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これがロシアに侵攻の口実を与えた…ウクライナ東部で決定された「ロシア語の使用制限」が反発を招いたワケ

プレジデントオンライン / 2022年8月19日 9時15分

2018年7月9日、ベルギーのブリュッセルで開催されたEU・ウクライナ首脳会議内で共同記者会見を行うウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領 - 写真=AA/時事通信フォト

ウクライナ東部のドンバス地方は2014年から内戦状態にあった。そのきっかけのひとつはウクライナ政府が現地で「ロシア語の使用の制限」を決定したことだといわれている。今年6月、ハンガリーやスロバキアを取材した増田ユリヤさんは「オーストリア=ハンガリー帝国は言語の使用を制限しなかった。ウクライナ政府の対応はロシアに侵攻の口実を与えることになった」という。池上彰さんが聞いた――。(連載第7回)

■言語を巡る軋轢がウクライナ内戦の引き金に

【増田】ロシアによるウクライナ侵攻で、東欧の歴史にも注目が集まっています。国連の分類によれば、「東欧」とはロシア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバ、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、スロバキア、チェコ、ポーランドの10カ国を指します。改めて「私たちは東欧のことを知らなかった」という事実を突きつけられています。

ロシアは、ウクライナを攻撃した理由の一つとして、ウクライナ東部のドンバス地方(ドネツク州、ルガンスク州)にいるロシア語を話すロシア系住民が迫害されているからだと主張しています。もちろん、攻撃を正当化する理由にはなり得ませんが、言語を巡る軋轢があったこと自体はあながち否定できないのではないでしょうか。

【池上】2014年に親ロシアのヤヌコビッチ大統領が追放されると(マイダン革命)、反ロ親米政権が発足して、「国家言語政策基本法」の廃止を決定しました。ウクライナ憲法では公用語はウクライナ語と決まっていますが、日常的にロシア語を使う住民が多く住む地域では、ロシア語を第2公用語としてよいという法律ですね。

この法律が廃止されれば、ロシア語しか話せない公務員や国営企業の幹部は職を失ってしまうのではないかとの反発が起き、市庁舎を占拠するなど暴動が起こりました。ウクライナ政府は法律を廃止しないと弁明しましたが、ロシアの支援を受けた武装勢力がドンバス地方を占拠するきっかけとなりました。

■言語を強制する法案成立で、大反発が起きた

【増田】私はこの6月末に、東欧のハンガリーやスロバキアを取材してきたのですが、これはまさに国境を接する地域で、言語がどのように扱われているかについて取材をしたかったからです。

ハンガリーとウクライナは国境を接していますが、ハンガリー語を話す人たちが、ウクライナとハンガリー国境のウクライナ側に住んでいます。以前はハンガリー語で教育を受けることができていました。

しかし、ゼレンスキー政権の前、ポロシェンコ大統領の2017年、初等教育における非ウクライナ語教育が禁止され、その後、プライベートな会話ならびにミサなどの宗教上での会話以外は、ウクライナ語が強制される法案が成立しました。

当時、ハンガリーでも反発があり、デモが起こりましたし、ハンガリー政府も反対の姿勢をとりました。ただ、この法案の前提にあったのは、ウクライナ語以外の言語を公用語にしないこと。つまり、ロシア語を公用語にしない、ということだったのです。

ロシア語とウクライナ語は、例えば「チェルノブイリ(ロシア語)」と「チョルノービリ(ウクライナ語)」のように、非常に近い言語体系ですが、チェコ語とスロバキア語も非常に近い体系を持っています。日本で言えば、方言くらいの関係性と言えるでしょうか。

【池上】私も以前、その話を聞いたことがあります。「チェコ語とスロバキア語ってどの程度違うものなのですか」と聞いたら、「日本の共通語と関西弁の違いくらいです」という答えが返ってきました。

