた民主主義」の国の弱さがあるのかもしれませんね。
■「複合アイデンティティー」も大きな武器に
【佐藤】そう述べながら、矛盾するように捉えられるかもしれませんが、彼は「日本人」でもあったと感じるんですよ。李登輝は、2007年6月に、太平洋戦争で戦死した兄が祀られる靖国神社を参拝しました。当然、中国の反発などが予想されましたが、それでもなお靖国に行ったわけです。
【池上】日本の保守へのアピールというのは、当然あったのでしょう。
【佐藤】彼にそうした意図があったことは、間違いありません。ただ、同時に、本当にそこに兄がいる、という感覚も持っていたのではないかと思うのです。私事で恐縮ですが、沖縄で生まれ育ち、社会党支持者であり熱心なプロテスタント教徒だった私の母親は、隠れて靖国神社に出かけていました。
【池上】ほう、そうなんですか。
【佐藤】母には、戦時中に手紙を託された日本兵たちも、自分の姉も、そこにいるんだ、という感覚がありましたから。
だから、「兄に会いに靖国に来た」という李登輝の言葉には、偽りがないように感じるのです。実際、李登輝の中には、台湾人のアイデンティティーとともに、日本帝国臣民のアイデンティティーも染みついていて、局面によっては、そちらが滲み出てくるわけです。
【池上】政治家としてのプラグマティズムの行使とは別の次元で、「つくりもの」ではないアイデンティティーが顔をのぞかせる、と言えばいいでしょうか。
【佐藤】その通りです。つまり、単一ではなく「複合アイデンティティー」の持ち主。そういうところも、彼の大きな武器になっていたと思うのです。
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ジャーナリスト
1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京工業大学特命教授など。計9大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』『これが日本の正体! 池上彰への42の質問』など著書多数。
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作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』(岩波書店)、『交渉術』(文藝春秋)など著書多数。
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(ジャーナリスト 池上 彰、作家・元外務省主任分析官 佐藤 優)
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