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30代で起業を目指し、40代で出世欲に目覚め、50代で会社に裏切られる…60代になった大手メーカー元部長の後悔

プレジデントオンライン / 2024年9月25日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks

定年前後の会社員はさまざまな悩みを抱えている。近畿大学教授の奥田祥子さんは「私が24年にわたってインタビューをしてきた60代の男性は『会社が社員を守ってくれる時代は終わった』と考えて起業の準備をしてきたが、40代で出世の道を選んだ末に狙ったポストに就けず、焦りから投資詐欺に遭ってしまった。再雇用で働き始めたが、権限のない単純作業に耐えられず『どん底に落ちた気がした』と語っていた」という――。(第4回)

※本稿は、奥田祥子『等身大の定年後 お金・働き方・生きがい』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

■「定年を境に、目の前の光景が急に真っ黒になって…」

事業主に義務づけられている65歳までの高年齢者雇用確保措置の中で最も多いのが継続雇用制度で、その大半を再雇用が占める。厚生労働省の2023年「高年齢者雇用状況等報告」によると、企業が実施している雇用確保措置のうち継続雇用制度が69.2%に上った。

定年の引き上げは26.9%、定年制の廃止は3.9%だった。再雇用は、働き慣れた定年前と同じ会社に勤務できる一方で、雇用確保措置が義務化されている65歳を超えて就業できる企業はまだ少なく、66歳以降も働き続けたければ転職するか、フリーランスとして仕事を請け負うかなど、いずれにしても自分で仕事を探さなければならない。

すでに21年4月から70歳までの高年齢者の就業確保措置が事業主の努力義務となっているが、70歳までの就業確保措置を実施済み企業は29.7%にとどまっている。ちなみに、65歳までの「雇用確保」(義務づけ)とは異なり、70歳までは「就業確保」(努力義務)と表現され、事業主が直接雇用しない形態も含まれている。日本企業で70歳までの雇用が浸透するにはまだ時間がかかるだろう。

全国的な猛暑日となった2023年の夏、大手メーカーで定年後の再雇用を1年半、2年目の契約途中で辞めた藤井憲一(ふじいけんいち)さん(仮名、62歳)は、生気のない表情でうつむいたまま、10分以上黙り込んだ後、突如として顔を上げて一気にまくしたてた。

「早い時期からこうなることを見込んで、経験を積んで能力を磨き、社外人脈も広げ、誰にもまねできない、会社に頼らない働き方を実践して、起業に備えてきたこの自分が……結局は、初心を忘れ、みんなと同じように出世に目がくらんで、管理職という権力を謳歌しているうちに、いつしか組織に囚われの身となっていた。そのために、こんな惨めな結果となってしまったんです。

部長時代が最も明るい光が当たっていたとすると、役定(役職定年)を迎えた頃から徐々に影が差し始め、定年を境に、目の前の光景が急に真っ黒になって、どん底に落ちたような気がした。まさに明暗を分けたんです」

そう話す藤井さんの頬は紅潮し、目はうっすらと充血していた。話し終えると、テーブルの上に両肘をついて、頭を抱えた。

■難関国立大を卒業し、同期のなかでもいち早く出世

30代からひとつの会社に頼らず、能力を発揮して働き続けることを志しながら、出世コースの波に乗って部長まで上り詰めた。そして、定年退職後に消去法的に再雇用を選択する。定年前後を「明暗」と表現した藤井さんはなぜ、どのようにして、定年後の再雇用で「どん底」を経験した末に、悲惨な事件に巻き込まれてしまったのか。

これまで24年間に及ぶ継続インタビューをもとに、社会情勢や人々の意識の変化を振り返りながら考えてみたい。

最初に取材したのは2000年。東京の難関国立大学を卒業後、大手メーカーに就職した当時39歳の藤井さんは、商品開発部門の課長を務めていた。3年前に同期入社の中でもいち早く課長に昇進した彼に、大企業を中心に浸透し始めていた成果主義人事制度の根幹を成す人事考課(査定)について、中間管理職の立場から話を聞くのが狙いだった。

部署ごとに決められた賃金原資を社員に割り当てるため、一次考課者として部下を相対的に評価しなければならない難しさとともに、自らも上司から評価される苦悩を理路整然と語った後、彼がぽつりと口にした言葉に引きつけられた。