■「方言ぐらいの違い」でも、アイデンティティーそのもの

【増田】チェコとスロバキアは1993年までは「チェコスロバキア」という一つの国でしたし、スロバキアの人がチェコの大学に通うようなことは、今でも普通にあるそうです。ただ、日本から見れば「方言ぐらいの違い」に見える言語も、現地の人たちにとってはアイデンティティーそのものです。

私がインタビューをしたスロバキア人は、ハンガリーとの国境近くで暮らす家族でした。「私たちは小さい国で、ハンガリー、チェコ、オーストリアに接しているから、ハンガリー語、チェコ語、ドイツ語を話せる人も多く、EUにも加盟しているから英語もできるに越したことはない。でも、そもそも100年ちょっと前までは、ここはハンガリーの一部で、私たち家族はハンガリー語で会話をしてきました。スロバキア人としては特別だと思われるかもしれませんが、私たちにとってそれがあたりまえ。生活習慣も文化も、歴史も、すべて言語を介して伝わってきているのだから、言語を大切にするのは理屈じゃないんだ」と。

【池上】言語を奪われる、使用を規制されるということは、生活習慣や文化、思考までを奪われ、規制されることにつながるんですね。

■ハンガリーの言葉や文化を愛したエリザベート皇妃

【増田】今回、ハンガリーでは、オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に嫁いだバイエルン公女・エリザベート(1837-1898年)の取材もしてきました。その美しさや自由奔放な性格、暗殺される悲劇的な最期などから演劇やミュージカル、映画などの題材になることも多いエリザベートですが、その取材の過程でも、「いかに現地の言葉や文化を尊重することが重要か」を知ることになりました。

エリザベートはバイエルン生まれですから、元々はドイツ語を話していました。しかし1854年にフランツ・ヨーゼフ1世の元に嫁いでからは、流暢に喋れるまでにハンガリー語を習得し、ハンガリーの言葉や文化を愛し抜きました。彼女の出身地であるバイエルンは、嫁いだ先のオーストリアの首都ウィーンとは違って、自由闊達(かったつ)な雰囲気がありました。そこで育ったエリザベートも、自ら馬に乗って狩りに出かけるような趣味を持っていましたから、元々の彼女の気質と、ハンガリーの文化や風土がすごく合ったようなのです。

ハンガリーの首都ブダペストの郊外グドゥルーにあり、エリザベートの夏の離宮として使用されていたグドゥルー宮殿。
画像提供=増田ユリヤ氏
ハンガリーの首都ブダペストの郊外グドゥルーにあり、エリザベートの夏の離宮として使用されていたグドゥルー宮殿。 - 画像提供=増田ユリヤ氏

彼女の「ハンガリー愛」がハンガリーの人たちにも伝わって、今もハンガリーの人たちはエリザベートが大好きなんです。通りや橋、ホテルに至るまで「エリザベート」の名を冠した施設がそこかしこにあります。一方で、フランツ・ヨーゼフ1世は全く人気がなく、むしろ嫌われているのですが。

エリザベートはハンガリーの首都ブタペスト郊外にあるグドゥルー宮殿を気に入って頻繁に訪れていました。この離宮にハンガリー舞曲の音楽家たちを招いてコンサートを開き、彼女自身も大いに楽しんでいたそうです。私もグドゥルー宮殿に行き、彼女が当時使っていた家具や鏡、彼女が当時ハンガリー語で書いた直筆の手紙を見せていただきました。

グドゥルー宮殿に展示されていた、馬を愛したエリザベートの肖像画。
画像提供=増田ユリヤ氏
グドゥルー宮殿に展示されていた、馬を愛したエリザベートの肖像画。 - 画像提供=増田ユリヤ氏

