大企業では「大幅賃上げ」が相次いでいるのに…雇用者の7割を占める中小企業の給与が上がらない根本原因
プレジデントオンライン / 2024年3月25日 9時15分
■30年かけてついに山が動いたが…
今年の春闘で賃上げ率は平均で5.28%に達した。33年ぶりの賃上げが実現した。主要な製造業では、労働組合の賃上げ要求に対して満額、要求以上の回答をした企業も多い。大企業は利益や内部留保金などを活用した。過去30年以上、伸び悩んだわが国の賃金情勢に変化の兆しが出始めた。
わが国経済がインフレ状況に入ったこともあり、企業経営者にとって賃上げの重要性が高まった。物価上昇から従業員の暮らしを守る。優秀な人材を多く確保し成長を実現する。そのためには、それなりの賃上げは必要不可欠だ。賃上げができないと、事業を継続するために必要な人員数の維持すら難しい懸念もある。
今後、賃上げが続けられると、わが国GDP(国内総生産)の53%を占める個人消費は持ち直し本格的な景気回復も期待できる。賃上げ継続のための課題の一つは、中小企業の賃上げ支援強化だろう。
今回、公正取引委員会は勧告を強化したが、依然として中小企業の価格転嫁は難しい。その状況を打開するため、官民総出で中小企業の賃上げ環境を整備することが急務だ。
■物価上昇率を上回る賃上げが実現した
かつてドイツは労働市場と社会保障制度の改革を同時に進め、今日の経済成長の基礎を築いた。政府は失業などのセーフティーネットを強化すると同時に、学びなおしや規制緩和を進め、より多くの人が成長期待の高い分野で就業を目指すよう、痛みを伴う改革でも積極的に推進する姿勢が必要だ。
今年の春闘で、全体(771組合)としての賃上げは1万6469円、率にして5.28%に達した。昨年の第1回回答集計結果(3.80%)を大きく上回った。5%を超える賃上げは、1991年の5.66%以来約30年ぶりだ。
賃上げは、“ベースアップ”と“定期昇給分”の2つからなる。ベースアップとは、定期昇給などの土台である基本給の底上げをいう。定期昇給〔年齢(年功)に応じた毎月の給与引き上げ〕と、区分して報告した654組合のベースアップは3.70%だった(定期昇給分を含むと5.51%)。前年同時期のベースアップ実績(2.33%)を上回った。
ベースアップは、足許の物価(2月半ば東京都区部の消費者物価指数は前年同月比2.6%上昇)を上回った。わが国の個人消費にいくぶんかプラスに働くだろう。
■「人手不足倒産」への危機感がある
今年の賃上げの背景には、人手不足の深刻化がある。わが国では少子化、高齢化、人口減少の同時進行によって働き手が減少傾向だ。一方、円安も追い風でインバウンド需要の増加、自動車の生産回復などで、企業は目先の事業継続に必要な人手を確保することが必要だ。
「賃上げできないと人手を確保することができない」。その危機感から、飲食、宿泊、交通などの分野で、労働組合要求額かそれ以上の賃上げを発表する企業は増えた。競合他社を上回る賃上げが難しいと、必要な従業員数の維持が困難になり、淘汰される恐れは上昇する(人手不足倒産)。
世界の市場で生き残るため、わが国の企業は優秀な人材を確保する必要がある。新卒一括採用・年功序列・終身雇用のわが国の雇用慣行だけに頼って人材を強化するのは困難だ。わが国の雇用環境にはメリットもある一方、社会全体の変化が激しい場合への対応が難しくなる。わが国の経済者にも、そうした状況が次第に明確になり始めている。
旧来の雇用慣行を改めるためにも優秀な人材に来てほしい。強いメッセージを賃上げに込める経営者も出た。14.2%と大幅な賃上げに踏み切った日本製鉄が『一流の処遇に相応しい一流の実力をつけて』ほしいとプレスリリースに記したのは象徴的だった。
■大幅な賃上げができない中小企業の事情
財務省の“四半期別法人企業統計調査(令和5年10~12月期)”によると、企業の内部留保にあたる利益剰余金は570兆7428億円に達した(全産業ベース)。自動車、機械など輸出割合の多い企業の場合、円安による収益かさ上げ効果も賃上げを後押しした。ただ、内部留保のうち、約半分は大企業が貯めこんだものだ。