「会社が社員を守ってくれる時代は、もうすぐ終わるでしょうね」――。

この語りをきっかけに、当初の目的を超えて、長年にわたる彼への継続インタビューが始まるのだ。

■「組織の駒で終わりたくない」

「バブル崩壊後の新卒者の採用減に始まる企業の人件費削減策が、社員のリストラに進行していくまで、そう時間はかからない。組織の駒で終わりたくないのもありますし、さらに社外にネットワークを広げ、40代のうちに起業したいと思っています。もちろん一流企業に就職して、さまざまな経験を積み、会社の名刺・肩書を活用して社外に同業、異業種問わず、幅広い人脈をつくれているのは貴重です。まあ、そのために必死になって勉強し、一流大学に入ったわけですから。

本来なら今から副業を始めて会社を興す地ならしをしたいところですが、就業規則で禁止されていますから。こういうところは大企業に限らず、日本の会社は遅れていますよね。できることから着実に準備を進めていきたいと思っています」

実際に日本企業で社員のリストラが本格化するのは、数年先のこと。さらに「副業・兼業の促進に関するガイドライン」を厚生労働省が策定し、副業を解禁する企業が増え始めるのは、この取材の20年近く後の18年のこと。藤井さんがいかに企業や働き方の動向を先取りし、将来の身の処し方を計画していたかがわかる。

藤井さんが予測した通り、バブル崩壊を機に始まった人件費削減策が、社員のリストラ、すなわち出向・転籍から早期退職募集、退職勧奨まで進行していた2005年。古巣の営業部の部次長職に就いてから2年余り、44歳になった彼の心境に変化が現れ始める。

頭を抱える人
写真=iStock.com/kuppa_rock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuppa_rock

■同期が出世ラインから外され不安を感じるように

出会った頃のインタビューで「組織の駒で終わりたくない」と話していた会社との関わり方が徐々に変わり、社内で生き残り、出世していくことを考えるようになるのだ。きっかけは同期や入社年次の近い社員のリストラだった。同年の取材でこう、複雑な思いを明かした。

「2、3年前から自分と課長昇進を競い合ったような有能な同期たちが、次々と出世ラインから外され、子会社に出向させられたり、早期退職への応募を勧められたり……中には法律に抵触しないスレスレの退職勧奨を受ける者まで出始めたんです。実は部次長に昇進する直前まで、異業種交流会で出会った仲間数人とネットビジネスを起業する準備を進めていたんですが……。

自分がリストラの対象になったら、起業の資金計画も立てられないばかりか、それまでの生活水準を維持することすらできなくなってしまう。これからますます教育費のかかる中学生と高校生の子どもたちのことも考えると……。まずは、会社で生き残る、つまり出世して組織内で力を持つことを目指すしかないと……」

彼には珍しく、視線を合わせようとしない。うつむき加減ながら、その顔がこわばっているのは明らかだった。

悩まされるビジネスマン
写真=iStock.com/Yuto photographer
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yuto photographer

■次第に「社内での生き残り」に集中するようになり…

「もう、起業は諦めたということですか?」

単刀直入過ぎる質問だったと思った瞬間、彼の眉間にシワが寄る。苦悩がにじみ出ていた。

「今日は、もう、いいでしょうか……」

そう言って、取材場所を後にした。あの時、藤井さんの頭から起業計画がすべて消え去っていたのか、それとも当座しのぎのためにいったん先送りしたのか、彼の口から聞き出すことはできなかった。今思い返すと、どちらか決められないからこその苦悶の表情だったのではないだろうか。

藤井さんはその後も管理監督者としての能力を発揮し、順調に出世の階段を上っていく。自身が以前、話したように「組織内で力を持つ」ようになるのだ。2009年、48歳の時に営業部の部長に昇進する。同期や入社年次の近い社員のリストラが相次ぐなかでの“出世頭”だった。

部長職に就くまでのプロセスで取材を重ねるなかで、かつて雄弁に語っていた「組織の駒で終わりたくない」「会社に頼らない働き方」を実践するための手立てとして、自ら会社を興したいという志を捨て去っていく様子がありありとわかった。部長昇進から数カ月後のインタビューで、こう思いを語った。

「権力欲しさに、起業よりも管理職として社内で生き残ることを取ったと思われるかもしれませんが、まあ、あながち間違ってはいませんよ。あっ、ははは……。出世して部下も増え、経営陣とも直接話ができて、会社の重要な意思決定にも関わることができるのは快感です。それに、権力がないと、自分の思ったように会社を変えることはできないですからね。端的に言うと、面白いんですよ」

■念願だった執行役員のポストには就けなかった

藤井さんなりに筋の通った発言だった。だが、どこか腑(ふ)に落ちない。つかみどころのないもどかしさを、彼が見せた張りついた笑顔からも感じ取ったことが、所々に綴じ糸が切れて黄ばんだ当時の取材ノートに記されていた。

