「日本人=世界一の風呂好き」説はこうして生まれた…教科書には載っていない「明治時代に起きた入浴革命」とは
プレジデントオンライン / 2024年11月30日 16時15分
※本稿は、川端美季『風呂と愛国 「清潔な国民」はいかに生まれたか』(NHK出版新書)の一部を再編集したものです。
■“江戸期の健康法”と西洋医学が融合
江戸期には熱い湯に入ることが体内の気の流れを乱すものとして養生書のなかで注意されていた。それでは、明治期になると入浴にはどのような注意が向けられるようになったのか。
明治初期には、医師たちによって医療としての入浴が紹介されたり、どのような入浴方法が身体に適しているかが説明されるようになった。たとえば、1871(明治4)年に刊行された石黒忠悳(いしぐろただのり)の『医事鈔(いじしょう)』がある(*1)。
石黒は1871年から陸軍医を務め、1890(明治23)年には陸軍軍医総監となった人物である。『医事鈔』では治療として湯を浴びることを「浴法」と記した。浴法の種類として「手浴、脚湯、上肢浴(じょうしよく)、坐浴(ざよく)、全身浴、硫黄浴(いおうよく)」が挙げられ(*2)、これらは治療であるため、病気の症状によって浴法の適温が異なるとされた。
これまでの熱い湯に入ることへの注意が、温度という数値、かつ科学的指標によって具体的に示されたのである。
また1873(明治6)年に出版された、松寿主人(しょうじゅしゅじん)による『開知日用便覧(かいちにちようびんらん)初編』では「浴湯(ゆあみ)」という表記で入浴が取り上げられた。このなかでは、具体的な温度が示されて熱い湯に入ることが注意された。さらに、身体に垢をためないようにすることが病を避けるために重要だとも記されている(*3)。
温度を示しての入浴への注意は、江戸期から継続した関心と、西洋近代医学の受容という両側面が融合したものといえるかもしれない。
(注)
(*1)石黒忠悳『医事鈔』東京府書籍館、1871年、12―14頁
(*2)入浴方法を分類する記述はこの後も見られる。たとえば1891(明治24)年に出版された中原恭弥による『医家宝典』の「人工浴」という章のなかで、治療としての入浴方法が説明されている。最初に「浴湯トハ全身或ハ身体ノ一部ヲ洗浴スル(中略)其効用ヲ概論スレハ身体ノ皮膚ニ附着セル汚垢ヲ洗除シ以テ皮膚ノ新陳代謝機能ヲ催進シ疾病ヲ治療スルニアリ」として、入浴の意義とその効能が説かれたうえで、「寒浴(摂氏18.75度以下)」「冷浴(摂氏18.75―20.75度)」「微温浴(摂氏20.75度―33.75度)」「温浴(摂氏33.75度―40度)」「熱浴(摂氏40度―43.75度)」と温度による入浴の区分がなされ、それぞれに適した入浴時間、治療効果のある病気が列挙された。そして温度による入浴の区分だけではなく、「熱水灌注法」「土耳其浴」などの入浴方法も紹介された。中原恭弥編『医家宝典』下巻、細謹舎、1891年、194―199頁
(*3)松寿主人編『開知日用便覧 初編』雁信閣、1873年、13―14頁。松寿主人は神奈川県会議員だった岡勘四郎のこと。
■急進的な政策ではなく、衛生意識の啓蒙を進めた
その後1897(明治30)年頃から、西洋の近代医学・衛生学の観点から入浴や浴場をみる記述が現れるようになる。そこでまず、医師や衛生の専門家を中心に、1883(明治16)年に組織された大日本私立衛生会について触れておきたい。
大日本私立衛生会は明治期の日本の衛生行政の取り組みと無関係ではないからである。幕末からたびたび流行したコレラは、明治期に入ってからもさまざまな地域で猛威をふるった。政府や自治体は急性伝染病に対する検疫や隔離を徹底的に行い、コレラ流行をおさえるべく制度を整えた。
国策としては1880(明治13)年には「伝染病予防規制」が、1897年には「伝染病予防法」が制定されている。しかし、法規制だけで流行がおさえられるわけでもなく、トップダウン的で急な規制は人々から反発を招くこともあった。そこで、急性伝染病の流行を防ぐためには、市井の人々の意識を変えることが求められたのである。
考え方としては、強制するのではなく、自発的に予防する衛生的行動に向かわせることが必要だとされた。人々に衛生の知識を普及させることは、衛生行政を円滑に進めるうえで欠かせないことだった。とはいえ、衛生知識はなかなか人々に根づかない。そこで、「衛生」に関する知識と思想を啓蒙するために発足したのが「大日本私立衛生会」だった。
