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2500年前の仏教集団にもいじめはあった…ブッダに学ぶ「いじめられた人が取るべき行動」

プレジデントオンライン / 2024年1月8日 13時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AlexLinch

なぜいじめはなくならないのか。福厳寺住職でYouTuberの大愚元勝さんは「自分たちの常識とは違う異質な性質を排除しようとするのが人間の本能だからだ。仏教には、集団生活を円滑に運営する智慧があるため、2500年以上も仏道修行を続けられている」という――。

■「いじめが最多68万件」も氷山の一角

「全国のいじめ件数、過去最多68万件…不登校の小中学生は30万人に迫る」

これは、2023年10月3日の読売新聞オンラインに掲載された記事の見出しだ。

文部科学省の問題行動・不登校調査によれば、全国の小中高校と特別支援学校で2022年度に認知されたいじめの件数が、前年度より1割増して、68万1948件に上り、過去最多の数だった。また、不登校の小中学生も最多の29万9048人と、30万に迫ったという。

また、「重大事態」と認定されたいじめの数も217件増え、過去最多の923件。

年々いじめが増え続けている。深刻ないじめも増え続けている。不登校の学生も増え続けている。

さらには、こうした調査に上がってこない「いじめ」も確実に存在する。一体どれだけの子どもたちが、いじめに苦しんでいることだろう。

■大きな者が小さな者をいじめる構図は変わらない

思い起こせば私が小、中学生だったときも、いじめはあった。

通学班での下校途中に、高学年の生徒たちが、シャツや短パンから出ている後輩たちの手脚を細竹で叩き、ミミズ腫れの数を自慢げに数える。

部活動の時間、「空気イス」をやらせながら、後輩の頭に腐った牛乳をかける。

相手が大便トイレの中に入ったのを見計らって、上からバケツで水をかけるなど……。

学年や身体が大きな者からのいじめを前にして、反発できない悔しさと、同級生を庇ってやれない情けなさに泣きながら帰ると、お寺の師匠から「泣くな!」と叱られ、身体の大きな者との戦い方を指南してくれたことを思い出す。

■現代は「村八分」どころか「村十分」

「いじめ」は、決して子どもの世界だけの悲劇ではない。大人の世界であっても、多くのコミュニティー内で昔から存在している。

「村八分」という言葉があるが、これは永らく日本の農村に存在してきた壮絶な「いじめ」のことだ。

しかし昔の村八分は、どんなに「いじめ」たとしても、村八分。残りの二分(火事と葬式)は、たとえ普段はいじめていたとしても、協力して助け合うのが慣わしだった。

ところが現代では、火事は消防車が駆けつけるし、葬式は葬儀社が駆けつける。さらにSNSなどで誰かを誹謗(ひぼう)中傷すれば、相手は24時間、365日追い込まれ、まさに「村十分」のいじめになりかねない。

ネットいじめの概念
写真=iStock.com/sestovic
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/sestovic

■人間がいじめから逃れられない理由

それにしても、なぜいじめは起こるのか。なぜ子どもから高齢者まで、人は人をいじめるのか。

脳科学者、中野信子氏は著書『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)の中で、いじめのメカニズムを脳科学的に明らかにしている。

実は、「いじめ」をはじめとする社会的排除行為が、私たち人間が種として存続することを有利にしてきた背景があるという。

厳しい自然界にあって、私たちヒトの体は他の動物と比べて非常に脆弱(ぜいじゃく)である。サバンナの猛獣と戦って勝てる者はいない。

そこで、脆弱な人間の祖先が生存戦略として発達させたのが、「集団を作ること」であった。

人間に限らず、多くの動物たちが群れを作って行動しているが、ホモ・サピエンスは脳の前側にある、前頭前皮質を発達させたことによって、数百、数千という個体が集団で計画的に行動することが出来るようになった。

ところが、この高度に社会的集団を作り、仲間と協力するという形で発達してきた脳機能が、皮肉なことに「いじめ」のきっかけとなってしまったのである。

■集団にとっての「最大の脅威」は内部にいる

どういうことか。

ヒトは外敵から身を守り、種を存続させるために、ピンではなく集団で生きることを選んだ。

しかし集団にとっての本当の脅威は、敵ではなかった。

敵は確かに危険な存在ではあるが、脅威であるがゆえに共同体をまとめ、仲間の協力体制を強めてくれる存在でもあるからだ。

では集団にとっての最大の脅威とは何か。それは、内部にいて集団の和を乱す存在だった。

集団を維持するためには、互いに労働や時間、物、お金、情報といった資源を提供しなければならない。だから多くの人は「他人のために役立とう」「社会に貢献しよう」と行動する。

ところが人が複数人集まれば、中には協力的でない人がいる。ズルい人がいる。邪魔をしたり他人の足を引っ張ったりする人がいる。集団になると、自己犠牲は一切払わず、棚からぼた餅で利益を得ようとする輩が一人、二人は出てくるのだ。

これを野放しにしてはいけない。その厚かましい輩を見て、自己が犠牲を払うことは損だと考える者が増えれば、集団が機能しなくなってしまうからだ。

■ほかとは違う人が「いじめられる側」に

そこで、身勝手な人を見つけて制裁を加えたり、排除する必要が出てくる。この排他的行動をサンクションと呼ぶそうだが、あまりにこの仲間意識が高まりすぎると、排他的な行動も過剰になる危険性があるという。

