「人間ってこんなふうに終わるのか」リハパン必須の老父が浴室で倒れたのを冷めた目で見た40代娘の胸の内
プレジデントオンライン / 2024年4月6日 11時15分
■犬塚家の人々
関東地方在住の犬塚紀子さん(50代・仮名)は、釣り用品を作る会社に勤務する父親と、市内の工業団地で働く母親の間に次女として生まれた。
「父は口も性格も悪く短気で天邪鬼で、人が『おいしい』と言ったら『まずい』と言うようなタイプでした。母はおとなしくて、真面目で控え目なタイプ。話すより聞き役に回る人でした。田舎育ちのせいか素朴で、着飾ったり贅沢したりせず、見栄を張ることもなく、物事を深く考えない人で、サッパリしていて、悩んだり落ち込んだりする繊細さは感じられず、何となく、掴み所のない人でした」
犬塚さんが物心ついた頃にはすでに両親の仲は悪く、2人が顔を合わせればいつもケンカをしていた。
「4歳年上の姉は誰にでも好かれ、どこでもうまくやっていけるタイプ。一方、私は理屈っぽく、可愛げのないタイプでした。子どもの頃、姉とケンカしたりすると、両親はまず先に私を叱るので、『どうしてケンカの理由も知らないのに、私のほうから叱るのか』と言ってよく怒っていましたね。私のほうがヤンチャだったので、大抵の場合、悪いのは妹のほうだろうと思われ、先に叱っていたのだと思いますが……」
両親は共働きだったため、犬塚さんは小学校に上がった頃から鍵っ子だった。
「当時は周りも皆同じような家庭でしたので、子どもたちだけで毎日遊び、特に寂しいとも思いませんでした。動物好きな一家だったので、犬や鳥やうさぎなど、何かしらのペットを飼っていましたね。悪い思い出といえば、やはり父が呑兵衛だったことでしょうか。両親の仲が悪く、いつもケンカをしていて、それが嫌でしたね」
■父親がアルコール依存症に
犬塚さんが高校生になった頃、父親が勤める釣り用品の会社の経営が傾いた。そのため父親は、同年代の同僚たちと一緒に早期退職を決めた。
ところが、再就職のために就職活動を始めた父親だったが、思うように仕事が決まらない。決まっても馴染めなかったり気に入らなかったりするのか、すぐに辞めてしまい、長く続かない。
もともとお酒好きだった父親は、家にいる時間が長くなると、飲んでいることが増えていった。
「家にあればあるだけ全部一度に飲んでしまい、足りなくなったら近所で買い、また飲んでクダを巻いていました。母と一緒に何とか布団に寝かせても、私たちの文句などをグダグダ言っていて、いつの間にかそれがイビキに変わる……という毎日。暴力はありませんでしたが、口が達者で、人を嫌な気持ちにさせるようなことを言うのが本当に上手でした。若い頃は、本気で大嫌いでしたね」
困り果てた犬塚さんたちは、家にあるお酒をすべて処分した。だが、家になければ買いに行けばいい。父親はパックの日本酒を買いに行っては外で飲んで、何食わぬ顔をして帰って来た。
「父は、日本酒の紙パックをご丁寧に、ペッタンコに潰してから道に捨てる癖があって、私たちには父が飲んだものだとすぐにわかるんですよね。道端で見つけるたびに怒りが湧きました」
夜中まで一人でお酒を飲みながら怒鳴ったりしていることも多く、なかなか眠れない日もあった。そうかと思うと朝方暗いうちから起きてお酒を飲んでいることもあり、庭からグダグダ言う声が聞こえてきたときは、母親と2人で慌てて家の中に引きずりこんだこともあった。
そんな日がしばらく続いた後、父親は突然嘔吐を繰り返すようになり、数日間食事もままならない状況が続く。
このときはさすがの父親も、「もう、酒はやめた」と言ったが、体調が戻れば元の木阿弥だった。
「母は生活のためもあったと思いますが、父と2人で家にいるのが嫌だというのもあって、パートを続けていたのだと思います。基本的に母はおとなしい人ですが、夫婦喧嘩をして父が『出ていけ!』と叫んだりすると、『この家は私も働いてお金を出して買ったんだ。半分は私のものだ』と言って、負けませんでしたね。でも、あんまり父が荒れてくると、『今日こそ母が、父を殺して心中でもしているかもしれない』と心配になり、帰宅を急いだこともありました」
いつしか犬塚さんは、父親がどんなに「飲んでいない」と白を切っても、家の玄関ドアを開けた途端に飲んだか飲んでいないかがわかるくらい、アルコールの臭いに敏感になっていた。
「父方の叔父さん(父親の弟)が時々遊びに来るのですが、毎回お酒をお土産に持ってくるので心底恨みました。あと、お正月は堂々とお酒が飲めてしまい、毎年三が日を過ぎてもひどい状態がしばらく続くため、お正月が大嫌いになりました。それでも母も私も切り替えが早いのか慣れなのか、父と大喧嘩した後でも、父のイビキが聞こえてくればテレビを見ながら笑っていて、我ながらたくましいなと思いました」
■貯金が底をつきそうになり実家に戻る
姉は短大に進学したが、犬塚さんは高校を出て印刷会社に就職し、実家を出て一人暮らしを始めた。
「姉とはタイプが違うので、“ベッタリ仲良し”ではなかったですが、仲は悪くありませんでした。姉は就職するまでバイトもせず、もらったお小遣いでやり繰りし、文句ひとつ言わなかったのですが、私は高校生の頃からいろんなアルバイトをして、交際費や洋服代をどんどん稼いでいました。母が作ってくれたお弁当に対しても、ケチを付けたり、自分で作ったりしましたが、姉はどんなお弁当でも『美味しかったよ。ありがとう』と言うような子でしたね」
