なぜ朝ドラの寅子は事実婚を選んだのか…脚本家は「女性は相手の姓になりたいもの」と描きたくないと葛藤した
プレジデントオンライン / 2024年9月26日 7時15分
「虎に翼」の名セリフ② 第19週「悪女の賢者ぶり?」より
寅子「今、色んなことを話したいと思うのは星さん。ドキドキしてしまうのも星さん……一緒にいたいのは星さんで……なんで私の気持ちは、なりたい私とどんどんかけ離れていってしまうんでしょうか」
(中略)
航一「なりたい自分とかけ離れた、不真面目でだらしがない愛だとしても……僕は佐田さんと線からはみ出て、蓋を外して、溝を埋めたい……駄目でしょうか?」
寅子「永遠を誓わない、だらしがない愛………なるほど」
吉田恵里香『NHK連続テレビ小説「虎に翼」シナリオ第19週』(NHK出版)
■岡田将生が演じた寅子のパートナー、星航一の人物像
寅子が事実婚をする相手・航一は、そのキャラクターのヒントとなった三淵乾太郎さんよりも少し若い設定です。岡田将生さんが素敵に演じてくださっていました。
航一は三淵乾太郎さんと同じく、30代で子を持ちましたが、当時の男性の感覚はそうだったということもあり、妻・照子さんやお父さんや義母の百合さんに子供を任せ、自分は仕事ばかりしてきたんですね。
そういう意味で、裁判官としては一人前だけれど、父や夫としては十分に育っていないままで、ちょっと頼りなく、子どもっぽいところがあります。乾太郎さんと同じように初代最高裁判所長官の息子であるエリートで、日米開戦に突き進むのを止められなかったという罪の意識も抱えている。さらに、照子さんが病気で亡くなってしまってからは、完全に自分の中で蓋をしてしまいました。航一はもともと自己評価が非常に低く、子育てについては、お金のこと以外、自分は何の役にも立たないと思っているからです。
■航一が夫や父親としてはちょっと頼りなく見えたワケ
子育ては、自分の父や百合さんに任せた方が子供にとって間違いないだろうと思っていたので、子供のことや家庭のことを顧みなかった。自分の殻に閉じこもるということは、成長しないことなので、無責任に見えるのは、自己肯定感の低さがそうさせているのだと思いながら書きました。
とはいえ、航一さんは自分に自信がなく、ある意味押し付けのような一方的な愛を子どもに対して持っている。その愛の一方通行ぶりも自覚しているから、優秀な自分のお父さんと百合さんに育てられた方が良いに違いないと、自分の中で愛情に蓋をし、勝手に結論を出してしまったんですね。
しかし、そんなところから、寅子と巡り合い、再会を果たし、だんだんと恋心が芽生えていく。そんな中、自分を徐々に嫌いじゃなくなっていったわけです。航一に思いを告げた寅子に対し、航一が「あなたといると、つい蓋が外れてしまう。全て諦めたはずが、ついあなたのように人に踏み込んでしまう。驚くことにそんな自分が嫌いじゃない。それだけで、あなたと出会えて良かった。それだけで十分です」というセリフがありました。そこから前出のやりとりに続きます。
■新潟で寅子と恋に落ちた航一はマリオのような「無敵状態」に
航一は、自己肯定感の強い寅子マジックを浴びて、魔法に包まれたまま新潟で3年間を過ごしてしまったんですよ。言ってみれば、寅子マジックによって、マリオ(ゲーム『スーパーマリオブラザーズ』)のスターを持っているような無敵状態で東京に帰ってきた。そんな航一の変化に星家の人々も気づいて、寅子との関係性に内心戸惑ったけれど、言葉では「もう大人同士だから」などと言われ、許容された。
航一は子供たちの真意を理解せず、その言葉を真に受けて、だったら結婚もしたい、自分の愛する人について堂々と愛していると言いたいという気持ちが湧いてきてしまう。そして、寅子と「家族のようなもの」になっても、きっとこの寅子マジックのまま無敵状態が続くと思っちゃっていた。一種のハイ状態です。でも、いざ寅子たちと同居を始めたら、そのパワーは特に自分の子供たちに対しては全然効力を持っていなかったわけです。
人と関わらないでいると、余計なことを言わないから、周りが勝手に好意的に解釈して、評価が上がっていくことって、よくあるじゃないですか。しかも、航一は基本的に仕事だけしていたら優秀な人だから、たぶん寅子も航一をもっと大人だと思っていた。だからこそ最初は何を言っても「なるほど」と返すばかりで、考えていることが全く読めない彼に、苦手意識を持っていたわけです。
■娘との間に溝ができた寅子のように「間違える」人を描きたい
でも、そんな人が自分と一緒にお祭りに行ってキャッキャと騒ぐような一面を目の当たりにすると、そのギャップを可愛いと思ってしまった。さらに、航一が戦争を止められなかった自責の念に苛まれていること、それにより自分の心に蓋をして家族とも溝ができていることを知ると、そんな航一の姿に、新潟に赴任する前の自分を見たんですよね。
寅子は娘・優未との溝ができていることに気づき、新潟では2人で暮らす中でなんとか溝を埋めていった。寅子にとっては「家族との溝」があるという状況はこれで2度目だからという気持ちで受け止めることができるんです。その上で、星家の中でできてしまった溝については、自分と優未は部外者だからと、そこに介入するのではなく、あえていったん退くんですよね。