■帝国存続のカギは「言語の統一を無理に行わない」

【池上】エリザベートは「シシィ」という愛称でも呼ばれますよね。自由な気風が合った、といってもそこまでハンガリーに惹かれたのには、何か他にも理由があるのですか。

【増田】「シシィ」というのはあくまでもオーストリアでの愛称のようで、ハンガリーでは「エリザベート妃」と呼んでいますね。どうしてそのエリザベートがハンガリーを深く愛したのか。その理由の一つに、フランツ・ヨーゼフ1世の母親、つまりエリザベートからすれば姑のゾフィーが、大のハンガリー嫌いだったことが挙げられます。

当時、ハンガリー人はマジャール人と呼ばれていましたが、ゾフィーはマジャール人嫌い、さらには宮廷のしきたりにも厳格だったので、エリザベートとはそりが合わなかったんですね。姑から逃れるためにハンガリーに行っていた、というのもありますが、彼女にとっては心休まる場所だったのでしょう。ハンガリー語を話せるようになって、「ドイツ語ではできない、秘密の話ができるからハンガリー語が好きなのよ」と言っていたそうです。

ハンガリー王妃としてエリザベートの戴冠式が行われたマーチャーシュ教会にあるエリザベートの胸像。
画像提供=増田ユリヤ氏
ハンガリー王妃としてエリザベートの戴冠式が行われたマーチャーシュ教会にあるエリザベートの胸像。 - 画像提供=増田ユリヤ氏

【池上】1866年にドイツ統一の主導権を巡って、オーストリアとプロイセンで戦争が起こります。敗北したオーストリアはハンガリーの自治権を認め、1867年にオーストラリア=ハンガリー二重帝国ができます。

このオーストリア=ハンガリー二重帝国では、ハンガリーやスロバキアだけでなく今のボスニアやクロアチアも含む地域を治める多民族国家だった。しかし言語の統一は行わなかったんですね。帝国が存続するためには、「言語の統一を無理に行わない」「多数の言語の使用を許容する」ことが重要なんです。

■「言語の使用を制限される」ことは国家間の決定的な対立につながる

【増田】自分の国の言葉を話せなくなること、奪われることは、生活や文化全てを否定されることにつながりますから、当然、強い反発を生みます。ヨーロッパの人たちが言語に敏感になるのはそういうわけで、だからこそ現代においても「言語の使用を制限される」ことが国家間の決定的な対立にもつながってしまうのでしょう。

ただ、オーストリア=ハンガリー帝国でいえば、1914年にはオーストリア大公夫妻が民族派に殺害されるサラエボ事件が起きて、第1次世界大戦の引き金となってしまいました。

ハンガリーはオーストリアとの二重国家であるとはいいながらも、実質的にはオーストリアのほうが強い立場にある中で、エリザベートが自らハンガリー語を話し、ハンガリーの文化を重んじた。このことが、ハンガリー人の心をとらえ、今も離さないんです。ハンガリー文化の発展や地下鉄などインフラ整備を夫に掛け合って、実現してくれたエリザベートへの感謝を抱き続け、今もカフェなどではエリザベートの肖像画が飾られています。

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池上 彰(いけがみ・あきら)
ジャーナリスト
1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京工業大学特命教授など。計9大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』『これが日本の正体! 池上彰への42の質問』など著書多数。

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増田 ユリヤ(ますだ・ゆりや)
ジャーナリスト
神奈川県生まれ。國學院大學卒業。27年にわたり、高校で世界史・日本史・現代社会を教えながら、NHKラジオ・テレビのリポーターを務めた。日本テレビ「世界一受けたい授業」に歴史や地理の先生として出演のほか、現在コメンテーターとしてテレビ朝日系列「大下容子ワイド!スクランブル」などで活躍。日本と世界のさまざまな問題の現場を幅広く取材・執筆している。著書に『新しい「教育格差」』(講談社現代新書)、『教育立国フィンランド流 教師の育て方』(岩波書店)、『揺れる移民大国フランス』(ポプラ新書)など。

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(ジャーナリスト 池上 彰、ジャーナリスト 増田 ユリヤ 構成=梶原麻衣子)

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