姉は20代後半になると、結婚して実家を出て行った。一方、その頃仕事を辞め、貯金が底をつきそうになっていた犬塚さんは、姉と入れ替わるような形で実家に戻ることに。
当時、50代の父親はホームセンターの仕事に落ち着き、母親は変わらず工業団地のパートに出ていた。しばらくして犬塚さんは就職先が決まったが、もう実家を出なかった。
「仕事が落ち着いたとはいえ、父は相変わらずお酒を飲んではクダを巻いていましたから、そんな父と2人の生活じゃ母がかわいそうだと思ったことが、実家を出なかった大きな理由です」
父親は65歳でホームセンターの仕事を定年退職した。
■初めての救急車
その後、しばらくたった2012年1月。82歳になった父親は常に胃の調子が悪く、胃薬が手放せなくなっていた。この頃にはすでに歩くときには杖を使い、下着は「軽失禁用パンツ」では間に合わず、リハビリパンツ(上げ下げするだけで簡単に着脱できるおむつ)を併用していた。
そのうえ宮城県出身の父親は、前年にあった東日本大震災の精神的ショックが大きかったらしく、以降、たびたび胃の調子を崩しては嘔吐するように。
それでもこの年代の男性に多いように、父親も類にもれず病院嫌いだった。犬塚さんが何度「行こう」と言っても断固拒否。何とかして連れて行こうと画策していたある晩、浴室のほうから「どーん!」という大きな音が家中に響き渡る。慌てて見に行くと、入浴中の父親が洗い場で倒れて唸っていた。
「救急車! 救急車!」
慌てる犬塚さんに、父親は「呼ぶな」と力なく言ったが無視。救急車が到着した頃、母親が裸の父親に下着を着せようと苦心していた。瞬時に救急隊員は、「動かさないで!」と鋭く注意。犬塚さんは母親に留守を頼み、救急車に乗り込んだ。
「昔からアル中で、飲んでいてもいなくても暴言ばかり。性格の悪い父を、私は長年嫌い、軽蔑していました。でも『こんなふうに終わるのね』と思うと哀れみのような気持ちが湧いてきました」
救急車の中で犬塚さんはぼんやりと、父親が早期退職してからの10数年を思い返していた。
病院に到着すると、父親はさまざまな検査を受ける。
「脳のCTも心臓も問題ありません。貧血を起こしたのでしょう。点滴が終わったら帰って大丈夫です」
結局点滴のみで帰された。
■2度目の救急車
そして翌月の2月。父親は相変わらず嘔吐を繰り返していた。そしてその吐瀉物の中に、けっこうな量の血液が混じるようになっていた。
それでも病院を勧めると、「騒ぐな!」と言って聞く耳を持たない。しばらくすると父親は便秘に悩まされ始めた。そこへ遊びに来た叔父が便秘薬を勧めると、父親はすぐに飲んだ。するとたちまち激しい腹痛に襲われ、生まれて初めて父親自ら「救急車を呼べ!」と叫んだ。
搬送された先は、前回と同じ隣町の大病院。レントゲンを撮った後、
「おそらく良くないものが映っています。今ベッドが空いていないのですが、空くまで救急用のスペースに入院していただけませんか?」
犬塚さんが医師から説明を受けていると、父親をトイレに誘導していた看護師が慌てて戻ってきて、何やら医師に相談している。
医師は犬塚さんに向き直ると、「お父さんは下血されたようです。このまま入院させましょう!」と言った。
動揺しながらも、犬塚さんは必要なものを買いに病院の売店へ。しかし閉まっていたため、病院の外のコンビニへ行く。病室に戻ると、不安そうに父親が言った。
「俺、帰れるんだろ? もう帰れるんだろ?」
犬塚さんは、「今日は帰れないよ。検査をしたら帰れるからね。私はまた明日来るからね」
と言い、後ろ髪引かれる思いで病院を後にした。
■なし崩し的に始まった介護
父親は生まれて初めて胃カメラ検査を受けた。1週間も拒否したが、主治医が根気強く説得してくれたおかげだった。結果、がんではなく「胃腫瘍」だった。
点滴で薬を入れ、2週間で驚異的な回復を見せた父親だが、退院時には、一人では歩けないほどに足腰が弱ってしまっていた。病院内は車椅子で移動し、タクシーに乗せるときや家に入るときは、犬塚さん(当時40代)が支えなくてはならなかった。
自力で歩けなくなった父親は、排泄はオムツになり、着替えやオムツは母親(当時79歳)が担当。散髪や髭剃りは犬塚さんが担当した。
2015年2月。父親の状態はどんどん悪くなり、着替えやオムツ替えは高齢の母親では難しく、犬塚さんにバトンタッチする。
漠然と「介護認定を受けたい」と思っていた犬塚さんだが、母親に相談すると、「よそさまに迷惑をかけたくないし、お父さんが受けるわけがない」と言って拒否される。そのうえ、病院嫌いな父親には主治医がいないため、意見書を書いてくれる人がいない。結局、何の対策も打てぬまま、父親の介護は大変になる一方だった。(以下、後編に続く)
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ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。
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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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