管理職としてのやりがいをことさら強調することで、出世と引き替えに諦めた起業への思いを断ち切ろうとしていたのかもしれない。そして、出会った頃に彼が話した、起業のための「地ならし」としての副業についても、まるで人が変わったように批判的な見方をするようになる。

「副業を容認したら、機密情報が社外に流出するリスクがあるし、労働時間が増えて本業に支障をきたす可能性もあります。それに、有能な人材が退職してほかの企業に転職したり、起業されたりしては困りますからね」

最後の語りに耳を疑った。否定しているのは、かつて彼が目指していたことではないか。

しかしながら、藤井さんが語った管理職に就いて事業計画や経営企画などの意思決定に関わることの面白さは、2016年、55歳で役職定年を迎えた時点で喪失する。役職延長を経て執行役員ポストに就くことを目指していたが、叶わなかったのだ。

■起業を目指していたが、投資詐欺に遭ってしまう

役職定年を迎えて2カ月ほど過ぎた頃、インタビューでやるせない思いを明かした。

「花形部署の営業部で部長まで務めたら、誰だってその上を目指します。営業本部長で執行役員を狙っていたんですが、それ以前に役職延長さえしてもらえなかった。社運のかかった重要プロジェクトを成功させた、入社年次が年下の、他の営業部門の部長に奪われてしまった。負け惜しみではないですが……本当にわずかの差で、ポストを競った相手の運が良かったとしか言いようがありませんね」

頭を抱えているビジネスマン
写真=iStock.com/kuppa_rock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuppa_rock

この取材時に定年後も視野に入れた、今後の身の処し方を尋ねたのだが、「さあ、どうしましょうかね」と言葉を濁し、それ以上答えてはくれなかった。この時すでに、かつて思い描いていた起業に向けて動き出していたことを知るのは、3年後のことだ。

企業の業績向上のためウェブ上の戦略を練るウェブコンサルティングの会社を立ち上げるべく事業計画を立て、資金繰りに奔走したが難航し、たまたま足を運んだ投資セミナーで投資詐欺に遭ってしまうのだ。弁護士に依頼して被害金額のほとんどは取り戻せたものの、精神的苦痛は大きかった。背景には「出世競争に敗れ、焦りがあった」と、19年のインタビューでつらい胸の内を打ち明けた。

■かつての部下に顎で使われることに耐えられない

狙ったポストを獲得できず、苛立ちや焦燥感がさらなる不運を呼び寄せてしまったのかもしれない。21年、定年退職を迎えた時には、再雇用を選択せざるを得なくなっていた。再雇用で働き始めて半年が経過した頃、インタビューで思いを語った。

「実際には60歳から働かなくても貯金を取り崩して生活はしていけますが、65歳まで働くのが普通の時代になって、妻や近所の手前もあって、家でゴロゴロしているわけにもいきませんからね」

そうして、再雇用を辞してから3カ月ほど過ぎた2023年夏の冒頭の語りへと続くのだ。定年を機に「どん底に落ちた」と語って頭を抱えたまま数分、沈黙した後、顔を上げると、誰に言うともなくこうささやいた。「再雇用では権限のない単純作業で、かつての部下に顎で使われるなど、本当につらい毎日でした……。起業への挑戦よりも、管理職として権力にあぐらをかいていた結果が、このあり様です」――。

年収は役定後も1000万円近くあったが、定年後の再雇用では6割減の約400万円に減った。ただ、再雇用での労働を「つらい」と感じる背景には、悪化した処遇や起業への挑戦を断念した無念さもさることながら、「権力にあぐらをかいていた」日々のプライドが邪魔しているようにも思えた。

■プライドを捨て、穏やかな表情に

再雇用を2年目の契約途中で自ら辞めた現在63歳の藤井さんは、24年春から週3日、マンションの管理人をしながら、ボランティアで地域の子どもたちに囲碁を教えている。

「正直、まだ定年前後の光と影のトラウマが消えない面はありますが、かつて固執していたプライドは少しずつ捨てられるようになったのではないかと思っています。年収にして200万円弱の管理人という小さな仕事ではあっても、住人に喜んでもらえるのはうれしいし、趣味で断続的に続けてきた囲碁を教えて子どもたちの笑顔を見られるのも楽しいもんです。うーん、まあ、うまく言えませんが……社内の地位にこだわって周囲から評価を得ることに躍起になっていた定年前と違い、肩の力を抜いて働けていることはありがたいですかね」