内部留保が相対的に少なかった中小企業も、今回、賃上げに積極的に取り組んだ。連合によると組合員数が300人未満の企業の賃上げ率は定期昇給含みで4.42%だった。100~299人では4.53%、99人未満の賃上げ率は4.05%だった。人員数が小さくなるほど賃上げ率は低下していることがわかる。
中小企業はわが国の雇用者の7割を占めるが、蓄積の少ない中小企業の賃上げは容易ではない。従業員つなぎ止めのために賃上げはせざるを得ないが、来年以降は未定と考える経営者は多い。主な要因は、中小企業のコスト上昇分の価格転嫁の難しさがあるようだ。特に、大企業の下請け企業は厳しい。
■「取引停止を恐れ、交渉を申し出なかった」
2023年11月、中小企業庁は「価格交渉促進月間(2023年9月)フォローアップ調査の結果について」を公表した。30万社にアンケート用紙を配布し、3万5175社が回答した。中小企業の価格転嫁率(コスト増加分の何割を価格に転嫁できたか)は、3月時点の47.6%から45.7%に低下した。
ただ、「コストを全く転嫁できなかった」、「コストが増加したのに価格を減額された」と回答した企業は全体の2割ある。種々の費用項目の中でも、労務費の転嫁率は36.7%と低い。「コストは上昇したが発注企業から申し入れがなく、発注減少や取引停止を恐れ、交渉を申し出なかった」との回答も5.3%あった。
バブル崩壊後の景気低迷の中でコストカットが当たり前になったこともあり、多少のコストは自助努力で対応してほしいという、ある種の暗黙の要請は強いといえる。
中小企業の賃上げをサポートするため、政府は対策を強化した。公正取引委員会は、「価格交渉に応じないのは独占禁止法上の“優越的地位の濫用”につながる恐れがある」と指針を示した。3月15日に価格転嫁に応じなかった10社を公表したのは、その一環だ。
■企業経営者の発想の転換が必要だ
賃金の上昇と、個人消費の緩やかな増加という好循環の実現のため、今春闘での賃上げ機運を一時的なものにしてはならない。企業経営者の賃上げへのコミットメント強化に加え、政府の経済政策の重要性も高まる。
まず、大企業を中心に、内部留保をより多く労働者に振り向ける動機付けが必要だ。政府が実施した賃上げ税制(賃上げや人材開発に用いた金額の一部を税控除するしくみ)に関して、賃上げと生産性の向上につながったとの先行研究は多い。そうした措置を活かすことで、企業が積極的に内部留保を賃上げの原資に使う税制を検討すべきだ。
政府は、中小企業の賃上げ支援も強化すべきだ。公正取引委員会が価格転嫁に関する監督を強化する可能性は高い。価格転嫁に関して、企業経営者の発想の転換も必要だ。高付加価値の最終商品を生み出し、収益性を高める。規模の大小を問わず、経営者はこの点をより重視すべきだ。
■同時に「学びなおしと職業紹介」も強化する
雇用に関する規制緩和も必要だろう。新卒一括採用、年功序列、終身雇用の発想は限界を迎えている。わが国は官民の総力を挙げて、高い成長を目指す企業を増やす必要がある。事業戦略に合わせて人員を調整する重要性は高まる。実績、専門性に見合った賃金を個々人が手に入れやすい環境を実現するためにも、労働市場の流動性向上は必要だ。
ドイツの改革は参考になるだろう。2002年以降、シュレーダー政権(当時)は、解雇に関する規制緩和と同時に失業保険の給付縮小、職業訓練・紹介を強化した。労働市場と社会保障を同時に改革し、社会全体に積極的な就業を意識づけた。
その結果、自動車、汎用型の工作機械などの分野で、ドイツ企業の業績は回復しユーロ圏経済を牽引する力を取り戻した。そうした改革には痛みを伴うが、わが国もそうした改革を真剣に検討する時期が来ている。わが国の労働市場を改革し、経済全体の効率を上げることで賃上げから消費の盛り上がりの好循環を作るべきだ。
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多摩大学特別招聘教授
1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授、法政大学院教授などを経て、2022年から現職。
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(多摩大学特別招聘教授 真壁 昭夫)
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