会頭には佐野常民(さのつねたみ)、副会頭は長与専斎(ながよせんさい)、幹事には松山棟庵(まつやまとうあん)、三宅秀(みやけひいづ)、石黒忠悳といった日本の医学・衛生行政の近代化を語るうえで欠かせない面々が名を連ねている。
■西洋的な衛生思想や伝染病対策を紹介
会の具体的な活動内容は、機関誌『大日本私立衛生会雑誌』の発行、総会員による総会や在京会員による常会の開催、「衛生談話会」「通俗衛生講和会」「通俗衛生談話会」の開催、痘苗(とうびょう)(天然痘の種痘の接種材料、天然痘ワクチンのこと)の製造・全国頒布、「伝染病研究所」の運営(*4)である。
大日本私立衛生会は当時の衛生運動を牽引した組織のひとつであったが、会員もまた近代化の最中にいたことには注意しておきたい。彼らによって普及が目指された近代的な衛生思想は、実は近世的な節制や鍛錬を基礎とする「養生」に近いものとしてとらえられていたという指摘があるように(*5)、大日本私立衛生会の活動は、近世の「養生」から欧米の近代的な「衛生」へと移行していく過程そのものだといえる。
その機関誌『大日本私立衛生会雑誌』は演説、論説、質疑応答、中外彙報、寄書といった項目で構成されていた。会員を中心とした多くの医師や衛生家が寄稿し、西洋の近代的衛生思想や伝染病対策が紹介された。
風呂や浴場との関わりで述べておくと、この機関誌が1883年5月に刊行されてから、1923(大正12)年1月に『公衆衛生』と誌名が変更されるまでの460号のなかで、入浴や浴場に関する記述は多いとはいえない。ただし、入浴に対する価値観の変遷をわかりやすく示す資料となっている。
(注)
(*4)「伝染病研究所」の運営は1892(明治25)年以降に行われた活動である。
(*5)瀧澤利行『健康文化論』、63頁
■日本人の「入浴好き」は伝統的なものではない
同誌が初めて入浴について取り上げたのは、1884(明治17)年刊行の第14号である。柴田承桂(しばたしょうけい)(*6)による「第二総会海外衛生上景況ノ報道(前号ノ続(つづ)き)」という記事であった。
このなかで、1883年にベルリンで開催された衛生博覧会の陳列物品のなかに「衣服及(および)ヒ皮膚保護沐浴」という項目があったと紹介されている(*7)。明治前期に海外の衛生事情として入浴や浴場が取り上げられることはめずらしいことではなく(*8)、それが自国の入浴習慣をとらえなおすことにもつながっていた。では海外との比較のなかで、日本の入浴習慣はどのようにみなされるようになったのだろうか。
現代の日本人の多くは、海外に行き宿泊先にシャワールームしかないとき、風呂に入りたい(湯に浸かりたい)と思うのではないだろうか。宿泊施設の口コミサイトなどには、風呂に関するものも多い。こうした素朴な感覚にもとづいて、日本人は風呂や入浴が好きだとごく当たり前に認識されているかもしれない。
しかし、このような感覚は比較的新しいものである。明治20年頃までの『大日本私立衛生会雑誌』でも、欧米の知識や衛生習慣を紹介するのみで、この時点では日本人が入浴を好むという記述はみられない。
(注)
(*6)柴田承桂は薬学者であり、1874(明治7)年から1878(明治11)年にかけて東京医学校製薬学科の初代教授を務めた。1870(明治3)年にドイツに留学し、ベルリン大学でホフマンに有機化学を学び、ミュンヘン大学でペッテンコーフェルに衛生学を学んだ。1878年に東京医学校を退いた後は内務省御用掛となり、衛生行政の創設に貢献した。
(*7)「衣服及ヒ皮膚保護沐浴」の内容についてこの記事では言及されていない。また1894(明治27)年の『大日本私立衛生会雑誌』136号に「列国デモクラヒー会議」という記事が掲載された。この「会議部門」に「浴場衛生」があったと紹介されたが、その内容についても述べられていない。無記名「列国デモクラヒー会議」『大日本私立衛生会雑誌』第136号(1894年)
(*8)官僚や新聞記者などが渡欧の記録として入浴などについて書いたものには、1887(明治20)年に出版された『欧州之風俗 社会進化』がある。これは「郵便報知新聞」社員である森田思軒と吉田熹六が欧州や米国の訪問を記録したものであった。このなかに「湯屋の有様の事」「初旅の西洋浴室」という章がある。イギリスやフランスの「湯屋」や浴室について詳細に記録がのこされている。森田思軒・吉田熹六『欧州之風俗 社会進化』大庭和助刊、1887年、127―132、318―322頁
■「欧米よりもスゴイ」という論調