自分たちの常識とは違う異質な性質を排除しようとして、さまざまな差別が起きたり、体が小さい、動きが遅い、太っている、痩せすぎている、目の色が違う、ちょっと生意気、普通より可愛らしい……こういった周囲と違った性質を持つ人に向けて、サンクションが発動してしまうのだ。

中野氏は、「これを過剰な制裁(オーバーサンクション)」と言います。この現象は学校以外でも会社といった組織でも起こりうることです。そして、これが「いじめ」が発生してしまう根源にあるメカニズムなのです」と指摘する。

いずれにせよ、いじめは本能に基づくものだから、誰もがいじめる側にも、いじめられる側にもなる可能性がある。無くそうと思って簡単に無くなるものではない。

しかも年々いじめが増え続けているということは、現代社会のあり方、学校のあり方を根本的に見直す必要があるのではないだろうか。

■修行僧はどうやって集団生活を続けているのか

これまで多くの学校や組織がいじめに対してさまざまな対策をしてきた。けれども、毎年増え続ける「いじめ」や「不登校」児童の数は、それらの対策があまり功を奏していないことを示している。

では、いじめに対してできることはないのか。

私は仏教にそのヒントがあると考えている。

2500年以上もの歴史を持つ仏教の出家集団(サンガ)は、世界で最も永く続いているコミュニティーとも言われている。そもそも仏道修行は、山の中に一人で籠もってするものではない。

仏道修行は短期間ではない、出家修行が前提なので、一度出家すると出家集団の中で一生を終えることになる。

しかしいくら修行僧の集まりとはいえ、サンガが人の集団であることには変わりない。むしろ、悟りという目的に向かって修行しようなどという、真面目な者たちの集まりだからこそ、そこにはまさに排外感情やオーバーサンクション、「いじめ」が生じる可能性が大いにある。

実際、仏教の永い歴史の中には、「いじめ」も存在した。

しかし、それでも仏教教団が永続してきた背景には、仏教自体に集団生活を円滑に運営する智慧があったのである。

京都の竹林の道を歩く僧侶
写真=iStock.com/yu-ji
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yu-ji

■いじめられても自分を投げ出してはいけない

以下それぞれ3つの立場に対して、仏教の智慧を紹介する。

・いじめる側

誰もがいじめる側に立ってしまう可能性がある。そのことを自覚して、慈悲心を育てる。

慈悲心は愛とは違う。愛は家族や恋人、友人、仲間など、自分が好きな人を本能的に大切にする心のこと。慈悲心とは、「自分が好きな人も、嫌いな人も幸せであれ」と願う心。

だから慈悲心は意識して育てなければ育たない。これを「努力して育てよ!」と説くのが仏教だ。

・いじめられる側

誰もがいじめられる側になる可能性がある。そのことを自覚して、智慧を育てる。

智慧は知識とは違う。この世のありのままの姿を、ありのままに観察する力。それが智慧だ。

自然界の生き物は、自分で自分の身を守る。いじめられっぱなしの生き物はいない。命を脅かそうとする相手に対しては、小さな虫ですら懸命に戦おうとする。あなたも経験したことがあるかもしれないが、小さなゴキブリでも向かってきたら結構怖い。どうしても抗えないなら助けを求める。とにかく自分を投げ出さず、必死で守ろうとする気概が大切だ。

■「知らなかった」で済ませる学校をゼロにする

・学校、先生側

職員室にあっては、先生同士が協力し、歪(いが)み合っていてはいけない。クラスにあっては「いじめは絶対に許さない!」という気迫で、生徒の前に立つことが必須だ。ブッダは弟子たちに法を説く際の姿勢を「獅子吼(ししく)」せよ、と示した。まさにライオンが吼えるがごとく、法を説けと言うのだ。

問題が起きてからでは遅い。ダメなことはダメ! それをリーダーである先生が常日頃から、毅然とした態度で示すことが、子どもたちを守ることにつながる。

教室
写真=iStock.com/Yoshitaka Naoi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yoshitaka Naoi

私自身、学校の運営や空手道場での指導を通じて、20年以上、先生たち、子どもたち、そして保護者と関わってきた。

特に空手道場には、いじめっ子といじめられっ子が共存していた。いじめられっ子はどんなに庇っても、慰めても強くはならない。けれども、どんないじめられっ子も、体力と技術が身につけば、自然と自信をつけて強くなる。

学校は受験のための知識やスポーツで勝つことを教える場所である前に、「人間育成」の場として、明るく強かな人間を育てる場所のはずだ。

「いじめる子」「いじめられる子」それを「知らなかった」と弁明する学校現場が増えているとしたら、従来のままの延長で良いはずがない。本気で「いじめ」を無くすつもりならば、学校を根底から見直す必要があるのではないだろうか。

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大愚 元勝(たいぐ・げんしょう)
佛心宗大叢山福厳寺住職、(株)慈光グループ代表
空手家、セラピスト、社長、作家など複数の顔を持ち「僧にあらず俗にあらず」を体現する異色の僧侶。僧名は大愚(大バカ者=何にもとらわれない自由な境地に達した者の意)。YouTube「大愚和尚の一問一答」はチャンネル登録者数57万人、1.3億回再生された超人気番組。著書に『苦しみの手放し方』(ダイヤモンド社)、『最後にあなたを救う禅語』(扶桑社)、『思いを手放すことば』(KADOKAWA)、『自分という壁』(アスコム)などがある。

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(佛心宗大叢山福厳寺住職、(株)慈光グループ代表 大愚 元勝)

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