そう言うと、視線を外し、取材場所の喫茶室の窓から外の街路樹を眺めた。二十数年に及ぶ取材で最も和やかな表情だった。

瞑想
写真=iStock.com/Amoniak
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Amoniak

■再雇用で働く場合で、年収はほぼ半減する

再雇用の多くは1年ごとに契約を更新する嘱託、契約社員などの非正規雇用だが、定年前とほとんど変わらない仕事を担当しているケースも増えており、それにもかかわらず給与が大きく減少することへの不満を募らせるシニア社員も少なくない。

パーソル総合研究所が21年に公表した「シニア従業員とその同僚の就労意識に関する定量調査」(本質問項目の対象者は定年後再雇用〈フルタイム、パートタイム等〉で働くシニア従業員591人(*1))では、定年後に再雇用で働く人の年収は平均して44.3%低下していた(図表1)。定年前後での職務の変化については、半数が「定年前とほぼ同様の職務」(55.0%)で、「定年前と同様の職務だが業務範囲・責任が縮小」(27.9%)と合わせて8割強に上った。

【図表1】定年後再雇用者の年収変化
出所=『等身大の定年後』

一方、処遇の悪化はやむを得ないとある程度は許容できても、「仕事にやりがいがない」「自らの働きが会社に認められていない」などと感じ、働く意欲が下がる場合も少なくない。その要因として挙げられるのが、定年後のシニア社員に対する人事制度である。

定年に達すると、機械的に以前適用されていた職務や役割、能力によってランク分けする等級制度からは対象外となり、人事評価も行われないケースが多い。こうした課題の解決には、ひとつは中高年男性の固定的なジェンダー意識の改革が有効である。出世や報酬、評価などへの執着は、「男らしさ」規範に縛られている面が強く、このため、定年後を「男らしさ」規範の呪縛から抜け出す好機と捉えてみてはどうだろうか。

(注)
(*1)調査対象の定年後再雇用者の性別は男性405人、女性186人。雇用形態の内訳は、フルタイム375人、パートタイム94人、嘱託122人。ただし、パーソル総合研究所によると、雇用形態の3分類には厳密な定義を設けておらず、調査対象者自身が認識して聴取時に答えたもので、勤務する会社が採用している「呼称」。このため、例えば嘱託にはフルタイム、パートタイム双方が含まれるなど、それぞれの分類が重なる概念になっているという。

■シニア層への転職支援がますます必要に

次に雇用主側の対策として重要なのが、シニア社員のやる気を引き出す人事制度改革である。

奥田祥子『等身大の定年後 お金・働き方・生きがい』(光文社新書)
奥田祥子『等身大の定年後 お金・働き方・生きがい』(光文社新書)

定年後再雇用で働くシニア社員を対象とした等級制度を設け、等級に応じた人事評価を行い、処遇を決定するもので、査定によって給与のアップもダウンもある現役並みの仕組みである。無論、現役社員との賃金の均衡を図るため、基本給を定年直前の水準よりも一定割合減額するのはやむを得ないが、そこにプラスする部分を成果主義賃金体系とするのだ。

数多(あまた)の定年後に再雇用で働くシニア社員たちの話を聞いていると、自身の職業能力に不安を抱いているケースは予想した以上に多い。期待される役割や能力が不明確なだけに、具体的に何を学び、どの技能を伸ばせばいいのか、わからない場合も少なくないのだ。

シニア社員自身がスキル向上のために努力を重ねる必要がある一方で、能力開発・職業訓練への国や企業の支援が欠かせない。雇用市場へのシニア層の流入が加速するなか、雇用主は65歳までの継続雇用期間の間に、定年後再雇用者の66歳以降の継続雇用延長の検討や、転職支援など、次のステップへの橋渡し役を担う必要性が今後ますます高まるだろう。

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奥田 祥子(おくだ・しょうこ)
近畿大学 教授
京都生まれ。1994年、米・ニューヨーク大学文理大学院修士課程修了後、新聞社入社。ジャーナリスト。博士(政策・メディア)。日本文藝家協会会員。専門はジェンダー論、労働・福祉政策、メディア論。新聞記者時代から独自に取材、調査研究を始め、2017年から現職。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程単位取得退学。著書に『捨てられる男たち』(SB新書)、『社会的うつ うつ病休職者はなぜ増加しているのか』(晃洋書房)、『「女性活躍」に翻弄される人びと』(光文社新書)、『男が心配』(PHP新書)、『シン・男がつらいよ』(朝日新書)、『等身大の定年後 お金・働き方・生きがい』(光文社新書)などがある。

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(近畿大学 教授 奥田 祥子)

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