変化が生じるのは明治30年代に入ってからである。1897年刊行の第172号に、「沐浴の沿革及(および)其衛生上の必要」という記事(無記名)がある。記事は次のように始まる(*9)。
冒頭から、日本には古くから「沐浴」という美しい風習(風俗)があるという記述である。「これに反して」欧州諸国はそうではない、どんな階級の人も入浴することはまれであると、明確に日本と欧米を比較している。一方で、「欧州諸国」では入浴が衛生上必要であり、浴場が設置されつつある(*10)と述べている。つまり日本の「美風」は、欧米諸国と比較して示されているのだ。
(注)
(*9)無記名「沐浴の沿革及其衛生上の必要」『大日本私立衛生会雑誌』172号、1897年、716頁
(*10)19世紀のフランスでは温かい湯に入ることが病気を予防するとされ、そのための施設として公衆浴場があげられた。皮膚を清潔にすることが身体内に潜む力を活発にするとされ、身体の一部分でもあることが求められるようになった。1890年代になると伝染病は細菌説の影響を受けた。腸チフス、結核、コレラ、ジフテリア、ペストなどの病原菌が汚れた皮膚に潜んでいるとされ、不潔な個人は潜在的に病気を運ぶと見なされるようになった。G・ヴィガレロ著、見市雅俊監訳『清潔になる〈私〉 身体管理の文化誌』同文館出版、1994年、232―233頁
■「健康を増進するための入浴」を推奨
記事は次のように続く(*11)。
身体の外ににじみ出るものとは汗や垢のことだと推測されるが、これらは有害な成分を持つため、ともすれば伝染病の感染の媒介となることがある。この有害な成分を取り除くため、温かい湯に入るほかないと、入浴の必要性を強調している。
加えて、「健康を増進」するために入浴する者は多く、清潔な湯を使い身体を温め、皮膚を石鹸(せっけん)で洗い清潔にする必要があると説かれている(*12)。これは当時、身体を石鹸で洗うことがイギリスやフランスなどのヨーロッパ諸国やアメリカで勧められていたためである(*13)。
この記事は、欧米諸国との二重の比較から日本の入浴習慣を位置づけようとしている。ひとつには、欧米に比べて日本には入浴習慣が古くから存在していること、もうひとつには近代公衆衛生の考え方が進んでいる欧米で、入浴習慣が衛生的でよいものだと考えられていたことである。
日本には欧米と比較して入浴という美しい風習があるという主張は、欧米の衛生知識を基盤とするからこそ成り立つといえるだろう。
(注)
(*11)無記名「沐浴の沿革及其衛生上の必要」『大日本私立衛生会雑誌』172号、716―717頁
(*12)無記名「沐浴の沿革及其衛生上の必要」『大日本私立衛生会雑誌』172号、716―717頁
(*13)V・スミス、鈴木実佳訳『清潔の歴史 美・健康・衛生』東洋書林、2010年
■「明治30年」という転換点
入浴を好む日本人という記述は、その後の機関誌のなかでも何度か登場する。
たとえば、1902(明治35)年刊行の第234号には「入浴装置の改良を望む」という記事がある。「日本人は世界中最も多く入浴を好む」という記述から始まり、「其身体を清潔ならしむると云ふの点に於いては異議なし」と述べられている(*14)。この記事を寄せたのは亀井重麿(かめいしげまろ)という人物であるが、別のアプローチで浴場に対する言及もしており、後ほど紹介したい。
さて、なぜ明治30年代に入って「入浴好きな日本人」という言説が現れたのだろうか。その理由や背景をひとつに絞ることは難しく、いくつかの要因があると考えられる。ひとつに、明治30年は、明治10年代や明治20年代と大きく異なっている点がある。
明治元年に生まれた子どもは明治30年には30歳である。つまり、明治30年とは明治になってから生まれた人々が社会構成上の労働力の主力になり、江戸時代を知らない人々が社会の主流になりつつあった時代である。
(注)
(*14)亀井重麿「入浴装置の改良を望む」『大日本私立衛生会雑誌』第234号、1902年、759頁
■「清潔さを保っていれば、西洋人からバカにされない」
ここにひとつの文献を紹介したい。1888(明治21)年、福地復一(ふくちふくいち)(*15)という人物によって書かれた『衛生新論』である(*16)。出版の理由として、当時「衛生」領域で新説が登場している一方で、日本ではまだこれらの新説を編纂(へんさん)した衛生書がないことがまず挙げられている。
しかし従来の書籍は欧米の事例に依拠しているのみで、日本人の習慣に合うものになっていない。そこで最新の学説を取り入れつつ、日本に適した事例を紹介するために本書を編纂したと説明している(*17)。
