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「愛子天皇」「悠仁天皇」以前の大問題である…男系vs.女系論争で完全に見落とされている皇室制度の致命的欠陥

プレジデントオンライン / 2024年9月25日 10時15分

18歳の成年の誕生日を迎え、天皇、皇后両陛下へあいさつに向かわれる秋篠宮家の長男悠仁さま=2024年9月6日、皇居・半蔵門 - 写真=時事通信フォト

安定的な皇位継承のために必要なことは何か。皇室・王室ウオッチャーの中原鼎さんは「男系堅持か・女系容認かという議論に流れがちだが、それ以外にも議論をするべきことがある。皇室経済法の欠陥は今すぐ見直したほうがいい」という――。

■皇族数確保の切り札として脚光を浴びる「旧宮家」

GHQ占領下の昭和22(1947)年10月14日に民間人になった伏見宮系の元皇族ならびにその子孫――いわゆる「旧宮家」の方々――が、令和の御代を迎えてからというもの、一定の皇族数を確保するための切り札として脚光を浴びている。

旧宮家をめぐっては、現天皇家との共通男系祖先が室町時代の伏見宮貞成親王であることから、血縁が薄すぎて国民に受け入れられないのではないかと懸念する声もある。

だが、戦前の日本人はそんな伏見宮系の皇族方を、在位中の天皇とは男系のみでは遠縁であることを知りつつも、軽んじるどころか憧憬の対象としていたようだ。近代生まれの著名人らの回想によれば、特に女性たちの関心ぶりは凄まじいものだったらしい。

「僕らの少年の頃から、月給取りの妻君連中の話題と言えば、皇族の戸籍しらべで、なんの宮の子供が何人あって、それが何の宮のいとこにあたるとか、異常な興味をもっていて、その話に上越す話がないようであった」――金子光晴「天皇陛下」(『思想の科学』第46号、昭和41年)

もちろん当初のうちは違和感を覚える国民も少なくないはずだが、皇籍に入る方が皇族としてふさわしい品位を備えていさえすれば、きっと時の流れが解決してくれるであろう。

とはいえ、皇室制度の在り方が今のままならば、系譜をある程度遡らなければ歴代天皇に行き着かないという点は、とある別の理由から確かに「安定的な皇位継承」にとっての不安要素になりうるのではないだろうか。

■養子縁組で「身位」はどうなるのか

政府の有識者会議が令和3(2021)年に取りまとめた最終報告書では、皇族数の確保のために「養子縁組を可能とし、皇統に属する男系の男子を皇族とする」という方法が挙げられている。

要するに今ある宮家を旧宮家の男子に継承していただこうという案だが、ここで着目したいのが、皇族の身位について「三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王」とすると定める現皇室典範の第6条である。

この規定に従えば、たとえば常陸宮殿下が養子を取られる場合、養子自身は形式的には昭和天皇の孫として親王になるが、その次代からは王となる。より傍流にあたる三笠宮家や高円宮家では、次代からどころか養子自身も、彬子女王殿下らと同じように王となる可能性が高い。

皇室の構成
画像=共同通信社
皇室の構成 - 画像=共同通信社

■「悠仁天皇」のころには「王」ばかりになっている

前述の報告書には「法律により直接皇族とする」という方法も挙げられているが、皇籍離脱前には鎌倉時代後期に在位した後伏見天皇の子孫としての扱いだったことからすれば、この場合も王になるのが自然だ。

大正9(1920)年の「皇族の降下に関する施行準則」では、当時の伏見宮系皇族の共通祖先である邦家親王の子世代が「一世」とみなされた。今後の議論次第では、このように特例的に一世とみなして親王とする可能性もあるかもしれない。

しかし仮にそうなるとしても、今から60年、70年後のことになるであろう「悠仁天皇」の御代の末頃には、世代交代が進んで宮家の男子たちの身位はやはり王ばかりになっていると考えておいたほうがよいだろう。

もしも悠仁親王殿下の系統が続かなければ、身位が王にすぎない皇位継承者が現れる可能性が高い。これこそが、広い意味での「安定的な皇位継承」の不安要素として筆者が憂慮する点である。