私は寅子も含めて、あまり優秀で完璧な人にはしたくない。「間違えない人」を出したくないと思っていました。寅子も航一も、それぞれ最初の結婚でパートナーを失い、後ろめたさも後悔もある中で出会っていて、亡くなった方はもう戻らないけれど、次は失敗しない、後悔しないぞという気持ちが2人とも強いと思うんです。だからこそ、大っぴらにいちゃつくんですよね(笑)。
■モデルの三淵嘉子さんとは違って「事実婚」にした理由
三淵嘉子さんの史実と異なり、ドラマで事実婚にしたことには、いくつか理由があります。史実に合わせるのかどうかについては、かなり悩みました。
でも、寅子という人が「佐田寅子」という名前が消えることを喜べるとはどうしても思えなかった。また、寅子のモデルとなった三淵嘉子さんは、男女平等の実現を強く願っていた方で、当時、女性の社会進出の最前線に立ち、その思いを多く語っています。三淵さんが望んでいた男女平等や女性の社会進出というテーマを、今の人に響くものにしないといけないという思いがありました。
■劇中の寅子が改姓に抵抗のない女性だとはどうしても思えなかった
三淵さん自身はおそらく再婚で姓を再び変えてもいいと思っていたでしょうし、もしかしたらむしろ積極的に「三淵」になりたかったのかもしれない。そうであれば、史実通りに、寅子も姓の問題で悩まずに結婚しちゃうというのもアリだったんですが、そうしてしまうと、今の世の中に男女平等を問い、「見えない」ことにされている人を扱うというこのドラマの意味趣旨においては、違うんじゃないか。改姓の問題に触れずにそのまま結婚を描くこと自体、男女平等や女性の社会進出を虐げるメッセージになりかねないと思ったんです。
そこは私も本当に悩みました。第21週では夢の中で結婚前の「猪爪寅子」や最初の結婚をして法律家になった「佐田寅子」、そして再婚して改姓した場合の「星寅子」が出てきて、姓を変えるべきかどうか議論しました。その場面などは、ぜひe-bookのシナリオで読んでいただけると、きっと面白いと思います。
ここまで生きてきた寅子が何も考えず、「私が星姓になることに抵抗はありません」とか「むしろ星姓になりたいです」なんて言うとは思えない。史実通りでは「結婚すること=女性は相手の苗字になりたい」というようなメッセージを打ち出すことになりかねないので、史実とは違う事実婚を選択するというのは、2024年の今、描く意味があると思いました。
もちろんそれに対しての批判もあるだろうということは、最初からわかっていましたし、覚悟もしていました。三淵さんの遺族の方とは、制作統括の尾崎裕和さんや取材法律考証の清永聡さんが話をしてくださって、ご了承いただいた形です。
【参考記事】「41歳で再婚して『崖っぷちの心に余裕が出た』…朝ドラのモデル三淵嘉子と裁判官の夫は最後までラブラブだった」
■寅子が事実婚を選んだのは「仕事で旧姓使用ができない」からか
寅子は、最初の結婚のときには「既婚女性」という社会的地位を得るために何も考えずに相手の佐田姓になりました。でも、2回目の結婚にあたり、気になってくるという描写については、実際に今の時代になってから振り返ってみれば……ということがあると思うんです。
寅子の場合は、法律の世界にいて、裁判所は判決文や書記官が書く文書において、戸籍名しか長年認められていなかったために事実婚を選びました。
でも、例えば私の場合、吉田は旧姓ですが、この名前で生きてきて、仕事上はそのまま旧姓で居続けられるので、結婚し苗字を変えることにはそれほど抵抗がありませんでした。
逆に旧姓の吉田をずっと使っているだけに、病院などで本名を呼ばれて「誰?」となることがあったり、自分の息子の保育園などでは息子の名前で「○○くんママ」とか「○○くんのお母さん」と呼ばれるから、苗字をあまり意識しないくらいだったりします。
でも、完全に旧姓を使えない状態になるのだったら、やっぱり抵抗はあったかなと思います。そうしてこれまで姓を奪われてしまった女性たちの思いをなかったことにしないため、事実婚を描いたのです。
もちろん、旧姓使用ができればそれでいいというわけではありませんよね。今の日本では認められていませんが、結婚を考えている2人がどちらも姓は変えたくないという場合には姓を変えないで済む。そんな選択肢ができればいいと思います。
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脚本家・作家
1987年生まれ。神奈川県出身。主な脚本執筆作に映画『ヒロイン失格』、ドラマ『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』『君の花になる』『生理のおじさんとその娘』など。ドラマ『恋せぬふたり』で第40回向田邦子賞・第77回文化庁芸術祭優秀賞を受賞。アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』で第9回ANIME TRENDING AWARDS(ATA)最優秀脚色賞を受賞。執筆した小説に『恋せぬふたり』(NHK出版)など。
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(脚本家・作家 吉田 恵里香 取材・文=田幸和歌子)
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