同書には「澡浴(そうよく)論」という章に、入浴に関する具体的な言及がある(*18)。身体の清潔に注意しないと、皮膚の気孔を塞ぐことになり皮膚病になる恐れがある(だからこそ入浴しなければならないという)。
さらに、欧米の上流階級を除く人々の入浴の回数が少ないが(月に一回、あるいは隔月に一度の頻度である)、日本には「公浴場」(*19)が至るところにあり、身体を「清潔」にしていると述べられている。そのうえで、これに続いて次のような記述がある(*20)。
衣服その他を清潔に保つことに気をつけていれば、「西洋人」から「東洋人種」は不潔だと馬鹿にされることはないというものだが、これは西洋の人々からアジア人は不潔だと嘲笑されたことが当時あったということである。
(注)
(*15)福地復一は1894(明治27)年から1897(明治30)年まで東京美術学校図案科の教師を勤めた人物であり、1900(明治33)年のパリ万博、1904(明治37)年のセントルイス万博に農商務省嘱託の立場で意匠図案調査のために赴いた。
(*16)福地復一『衛生新論』島村利助刊、1888年、150―163頁
(*17)福地『衛生新論』、112頁
(*18)福地『衛生新論』、150頁
(*19)ここでは「公浴場」の定義はとくに説明されていないが、おそらく湯屋、つまり公衆浴場のことだと推測される。
(*20)福地『衛生新論』、151頁
■「日本人風呂好き論」に影響を与えた“黄禍論”
だからこそ、西洋では月に一度、あるいは2カ月に一度という頻度でしか入浴していない一方で、日本には各地に「公浴場」があり、身体を清潔にしていると説明するのである。「東洋人種」は不潔だと言われた背景があったからこそ、欧米と比較して日本の入浴習慣を示し、それを「清潔」であると述べたのではないだろうか。
さらにこのことは、日清・日露戦争を契機に日本がどのように諸外国(とくに欧米列強)からみられていたのかという点にも関わってくる。
欧州では19世紀末からアジア圏(中国や日本)の人種が欧米圏の白人や国家にとって脅威になるという黄禍論(こうかろん)が唱えられ始めた。黄禍論が当時の日本の知識人に大きな影響を与えたことはいうまでもなく、軍医で作家の森鴎外なども批判を行っている。
先に挙げた西洋と日本の比較の議論からすると、欧米からの日本に対する偏見があり、それに対抗するからこそ、日本に古くからある入浴習慣が注目されたと考えられるかもしれない。日本人は入浴を好む清潔な国民(民族)だという言説が1900年前後に数多くみられるようになったのは、衛生領域のみではない。
たとえば、1907(明治40)年の芳賀矢一(はがやいち)『国民性十論』には、日本人の「美風」として「清浄潔白」が挙げられた。1911(明治44)年の福田琴月『家庭百科全書 衛生と衣食住』には、日本には古来沐浴を行う「美風」があって、どんな階級でも毎月数回は入浴するが、欧米諸国では上流階級でも日本人のように頻繁に入浴しないと述べられている(*21)。
時代は少し下るが、1916(大正5)年の『大日本私立衛生会雑誌』402号にも、「世界で我国民位入浴を好むものは他にありませんでせう。入浴によつて身体の清潔を保つといふことは衛生上から見て大層良いことです」という記載がある(*22)。日本と欧米とを比較して日本人を清潔だとする認識は、大正期以降にも継続していった。
(注)
(*21)福田琴月『家庭百科全書 第31編 衛生と衣食住』博文館、1911年、234頁
(*22)無記名「余白録」『大日本私立衛生会雑誌』402号、1916年、552頁
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立命館大学生存学研究所特別招聘准教授
1980年神奈川県生まれ。立命館大学先端総合学術研究科修了。博士(学術)。専門は公衆衛生史。著書に『近代日本の公衆浴場運動』(法政大学出版局)、『風呂と愛国 「清潔な国民」はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、共編著に『障害学国際セミナー2012 日本と韓国における障害と病をめぐる議論』(生活書院)がある。
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(立命館大学生存学研究所特別招聘准教授 川端 美季)
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