■親王でも「本当にぎりぎりの生活」

皇位継承者が傍系皇族の王だったら何が問題なのか。簡潔にいえば、未来の天皇を育てるという使命の重大さに比して、歳費が少ないことである。

よほどのことがない限り、能力ではなくただ血筋によって地位を継承するのが世襲制というシステムではあるが、それでも日本国の代表者として各国の要人と交際される可能性が一定程度ある高位皇族には、できるだけ高等な「帝王学」を受けていただくこと、さらには国内のご視察なども早くからしていただくことが望ましい。

そう考えた時、気にかかるのが三笠宮家の故寛仁親王がかつて次のようにおっしゃったことだ。

「宮家にはお客さんが来た時にお茶やお菓子を運ぶ若い女性がいます。彼女たちを『侍女』と言いますが、私が歳費の中から雇っています。そういう人件費だけで歳費の半分は飛んでしまう。幸い私には講演料や印税などがありますから、娘たちに栄耀栄華とまではいかなくても、それなりの生活を送らせることができますが、それがなければ本当にぎりぎりの生活でしょうね」――『文藝春秋』平成18年2月号

■親王の10分の7の歳費しか出ない王はもっと深刻

親王の身位をお持ちの皇族であっても、歳費のみではかなり苦しい生活を強いられそうだというのである。皇族方は医療保険にお入りになっていないので、ご病気になられた時の出費もかなり痛いそうだ。

その親王の「十分の七に相当する額(※皇室経済法第6条)」しか歳費を受けられない王ならば、よりいっそう苦しい生活を余儀なくされるであろうことは想像に難くない。親王家にとってすら負担になりそうな帝王学などのための出費は、王家にとってはかなり酷なものになるはずだ。

そもそも親王と王で歳費額に差が設けられているのはなぜか。これについては、敗戦からまだ日が浅い昭和21(1946)年12月12日、衆議院での皇室典範案委員会において、憲法担当国務大臣の金森徳次郎が次のように説明している。

「皇族の方々でありましても、おのづから皇位継承との関係の遠い近いという点によりまして、そこに差別があつてもしかるべきものと思うわけであります、皇位継承の順位に非常に近接したる方に対しましては、その点を考えて金額を多からしめなければならない」

おそらく誰もが想像した通りの理由だろうが、親王の歳費を多くしてあるのは皇位継承の可能性がより高いからだという。即位の可能性が高い方にはより高い品位が備わることが望ましいので、多額の投資をしておこうという趣旨であろう。

■王が皇位継承者になる事態を想定していない「欠陥法」

先の引用だけでも十分だとは思うが、金森大臣の答弁の続きも一応載せておこう。

「非常に遠い方につきましては、みづからその経済等を自主的にお考えになり得る場面も自然多くなつて来るものと考えられまするが故に、そういうことをも加味しつつ、若干経費の額に差等が起つてもしかるべきものと思う」

つまるところ、皇族の歳費に関する皇室経済法の規定は、親王がおらず王が現実的な皇位継承者になるという状況をまともに考慮していないのである。想定外の事態がまだ起きていないから問題になっていないだけの「欠陥法」だと評してもよいのではないだろうか。

思い返せば、譲位特例法が成立するまでの秋篠宮殿下は、新時代の皇嗣としてふさわしい歳費を受けられる保証がなかったが、それも同根の問題だ。次に示すのは、平成29(2017)年4月3日の参議院決算委員会で片山大介議員が述べた意見である。

「私は皇室経済法も変えていく必要があるというふうに思います。皇室経済法は、御存じのように、皇室典範と同じく戦後施行されたものだけれども、やはり今回のようなこと(※傍系皇族が皇嗣になること)は想定をしていなかったんだと思います」

今の秋篠宮殿下に「定額の3倍」の歳費が認められているのは、このように皇室経済法には欠陥があるということが国会の共通認識になったからこそだ。しかし、皇位継承順位が高い王の歳費に対して同じように問題意識を抱く政治家は、残念ながらまだ見当たらないのが現状である。

■「親王宣下」の限定的復活を検討すべし

具体的にどうすればこれを改善できるだろうか。解決策として考えられるのは、明治22(1889)年の旧皇室典範により廃止された「親王宣下」の復活くらいしかなさそうだ。

親王宣下とは、王に対して親王号を与えることができるという、平安時代から明治時代にかけて存在した制度である。

歴史上最後の事例は、明治19(1886)年に明治天皇の猶子(※名義上の養子)として宣下を受けた東伏見宮依仁親王だ。皇室の伝統によれば、傍系皇族が親王宣下を受けるには、このようにまず天皇もしくは上皇の猶子となる必要があった。

明治維新前には世数にかかわらず親王になれる家柄として伏見宮家、桂宮家、有栖川宮家、閑院宮家の四つの宮家があったが、「世襲親王家」などと通称されるこれらの宮家とて、親王号の自動的な世襲を許されていたわけではなかったのである。

四親王家の王子で、宮家を御相続になる方は、必ず時の天皇の御猶子として親王宣下があります」――下橋敬長『維新前の宮廷生活』(三田史学会、大正11年)

このような歴史を踏まえたうえでの個人的な意見だが、皇族の養子縁組を本当に認めるのであれば、そのついでに親王宣下を目的とする天皇の猶子も許容したらよいだろう。

■将来の即位が見込まれる「王」の放置は避けたい

もちろん、大勢の王に対して際限なく親王宣下できる仕組みは採るべきではないし、かつての世襲親王家のように特定の宮家に親王号を用いる特権を半永久的に与えるというやり方も考えるべきではない。

皇位継承順位第5位までの男子には、実際の世数にかかわらず天皇の猶子という形で自動的に親王号が与えられる――というくらいが適切だろうか。なお、第5位までという範囲は、皇太子に加えて前述の四親王がいた時代を目安にしたものである。

歳費の範囲内で未来の天皇を育てるのは、親王ですら心もとない。そんな問題提起をしておきながら親王宣下を提案するというのもおかしな話だが、せめて将来の即位が見込まれる王がその身位のまま長く放置されることだけは避けたい。秋篠宮殿下が皇嗣になった時に増額されたことは今後の先例になるだろうが、それでは遅すぎる場合もあるはずだ。

一応、現行法制下においても王が親王になる道はある。「王が皇位を継承したときは、その兄弟姉妹たる王及び女王は、特にこれを親王及び内親王とする」と定める皇室典範第7条がそれだ。

しかし、これだと天皇自身はやはり王としての立場で即位に向けての準備をしなければならない。天皇の甥についても、先述の寛仁親王がそうだったように普通ならば親王であるところだが、この場合はどうやら王のままとされるようだ。

このことからも現代日本は、傍系皇族が即位することを理論上は想定しつつも、現実には傍系継承に対応できるシステムを十分に構築してこなかったといえる。

■「男系か女系か」のほかにも議論すべきことはある

宮家という存在に対し、皇族としての公務の担い手という程度の役割しか求めないのならばそれでもいいのかもしれない。だが、万一の際に新天皇を出すという役割を期待するのであれば、国家百年の計として制度改革を議論すべきではないだろうか。

さて、ここまで旧宮家の皇籍復帰案に着目して書いてきた。読者の中には「女系天皇を認めれば傍系継承のことなんか考えずに済むだろうに」といった感想を抱かれた方もおられるかもしれない。

愛子さま
愛子さま(写真=外務省/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

しかし、仮に女系天皇を認めたとしても、残念ながら天皇が常に1人以上の子を儲けられるわけではない。傍系継承は当然に起こりうるし、その場合には遠縁の王や女王が皇位継承者となることも十分にありえよう。

男系を堅持すべし、いや女系を容認すべし――。こんな風に皇位継承方法そのものをめぐる論争にどうしても流れてしまいがちだが、真の「安定的な皇位継承」を実現させるためには、それ以外にも考えられることはありそうだ。

成人された悠仁親王殿下がお妃を迎えられるのは、そう遠い未来のことではないかもしれない。だが、もしも男子がお生まれになったとしても、令和の御代のうちは王でしかない。そんな事態を回避するためにも、国会における幅広い議論を期待したい。

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中原 鼎(なかはら・かなえ)
皇室・王室ウオッチャー
日本の皇室やイギリス王室をはじめ、君主制、古今東西の王侯貴族、君主主義者などに関する記事を執筆している。歴史上でもっとも好きな君主は、オーストリア皇帝カール1世(1887~1922)。

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(皇室・王室ウオッチャー 中原 鼎)

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